第25話 凡庸な男爵家次男は、逃げ道の開通式に立ちたくない
前回まで:
断る練習は、人を助ける一方で「断れたかどうか」を測る新しい資格にもなり得ます。
リオネルは練習台になることを拒み、その結果、「断る練習・断られる練習」の試行運用まで整ってしまいました。
そして次に届いたのは、各指針・標準文案・具体例集・練習運用についての公開説明会の予告。
『代表発言者については調整中』
逃げ道を作っていたはずなのに、その開通式に立たされそうな気配が濃くなってきました。
主な登場人物:
リオネル・アルバート……男爵家次男。逃げ道の説明会でテープカットさせられそうで胃が痛い。
ギルバート・レイヴン……伯爵家嫡男。定例外交圧力として茶を淹れる。茶が濃い。
クラウス・ヴェルナー……子爵家三男。重すぎる言葉を軽く運ぶ耐火箱。
ニール・ロイド……平民出身の奨学生。自分の言葉で立ち始めた。
セシリア・グランベル……侯爵令嬢。逃げ道と重荷の境界を見る。
レオンハルト・ヴァイス……生徒会長。静かに運用する怪物。
オスカー・フェルン……学院新聞同好会編集長。余白と不在を編集する男。
代表発言者。
その五文字は、想像以上に強かった。
翌朝、学院の廊下では、もうその話で持ちきりになっていた。
「公開説明会、やるらしいぞ」
「代表発言者って誰だ?」
「学生自治会長が話すんじゃないのか」
「でも、今回の指針って、元はアルバート様の考えなんだろう?」
違う。
違うと言いたい。
だが、完全には違わない。
だから、なおさら質が悪い。
断る権利。
本人同意。
匿名性。
標準文案。
具体例集。
断る練習。
どれも、俺が作ったものではない。
学生自治会が整えた。
レオンハルト会長が運用した。
セシリア嬢が逃げ道を守った。
クラウスが重さを薄めた。
ニールが当事者の言葉で立った。
ギルバートが本質を殴った。
オスカー先輩が火の向きを変えた。
俺一人のものではない。
それなのに、周囲は分かりやすい名前を探す。
誰が言い出したのか。
誰の思想なのか。
誰の功績なのか。
そして、そういう時、俺の名前は便利すぎる。
凡庸な男爵家次男。
本来なら目立たないはずの肩書きが、ここまで来ると逆に目立つ。
「おはよう、アルバート様」
「おはようございます」
下級生に挨拶された。
いつもより、少しだけ丁寧だった。
その丁寧さが怖い。
「公開説明会、頑張ってください」
やめてほしい。
「私は発言者ではありません」
反射的に答えた。
下級生は、きょとんとした顔をした。
「そうなのですか?」
「はい」
「でも、皆さん、アルバート様が説明されるのだと」
皆さん。
便利な言葉だ。
誰も責任を取らないまま、噂だけが体を持つ。
「違います」
俺は、少し強めに言った。
「私は代表ではありません」
下級生は慌てて頭を下げた。
「失礼しました」
その背中が遠ざかる。
また傷つけたかもしれない。
だが、ここで曖昧に笑えば、噂は確定する。
俺は代表ではない。
誰の代表にもなりたくない。
誰かの逃げ道を作ったつもりで、自分が旗になる未来だけは避けたい。
「朝から顔色が悪いな」
横から声がした。
ギルバートだった。
今日も第一声がそれである。
「おはようございます、レイヴン様」
「おはよう。顔色が悪い」
もはや挨拶である。
「代表発言者の件で噂が出ています」
「聞いた」
ギルバートの顔が少し険しくなる。
「お前が話す必要はない」
「私もそう思います」
「なら、そう言えばいい」
「言っています」
「足りないなら、俺が言う」
やめてほしい。
「レイヴン様が言うと、レイヴン家が私を隠しているように見えます」
ギルバートは黙った。
以前なら、すぐに反論しただろう。
今は、一度飲み込む。
それだけで、この人がどれほど考えるようになったか分かる。
「では、どうすればいい」
「何もしないでください」
「それは難しい」
