3 姫を喰らう者
第三章姫を喰らう者
姫――。
僕の心に残り続けているのは、彼女の美しい姿と、あの衝撃だった。
――早く、殺してしまいたい。
彼女との出会いが、僕を殺人鬼へと変えていく。愛とはまさに、命と直結したものだった。邪魔だから、という理由だけで人を殺せるようになったのは、この頃からだった。
城の偵察を始めて初めて、圧倒的な巨躯を持つ男――アルバドフ騎士団長の姿を見た。いつも姫に付き従っているようだった。ヤツを殺さなければ、姫には近づけない。
「絶斬」
それがヤツのギフトであることは間違いなかった。地響きとともに、相手を真っ二つに斬り分けるほどの力。
僕は毎晩、人を殺めていった。
――そう、最強になるために。
そうして僕は、膨大な数のギフトを積み重ねていった。いつしか、血の化身になっていた。
ある日、僕は道の端で、食を求める子どもの姿を見かけた。
(なぜだ……)
僕の目から、大粒の涙がこぼれた。その子のもとへ歩み寄りたくなる。抱きしめたくなる。妹の声を思い出したからだ、と気づいたのは、ずっと後になってからだった。
殺戮に体力を使い果たした僕は、人里離れた塔に足を踏み入れた。そこはひどく冷え切っていて、水の滴る音だけが響いていた。階段を上る。
そこには、一つの物体があった。よく見ると、それは白骨化した遺体だった。壁を背に、座り込んでいる。
……私は誰だ、私は誰だ、私は誰だ。
壁には、爪の跡のような傷で、そう刻まれていた。その文字に見入っていたとき、古びた木製の机に腰をぶつけた。
バタン。
何か本のようなものが落ちる。
「私はもはや、自分が何者であるか分からない。この力はただの呪いだ。数多の魂を吸収すれば、自我は破壊されてしまうのだ」
冷え切った机に、それを置いた。こいつは、僕と同じ模倣の力を持った者なのだろう。そしておそらくは、これが辿り着く運命の終わりなのだ。
そう思ったが、恐怖はさほど感じなかった。僕はその頭蓋骨を、静かに粉砕した。
ある日の昼下がり、城の前に一人の兵士が現れた。
「衛兵、増援に参りました」
「増援?」
「そんなこと聞いてたか?」
訪れた兵士は続けた。
「昨今、模倣の悪魔と噂される男が騒がれており、伯爵様が依頼された」
「あぁ、そうだったのか」
男は城の中にどしどしと入っていった。歩き方に慣れておらず、新兵のようだった。城の庭に足を踏み入れたとき、騎士団長の後ろで動きを止める。
「お前が、模倣の悪魔か」
僕の体は硬直し、ゆっくりと横を見た。
「よく気づいたな。何かミスをしたか?」
「そいつは左利きだ。右手で槍を持っているところなど、見たことがない」
「さすが団長。部下をよく見ている」
「俺は、帝国市民を守るためにお前を殺さなければならない」
そう言うと、大剣を振り上げた。新兵が後ずさりをする。
――しかし僕は知っている。この男の弱点を。
一つ目。ギフト『絶斬』は、対象を確実に視認できているときのみ発動できるということ。
アルバドフが重い剣を下ろそうとしたとき、僕は一気に接近した。そしてヤツの目の前で、小袋に入った鏡の破片を空に舞い上げた。同時に、物体巨大化の魔法で、空中に数多の鏡を生成する。
アルバドフは動きを止めた。僕は距離を置く。鉄骨の鎧には、刃が通らないとわかっているからだ。
「俺は、お前が王への憎しみから町と城を焼き払うつもりだという、偽の手紙を町中にばら撒いた」
城近辺の家を一つ、爆破した。
ここで二つ目の弱点だ。この男と姫が密な関係にあること。そして、この男の忠誠心は凄まじい。
「お前が今、自分の腹を切れば、爆発は止めると約束しよう」
アルバドフは、絶対に何かを守り抜くような男だ。ヤツの心をもってすれば、断れるはずがなかった。
「姫……」
――ブシュ。
なんと美しい愛だろう。
死にゆくアルバドフの耳元に、僕は囁いた。
「爆弾はあの家一つにしか仕掛けていない。すべて嘘だ。お前が死んだ後は、あの姫と体を重ねてやる」
そうニヤリと笑って見せた。
それから僕は城に侵入し、姫と対面した。僕はひたすらに彼女の目を見つめていた。
「今日もお勤めご苦労さまですわ」
彼女は寝具に横たわり、腕を広げた。僕は鎧を脱ぎ捨て、その胸に飛びついた。互いの熱を混ぜ合う。
「いつまでそんな無骨な姿をしているの? レオン」
突然のその言葉に、心臓の動きが止まるのを感じた。このギフトは、完全なる模倣そのもののはずだった。
「なぜわかったんだ」
「あなたの能力なら、元から知っていたわ。私はあなたを一目見たときから恋していたの。あなたと愛し合いたかった。そのためには、あなたの愛を私の理想に近づける必要があったの」
こいつが、俺の家族を殺したのか。
そう思っただけで、怒りは湧いてこなかった。すでに彼女の思うつぼになっていたのだ。
「覚えてる? 私たち、本当はずっと前に会っているの」
――それは、私が小さかったときの話。
「こら、もっと行儀よくしなさい!」
母が人差し指をこちらに向けた。いつも、そんな風に私を怒鳴った。
「もういや! 姫なんてしたくない!」
私は机を叩き、走り出した。自暴自棄になっていたの。城での暮らしは、洗練されすぎていて息苦しかった。城の裏口から、一人裸足で飛び出した。行く当てもなく、初めて自分の身一つで町に出たから、すごく怖かった。周りの人がみんな私を襲ってくるような気がして、人混みを避けた。だから路地の影で、一人泣いていたの。
そのとき、あなたが声をかけてくれたのよ。
「どうしたの?」
「城、抜け出したの。私、規則を破ったわ。私って悪い子」
さらに激しく泣く私に、あなたは言った。
「少しここで待ってて」
それからどこかへ行ってしまったの。兵士にでも伝える気じゃないかって思ったけど、あなたは違った。
「これあげる!」
赤い彼岸花が握られていた。
「綺麗でしょ。花言葉は”独立”なんだよ? これはね、君は誰のものでもないっていう自由の証!」
私は、あなたのキラキラ光る瞳を見ていた。
「これ実は僕、盗んできたの。お金ないから。二人とも悪い子になっちゃったね」
そう微笑んでくれた。それが、嬉しかったのよ。私もあなたと同じで、誰かに決められた場所からはみ出したかったの。
「ねえ、私を殺して。レオン」
その言葉は、僕を刺激した。じっと目を見つめたまま首に手をまわし、瞳から光が消えていくのを見つめていた。出会ったあの日の瞳と、さほどの差はないように思えた。




