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凡庸な男爵家次男は、誰にも好かれたくない 〜前世でモテすぎて疲れた俺、今世は静かに暮らしたいのに学院の火種ばかり見えてしまう〜  作者: 平八
第一章 逃げ道と、石畳の学院

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第15話 凡庸な男爵家次男は、傍聴者の椅子を常設されたくない

前回まで:

学生自治会の補助指針をめぐり、ローレンスたち上級生側から懸念が出ました。

その場に現れた生徒会長レオンハルトは、リオネルを「説明役」でも「調停役」でもなく、あくまで「傍聴者」に置くと決めます。

そしてリオネルは、理由を言わなくても断っていい、という言葉を初めて受け取りました。


主な登場人物:

リオネル・アルバート……男爵家次男。静かに暮らしたいが、火種を見つけると放っておけない。

ギルバート・レイヴン……伯爵家嫡男。リオネルの隣に立つ不器用な友人。

クラウス・ヴェルナー……子爵家三男。冷静に政治的な構図を読む。

ニール・ロイド……平民出身の奨学生。自分の足で立ち始めている。

セシリア・グランベル……侯爵令嬢。リオネルの逃げ道を見つける共闘者。

ユリウス・クラインベルク……侯爵家嫡男。正しさで人を導こうとする上級生。

レオンハルト・ヴァイス……公爵家三男。生徒会長。理由を問わず、運用で線を引く人物。

理由を言わずに断っていい。


その言葉は、思っていたよりも重かった。


断る。


ただそれだけなら、簡単なはずだ。


行きません。

できません。

遠慮します。

参加しません。


言葉だけなら、いくらでもある。


だが実際には、断る言葉の後ろには、いつも理由がいる。


体調が悪いから。

予定があるから。

身分が足りないから。

自分には不相応だから。

迷惑をかけるから。


何かしらの理由を添えなければ、断ることすら許されない。


前世でもそうだった。


なぜ来ないのか。

なぜ会えないのか。

なぜ笑わないのか。

なぜ応えてくれないのか。


理由を差し出せば、今度はその理由を検分される。


それくらい大丈夫でしょう。

本当に無理なの。

私のことが嫌いなの。

君ならできるよね。


理由は、断るための盾ではなかった。


相手に握られる取っ手だった。


だから俺は、理由を作るのがうまくなった。


角が立たず、相手の面子を潰さず、自分の逃げ道を少しだけ残す理由。


それを作るのは得意だ。


得意になってしまった。


だが、レオンハルト会長は言った。


断りたいなら断れ。


理由は必要ない、と。


それは乱暴で、冷たくて。


だからこそ、少しだけ息ができる言葉だった。


翌朝。


俺の机の上には、学生自治会からの封書が置かれていた。


また封書である。


最近、封書が嫌いになりつつある。


いや、元から好きではない。


好きではないものが、さらに嫌いになっただけだ。


俺は封を切った。


『本日放課後、補助指針の運用例について検討を行う。


アルバート君には説明役を求めない。


傍聴を希望する場合のみ、出席可。


不参加の場合、返信不要。


マティアス・フォルナー』


俺は、その文面を三回読んだ。


出席可。


不参加の場合、返信不要。


つまり、来なくていい。


本当に来なくていい。


なぜだろう。


来なくていいと書かれているのに、逆に落ち着かない。


行かなければ、何が話されるか分からない。

行けば、また何かを見つける。

見つければ、たぶん口を出す。

口を出せば、また言葉が残る。


分かっている。


行かない方がいい。


今日は行かない方がいい。


そう思った瞬間、胸の奥がざわついた。


見えない火を放置していいのか。


それで誰かが困ったらどうする。


ニールがまた代表にされかけたら。

セシリア嬢が一人で重い言葉を置くことになったら。

ギルバートが怒って火種になったら。

クラウスが冷静に毒を吐きすぎたら。


俺は何を心配しているのだろう。


全員、俺がいなければ何もできないわけではない。


むしろ、俺がいない方が、自分たちで考えるかもしれない。


レオンハルト会長の言葉が蘇る。