「難しくてもお願いします」
「努力する」
その「努力する」は、最近だいぶ信用できるようになってきた。
少し怖い。
信用できるようになっている自分が怖い。
「アルバート」
ギルバートは少し低い声で言った。
「本当に代表にされそうなら、俺は止める」
「その時はお願いします」
言ってから、しまったと思った。
お願いしてしまった。
頼ってしまった。
ギルバートの表情が少しだけ明るくなる。
やめてほしい。
そこは喜ばないでほしい。
「分かった」
声が、妙に力強かった。
胃が痛い。
だが、少しだけ心強い。
本当に困る。
教室に入ると、クラウスが既に席にいた。
手元には、公開説明会の案内文らしき紙がある。
「おはよう、リオネル」
「おはようございます。何を読んでいるのですか」
「地獄への招待状」
やめてほしい。
正確すぎる。
クラウスは紙をひらひらと揺らした。
「学生自治会の仮案だよ。公開説明会の構成案」
「なぜ持っているのですか」
「耐火箱だからかな」
便利に使いすぎではないか。
「代表発言者は」
俺が聞くと、クラウスは少しだけ目を細めた。
「今のところ、未定」
「今のところ」
「うん。ただ、候補として君の名前は出ている」
胃が沈んだ。
知っていた。
知っていたが、聞くとつらい。
「誰が」
「下級生側の一部。あと、上級生側の一部」
「両方から?」
「理由は違うけどね」
クラウスは紙を畳んだ。
「下級生側は、君が話せば安心すると思っている。上級生側は、君が話せば責任の所在がはっきりすると思っている」
最悪だ。
同じ代表でも、意味が違う。
下級生にとって俺は安心の象徴。
上級生にとって俺は責任の置き場。
どちらも嫌だ。
「私は、祭壇の供物か何かですか」
「近いね」
否定してほしかった。
クラウスは苦笑した。
「ただ、レオンハルト会長は君を代表にする気は薄いと思う」
「本当ですか」
「たぶん」
たぶん。
弱い。
非常に弱い。
「会長は、君を表に出すと場が燃えることを分かっている」
「なら安心ですね」
「でも、君を出さないことで別の意味が生まれることも分かっている」
安心できない。
まったく安心できない。
「つまり?」
「君を代表にしても燃える。君を外しても、“なぜ外されたのか”で燃える」
俺は机に突っ伏したくなった。
だが、学院の机でそんなことをすれば、それも意味になる。
本当にこの世界は面倒だ。
「どうすればいいのですか」
「燃え方を選ぶしかない」
クラウスは穏やかに言った。
「完全に燃やさないことは、もう難しい」
その言葉は、かなり冷たかった。
だが、嘘ではなかった。
昼休み。
学生自治会室に呼ばれた。
呼ばれたくなかった。
案内文にはこうあった。
『公開説明会に関する代表発言者調整について。
出席は任意。
発言不要。
欠席理由不要。』
任意。
発言不要。
欠席理由不要。
この三つを見るたびに、最近は逆に不安になる。
本当に不要なら、そもそも呼ばないでほしい。
だが、行かなければ、俺のいないところで俺の扱いが決まる。
行けば、俺が関わったという事実が残る。
また二択だ。
もちろん、どちらも胃に悪い。
だから俺は、胃に悪い方へ向かった。
最近、自分の判断基準が本格的におかしい。
自治会室には、いつもの面々が揃っていた。
レオンハルト会長。
マティアス先輩。
クラウス。
セシリア嬢。
ニール。
ギルバート。
オスカー先輩。
ローレンス先輩。
エルマー先輩。
そして、数名の下級生代表。
俺は端の席に座った。
座った瞬間、部屋の何人かがこちらを見た。
やめてほしい。
見ないでほしい。
レオンハルト会長が口を開く。
「公開説明会について、代表発言者の調整を行う」
静かな声。
「まず確認する。今回の説明会は、誰か一人の思想発表の場ではない」
よし。
良い出だしだ。
非常に良い。
「断る権利、本人同意、匿名性、標準文案、具体例集、練習運用。これらは複数の議論と運用の積み重ねで成立したものだ」
