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第16話 ファンタスティック・ケミカル


「どいてろ、素人ども。 ここからは『鹸化ケンカ』の時間だ」


俺は宣言と同時に、『業務用・マジックリン』のボトルを逆さにし、虹色に輝く床へとぶちまけた。 ドボドボドボ……と、某ゲームの毒沼地のような緑色の原液が、鏡のような油膜の上に広がる。


「ば、馬鹿な! 何を考えている!」

アフロヘアになった『ホワイト・ナイツ』のリーダーが叫ぶ。

「そんな怪しい液体をかけたところで、魔法すら弾く油膜がどうにかなるわけ……」


「見てろ。油汚れってのはな、ただ洗剤をかけるだけじゃ落ちねぇんだよ」


俺は二本のデッキブラシを両手で構えた。

特殊っぽい深呼吸を一つ。


すぅ……

こおぉぉぉぉ……


意識を集中させる。

一子相伝の北極的な拳法の彼を思い出しながら。


「大事なのは、水と油を強制的に握手させる……それ、すなわち『撹拌』だッ!!」


シュバババババババババッ!!!!


俺の両手が残像と化した。

デッキブラシのヘッドが、電動工具も真っ青の速度で床の上を往復する。

ダブルデッキであっても摩擦圧は落とさない。これぞプロの矜持。


キュインキュインキュイン!!


甲高い摩擦音が鳴り響く。


「な、なんだあの動きは!?」

「ブラシが見えない!? 手が千手観音みたいになってるぞ!」

「み、見ろ、吉岡の顔をッ!!ま、まるで菩薩のような無の境地ッ!!」


レオンたちが驚愕する中、床の様子が一変する。

俺のブラシが通った場所から鏡のように澄んでいた油膜が、みるみるうちに白く濁り、モコモコとした「泡」へと変わっていくのだ。


「鏡面が……曇っていく!?」

「いや、油と水が混ざり合って……完全な石鹸水だっ!!」

ホワイトナイツのメンバーが口々に叫ぶ。


「そうだ! これが『鹸化』だ!」

俺は叫びながら、さらに加速する。


2本のデッキブラシの磨き音が共鳴し、それは次第に高周波を響かせると、俺の両腕からソニックブームが発生した。


「あぁっ!!師匠の両手が高速化し、一磨き、一磨きがまるで、巨人族の一撃並みにミラーオイルの鉄壁を粉砕していくッ!!」

 

 

「この油膜は、言わば『分離したドレッシング』みたいなもんだ! 弾くなら、混ざるまで振ればいい! 分子レベルでかき混ぜて、無害な石鹸水に変えてやる!」

俺の超高速ブラッシングが生み出す衝撃波が、油膜の表面張力をズタズタに引き裂く。


どんな魔法も跳ね返す「絶対平面」は、俺の暴力的な撹拌によって、ただの「白濁した泡の山」へと変わり果てた。


「す、すごい……! 魔法の鏡が……ただの泡風呂みたいになっていく!」

 アイラは、うっとりした表情で男の掃除っぷりに見とれている。


――数分後。

俺がバケツの水をザバァッとかけると、白くなった汚れはサラサラと排水溝へ流れていった。

後に残ったのは、油ギッシュな輝きではなく、清潔な陶器の輝きを放つタイルだけ。


「……終わったぞ」

俺は摩擦熱で少し焦げながら、湯気を立てているデッキブラシを置き、肩を回した。


「さすがはビバ・ホーム特製デッキブラシだ。俺のブラッシング(連続魔力付与攻撃)に何とか耐える」

最強デッキブラシに感謝しつつ、へたりこんでいるホワイトナイツに向き直る。


「魔法で焼く? 笑わせるな。 汚れ落としはな、スポーツなんだよ」

振り返ると、そこには言葉を失ったエリート集団と口をあんぐりと開けた勇者レオンがいた。


「しょ、勝負……あり、ですね」

監査官が震える声で判定を下した。

「化学知識と、それを実現する圧倒的なフィジカル……。 吉岡殿の圧勝です」


「そ、そんな……。僕たちの魔法が力技に負けるなんて……」

リーダーが地に伏せ、泣き崩れる。


これで一件落着。 俺は5億円の借金を回避し、平穏な日常を守り抜いた。


――はずだった。


「――認めねぇぞ」

低い、怨嗟の声が響いた。


勇者レオンだ。


彼は充血した目で俺を睨みつけ、腰の剣(ただの鉄の棒になったやつ)を引き抜いた。


「こんなのインチキだ! 俺は認めん! 貴様のような清掃員が、俺たち選ばれし者より優れているなんて、あってたまるかぁぁぁ!!」


レオンが絶叫し、俺に向かって突進してきた。 逆ギレもいいところだ。


「し、師匠! 危ない!」

アイラが悲鳴を上げる。


だが、俺は動かなかった。


避ける必要もない。 なぜなら――。


「……おい、止まれ。 そこは今、『陶器専用ワックス』をかけたばかりだぞ」


俺の忠告は、殺意に燃える勇者の耳には届かなかった。


レオンの足が、俺が丹精込めて仕上げた『摩擦係数ゼロ』の床に踏み込まれた。

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