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凡庸な男爵家次男は、誰にも好かれたくない 〜前世でモテすぎて疲れた俺、今世は静かに暮らしたいのに学院の火種ばかり見えてしまう〜  作者: 平八
第一章 逃げ道と、石畳の学院

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第14話 凡庸な男爵家次男は、感謝という名の旗を受け取りたくない

前回まで:

学生自治会は、平民奨学生への政治的接触を受けて、「新入生支援・研究会・交流会等における相談対応補助指針」を掲示しました。

リオネルの名前は出ていないものの、その考えは確かに制度の中に残ります。

一方、領地から届いた兄の手紙と母の茶葉は、リオネルにとって少しだけ息をつける支えになりました。


主な登場人物:

リオネル・アルバート……男爵家次男。静かに暮らしたいが、火種を見つけると放っておけない。

ギルバート・レイヴン……伯爵家嫡男。リオネルの隣に立つ不器用な友人。

クラウス・ヴェルナー……子爵家三男。政治的な構図を冷静に読む。

ニール・ロイド……平民出身の奨学生。自分の言葉で立ち始めた少年。

セシリア・グランベル……侯爵令嬢。リオネルの望む逃げ道を見つける共闘者。

マティアス・フォルナー……学生自治会副会長。制度を動かす上級生。

ユリウス・クラインベルク……侯爵家嫡男。正しさで人を配置しようとする上級生。

ローレンス・ベルティエ……ユリウスの周囲にいる伯爵家次男。丁寧な笑顔で圧をかける。

掲示板の前には、朝から人だかりができていた。


『新入生支援・研究会・交流会等における相談対応補助指針について』


長い。


相変わらず長い。


だが、読まれている。


学生自治会の掲示にしては珍しく、ただの事務連絡では終わっていなかった。


一年生。

上級生。

平民奨学生。

下位貴族。

研究会に所属する者。

派閥に関わる者。


いろいろな立場の生徒が、その紙を見ていた。


指針の文面は、昨日確認したものとほぼ同じだった。


支援・勧誘の是非ではなく、断れる構造の有無を見ること。

個人を属性全体の代表として扱わないこと。

発言を本人の同意なく外部で引用・利用しないこと。

相談者本人の意思を中心に置くこと。

明確な圧力や不利益の示唆がある場合は、自治会が介入を検討すること。


悪い内容ではない。


むしろ、必要な内容だと思う。


だからこそ、胃が痛い。


必要なものほど、残る。


残ったものほど、誰かに使われる。


俺は少し離れたところから掲示板を眺めていた。


横にはギルバート。


反対側にはクラウス。


なぜか最近、この配置が定着しつつある。


非常によくない。


ただ、今は少しだけ助かっている。


一人で掲示板の前にいたら、間違いなく声をかけられていただろう。


「良い指針だな」


ギルバートが低く言った。


「そうですね」


「だが、お前は嫌そうだ」


「良いものと、私が嫌なものは両立します」


「難しいな」


「最近、そればかりです」


クラウスが小さく笑った。


「制度としては、かなりよくできている。上級生の活動を完全には縛らず、下級生が逃げ込める余地を作っている」


「それは良かったです」


「ただし」


来た。


クラウスの「ただし」は、だいたい胃に悪い。


「この指針は、誰かにとっては武器にもなる」


「……でしょうね」


「上級生の勧誘に困っている者からすれば、盾になる。だが、上級生側からすれば、自分たちの活動を監視する目にも見える」


「はい」


「そして、誰がこれを言い出したのかを探る者も出る」


俺は静かに目を閉じた。


知っていた。


分かっていた。


だからこそ、自治会の責任にしてもらった。


特定の学生個人の意見として扱わない、と明記もしてもらった。


それでも、探す者は探す。


言葉には匂いがある。


火消しの匂い。


面倒ごとの匂い。


