賽は投げられた
「源吾っ!」
斎藤利三も、駆け寄って来た。
光秀がそれを制する。
「騒ぐな。兵卒に知られる」
「は」
ごぶごぶと血の泡を吹きながら源吾が状況を伝えた。
本能寺を本丸とする、不見の城。信長在京の時は、亥の刻ころ、源吾の元に当日の連絡が入る。
「その時お主はどこにおった」
「辰巳の曲輪でござる」
手筈通りの合言葉を聞いて戸を開けると、身の丈五尺五寸の、見知らぬ男が源吾の左胸に匕首を押し込んできた。
間一髪、心の臓は外したものの、血を吹き倒れる源吾の目の端に入ってきたものは、二の矢で、控えていた二人の明星衆を切り倒す、その男であった。
源吾は、とっさに、その男を倒すことよりも、直近の番所である八の陣に応援を求めることを優先した。
「男」も、源吾を即死させられなかったことに驚いた様子で、動きが一瞬怯んだ。
路上に飛び出すことができた源吾であったが、休む間も無く、頭上から、二人目の敵の攻撃があった。
得物は太い針状のもの、峨嵋刺か何かであったろう。
すぐに裏路地にまろび込んだ源吾を、手裏剣が追い打ちをかける。
その攻撃をかいくぐり、八の陣にたどり着いた源吾が見たものは、口から泡を吹き絶命している明星衆の姿であった。
「毒を盛られたものと思われます」
しかも、と続ける
「そこには六の陣の藤十郎の首級が打ち捨てられておりました」
「そんなバカな」
明智光秀は混乱していた。
京を城と見立てたが、それぞれの陣所の人数は、本物の城よりも少ない。襲撃があれば、街路を巻き込んだ騒動になり、他所からの援軍を呼び込むことができるからだ。
精鋭の透破ぞろいの明星衆を、大きな立ち回りもなしに殲滅することができるものなど、いるはずがない。
だが、その前提が崩れた。
「六の陣もすでにきゃつらに落とされておるとしか考えようがござりません」
そこで呆然とする暇もなかった。
本能寺に向かい、敵襲を告げねばならない。
と、踵を返そうとするところ、強烈な殺気が八の陣全体を包んだ。
すう、と、戸が開く。
入ってきたのは、ついさっき、源吾を襲った者とは違った。
ぐん、と繰り出された突きを、間合いギリギリで避けると、二階へ続く階段へ向かった。
その時には、すでに別の透破が階段上に二名、待ち伏せていた。
源吾はそのまま、階段を登らず、踏み板を強く踏み抜いた。
階段の中程に、丸く、裏路地へ出る穴が空いた。
抜け道の細工である。
裏路地を走る。そちらの方向から本能寺に向かうのは大回りになってしまう。
源吾は賭けた。
あの手練れどもが幾人いるかわからぬが、目的は織田信長の首ひとつに違いなく、向かう先は本能寺だ。
宇治川を超えた向こうに明智の軍勢が来ている。
本能寺に残っている手勢がうまく敵襲を凌いでくれたならば、明智軍が到着しさえすれば、こと無きを得るはずだ。
幸い、襲撃者はそれ以上追ってくる気配はなかった。
少数精鋭の暗殺者たちであればこそ、察知はされにくいが、いざとなった時に広範囲には手が回らない。
「こうして、拙者が生きて殿にお会いできましたのも天佑。織田家の命運は未だ尽きておりませぬようです」
源吾は何回めかの血の泡を吹いた。
「もうよい、喋るな。大掴みにはわかった。傷に触れるぞ」
「は、肺腑をえぐられておりまする。もはやこれまで」
斎藤源吾はカッと目を見開いた。
「殿、ご武運を」
言うや、急にその体が、ぐにゃりと力を失った。
明智光秀は、そっと地に横たえ、片手で拝んだ。
「よう知らせてくれた」
すっくと立つと、重臣たちを振り返った。
「聞いた通りじゃ。ことは一刻を争う」
「はっ」
陣幕の外で一部始終を聞いていた”成田重四郎”は、ほくそ笑んだ。




