炎上
”げこげこ”
織田信長はこの未明、蛙の香炉が鳴くのを聞いた。
「お蘭」
天井を見つめながら信長は森蘭丸を呼んだ。
いつもなら、次ノ間から間髪なく返ってくる蘭丸の声が、一瞬遅れた。
「お呼びですか」
「騒がしいようだが」
「は、見てまいります」
信長はゆっくりと起き上がり、床の間の刀をつかんだ。
ととっ、と足音が近づいてきた。
「申し上げます」
「ふむ」
「水色桔梗の軍勢が取り巻いております。惟任日向守様ご謀反であられましょうか」
「でアルカ」
障子の影の蘭丸に向けて、信長は刀を突き出した。
蘭丸の影は、とっさにそれを受けた。
ぎん、と金属音がした。
「是非も無い」
信長は、振り返りざま、次ノ間の襖を切り飛ばした。
「ひ、ふ、み、よ、」
そこに五人の影が立っていた。
「お蘭!」
彼らの後ろに仰向けになって事切れている森蘭丸の姿があった。
「よう見抜かれましたな、織田の、、、、、ご隠居どの」
真ん中の影が口を開いた。
「あの者は嘯の三十郎と申す。戸隠一の声音づかい。未だかつて、彼奴が真似た声音を見抜いた?聞き破った、と申しますかな。そんな者はおりませなんだ。さすが天下様」
「お蘭の声が遅かったのでな」
「それだけのことで」
影は心底感心した声を放った。
「お主の名を聞こう」
「下郎の名など、天下様が聞かれていかがいたします」
「わしを殺すものの名を聞かせよ」
男は声なく笑った。
「拙者は猿ヶ京の佐助と申す。が、天下様を殺す者ではござらん」
「なんだと」
「天下の織田信長を殺す者、それは」
佐助が右腕を築き上げた。
「明智光秀でござる!」
同時に、本能寺の四方から轟音とともに火柱が上がった。
本能寺を取り巻いた明智光秀は、全軍に幟、旗指物をつけさせた。
本能寺守備隊に敵軍と思われ、同士討ちを避けるためである。
斎藤利三が本能寺山門に、開門の声をかけようとしたその時、天地が割れるばかりの轟音が轟いた。
本能寺が、たちまち紅蓮の炎に染まってゆく。
明智光秀は一瞬目を見開き、いや、口も開き、いや、全身の毛穴までも開いていた。
次の瞬間、逆に全身が総毛立ち、恐ろしい寒気に襲われた。
「ああああああああああ」
声にならない声をあげ、全軍に突撃を命じていた。
「上様を、上様をお救い申せ!」
佐助はその声を聞いた。
「孫六!」
佐助の号令に、鉄砲を抱えた三人が、軽々と塀の上に飛び上がると、明智軍に向けて、縦横無尽に 鉄砲を放ち始めた。
弥勒寺の孫六は、雑賀衆の流れ。曲打ちは天下一と自負する。
突然の爆発、光秀の惑乱、そこに寺から鉄砲を撃ちかけられ、雑兵たちは大混乱に陥った。
明智軍の鉄砲隊が準備万端だったことが災いした。
鉄砲隊は本能寺に向けて反撃の銃弾を、轟々と浴びせかけた。
周りの兵はそれを見て、「本能寺焼討」が、明智光秀の指示と理解した。
「ゆけ、打ち破れ」
「本能寺を燃やせ」
工兵が丸太を持ち出し、本能寺の門を打ち破る。
が、打ち破った瞬間、中から巨大は鉄棒が突き出され、2、3人が脳天を砕かれて即死した。
身の丈6尺をゆうに越えようかという怪僧が立ちはだかっていた。
「恵林寺の快清に、引導を渡されたい者は誰だ!」
地獄の鬼もかくやという怒声に兵たちはまろび転んだ。
「馬鹿坊主!」
佐助が後ろから蹴りつけた。
「ここでの名は決めてあったろうが」
「おう、そうじゃった。明智の衆!もとい!我こそは本能寺の日妙!謀反の刃、向けられるものなら向けてみよ!」
鉄棒がぶおんと振られ、火の粉を散らした。