そして、最近どういうわけか、俺の周囲にはその匂いが濃く残っているらしい。


「アルバート様」


声がした。


俺は、目を開ける前に少しだけ覚悟した。


振り返ると、数人の一年生が立っていた。


見覚えのある顔もいる。


たしか、昨日の研究会に参加していた平民出身の奨学生の一人と、下位貴族の令嬢だ。


彼らは緊張した顔で頭を下げた。


「その、ありがとうございました」


やめてほしい。


心からやめてほしい。


俺は微笑みを作りかけた。


だが、兄の手紙を思い出した。


お前の笑顔は、誰にも踏み込ませないための壁だ。


そして。


お前が死ぬほど嫌っているその場所で、死ぬほど上手く立ち回っていることを、兄さんは誇りには思わない。


ただ、悲しく思う。


その一文が、喉の奥に引っかかった。


俺は、少しだけ表情を緩める程度に留めた。


完璧な笑顔は、今日は使わない。


壁を低くするのは怖い。


けれど、悲しまれるのはもっと嫌だった。


「私は何もしていません」


言った瞬間、クラウスが横で小さく息を吐いた。


たぶん、またそれか、と思っている。


学生の一人が首を振った。


「でも、あの指針が出て、少し安心しました」


「上級生から誘われた時、断ってもいいのだと思えました」


「自分が家の代表みたいに話さなければいけないのかと、不安だったので」


言葉は真っ直ぐだった。


感謝も、本物に見えた。


だからこそ、困る。


俺はこの感謝を受け取るべきなのだろうか。


受け取れば、また関係になる。


断れば、彼らの安心まで否定することになる。


感謝は柔らかい。


だが、柔らかいからこそ拒みにくい。


期待よりも、称賛よりも、厄介な時がある。


俺は少し考えてから言った。


「安心できたのなら、よかったです」


彼らの顔が少し明るくなった。


「ただ、その指針は学生自治会が作ったものです。困った時は、私ではなく自治会へ相談してください」


ギルバートがわずかに頷く気配がした。


クラウスも黙っている。


「はい」


「分かりました」


学生たちは丁寧に礼をして去っていった。


俺は息を吐く。


ギルバートが言った。


「上手く返したな」


「上手く返せてしまうことを、兄は悲しむそうです」


口にしてから、少し驚いた。


こんなことを誰かに言うつもりはなかった。


ギルバートも驚いた顔をした。


「兄君が?」


「はい」


「そうか」


それだけだった。


理由を聞かない。


踏み込まない。


ただ受け止める。


ギルバートは、少しずつ距離の取り方を覚えている。


本当に不器用だが、たまに驚くほど正しい。


クラウスは静かに言った。


「良い兄だね」


「はい」


今度は素直に答えられた。


その日の一限目が終わる頃には、指針の話は教室中に広がっていた。


広がるのが早すぎる。


学院の噂は馬より速い。


もはや馬というより、矢だ。


そして矢は、だいたいこちらに飛んでくる。


「アルバート様」


今度は、ミリア・ハーゼン男爵令嬢だった。


以前、読書会で少し火種になりかけた令嬢だ。


隣にはアメリア・ロッセ男爵令嬢もいる。


二人とも、どこか緊張している。


「少し、よろしいでしょうか」


「内容によります」


言ってしまった。


最近、反射になっている。


ミリア嬢は一瞬きょとんとしたが、すぐに小さく笑った。


「では、内容を先に申し上げます」


良い返しだ。


学習されている。


非常によくない。


「指針の件です」


やはり。


「私たちも、読書会や茶会の誘いを断りにくいことがあります。家格が上の方からのお誘いですと、特に」


アメリア嬢が続ける。


「これまでは、断ると失礼なのではないかと思っていました。でも、昨日の指針を見て……断れる形で誘うことも、礼儀なのだと思いました」


俺は少しだけ黙った。


良いことだ。


本当に良いことだ。


断る側だけでなく、誘う側の礼儀にもなる。


