第40話 ルナの過去の記憶ニャ!
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地下の最奥で、ミミが九本の尻尾を力なく広げて倒れ込んでいた頃——オーデンハルム公爵家の地下へ、黒い影が音もなく戻ってきていた。
ルナだ。
赤い瞳が、薄暗い通路を睨む。いつものように自分の領域を確認しようとした瞬間、違和感が走った。
「……何?」
地下の最奥の部屋。自分の魔力の残滓が特に濃い場所。
そこに、常に置いていたはずのものが、ない。
古い日記帳。表紙に薄い聖印が施された、聖女の直筆の記録。
ルナの表情が、初めて大きく歪んだ。
「……ない。ないわ、日記が……。」
ミミは入れ替わりで、オーデンハルム公爵家から、日記を持って脱出していたのだった。
影が荒々しく部屋中を駆け巡る。棚を倒し、石壁を叩き、残滓の中を掻き回す。それでも、日記帳は見つからない。
「誰よ。誰が持っていったの。」
すぐに、銀色の九尾が揺れる姿が脳裏をよぎった。あの銀色の猫又。ここは猫又にしか開けられない封印が施された場所。
オーデンハルム公爵自身にすら、開けることのかなわぬ場所。開けられるのは、そしてこの場所を狙うのは。
「……ミミ。あんたが……来たのね、ヴィルヘルムの後をつけられないよう、魔法をかけてあったのに……どうやってたどり着いたのかしら。」
ルナはゆっくりと、その場に立ち尽くした。赤い瞳が細められ、長い沈黙のあと、低く笑い声が漏れる。
「ふ……ふふ。ふふふふ……あはははは!」
笑い声は徐々に大きくなり、地下の天井に反響した。悔しさと、懐かしさと、抑えきれない興奮が混じっている。
「そう……やっと、思い出したのね。あんたが、私を封印した時に、力を貸した存在だってことを。」
ルナは壁に背を預け、ゆっくりと目を閉じた。
そして——過去が、鮮明によみがえる。
一万の心臓。
あの国の王を篭絡し、深い寵愛の下で、計画的に心臓を集めた。
力は膨れ上がり、ほぼ頂点に達していた。
誰にも止められないと、確かに思っていた。
自分の所業は、黒い猫又による伝説として残るはずだった。
それが誇りだった。
狐などに、譲るつもりなど微塵もなかった。
なのに。
銀色の九尾が現れた。
「させないニャ!!!」
あの声。
あの、必死で人間を守ろうとする声。
最初は笑った。自分は一万もの心臓を食らい、強くなったのだと。
そんな自分に、猫又が、しかも九尾になっておきながら、人間のために牙を剥くなどと。
町の人間たちが、九尾の猫又が守っていた子どもを回収しに来て、戦線が一時的に崩れたあとにも、戦いは続いた。
しかし、三日三晩。
本気でぶつかり合って、初めて理解した。
互角だった。一万の心臓を食らったルナと、あの九尾が、互角だった。
「冗談じゃないわ……!もっと心臓を食べなくちゃ……!」
そして教会の連中と、聖女が現れた。
「弱体化の呪いを使いましょう。猫又全体を弱体化させる呪いであれば、双方の力を弱めることが出来ます。」
あのとき、銀色の九尾は言った。
「あちしは構わないニャ!こいつを野放しにするほうが駄目なのニャ!」
……本当に、馬鹿な猫。
呪いはルナにもミミにも降りかかった。種族全体にかけられた、あの忌々しい制限。力の強い自分ほど、強く締め付けられるように。
鎖に繋がれながら、ルナはあの九尾を見て笑った。
「封印を解いたら……また行くわよ。お前の大切なものを、再び奪いにね。」
おそらくあれは死なない。自分よりもずっと長く生きている。
ならば、やり返すチャンスはいくらでもある。石の下に埋められ、長い時が流れた。聖女の聖力の込められた石は、少しずつその力が失われて行く。
聖女の聖力がこめられた石さえなくなってしまえば、祭司たちの力が込められた鎖など、たかが知れている。今の力でもじゅうぶん引きちぎることが出来た。
封印が解けたあと、ルナは自分の所業がどう語り継がれているかを知った。
「一万の心臓を食らった黒い猫又」の話と。
「その封印にかかわった九尾の猫又」の話が、口伝と記録の中で混同され。
いつしか「九尾の存在」が強調されるようになり。
最終的に、九尾といえば狐という既存のイメージに飲み込まれて——
「九尾の狐が人間の王を惑わせ、一万の心臓を食らった。」
という形の伝説にすり替わっていたことを。
自分が残したはずの爪痕が、狐のものになっていた。
「……許せない。」
ルナは目を開いた。赤い瞳が、闇の中で鋭く光る。
「あれだけのことをしたのに、伝説すら狐に奪われている。私が残したはずの足跡が、他人の物になっている。」
この屈辱こそが、今の自分を動かす核だった。
弱体化の呪いを、力で完全にねじ伏せること。失われた自分の伝説を、猫又である自分の物として取り戻し、書き換えること。
九尾の狐に奪われた功績を、今度は猫の側が奪い返すこと。
そして——ミミ。
自分を封印に追い込んだ直接の協力者。
伝説がねじ曲げられる原因の一端を担った存在。
「だから、あんたの心臓が欲しいのよ。力のためだけじゃない。お前がかかわったせいで歪んだ伝説を、お前の力で修正してもらう。」
影が、ゆっくりと膨らむ。
「日記を持っていったのなら、どうせ封印方法を知ったのでしょうね。でも今この世界に、聖女がいないことはわかっているわ。その方法は使えない。」
ルナの唇が、冷たく歪んだ。
今人間の心臓をくらっても、弱体化の呪いのせいで、少しも力は強くならない。他の猫又たちに、その力が分散されるだけだ。
「今度は、お前の大切なものを、この手で確実に奪ってあげる。聖女の血を引く人間の心臓をくらって、弱体化から解き放たれたら、更に人間を食らうわ。」
聖女の血を引く人間の心臓を食らって、ようやく一部の呪いが解け、力が解放されたのだ。今は何より、聖女の血を引く人間の心臓、そしてミミの心臓が必要だ。
「そうすれば、あんたは私にかなわない。全部取り戻すわ。私の伝説を、正しく刻み直すために。あんたの心臓を手に入れる為に。今度は、待ってなんかやらないわ。」
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