その通り。
「したがって、特定の一名を“発案者”として立てることはしない」
助かった。
一瞬、本当に助かったと思った。
だが、安心するには早かった。
レオンハルト会長は続ける。
「ただし、説明会には、聞く側が納得できる声が必要だ」
来た。
「制度を運用する側の声。使う側の声。誘う側の声。断る側の声。観察する側の声。それぞれを分ける」
分ける。
一人に背負わせない。
それは良い。
とても良い。
だが、俺の胃はまだ重い。
「候補を確認する」
マティアス先輩が読み上げた。
「制度運用側。レオンハルト・ヴァイス会長」
当然だ。
「進行補佐。マティアス・ロウ」
これも当然だ。
「誘う側代表。エルマー・ハーディ」
エルマー先輩が静かに頷いた。
「断る側、または下級生側の発言。ニール・ロイド」
ニールの肩が少し揺れた。
俺は思わず彼を見る。
ニールは緊張している。
だが、逃げてはいない。
「新聞・記録上の注意。オスカー・フェルン」
オスカー先輩が楽しそうに微笑んだ。
不穏だ。
「身分差のある誘いに関する発言。ギルバート・レイヴン」
ギルバートが頷いた。
かなり真剣な顔だった。
「構成補佐。クラウス・ヴェルナー」
クラウスは肩をすくめた。
「逃げ道・支援設計に関する発言。セシリア・グランベル」
セシリア嬢は、静かに目を伏せた。
そして。
来る。
来ると思った。
俺は息を止めた。
マティアス先輩の視線が紙の上を滑る。
「――リオネル・アルバート」
来た。
やはり来た。
部屋の空気が少し変わった。
胃が冷える。
「役割未定」
役割未定。
最悪に近い言葉だった。
役割がないなら、消してほしい。
未定ということは、これから役割を与えられる余地がある。
余白だ。
また余白だ。
俺はオスカー先輩を見た。
彼は何も言わず、微笑んでいた。
絶対に面白がっている。
レオンハルト会長が俺を見る。
「アルバート」
「はい」
「君を代表発言者にはしない」
息が戻った。
少しだけ。
本当に少しだけ。
「ありがとうございます」
「ただし」
来た。
やはり来た。
「君の名前が出ている以上、君が代表しない理由は説明する必要がある」
地獄か。
俺は目を閉じたくなった。
「それを私が説明するのですか」
「その予定はない」
少し戻った。
「では、誰が」
「私が説明する」
レオンハルト会長は淡々と言った。
「アルバートは、特定の立場を代表しない。彼個人の拒絶や観察を、学院の旗として扱わない。今回の指針は、複数の立場から生まれた運用であり、一名の思想ではない。そう説明する」
正しい。
あまりにも正しい。
だから、寒気がした。
この人は、俺を慈しんでいるのではない。
俺という個人を救おうとしているのでもない。
俺という変数を、制度が壊れない位置に置いている。
表に出せば燃える。
隠せば余白になる。
ならば、代表にせず、しかし不在の意味も管理する。
俺の逃げ場まで含めて、盤面の上に置かれている。
これは配慮ではない。
高度な支配だ。
「会長」
俺は言った。
「その説明は、私を守るためのものですか」
「それもある」
「それ以外は」
「制度を守るためだ」
正直だ。
本当に正直だ。
「一人を象徴にすると、制度は弱くなる。象徴が倒れれば制度ごと倒れる。象徴が神格化されれば、制度は信仰になる」
神格化。
朝の下級生の瞳を思い出した。
正解を与えてくれる聖者。
ぞっとする。
「君を代表にしないのは、君だけのためではない」
レオンハルト会長は言った。
「この運用を、誰か一人の所有物にしないためでもある」
正しい。
本当に正しい。
だから何も言えない。
だが、その正しさの中で、俺はまた配置されている。
代表しない者として、配置されている。
これは救いなのか。
それとも、もっと見えにくい鎖なのか。
クラウスが軽く手を挙げた。
「一つ補足しても?」
「どうぞ」
