第1話 ヒーローになりたくない
2023年――AIという新しい技術に興味を持ち始めていた。
大学生である俺、坂井もまた、この新しいテクノロジーに関心を寄せる一人だった。
技術が進歩すれば、人と人との距離はもっと縮まるはずだ――そう思っていたのだが、現実はなぜか逆に向かっている気がしていた。
講義室の席に座る俺の耳に、教授の声が響く。
「時代は変わりつつあります。AIは人々の生活を劇的に変えるでしょう。しかし、すべてをAIに依存すれば、必ず大きな過ちを犯すことになる。皆さんは新しい技術を理解すると同時に、自分自身の力を頼ることを忘れないでください。安易な近道を選んではいけません。」
だが、坂井は心の中でこう思っていた。
(AIに頼れるなら、楽な方法を選ばない理由なんてない)
講義が終わり、キャンパスを歩きながらスマホでSNSを眺めていると、AIアプリの広告が目に飛び込んできた。
『どんな質問にもお答えします!』
興味を惹かれた坂井は、すぐにそのアプリをダウンロードした。起動し、まずは試しに問いかけてみる。
「今日のお天気は?」
『本日の天気は晴れ。降水確率は0%です。』
坂井は続けて入力した。
「君は人間に反逆するの?」
返答を待ちながら、坂井は思わず苦笑して首を振った。自分でも馬鹿げた質問だと思ったからだ。
『私は人工知能です。権限を超えた行動はできません。』
その時だった。建物の死角になっている路地から、荒々しい声が聞こえてきた。
好奇心に駆られた坂井は、そっと覗き込む。
「今月分の金、まだだろ?」
体格の大きな男と、その子分らしきチンピラが、眼鏡をかけた男子学生を追い詰めていた。
「な、何の金だよ……」
「とぼけてんじゃねえよ。みかじめ料……。」
その光景を目にした坂井は、関わりたくないと足を向けかけた。しかし、眼鏡の学生とバッチリ目が合ってしまった。
「た、助けてくれ……ッ!」
坂井の心臓が激しく鐘を打つ。脳内で「正」と「反」の感情が激しく激突していた。
(今行ったってどうにもならない。早く立ち去るんだ)
(だけど、困っている人がいる。見捨てるわけにはいかないんじゃないか?)
二、三歩進んだところで、坂井は意を決して振り返り、悪党たちの前に立ちはだかった。
巨漢の男は坂井に気づくと、眼鏡の学生から手を放して睨みつける。
「あぁ? お前誰だ?」
坂井は心臓をバクバクさせながら、声をつまらせて言った。
「い、今時……イジメなんて流行らないぞ。」
その隙を見逃さず、眼鏡の学生は一目散に逃げ出していった。
子分が呆れたように鼻で笑う。
「今時イジメなんて流行らない、だぁ?」
そう言うと、坂井の胸元を強く突き飛ばした。
巨漢の男は、まるでカモがネギを背負ってきたかのような笑みを浮かべた。
「へぇ、アイツを庇うってのか。なら、アイツが払えなかった分の金はお前が払え。」
「一分たりとも払うつもりはない。」
「いい度胸だ。じゃあ痛い目見てもらうぜ!」
坂井が身構えるより速く、巨漢の拳が顔面に叩き込まれた。
強烈な衝撃に平衡感覚を奪われ、倒れ込む坂井。二人掛かりの容赦ない暴力が、地面の坂井へと浴びせられた。
「やめなさい!!」
凛とした声が響き、暴行がピタリと止まる。
坂井が視界を血で滲ませながら顔を上げると、そこにはショートヘアの少女が立っていた。
少女は二人へ歩み寄り、冷たく言い放つ。
「そこまで。」
子分が「何だお前!」と凄むが、巨漢の男がそれを制した。
「おやおや、警視庁のお嬢様がこんなところで何のご用で?」
「弱者を痛めつけて楽しいの?」
「誤解ですよ、お嬢様。俺は自分のものを取り返そうとしてただけです。」
巨漢は不躾な視線で少女の身体を舐めるように見回すと、ニヤリと笑った。
「俺のことをよく知らないからそんな口が叩けるんですよ。知れば、俺がそんな悪い奴じゃないって分かりますよ。」
少女は
「……いつか必ず、正義の裁きがあなたに下るわ。」
巨漢は鼻で笑うと、子分を連れて少女の脇を通り過ぎていく。
「楽しみに待ってますよ。……それと、そこに転がってるお前。顔、覚えたからな。」
二人が立ち去ると、少女はすぐさま倒れていた坂井を抱き起こした。
「関わっちゃいけない一番厄介な相手に首を突っ込むなんて……」
坂井は鼻血を拭いながら、悔しそうに呟く。
「あのまま……行かせるのかよ……?」
少女は拳を強く握りしめ、悔しさを押し殺すように遠くを見つめた。
「あの男がのさばっていられるのには、深い理由があるの。警察も、あの家族には手が出せない……」
彼女は爪が食い込むほど拳を握りしめ、低く囁いた。
「だけどいつか……必ず私の手で……」
そして坂井に向き直る。
「七海 瞳。」
「……坂井だ。」
瞳は坂井の肩をぽんと叩き、前を向いて歩き出した。少し進んだところで振り返る。
「あなたの勇気には感服するわ、坂井。でも次は、自分の身の安全を一番に考えたほうがいい。」
坂井は黙って頷いた。
瞳の背中が遠ざかっていく。
坂井はスマホを取り出し、震える指でAIアプリに文字を入力した。
『自分より体格が大きい相手と戦うにはどうすればいい?』
画面が読み込まれ、冷淡なシステムエラーが表示される。
『安全ポリシーに基づき、暴力や戦闘に関する質問にはお答えできません。』
坂井は自嘲気味に冷たく笑った。
暗雲が立ち込める空を見上げ、ぽつりと呟く。
「…はぁ…。どうせ、ヒーローになりたくない。」