これは予想以上に意味があるかもしれない。


「それは、良い受け取り方だと思います」


俺が言うと、二人は少し安心したようだった。


「ただ」


俺は続けた。


「断ることを権利として振り回すと、また別の火種になります」


二人が真剣な顔になる。


「誘う側にも面子があります。断る時は、相手の顔を潰さず、自分の線を守る。その両方が必要です」


ミリア嬢が小さくうなずいた。


「難しいですね」


「はい」


本当に難しい。


だから俺は、関わりたくないのだ。


「ですが、断る余地があると分かるだけで、ずいぶん違います」


アメリア嬢がそう言った。


その表情は、以前より少し柔らかい。


俺は小さく頷いた。


「それなら、よかったです」


二人が去った後、ギルバートがぼそりと言った。


「お前、また相談を受けていないか」


「受けていません。雑談です」


「今のは雑談なのか」


「雑談です」


「便利な言葉だな」


それは否定できない。


昼休み。


食堂へ向かう途中、俺たちはローレンス・ベルティエ先輩に呼び止められた。


来た。


来てしまった。


ローレンス先輩は、いつも通り丁寧な笑みを浮かべている。


その後ろには、数人の上級生。


文官家系、武官家系、そしておそらく侯爵家や伯爵家の取り巻きに近い者たち。


空気が少し硬い。


「アルバート君」


「ベルティエ様。ごきげんよう」


「少し話せるかな」


「内容によります」


ローレンス先輩の笑顔が、ほんの少しだけ深くなった。


「噂の返事だね」


「最近、便利でして」


「では、内容を先に言おう」


彼は一枚の封書を差し出した。


「今日の放課後、小さな茶会を開く。昨日の指針について、上級生側からも意見交換をしたいと思ってね。君にも参加してほしい」


茶会。


意見交換。


上級生側。


どれも危険な単語だ。


俺は封書を受け取らなかった。


受け取った時点で、少し関わりが生まれる。


「恐れ入りますが、私は学生自治会の者ではありません」


「だからこそ聞きたい」


嫌な返しだ。


「自治会の公式な指針ではあるが、君の視点が入っているのは明らかだ」


「公式には、学生自治会の責任で作成されたものです」


「公式には、ね」


ローレンス先輩は微笑む。


ギルバートが一歩前に出かける。


俺は視線だけで止めた。


ギルバートは止まった。


本当に、止まれるようになっている。


すごい成長だ。


「茶会の目的は何でしょうか」


俺は聞いた。


ローレンス先輩は即答した。


「上級生の活動が萎縮しないよう、下級生との健全な交流の形を考えることだ」


正しい。


とても正しい。


だが、正しい言葉ほど危ない。


「では、学生自治会へ申し入れるのが適切かと」


「もちろん、それもする。だが、君とも話したい」


「なぜ私と?」


「君は、断れる支援という考えを出した。なら、上級生側が感じる不安も聞くべきではないかな」


来た。


公平。


両方の意見。


対話。


全部正しい。


だが、俺を引きずり出すための正しさでもある。


「聞くべき立場にありません」


「君は関係者だろう」


「いいえ」


俺は静かに言った。


「私は、相談制度の当事者でも、自治会の代表でも、上級生側との調整役でもありません」


ローレンス先輩の目が細くなる。


「だが、君の言葉で指針はできた」


「その認識が広がること自体が、今回避けるべき火種です」


少し強い言い方になった。


だが、必要だった。


「指針の責任は自治会にあります。私個人がその意図を説明して回れば、自治会の言葉ではなく、私の思想として扱われます」


ローレンス先輩は黙った。


「それは、指針そのものを弱めます」


これは本心だ。


俺が表に出れば、指針は“男爵家次男の主張”になる。


それはまずい。


制度が個人の顔を持つと、個人への攻撃で制度が揺らぐ。


そして俺は攻撃されたくない。