「アルバートを“代表しない代表”にしない方がいい」
よく言った。
本当によく言った。
「彼を代表者から外す理由を強調しすぎると、結局“代表を拒む象徴”になる。説明は簡潔でいいと思う」
レオンハルト会長が頷く。
「採用する」
早い。
「アルバートを代表しない代表にしない。記録」
記録しないでほしい。
いや、必要なのか。
必要だから困る。
オスカー先輩が楽しそうに言った。
「“代表しない代表”は、見出しとして強いですね」
「使わないでください」
俺とクラウスの声が重なった。
少し嫌だった。
息が合っているように見える。
オスカー先輩は笑った。
「努力します」
信用できない。
ニールが、少し緊張した声で言った。
「私が、下級生側の発言をするのは構いません」
俺は彼を見た。
ニールは手を軽く握っていた。
「ただ、“平民代表”にはしないでください」
部屋が静まった。
ニールは続ける。
「私は、平民全体の口ではありません。一人の学生として話します」
第十一話の時と同じ言葉だった。
だが、今のニールの声は、あの時より強い。
「奨学生全体でも、下級生全体でもありません。私が経験した怖さと、助かったことを話します」
俺は、少しだけ胸が熱くなった。
よく言った。
本当に。
そして、その熱をすぐには否定できなかった。
セシリア嬢が静かに頷いた。
「同じく、私は侯爵家令嬢としてではなく、支援の設計に関わった一人として話します」
ギルバートが続けた。
「俺は、伯爵家嫡男として話す」
え。
俺は思わずギルバートを見た。
彼は真剣だった。
「身分が重い側の人間が、自分の重さを知らずに誘うことが一番危ない。だから、俺は自分の家名を隠さない」
ギルバートはまっすぐに言った。
「その上で、断られた時の不満は持ち帰る、と話す」
部屋が静まり返った。
強い。
本当に強い。
彼は、家名を捨てて軽くなるのではない。
家名を背負ったまま、自分の不満を持ち帰ると言っている。
ギルバートは、家名を隠さない。
伯爵家嫡男という重さを背負ったまま、自分の不満を持ち帰ると言う。
その姿は、眩しかった。
そして、少しだけ残酷だった。
彼は家名を背負って戦う道を選んだ。
俺は、家名も役割も捨てて逃げる道を選ぼうとしている。
真逆のはずだった。
なのに、どちらも意味に捕まっている。
背負っても意味になる。
捨てても意味になる。
結局、俺たちはどちらも、自分の立ち位置から逃げきれていない。
「レイヴン様」
俺は小さく言った。
「それは、かなり負担になります」
「知っている」
知っている。
知っていて言うのか。
「俺の重さで起きる問題は、俺の重さで説明するべきだ」
その言葉は、不器用で、まっすぐだった。
また何かを背負わせた。
俺の言葉が、この人をこういう場所へ立たせてしまった。
嬉しい。
苦しい。
本当に苦しい。
エルマー先輩が、少し控えめに手を挙げた。
「私も、誘う側として話します」
彼は穏やかに言った。
「誘いづらくなったこと。熱意が失われる怖さ。それでも、相手に選ばせる余地が必要だと感じたこと。それを話せればと思います」
良い人だ。
やはり良い人だ。
こういう人がいるから、制度は一方的な刃にならずに済む。
その一方で、こういう人にまで負担をかけている。
また、俺は誰かを傷つけたのではないか。
レオンハルト会長が、全体を見渡した。
「では、代表発言者ではなく、立場別発言者とする」
代表を避けるために、また名前が増えた。
仕方ない。
たぶん仕方ない。
「発言者は、各立場を代表しない。あくまで自身の経験と役割から話す。全体説明は学生自治会が担う」
マティアス先輩が書く。
ペンの音。
今日もまた、鎖と手すりの両方に聞こえる。
議論が一段落した時、レオンハルト会長が俺を見た。
「アルバート」
「はい」
「君には、発言を求めない」
「ありがとうございます」
「出席も求めない」
本当に?
