第37話 失われた記憶……ニャ?
『……だから、他の猫又にも、ルナにも、あちしは勝てなかったのかニャ。あちしの力がみんなと変わらなかったから。あちしは九尾の猫又にもかかわらず、本来より力が抑えられていたから。』
「あの黒い猫又が今しようとしているのは、その弱体化の呪いを解くことよ。聖女の血を引く心臓を集め、完全体になれば、呪いに抗える力を得られる。あるいは、おぬしの九尾の心臓を得れば、一気にそれを超えられる。過去に万の心臓を食らって、ようやく対等に並べた、おぬしの心臓ともなればな。」
風が森を大きく揺らした。
巨木の葉がざわめき、まるで誰かの溜息のように聞こえた。
あちしは前脚に力を込め、地面を強く踏んだ。
「……再び封印するには、どうすればいいニャ?方法をもしも知っていたら、教えて欲しいのニャ。」
長老は、静かに首を傾げた。光の粒が、あちしの方へと少し近づく。
「おぬしは、憶えておらぬのか?」
「……何のことだか、わからないニャ。」
「──おぬしは、あの黒い猫又の封印にかかわったではないか。」
その言葉が、夜の森に小さく、しかし重く響いた。
あちしは体がかたまって動けなくなった。そんな記憶は……なかった。でも、あちしよりも長く存在している精霊の長老の言うことは絶対だ。
この場所にいる存在でもあり、どの場所にもいる存在。
世界中の大地とつながっている、世界の歴史を見て来た存在。
「なんでその時のあちしは、そんなことをしたのニャ?長老、何か知ってるニャ……?」
「おぬしの心までは測りかねる。だが、封印前のあの黒い猫又は、万の心臓を食らい、おぬしと対等に至る程の力を手に入れていた。仮におぬしが対峙するとして、互いに消耗戦は避けられなかったであろうな。」
『だからその時のあちしは、種族全体への呪いをかけさせるようにして、ルナの力を他の猫又と同等にすることで、封印することを選んだのニャ……?』
頭の奥で、何かが微かにざわつく。
遠い、遠い過去の気配。
赤い月がかかった空。
黒い影が地面に縛られていく光景。
人間たちの低く唱える声。
そして——自分の九本の尻尾が、青白い光を帯びて、何かを押さえ込もうとしていたような感覚。
胸をえぐられるような痛み。
現実に対する拒絶。
誰かの悲鳴に似た声。
記憶の中のあちしは、何かに強く絶望していた。
『……記憶が、ない……のに、なぜか胸がざわつく。胸が、痛い。忘れようとしたのか。それとも、忘れさせられたのか……どっちなんだろうニャ。』
「わしも直接は知らぬ。見たのはおぬしが、あの黒い猫又の封印に関わったという事実。それゆえその方法はおぬしの中にこそあろう。それを思い出す必要がある。」
長老はそれ以上何も急かさなかった。
ただ、静かに、長い時を生きた者の目であちしを見ていた。
「おぬしがかかわり、もしもおぬしが黒い猫又の封印の為に力を使ったのなら、封印の核はおぬしの中に残っておるはずだ。呪いで弱められた力を、本来の強さに戻す手がかりにもなるだろう。」
あちしは長老の言葉に俯いた。銀色の毛並みが、月明かりを受けて微かに光る。
『……あちしが、ルナの封印にかかわった。なのに、何も覚えていないニャ。何をしていたんだろう。何を、選んだんだろう。どうすればそれを……思い出すことが出来るニャ。』
遠くで、風が止む。あちこちの気配が、一斉に息を潜めたように感じられた。
「記憶が封印された理由はわからぬ……わからぬ……が。」
長老の言葉に、あちしはゆっくりと顔を上げた。
「黒い猫又と対峙したことが理由であるのなら、より強い力に触れることで、思い出すやもしれぬ。魔力は使う時のみ漏れるものではない。強くあるものほど、例えばその住処には、強い魔力の残滓が残るものだ。」
ルナの根城に行けば……その魔力の残滓に触れれば、思い出す可能性があるかも知れないということニャ。
「……思い出す。思い出すニャ。子どもたちを守るために。ハルトを守るために。」
光の粒が、静かに揺れた。
「ならば、行け。記憶の底を、掘り起こすがよい。ただし、忘れられたものには、理由があることも忘れるな。」
あちしは長老にお礼を言って、深く頭を下げた。そして、夜の森を後にした。
足取りは重かった。胸の奥には、見えない棘が刺さったまま抜けないかのような、そんな違和感がある。
オーデンハルム公爵家の地下に巣くうルナの影。
弱体化の呪い。
失われた記憶。
そして、自分自身がかつてその封印に手を貸していたという事実。
すべてのヒントは、ルナ自身と、ルナが根城にしているであろう、オーデンハルム公爵家にあると思えた。
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