第38話 オーデンハルム公爵家の地下の秘密ニャ
その夜は、雲が月をほとんど隠していた。
子どもたちが眠り、ハルトが書斎の灯りを消すのを確認してから、あちしは屋敷を出た。今度は周辺を調べるだけでは足りない。地下まで行かなければ。
オーデンハルム公爵家の石壁は、前回よりも高く感じられた。
ルナの魔力による魔力の警戒が、明らかに増している。
猫の姿で排水溝の隙間から潜り込む。最初はまだ動けた。だけど屋敷の中心に近づくにつれて、空気が変わった。
黒い魔力が、粘るように体に絡みついてくる。呼吸が浅くなる。前脚の先から、徐々に力が抜けていく。
『……重い。近づくほど、苦しいニャ。』
屋敷に潜り込んで、廊下を進むたびに、圧力が増した。壁に触れただけで、銀色の毛が逆立つ。頭の奥が脈打ち、視界の端が時々暗くなった。
地下へ続く階段を見つけたとき、あちしは一瞬、その場に座り込んだ。息がうまく吸えない。まるで、誰かに胸を押さえつけられているようだった。
それでも、なんとか立ち上がる。
『……ここで引き返せば、また子どもたちが狙われる。ハルトが、狙われる。頑張るのニャ……!』
一段、また一段と降りていく。階段を降りるごとに、圧力は倍増した。耳鳴りがする。ここのつの尻尾を隠しているのに、根本が熱を持って疼いた。
地下の最奥にたどり着いたとき、そこにあったのは、一枚の大きな扉だった。黒い鉄と古い石で作られた、重厚な扉。
表面には、薄く消えた魔法陣の痕跡が残っている。間違いなくここだ。そう思って人間の姿になり、扉を押したり、引いたりしたけど、びくともしなかった。
『……開かない。』
焦りが、胸の奥で広がる。
『このままじゃ、入れない。なのに、この扉の向こうに、確かに何かがある。それを強く感じるのに……。』
苦しさで膝が震える。そのとき、ふと記憶の奥底で何かが囁いた。
これは種族を指定した魔法陣。
——本来の姿でなければ、通さない。
あちしは小さく息を吐き、猫又の姿に戻った。銀色の長い毛並みが一気に膨らみ、九本の尻尾がふわりと広がる。隠していた力を、すべて表に出した瞬間——扉が、音もなく開いた。
まるで、最初からそれを待っていたかのように。
中は、さらに濃密な黒い魔力の漂う空間だった。足を踏み入れただけで、呼吸が詰まる。
ルナの魔力が、空気中に溶けている。赤い魔力の残滓が、床も壁も薄く覆い、脈打つように明滅していた。
『……くっ……。』
体が内側から軋む。ルナの根城そのものが、あちしの存在を拒んでいるのか。
それでも、奥へと進んで、最奥の部屋へとたどり着いた。
ルナはそこにはいなかった。
そこにはただ、一冊の古い本があった。鍵がつけられていて、それを無理やり何度もこじ開けようとしたような痕跡があった。
というより、切り裂こうとしたような、そんな感じだ。
タイトルは日記帳。なんの変哲もない、ただの鍵のついた古い日記帳だった。それなのに、この屋敷のどこよりも、ルナの魔力が周囲を漂い、かつ、それを日記帳が拒絶していた。
ルナがわざわざ屋敷の奥に隠して、かつ無理やりこじ開けようとして失敗したものだ。ここに何か秘密があるのかも知れない。あちしはそう思って、日記帳に触れた。その瞬間、衝撃が全身を貫いた。
——記憶が、逆流する。
遠い過去。
あちしはハルトに飼われる前に、猫として人間の家族に飼われていた。
男の子が笑いながら抱きしめてくれた。
お母さんは毎日、温かいミルクを置いてくれた。
お父さんは頭を撫でて、「お前はうちの子だ」と笑った。
町では人間が何者かに襲われる事件が多発していて。みんなあまり外には不必要に出なくなっていたけど、あちしは穏やかな家族と平和に幸せに暮らしていた。
その日、あちしたちは森にピクニックに来ていた。あちしも家族の一員として連れて行ってもらっていた。男の子と鬼ごっこをして遊んだ。
そしてお弁当を食べに、お父さんとお母さんのところに戻った時──お父さんたちは、黒い影に襲われていた。
赤い瞳の猫又——ルナ。
彼女は迷わず、お父さんとお母さんの心臓を抉り取っていった。
あしちを両腕に抱いたまま、お父さん、お母さん、と小さく両親を呼ぶ、男の子の声。
「これでようやく一万……。私は最強の力を手に入れたわ。あは……あはははは!」
血まみれで笑うルナは、あちしたちに──男の子に気付いた。
「あら……そこにも人間がいたのね。別にもう食べなくてもいいんだけど……ついでにもらっておこうかしら?あなたの心臓も……。」
ルナの手が男の子に伸びる。
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