俺は少し警戒した。
「欠席しても構わない」
ありがたい。
ありがたいはずなのに、また嫌な予感がする。
「ただし、君が欠席した場合、その不在にも意味がつく」
やはり。
「出席した場合も意味がつく。欠席した場合も意味がつく」
「なら、どうしろと」
思わず声が出た。
部屋が静まった。
しまった。
少し感情が出た。
レオンハルト会長は、静かに俺を見た。
「選べ」
その一言は、短かった。
「どちらの意味なら、君がまだ耐えられるかを選べ」
耐えられるか。
正しいかではなく。
役に立つかでもなく。
俺が耐えられるか。
それは、思っていたよりも重い言葉だった。
「君を意味から完全には解放できない」
レオンハルト会長は言った。
「だが、意味の種類を選ぶ余地は残す」
逃げ道。
これもまた、逃げ道なのだろう。
ただし、かなり苦い。
出席すれば、視線を浴びる。
欠席すれば、不在が編集される。
どちらも嫌だ。
なら、自分で選ぶしかない。
本当に嫌だ。
俺は選びたくない。
誰かに勝手に決められるのも嫌だ。
自分で選ぶのも嫌だ。
最低である。
「……考えます」
俺は、ようやくそう答えた。
レオンハルト会長は頷いた。
「それでいい」
会議は終わった。
終わったはずなのに、まったく終わった気がしなかった。
廊下に出ると、足が少し重かった。
ニールが近づいてくる。
「アルバート様」
「はい」
「私、話します」
「はい」
「怖いです」
「はい」
「でも、平民代表ではなく、一人の学生として話します」
その声は震えていた。
だが、逃げてはいなかった。
「ロイド様」
俺は言った。
「怖いなら、断ってもいいと思います」
ニールは少し笑った。
「はい。断ってもいいと分かっているから、話せそうです」
胸が詰まった。
それは、たぶん良いことだ。
良いことなのだ。
俺はまた、少し救われたと思ってしまった。
「そうですか」
それだけ返すのが精一杯だった。
ギルバートが隣に立つ。
「俺も話す」
「聞きました」
「止めないのか」
「止めたいです」
「なぜ止めない」
「レイヴン様の言葉だからです」
言ってから、自分でも少し驚いた。
ギルバートも驚いたようだった。
「私が止めれば、それはレイヴン様の言葉ではなくなります」
ギルバートは少しだけ黙った。
それから、深く頷いた。
「分かった」
なぜか、少し嬉しそうだった。
やめてほしい。
俺の胃が痛む。
セシリア嬢が静かに言った。
「アルバート様は、出席されますか」
「分かりません」
「そうですか」
「助言は」
「求められていない助言はしません」
そうだった。
俺たちが作った。
求められていない助言は禁止。
ここで自分に返ってくるのか。
「ただ」
セシリア嬢は少しだけ目を伏せた。
「どちらを選んでも、逃げたことにはならないと思います」
「それは助言では」
「観察です」
便利だ。
本当に便利な言い方だ。
俺は少しだけ笑った。
「利用価値がありますね」
「はい」
クラウスが横から言う。
「ちなみに、僕としては欠席しても出席しても面白いと思う」
「最悪ですね」
「でも本音だよ。出席すれば視線が君に集まる。欠席すれば“いないこと”が余白になる。どちらにしても燃える」
「やはり最悪ですね」
「だから、燃え方を選ぼう」
朝と同じ言葉だった。
完全には燃やさないことは、もう難しい。
燃え方を選ぶ。
嫌な成長だ。
夕方。
公開説明会の告知が掲示板に貼り出された。
『各指針・標準文案・具体例集・練習運用に関する公開説明会』
一、参加は任意。
一、途中退出可。
一、質問は書面でも可。
一、発言希望者は事前申請。
一、発言者は特定の身分・属性全体を代表しない。
一、発言者への個別接触は禁止。
一、説明会後の質問は学生自治会窓口へ。
整っている。
本当に整っている。
そして、発言者一覧があった。
制度運用:レオンハルト・ヴァイス
誘う側の経験:エルマー・ハーディ
断る側の経験:ニール・ロイド
身分差のある誘い:ギルバート・レイヴン
支援設計:セシリア・グランベル
情報・記録上の注意:オスカー・フェルン
構成補佐:クラウス・ヴェルナー
俺の名前はなかった。
なかった。