便利な人間を使い続ければ、周囲が考えなくなる。


君自身も壊れる。


胸の奥が少しだけ痛んだ。


俺は便箋を取り出した。


返信不要と書かれている。


だから返信しなくていい。


だが、無言で行かないのも落ち着かない。


これもまた、癖だ。


相手に不安を与えないように、先回りして整えたくなる。


俺はペンを取った。


『本日は、別件のため傍聴を控えさせていただきます。』


書いた。


すぐに違和感があった。


別件とは何だ。


ない。


別件などない。


俺はただ、行きたくないだけだ。


その嘘は、誰のための嘘だ。


相手のためではない。


俺が、理由なしで断るのが怖いだけだ。


俺はその一文に線を引いた。


新しく書く。


『本日は、体調を整えるため傍聴を控えます。』


これも違う。


体調が悪いわけではない。


疲れてはいる。


だが、それを理由にした瞬間、次は「体調が良ければ来られるのか」となる。


俺はまた線を引いた。


便箋が線だらけになる。


情けない。


たった一つ断るだけで、俺はこんなに理由を探している。


鞄の中に、兄の手紙がある。


俺はそれを取り出した。


何度も読み返したせいで、紙が少し柔らかくなっている。


『大丈夫と書けない日は、大丈夫と書かなくていい。


疲れたなら、疲れたと書け。


困ったなら、困ったと書け。


兄は、弟の報告書ではなく、弟の手紙が読みたい。』


俺はしばらくその文を見た。


それから、新しい便箋を出した。


今度は、一文だけ書いた。


『本日は傍聴しません。』


それだけ。


理由はない。


謝罪もない。


補足もない。


丁寧すぎる飾りもない。


余白が怖かった。


何も書かれていない白い部分が、まるで何も守っていない自分のように見えた。


これでいいのか。


失礼ではないか。


何か理由を添えるべきではないか。


そう思った。


だが、封をした。


手が少し震えた。


たかが欠席の返事である。


それなのに、俺はまるで戦場へ出るような気分だった。


「アルバート」


声がした。


ギルバートが立っていた。


いつからいたのか。


最近、本当に気配の出し方がおかしい。


「顔色が悪い」


「欠席の返事を書いただけです」


「それでなぜ顔色が悪くなる」


「理由を添えなかったので」


ギルバートは一瞬黙った。


それから、封書を見る。


「それでいい」


短い言葉だった。


「理由を言わなくてもいいと、会長は言った」


「はい」


「なら、それでいい」


「……そうですね」


「俺は行く」


「え?」


「運用例の会議だろう。俺は行く。お前がいないなら、俺が余計なことを言わないように努力する」


不安しかない。


だが、ギルバートの顔は真剣だった。


「ニールも行く。クラウスも行く。グランベル様もいる。マティアス先輩もいる。会長もいる」


「はい」


「お前がいなくても、たぶん大丈夫だ」


その言葉は、少し痛かった。


同時に、少し楽だった。


俺がいなくても大丈夫。


それは寂しい言葉ではない。


本来なら、安心すべき言葉だ。


たぶん。


「では、お願いします」


俺がそう言うと、ギルバートは目を見開いた。


「任されたのか」


「はい。余計なことを言わない役を」


「難しいな」


「頑張ってください」


ギルバートは少しだけ口元を緩めた。


「分かった」


そこへクラウスが来た。


「ギルバート様だけに任せると、余計なことを言わない代わりに、顔で威圧する可能性があるので、私も行くよ」


「クラウス」


「事実です」


「否定しづらい」


俺は少し笑ってしまった。


笑った後、自分で気づいた。


今の笑顔は、壁ではなかった気がする。


少なくとも、完璧ではなかった。


それなら、少しはましなのかもしれない。


放課後。


俺は自治会室へ行かなかった。


代わりに、図書館へ向かった。


目的はない。


ただ、自治会室から離れた場所にいたかった。


図書館の奥の席。


窓際ではなく、壁際。


人の動きが見えすぎず、背後を取られない場所。


俺はそこに座り、開いた本を眺めた。


内容はほとんど入ってこない。


気になる。


