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本能寺の敵  作者: 桜木覚
12/19

「敵は本能寺にあり」

「起きよ」

明智軍の将兵から足軽に至るまで、一人一人が、ささやき起こされた。

寝ぼけているものもいたが「しぃ」と強く制せられた。

「音を立てるな」「馬にあぶみを噛ませ」「馬のくつわは斬りすてよ」「足軽どもは足中のわらじに履き替えよ」


秘密行軍の時の準備である。


「よいか」

光秀は悲壮な顔で、利三らに告げた。

「此度の敵は、明星衆の源吾が、一太刀も返せぬほどの手練れ揃い。もはや手遅れかもしれぬ。しかし、一縷の希望は捨てぬ。

我が軍が都を目指していることを察せられたら、彼奴らは死に物狂いで上様の御首を取りに走ろう。それは何としても避けねばならぬ。本能寺につくまでは、密かに動け。音を立ててはならぬ。明智の旗指物、幟などは立てぬように。いちどきに進めばやはり目立つ。足軽隊ごとに筋を違えて本能寺へ迎え。本能寺の森・さいかちの木・竹藪が、目印ぞ」


「承知!」


明智軍は静かに静かに気勢をあげた。

「こたびは天下の一大事である。天下様を守るため、我らはこれより京へ向かう!」

斎藤利三が下知する。

「鉄砲衆は、火縄に火を入れ、鉄砲に噛ませよ。他に火を入れた火縄を各自5本、携えてゆけ!」


「敵は、本能寺にあり!」


兵卒の一人一人は、詳しいことはわからない。

とにかく向かう先が本能寺で、そこに「敵がいる」ことだけを了解した。


物音一つ立てず、宇治川を越えころ、成田重四郎が近づいてきた。

「明智様」

「どうした」

「これは何事でございますか。まるで都にうちいるような物々しさ」

「詳細は、終わってから申し上げよう。今は黙って同道せよ」

「よもや、上様にご謀反をなさるおつもりか」

「たわけ!口を慎め。北条殿のご家中といえども容赦せぬぞ」

「これは失言」

成田重四郎は頭を下げた。

「何事かは伺いますまい。ですが、もし、物見の用があれば、私が参りましょう」

「無用である」

成田重四郎はそこで引き下がった。


「利三」

光秀は、成田重四郎が隊列に紛れたのをみて、斎藤利三を呼んだ。

「あの者に人をつけろ」

「承知」

明星衆・長縄喜八郎を小姓衆の隊列に加えた。


「おや」

成田重四郎は喜八郎が入ってきたのをみて呟いた。

「なかなかの者だな」


すぐに京の町が見えてきた。

しん、と静まり返っている。

「火の手は、見えぬな」

火を交えるような大きな戦いは起こっていない。

「ひとまずは安堵いたしました」

「うむ」


もちろん、だからと言って信長が無事であるという保障はない。

音もなく襲来し、塵も残さず去ってゆく、手練れの透破の暗殺の凄みを、何より光秀自身が一番知っている。

早く本能寺に到着して、その安否を確認したい。


斎藤利三が七条の木戸を開かせると、明智軍は下知通り、蜘蛛の子を散らすように散開して、京の各筋の夜陰へ消えていった。

各将はそれぞれ小隊と共に進み、明智光秀も、20人ほどの足軽に囲まれながら静かに本能寺を目指す。


斎藤源吾が刺された辰巳の曲輪の通りを、あえて通った。

明智軍の襲来を予期していて、そして本能寺への救援を防ぐためには、ここでなんらかの攻撃があるはずだった。

しかし、人の気配すらしない。

すでに事は成ってしまったのか?

光秀の脳裏に最悪の光景が浮かんだ。

喉がカラカラになっている。


そして、すぐ、背後に御所が黒々と控える、本能寺の威容が見えてきた。

相変わらず静かに佇んでいる。

と、そこに、ゴーン、と鐘の音が響いた。

東山の、丑三つの鐘であった。


聴き慣れているはずなのに、これほど胃の腑をえぐる鐘もなかった。


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