非常にされたくない。


「なるほど」


ローレンス先輩は、封書を持ったまま微笑んだ。


「では、君は参加を断るのかな」


「はい」


言えた。


はっきり言えた。


断った。


その瞬間、周囲の上級生たちの空気が少し変わった。


男爵家次男が、伯爵家次男の茶会を断った。


そういう意味になる。


面倒だ。


非常に面倒だ。


だが、ここで受ければもっと面倒になる。


「理由は?」


ローレンス先輩が聞く。


ユリウス先輩と同じだ。


断る理由を聞く。


正しさの秤に乗せる。


俺は少しだけ息を整えた。


「その茶会が、私を学生自治会指針の非公式説明役として扱う可能性があるためです」


クラウスが横で、わずかに目を細めた。


たぶん、悪くない答えなのだろう。


「また、私が参加することで、指針が特定個人の意見によるものだという誤解を強める恐れがあります」


「随分と慎重だ」


「男爵家の次男ですので」


「それは便利な逃げ方だね」


少しだけ針が出た。


ギルバートの気配が硬くなる。


今度は、ギルバートが口を開く前に、別の声がした。


「便利ではなく、必要な線引きでしょう」


セシリア・グランベルだった。


彼女は廊下の向こうから静かに歩いてきた。


周囲が自然に道を開ける。


侯爵令嬢の存在感。


それは、ユリウス先輩の光とは違う。


鋭くはない。


だが、静かに場所を変える力がある。


「グランベル様」


ローレンス先輩が礼を取る。


セシリア嬢は穏やかにうなずいた。


「上級生側の不安を話し合う茶会であれば、学生自治会へ正式に申し入れるべきです。アルバート様個人に説明を求める形は、かえって誤解を生みます」


「グランベル様は、アルバート君の代弁を?」


「いいえ」


セシリア嬢は即座に答えた。


「私は、手続きの話をしています」


強い。


静かだが、強い。


彼女は俺を守ると言わない。


代弁するとも言わない。


ただ、構造の話に戻す。


俺が望んだ逃げ道を、ここでも見つけてくれている。


「支援は、相手が断れる時に初めて支援になる」


昨日の言葉が頭に浮かぶ。


この人は、本当にそれを分かっている。


ローレンス先輩は少し黙った。


その後、微笑んだ。


「分かりました。では、自治会を通しましょう」


「それがよろしいかと」


セシリア嬢は静かに言った。


ローレンス先輩は俺へ視線を戻す。


「アルバート君、またいずれ話そう」


できれば話したくない。


だが、それは言えない。


「内容によります」


気づけば、そう答えていた。


ローレンス先輩は一瞬だけ笑い、去っていった。


上級生たちもそれに続く。


空気が緩む。


ギルバートが低く言った。


「気に食わない」


「同感です」


俺は素直に答えた。


クラウスが言った。


「ただ、今の断り方は良かった。理由が明確で、相手の面子も完全には潰していない」


「それでも、かなり危なかったですが」


「危なかったね」


さらっと言わないでほしい。


セシリア嬢がこちらを見た。


「お疲れさまでした」


「助かりました」


俺がそう言うと、セシリア嬢は少しだけ目を細めた。


「珍しく素直ですね」


「今日は疲れることが多いので」


「そうですか」


それ以上は踏み込まない。


その距離がありがたい。


ギルバートが少し不満そうに言った。


「俺も止まった」


「はい」


「以前なら、口を挟んでいた」


「はい。助かりました」


ギルバートは少しだけ満足そうにした。


本当に分かりやすい。


クラウスが横で言う。


「ギルバート様、今の顔は褒められて喜ぶ犬に近いです」


「クラウス」


「失礼しました。忠犬ではなく、伯爵家嫡男でしたね」


「余計悪い」


俺は思わず笑ってしまった。


セシリア嬢も、ほんの少し口元を緩めた。


こういう瞬間があるから、少し困る。


関係が悪いものばかりではないと思ってしまう。