なかったのに、掲示板の前の生徒たちは言った。
「アルバート様は出ないんだ」
「名前がないの、逆にすごくない?」
「表に出ないのが、あの方らしい」
やめろ。
本当にやめろ。
名前がないことに意味をつけるな。
出ないことを俺らしさにするな。
その時、少し離れた場所にオスカー先輩の姿が見えた。
彼は掲示板を眺めながら、ほんのわずかに口元を上げていた。
まるで、
完璧な不在ほど、美しい演出はありませんよ。
そう言いたげな目だった。
最悪だ。
俺はまた、紙面にも壇上にもいないまま、余白に置かれている。
オスカー先輩の顔が脳裏に浮かぶ。
君は、紙面に直接置くより、余白に残した方が強い。
最悪だ。
俺はまた、余白に置かれている。
夜。
寮に戻ると、机の上に紙はなかった。
よかった。
本当に、よかった。
今日はもう何も来ないでほしい。
そう思って茶を淹れようとした時、扉が叩かれた。
もう驚かない。
「ギルバートですか」
「そうだ」
扉を開けると、ギルバートが茶器を持っていた。
定例外交圧力である。
「今日は、私が淹れます」
「駄目だ」
「なぜ」
「今日は俺が話すと決めた日だ。茶も俺が淹れる」
意味は分からない。
だが、ギルバートは真剣だった。
「俺が淹れる茶が濃いのは」
「レイヴン家の伝統が重いから、ですね」
「分かってきたな」
分かりたくなかった。
ギルバートは茶を淹れた。
やはり濃い。
本当に濃い。
俺はそれを受け取った。
「出席するのか」
ギルバートが聞いた。
「分かりません」
「そうか」
「止めないのですか」
「止めたい」
正直である。
「だが、止めない」
「なぜ」
「お前の選ぶ意味だからだ」
また、そういうことを言う。
本当に困る。
俺は茶を飲んだ。
濃い。
苦い。
でも、温かい。
毒を飲んでいる自覚はある。
これは依存だ。
誰かが勝手に差し出してくれる温かさを、受け取ってしまうこと。
逃げたいはずの場所に、喉の渇きを覚えてしまうこと。
危ない。
分かっている。
それでも、喉が渇いて仕方がなかった。
「……少しだけ」
俺は言った。
「考えます」
「そうしろ」
ギルバートは頷いた。
「考える間の茶は、俺が淹れる」
「それは必要ありません」
「必要だ」
「なぜ」
「定例だからだ」
定例。
もう逃げられないらしい。
ギルバートが帰った後も、茶の温かさは手の中に残っていた。
それが嫌だった。
残らないでほしい。
こういう温かさは、覚えてしまう。
覚えてしまえば、次に寒くなった時、また欲しくなる。
毒を飲んでいる自覚はある。
それでも、喉が渇いて仕方がなかった。
俺は冷めかけた茶を見下ろした。
明日の俺が、どうかこの温かさを忘れていますように。
そう祈ってしまった自分が、今日一番みじめだった。
問題は解決していない。
公開説明会はこれからだ。
代表発言者は、立場別発言者になった。
俺の名前は消えた。
だが、余白に置かれた。
出席しても意味がつく。
欠席しても意味がつく。
選べと言われた。
どちらの意味なら耐えられるかを。
俺は茶を飲んだ。
濃い。
濃すぎる。
なのに、少しだけ手が温まる。
逃げ道の開通式は、もう準備されている。
問題は、俺がその場にいるかどうか。
そして、たぶん。
いるにせよ、いないにせよ。
俺の平穏は、明日また死ぬ。
たぶん。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、公開説明会の「代表発言者」をめぐるお話でした。
リオネルの名前は、リストから消えました。
けれど、名前が消えたからといって、存在感まで消えるわけではありません。
出席しても意味がつく。
欠席しても意味がつく。
それでも、どちらの意味なら耐えられるかを選ばなければならない。
ニールは「平民代表」ではなく一人の学生として話すことを選び、ギルバートは家名の重さを隠さずに話すことを選びました。
そしてリオネルは、ついに自分が出席するかどうかを選ぶところまで追い込まれています。
逃げ道の開通式が近づく中、リオネルの平穏はどこへ向かうのか。
ブックマークや評価で見守っていただけると嬉しいです。




