第33話 ルナに遊ばれてるのニャ
ルナの体から溢れる黒い魔力が、遺跡の石柱をゆっくりと侵食していく。
あちしは九本の尻尾を大きく広げ、ハルトの前に立った。
「ハルト、下がってニャ!」
次の瞬間、ルナがしっぽを軽く振り上げた。
しっぽの黒い影が蛇のように伸び、あちし目がけて飛んでくる。
試し程度の攻撃。本気ではないのが、はっきりとわかった。
「……軽いニャ!」
あちしは尻尾で影を払い、魔力を纏った前脚で打ち消した。
衝撃で足元の土が少し舞い上がる程度で済む。
ルナは面白そうに目を細めた。
「あら、ちゃんと防げるのね。少しは期待してもいいのかしら。」
「ハルトには攻撃させないニャ!」
続けて二度、三度と影が飛んでくる。あちしはすべてを弾き返しながら、一歩もハルトに近づけさせなかった。
だけど、ルナのしっぽの数は、あちしより全然少ないのに、操る自由度が尋常じゃなかった。
そのスピードがどんどん速くなって、あちしがさばききれなくなり、攻撃をくらってしまった。
ハルトが「ミミ!」と声を上げ、前に出ようとした瞬間——「だめニャ!!」
あちしが鋭く制止する。その隙を突くように、ルナの影がハルトの足元まで伸びかけた。あちしはとっさに身を翻し、影を尻尾で叩き潰した。
ルナが低く笑った。
「まだ本気を出す気はないわ。だけど私には遠く及ばないことがわかったでしょう?あなたが拒んだ以上、予定通り、次は子どもたちの心臓からいただくだけよ。」
赤い瞳が、月光の下で冷たく光る。
「今夜は特別に見逃してあげる。次に会うときは、あの可愛い子たちの心臓を持っていらっしゃい。それが嫌ならあなたの心臓を差し出すのね。」
「……っ!!」
あちしの体が硬直する。ランディスとリリアナの顔が、頭の中に鮮明に浮かんだ。
ルナはそれ以上何も言わず、黒い影に体を溶かすように消えていった。
気配が完全に消えるまで、ほんの数秒しかかからなかった。
森に再び静寂が戻る。
あちしは荒い息をつきながら、九本の尻尾をゆっくりと下ろした。
深手はない。殆ど防いだし、唯一くらった攻撃すらも、たぶん本気じゃなかった。でも、胸の奥がずしりと重い。
「……ミミ。」
ハルトが近づいてくる。すごく顔色が悪いニャ。
「あいつ……子どもたちを……狙うって、言ったな。」
「……はい。」
あちしは人間の姿に変化しながら、俯いたまま、小さく頷いた。
あちしとハルトは、ほとんど無言のまま、屋敷へと戻った。
夜明けが近い空が、薄く白み始めている。
ハルトは時々あちしの方を見たけど、無理に何かを聞こうとはしなかった。
ただ、しっかりと隣を歩いてくれている。
屋敷に着くと、子どもたちはまだ深く眠っていた。
ハルトは書斎に灯りを入れ、あちしを中へ招き入れた。
「座ってくれ。……全部、話してくれるかい?」
あちしは椅子に座り、ゆっくりと口を開いた。
「あの黒い猫又は、ルナという名前ニャ。グランディック伯爵家の……聖女の血を引く家系の心臓を、儀式の贄にしようとしているの。」
ハルトの表情が、強張る。
「ハルトのお父さんと妹さんの心臓がなかったのは、そのせいなのニャ……。」
「それで、子どもたちの心臓も、手に入れようと?」
「……はい。すでに二人ぶんの心臓を得て、かなり力を取り戻しているみたいです。あと三人——ハルトと、ランディスと、リリアナの心臓があれば、ルナは完全体になれるらしいニャ。」
「完全体……?」
「九尾の狐を超える力を得る、と言っていました。九尾の伝説を猫の側に書き換える、とも。」
あちしは拳を強く握った。
「そして……あちしの九本の尻尾の猫又の心臓なら、三人分以上の価値があるから、身代わりになれと取引を持ちかけられたのニャ。ハルトたちに手を出さない代わりに、あちしの心臓を差し出せ、と。」
書斎に重い沈黙が落ちる。
ハルトはしばらく何も言わず、ただじっとあちしを見つめていた。
やがて、ハルトは深く息を吐き、静かに、しかし強い声で言った。
「……子どもたちは、絶対に守る。ミミも、一人で抱え込むな。」
あちしが顔を上げる。
「でも……あいつはとっても強いのニャ。まだ完全体じゃないにも関わらず、あちしは防戦一方だったニャ。」
「──君は自分を差し出そうと、ずっと悩んでいたんじゃないのかい?でも、それは僕が許さない。君がいなくなったら、子どもたちも僕も……意味がないからね。」
ハルトの目は真っ直ぐだった。怯えではなく、覚悟の色が濃く浮かんでいる。
「一緒に守ろう。君はもう、一人じゃないんだ。」
その言葉が、胸の奥に深く染み込んでくる。あちしは小さく息を吸い、ゆっくりと頷いた。
「……自己犠牲は、選ばないニャ。あちしのも、みんなのも、心臓は渡さない。戦ってでも、守る。みんなで、守るニャ。」
ハルトが少しだけ、柔らかく微笑んだ。
「ああ。そうしよう。きっと何か方法がある筈だ。それと、少しでも寝よう。子どもたちはまたきっと、君と遊びたがるだろうからね。」
「ハルトも寝て下さいね。私に付き合って、寝てないんですから。」
ハルトと別れて、あちしは自分の部屋に向かって歩いていた。子どもたちの寝息が、遠くの廊下から微かに聞こえてくる。あちしは心の中で呟いた。
『あいつは封印されてた過去があるニャ。きっと何か方法がある筈なのニャ。……絶対に、守るニャ。ランディスも、リリアナも、ハルトも。誰一人、失わせない。』
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