とても気になる。


今、何が話されているのか。


ローレンス先輩は何を言っているのか。

ギルバートは本当に黙れているのか。

ニールはまた代表扱いされていないか。

セシリア嬢は一人で重い言葉を背負っていないか。

ユリウス先輩は、理由を聞いていないか。

レオンハルト会長は、何をどう運用しているのか。


考えすぎだ。


分かっている。


だが、考えてしまう。


俺は本を閉じた。


母の茶葉を持ってくるべきだった。


図書館ではさすがに茶を淹れられない。


代わりに、鞄の中の兄の手紙に触れる。


ある。


ちゃんとある。


それだけで、少し呼吸が戻る。


「アルバート様?」


声がした。


顔を上げると、アメリア・ロッセ嬢が立っていた。


今日は一人だった。


手には数冊の本を抱えている。


「お一人ですか」


「はい」


「珍しいですね」


珍しい。


そう言われて、少しだけ胸が重くなる。


いつの間にか、俺は一人でいることの方が珍しくなっている。


よくない。


非常によくない。


「たまには、一人で本を読むこともあります」


「そうでしたか。失礼しました」


アメリア嬢は頭を下げ、去ろうとした。


その瞬間、俺は彼女の表情に少しだけ迷いを見た。


何か言いたいことがある。


聞くべきか。


聞かないべきか。


今は、聞かない練習をするべきではないか。


俺は迷った。


ここで「何かありましたか」と尋ねれば、いつもの俺だ。


火種を見つけて、拾いに行く。


だが、今日は傍聴を断った日だ。


理由を言わずに断ることを練習している日だ。


なら、ここでも線を引くべきではないか。


俺は静かに言った。


「ロッセ様」


「はい」


「困りごとでしたら、学生自治会へ」


アメリア嬢は少し驚いた顔をした。


俺は続けた。


「私は、今日は休む練習中です」


言ってしまった。


変な言い方だ。


だが、本当だった。


アメリア嬢は一瞬きょとんとした。


それから、ふっと笑った。


「休む練習、ですか」


「はい」


「では、邪魔をしてはいけませんね」


「お気遣いありがとうございます」


アメリア嬢は本を抱え直した。


「でも、少し安心しました」


「何がでしょう」


「アルバート様も、休む練習が必要なのですね」


その言葉に、何と返していいか分からなかった。


アメリア嬢は優しく頭を下げた。


「では、失礼します。困りごとなら、自治会へ行きます」


彼女は去っていった。


俺は、しばらくその背中を見送った。


今のは、見捨てたのではない。


たぶん。


自治会へ行けと言った。


俺が抱えなかった。


それだけだ。


それだけなのに、少し手が冷たい。


休むのは、思ったより難しい。


夕方近く。


図書館を出ると、廊下の向こうからギルバートたちが歩いてきた。


ギルバート。

クラウス。

ニール。

セシリア嬢。


四人とも、特に怪我はない。


当たり前だ。


会議で怪我をしていたら困る。


だが、俺は少し安心した。


「終わったのですか」


「終わった」


ギルバートが言った。


「どうでしたか」


「お前がいなくても進んだ」


予想していた言葉だった。


だが、実際に言われると、少しだけ胸が変な感じになる。


寂しい。


ではない。


たぶん。


安心。


だと思いたい。


クラウスが補足した。


「運用例はかなり具体化されたよ。断る側は、簡潔な辞退で足りる。理由を求めてはならない。理由を述べる場合も、相手はその真偽を詮索しない」


俺は息を止めた。


「理由を求めてはならない」


「そう」


クラウスは頷いた。


「会長が決めた。グランベル様とロイド君の意見も大きかった」


俺はニールを見た。


ニールは少し緊張した顔で、それでも背筋を伸ばしていた。


「私は、自分が一番苦しかったのは、断る理由を作ることだったと話しました」


「そうですか」


「はい。学びたい気持ちがないわけではない。でも、代表にされたくない。でも、それをどう説明すれば角が立たないのか分からなかった、と」


ニールは少し笑った。


「だから、理由を言わずに断れる余地があるだけで、ずいぶん違うと思います、と」


良い。