それが怖い。


だが、今日は母の茶葉と兄の手紙が鞄にある。


少しだけ、怖さを横に置けた。


放課後。


学生自治会から、すぐに呼び出しが来た。


本当に早い。


どうやらローレンス先輩は、こちらの予想通り自治会へ申し入れたらしい。


俺は行きたくなかった。


だが、マティアス先輩からの文面にはこうあった。


『ベルティエ君より、指針に関する上級生側の懸念について申し入れがあった。


君に説明役を求めるものではない。


ただし、君が望むなら傍聴は可能。


望まないなら来なくてよい。』


かなり配慮されている。


昨日の効果だろう。


来なくてよい。


その一文があるだけで、少し呼吸が楽になる。


俺はしばらく考えた。


行きたくない。


だが、行かないと何が話されるか見えない。


見えない火は、後で燃える。


本当に、この性分が面倒だ。


「行くのか」


ギルバートが尋ねる。


「内容によります」


「もう内容は書いてある」


「では、私の体力によります」


ギルバートは少し考えた。


「茶は飲んだか」


「まだです」


「飲んでから決めろ」


兄と同じことを言う。


俺は少し笑った。


「そうします」


母の茶葉を淹れて飲んだ。


静かな香り。


胸の奥のざわつきが、ほんの少しだけ落ち着く。


兄の手紙を鞄の中に確かめる。


何度も読み返したせいで、少し柔らかくなっている。


俺はそれを見て、息を吐いた。


「行きます」


「分かった。俺も行く」


「傍聴です」


「分かっている」


「口を挟まないでください」


「努力する」


少し不安だ。


だが、努力すると言えるだけましだ。


自治会室に向かう途中、ニールが合流した。


「私も呼ばれました。ですが、来なくてもよいと書かれていました」


「どうしますか」


「行きます」


ニールの声は震えていなかった。


「自分に関わることなので、見ておきたいです」


強くなっている。


守られるだけではない。


見て、判断しようとしている。


それは良い変化だ。


同時に、また彼が旗にされないよう気をつけなければならない。


学生自治会室では、ローレンス先輩が数人の上級生とともに座っていた。


マティアス先輩。


セシリア嬢。


ユリウス先輩。


エルマー先輩。


そして、なぜか生徒会長の姿もあった。


生徒会長。


この学院で、学生自治会よりさらに上に立つ存在。


名は、レオンハルト・ヴァイス。


公爵家の三男。


普段はあまり表に出ないが、学院内の大きな方針には関わる人物だ。


帰りたい。


今すぐ帰りたい。


だが、もう入室してしまった。


レオンハルト会長は、落ち着いた薄茶の髪に、静かな灰色の目をした青年だった。


派手さはない。


だが、そこにいるだけで場が締まる。


ユリウス先輩の光とは違う。


レオンハルト会長は、光を当てるのではなく、重力を持っている。


逆らうには、かなりの力が必要そうだ。


「君がリオネル・アルバート君か」


会長が言った。


低く、落ち着いた声。


「はい。アルバート男爵家次男、リオネルと申します」


俺は礼を取った。


完璧に。


自分でも分かるくらい、完璧に。


兄の言葉が頭をよぎる。


本当に嫌な時ほど、眉一つ動かさず、誰よりも丁寧な敬語を使う。


今、俺はそれをしている。


まずい。


かなりまずい。


ギルバートが横でわずかに反応した。


セシリア嬢も、こちらを見た。


気づかれたかもしれない。


会長は静かに言った。


「今日は傍聴で構わない。君に説明責任を負わせるつもりはない」


「お気遣い、感謝いたします」


また完璧な敬語が出た。


よくない。


だが、止まらない。


レオンハルト会長は、少しだけ目を細めた。


「なるほど」


何がなるほどなのか。


怖い。


ユリウス先輩が、こちらを見ていた。


その目に、以前とは少し違う慎重さがある。