とても良い。


俺が言わなくても、ニールが言った。


自分の言葉で。


俺は少しだけ、胸の奥が軽くなるのを感じた。


セシリア嬢が静かに言った。


「ギルバート様も、よく止まっていらっしゃいました」


ギルバートが少し誇らしげな顔をした。


「努力した」


クラウスが即座に言う。


「三回ほど椅子から立ちかけましたが、最終的には座っていました」


「それは言わなくていい」


「重要な成長記録です」


俺は思わず笑った。


セシリア嬢も微かに笑う。


ニールも笑った。


ギルバートは少し不満そうだったが、怒ってはいない。


本当に変わった。


いや、変わっているのは彼だけではないのかもしれない。


俺も、今日初めて行かなかった。


理由を言わずに断った。


それでも会議は進んだ。


世界は壊れなかった。


誰かが燃え尽きたわけでもなかった。


「会長は何と?」


俺が尋ねると、クラウスが少し面白そうに言った。


「アルバート君の席は常設しない、と」


「席?」


嫌な予感がした。


ギルバートが少し気まずそうに目を逸らす。


セシリア嬢も、珍しく少しだけ困った顔をした。


クラウスが説明した。


「今日、自治会室に傍聴者用の椅子が一つ用意されていた」


「……なぜ」


「君が来るかもしれないからだろうね」


頭が痛い。


来るかもしれないから椅子を用意する。


気遣いだ。


分かる。


だが、それはつまり、俺の席があるということだ。


「それを見たローレンス先輩が、“アルバート君の傍聴席ですか”と軽く言った」


「最悪です」


「同感だよ」


クラウスは淡々と続けた。


「その瞬間、会長が言った。“傍聴席は必要な時に置く。特定個人の席として常設しない”と」


俺は、少しだけ息を吐いた。


レオンハルト会長。


本当に、運用で線を引く人だ。


「会長は、君が“椅子があるなら行かなければならない”と考えるところまで読んでいたのだと思う」


クラウスは淡々と言った。


「席は、用意されるだけで義務になることがある。特に君のような人間にはね」


言い返せなかった。


その通りだった。


もし自治会室に、いつも俺のための椅子が置かれていたら。


俺はきっと、その椅子を空けることに罪悪感を覚えただろう。


頼まれていなくても、座らなければならないと思っただろう。


誰も命じていないのに、勝手に義務にしていただろう。


レオンハルト会長は、それを見抜いた。


椅子を置かない。


ただそれだけで、俺が縛られる未来を一つ消した。


やはり、あの人は怖い。


光ではない。


重力だ。


こちらを照らすのではなく、構造そのものを変えてくる。


「助かりました」


「本人に言うといい」


「機会があれば」


「機会はすぐ来ると思うよ」


やめてほしい。


本当にやめてほしい。


セシリア嬢が静かに言った。


「アルバート様がいないことで、かえって見えたこともありました」


「何でしょう」


「皆が、あなたに説明を求めすぎていたということです」


その言葉は、少し胸に刺さった。


セシリア嬢は続ける。


「あなたがいないと、マティアス様が整理し、ロイド様が当事者として話し、ギルバート様が止まり、クラウス様が補足し、会長が裁定しました」


「私は褒められているのでしょうか」


「休んでよかった、という話です」


休んでよかった。


その言葉は、妙に染みた。


俺がいなかったことに価値がある。


何かをしたからではなく、しなかったことに意味がある。


そんな考え方は、あまりしたことがなかった。


ギルバートが言った。


「次も、休むなら休め」


「レイヴン様がそう言うのは少し意外です」


「お前がいると助かる」


「はい」


「だが、助かるから毎回来いとは言わない」


その言葉に、少しだけ胸が重くなった。


重い。


けれど、冷たくはない。


支えになる重さ。


兄の手紙にあった言葉を思い出す。


重いものが、すべて鎖とは限らない。


「ありがとうございます」


俺がそう言うと、ギルバートは少しだけ満足そうに頷いた。


クラウスが小声で言った。


「今のはかなり良かったですよ、ギルバート様」


「お前に褒められると落ち着かない」


「慣れてください」


「嫌だ」


また少し笑いが起きる。


こういう空気が、最近増えた。


怖い。


だが、嫌ではない。


その日の夜。


俺は兄への手紙を書いた。


『兄上。


今日は、学生自治会の会議を欠席しました。


理由は書きませんでした。


本日は傍聴しません、とだけ書きました。


たったそれだけのことなのに、ずいぶん手が震えました。』


書きながら、少し恥ずかしくなる。


だが、兄は報告書ではなく手紙が読みたいと言った。


なら、これでいい。


『私がいなくても、会議は進みました。


ニール君が自分の言葉で話し、ギルバート様は余計なところで立ち上がるのを我慢し、クラウス様は相変わらず冷静で、グランベル様は逃げ道を残す言葉を置いてくださいました。


会長は、私の席を常設しないと決めたそうです。』


ここまで書いて、少し笑った。


自分の席を常設しないことに安心する学生。


かなりおかしい。


だが、俺にとっては大事なことだった。


『理由を言わずに断っても、世界は壊れませんでした。


まだ慣れません。


ですが、少しだけ覚えておこうと思います。』


手紙を書き終える頃には、夜が深くなっていた。


母の茶葉を淹れる。


眠りのための葉。


湯気が上がる。


今日の茶は、少しだけ穏やかに感じた。


翌朝。


教室に入ると、数人がこちらを見た。


いつもの視線。


だが、少し種類が違う。


誰かが小さく囁いた。


「昨日、自治会にアルバート様の席があったらしい」


「でも、本人は来なかったとか」


「会長が、常設ではないとおっしゃったらしい」


やめてほしい。


もう広がっている。


傍聴者の椅子。


常設ではない椅子。


来るかもしれないが、来ないこともある男爵家次男。


また意味がついた。


逃げ道にまで、意味がつく。


俺は席へ向かいながら、静かに息を吐いた。


すると、机の上に一枚の紙が置かれていた。


封書ではない。


折りたたまれた短いメモ。


差出人はなかった。


開く。


『沈黙の傍聴者――新指針の裏にいる男爵家次男』


俺は、しばらくその文字を見つめた。


学院新聞同好会。


次号の特集案。


誰かが見せるために置いたのか。


警告か。


嫌がらせか。


あるいは、単なる情報提供か。


分からない。


だが、一つだけ分かった。


これまで俺は、完璧な笑顔に名前をつけられてきた。


気が利く。

穏やか。

社交がうまい。


それは、俺が外に見せるために作った壁だった。


だが、沈黙の傍聴者。


今度は違う。


俺が閉じたはずの扉に、名前がつけられようとしている。


問題は解決した。


俺は理由を言わずに断れた。


会議も無事に進んだ。


傍聴者の椅子も常設されなかった。


だが、俺の平穏はまた死んだ。


傍聴者の椅子がなくなったと思ったら。


今度は、沈黙の傍聴者という名前が生まれかけている。


俺はメモをそっと畳んだ。


横からギルバートが覗き込もうとする。


「何だ」


「見ない方がいいです」


「なら見る」


「やめてください」


クラウスが後ろから言った。


「その反応は、だいたい火種だね」


セシリア嬢が少し離れたところから、こちらを見た。


ニールも、不安そうにしている。


俺は、鞄の中の兄の手紙に触れた。


母の茶葉もある。


まだ足りている。


たぶん。


だが、今日は少し多めに飲んだ方がいいかもしれない。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


今回は、リオネルが初めて「理由を言わずに断る」ことを実践する回でした。


リオネルがいなくても会議は進み、ニールは自分の言葉で話し、ギルバートは止まることを覚え、セシリアは逃げ道を提示しました。


少しずつ、リオネルだけが背負わなくてもいい形が生まれ始めています。


……が、今度は「傍聴者の椅子」や「沈黙の傍聴者」という、新しい火種が生まれかけています。


逃げたいのに、休んでもなお名前がついてしまうリオネルを、ブックマークや評価で見守っていただけると嬉しいです。

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