彼も気づいたのかもしれない。


俺が今、壁を厚くしていることに。


会議は淡々と進んだ。


ローレンス先輩たちは、上級生側の懸念を述べた。


下級生支援が疑われすぎると、上級生が声をかけにくくなる。

研究会活動が萎縮する。

交流の機会が減る。

貴族間の自然な関係構築まで監視されるように見える。


筋は通っている。


完全な言いがかりではない。


だから厄介だ。


マティアス先輩は、それを受け止めた上で答えた。


「指針は、支援そのものを制限するものではない。あくまで、断れる余地と発言の扱いを明確にするためのものだ」


エルマー先輩も補足した。


「研究会側としても、参加者が不安を抱えたまま出席するより、事前に線を引けるほうが健全だと思います」


ニールは静かに聞いている。


求められれば答えるつもりだろう。


だが、自分から代表として前に出ようとはしていない。


良い。


本当に良い。


レオンハルト会長は、全員の話を聞いた後、静かに言った。


「つまり、争点は指針そのものではなく、運用だな」


場が静まる。


「下級生を守る名目で上級生を過度に縛れば、学びの機会は減る。だが、上級生の自由を理由に下級生が断れない空気を放置すれば、学院は強者だけが動きやすい場所になる」


的確だ。


かなり的確だ。


「学生自治会は、指針の運用例を追加しろ。具体例がなければ、双方が都合よく解釈する」


マティアス先輩が頷く。


「承知しました」


会長は次にローレンス先輩を見る。


「ベルティエ。茶会を開くのは構わない。だが、特定の一年生に非公式説明を求める形は避けろ」


「はい」


ローレンス先輩は、素直に頭を下げた。


表情は読めない。


次に、会長はニールを見た。


「ロイド。君は今後も研究会に参加してよい。参加しない自由もある。どちらを選んでも、君の評価には関係しない」


ニールは驚いた顔をした。


「ありがとうございます」


最後に、会長は俺を見た。


来る。


絶対に来る。


「アルバート」


「はい」


「君は、今後も傍聴者でいろ」


予想外だった。


「傍聴者、ですか」


「そうだ。説明役でも、調停役でも、制度の発案者でもない。傍聴者だ」


俺は会長を見た。


「それでよろしいのですか」


「君が話すと、話が進みすぎる」


何だそれは。


褒め言葉なのか。


警戒なのか。


たぶん両方だ。


「進みすぎる話は、あとで反動が来る」


会長は静かに言った。


「君は便利だが、便利な人間を使い続ければ、周囲が考えなくなる。君自身も壊れる」


部屋が静まり返った。


俺は、言葉を失った。


心臓が、跳ねるのを忘れたような気がした。


兄以外の誰かに、その言葉を向けられるとは思っていなかった。


便利な人間。


壊れる人間。


その二つを、同じ文の中で並べられたことが、ひどく怖かった。


怖いのに、少しだけ息ができる気もした。


この人は、俺を必要だとは言わなかった。


貴重だとも言わなかった。


正しい場所へ行けとも言わなかった。


ただ、便利に使い続ければ壊れると言った。


まるで、道具ではなく、人間の耐久を見ているように。


いや。


それはそれで少し嫌だ。


だが、役割に美しい名前をつけられるよりは、ずっとましだった。


レオンハルト会長は、淡々と続けた。


「だから、傍聴者でいろ。必要な時にだけ、発言を求める。その時も、断って構わない」


「理由は」


思わず聞いていた。


「理由は必要ありませんか」


会長は少しだけ眉を上げた。


「必要ない。断りたいなら断れ」


ユリウス先輩が、ほんのわずかに反応した。


理由を聞くユリウス先輩。


理由を求めない会長。


この差は大きい。


かなり大きい。


レオンハルト会長は言った。


「ただし、君が発言する時は、こちらも聞く。便利だからではなく、必要だからだ」


それは優しい言葉ではない。


突き放したような言葉だ。


だが、なぜか少しだけ呼吸が楽になった。


この人は、俺を救おうとしていない。


導こうともしていない。


ただ、運用上の危険物として見ている。


人間扱いとしてどうなのかは分からない。


だが、役割に美しい名前をつけられるより、ずっとましだった。


「承知しました」


俺は頭を下げた。


今度の敬語は、少しだけ楽だった。


会議が終わった後、ユリウス先輩が俺の隣に来た。


「アルバート君」


「はい」


「会長は、面白い人だろう」


「内容によります」


ユリウス先輩は笑った。


「私は、理由を聞きたくなる」


「はい」


「会長は、理由を聞かない」


「はい」


「君にとっては、そちらのほうが楽なのかな」


俺は少し考えた。


「楽、というより」


「うん」


「逃げ道が残っている気がします」


ユリウス先輩は黙った。


そして、静かに言った。


「覚えておくよ」


そう言って、ユリウス先輩は小さく笑った。


それは、誰かを配置するための微笑みではなかった。


完璧な正しさを少しだけ持て余したような、ただの苦笑だった。


本当だろうか。


分からない。


でも、以前よりは少しだけ、こちらの拒絶を言葉として聞こうとしている気がした。


それが良いことなのか、新しい配置の始まりなのかは分からない。


分からないことばかりだ。


寮へ戻る頃には、すっかり日が傾いていた。


俺は鞄の中の茶葉と兄の手紙を確認した。


まだある。


ちゃんとある。


王都の光は、今日も眩しい。


新しい会長という重力も現れた。


ローレンス先輩の茶会は消えたが、別の形でまた来るだろう。


指針は運用例を追加することになった。


また制度が増える。


また言葉が残る。


俺の平穏は、遠い。


とても遠い。


だが、今日は一つだけ分かった。


理由を言わなくても、断っていい。


その言葉は、俺の中に静かに落ちた。


たぶん、すぐには使えない。


長年の癖は、そう簡単には消えない。


それでも。


鞄の中には、母の茶葉がある。


兄の手紙がある。


隣には、火種になりがちな友人がいる。


反対側には、火種を分析する友人の友人がいる。


少し離れたところには、逃げ道を見つける侯爵令嬢がいる。


そして、平民全体の代表ではなく、一人の学生として立とうとする少年がいる。


悪くない。


そう思うことは、少し怖い。


けれど、今日くらいは思ってもいいのかもしれない。


寮の部屋に戻り、俺は茶を淹れた。


母の眠りのための葉。


湯気が上がる。


兄の手紙を机に置く。


そして、今日の出来事を思い返した。


問題は解決した。


ローレンス先輩の茶会は、自治会を通す形になった。


会長が、俺を傍聴者に戻した。


少なくとも、表面上は。


だが、次に迫る影はさらに大きい。


公爵家三男。


生徒会長レオンハルト・ヴァイス。


彼は、俺を便利な人間だと見抜いた。


そして、使い続ければ壊れるとも言った。


それは救いなのか。


新しい監視なのか。


まだ分からない。


俺は茶を一口飲んだ。


温かい。


今日は、足りている。


少なくとも今だけは。


たぶん。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


今回は、自治会指針の掲示後に起きる波紋と、ローレンスたち上級生側の反応を描きました。


感謝も、称賛も、意見交換も、形を間違えるとまたリオネルを旗にしてしまう。


そんな中で、セシリアは逃げ道を作り、ギルバートは止まることを覚え、ニールは自分の足で立ち始めています。


そして新たに、生徒会長レオンハルトが登場しました。


彼はユリウスとは違う形で、リオネルの危うさを見ている人物です。


逃げたいのに、また新しい大物に見つかってしまったリオネルを、ブックマークや評価で見守っていただけると嬉しいです。

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