第29話 敵のしっぽを掴んだニャ!
ヴィルヘルムが門の外へ転がり出てから、屋敷には穏やかな日常が戻っていた。
朝はハルトと子どもたちと食卓を囲み、昼は庭でボール遊びや木登りをして、夜は書斎でハルトの隣に座って過ごす。
ハルトは時々、あちしの耳を撫でながら「ミミがいてくれると、本当に助かる。」と小さな声で言ってくれる。
その言葉だけで胸の奥が温かくなるニャ。
だけど、あちしの心は少しだけ落ち着かなかった。
ハルトが言っていた「父と妹の心臓がなかった」という話。
あちしはすでに教会でそのことを知っていた。
聖女の血を引く家系、グランディック伯爵家……悪魔のいけにえに最適、という祭司の言葉も。
『……このまま放っておけないニャ。もっと調べて、何が起きているのか知らなきゃ。』
ある夜。子どもたちが寝静まり、ハルトが書斎で書類を広げているのを確認してから、あちしはそっと屋敷を出た。
人間の姿のままでは目立つ。猫の姿に変わって、夜の闇に溶けるように教会へ向かう。
死体安置所の地下は、相変わらずひんやりとしていた。
祭司たちはもういない。ハルトのお父さんの棺桶もまだそこにある。
あちしは前回来た時に気付いていた、古びた記録棚を魔法で探った。
埃っぽい羊皮紙の束。古い家系図。貴族が亡くなった場合、それを使って管理をし、届け出を行うものらしい。それをもとに、世襲が行われる為、教会の管理は大切らしいのニャ。
その中にグランディック伯爵家のものがあった。そして、黄色い紙に家系図とは別に添付された文字があった。
『グランディック伯爵家は、かつて聖女を輩出した血族なり。聖女の血は魔を祓い、光を呼ぶ。されど、その心臓は悪魔にとって最高の贄となる。一つの心臓にて、数千の命に相当する力を宿すと謂う。』
あちしは思わず息を飲んだ。
『……やっぱり、ニャ。ハルトのお父さんと妹さんの心臓は、ただ抜かれたんじゃない。たぶんなんかの儀式のために、意図的に奪われたニャ。』
さらにページをめくると、別の記述があった。
『九尾を欲する者、一万の命を集めて完全体と成る。九本の尾を持つ者の心臓は、特に尊し。その力、聖女そのものの魂にも比肩すると謂う。』
九本の尻尾……。あちしの尻尾が、無意識にぴくりと動いた。
『……ここのつ尻尾の心臓が、特別に価値がある?それなら、あちしの心臓も……狙われる可能性があるニャ。』
教会を出たあと、あちしは森の中を歩きながら考えた。他の猫又に聞けば早いのかもしれない。九尾以外で、九尾に最も詳しいのは、たぶん猫又だ。
でも、ここのつ尻尾のあちしは、みんなに嫌われている。
話しかけても、追い返されるだけだ。
『……じゃあ、猫又じゃないものに聞いてみようニャ。』
あちしは静かに魔力を集め、森の精霊たちに呼びかけた。
小さな光の粒がふわりと集まり、葉の間から顔を出す。
風の精霊や、木の精霊たちが、恐る恐るあちしの周りに集まる。
精霊は純粋な魔力を好むから、それを与えれば集まってくれるのニャ。
「……ここのつ尻尾の猫又さん。私たちに何かご用事?何を聞きたいの?」
「最近、この森やどこかの領地で変な気配はないかニャ?力を集めている存在がいると思うのニャ。聖女の血を引く心臓を集めている、怪しい奴がいるみたいなのニャ。」
精霊たちは互いに視線を交わし、小さな声で答えた。
「いるよ……とても強い、黒い毛並みの猫又。赤い目をしていて、赤い光をまとっているの。森の奥の、古い石の遺跡のあたりに、よく現れる。私たちも近寄りたくないくらい、怖い存在だよ。」
「あれはとてもまがまがしいよ。」
「近付いちゃだめだよ。」
あちしを心配したように精霊たちがそう言ってくれる。あちしは初めてその存在を知った。
『……黒い毛並みで、赤い目の猫又……。そんな者が、この土地にいるなんて、知らなかったニャ。ひょっとしてそいつが、ご主人さまのお父さんや妹さんの心臓を奪ったニャ?』
「ありがとうニャ。気を付けるのニャ。」
あちしは頭を下げて、精霊たちに別れを告げた。そして森の奥深くへと足を伸ばす。
苔むした石柱が並ぶ、誰も寄りつかない古い遺跡。地面には長い間人の手が入っていない気配が漂っていた。
そこには、確かに黒い毛が数本落ちていた。赤い光の残滓が、かすかに漂っている。黒い毛を持つという、猫又の魔力の残滓だ。
『……精霊の言った通りニャ。黒い猫又が、きっとここにいた。しかも、かなり強い気配が漂っているのニャ。いったいここで何をたくらんでいるニャ?』
屋敷に戻ると、すでに夜が深かった。ハルトはまだ書斎にいた。
あちしが人間の姿に戻って入ると、ハルトが少し驚いたように顔を上げる。
「ミミ? こんな時間まで起きていたのか」
「……少し、考え事をしていました。ハルトのお父さんたちの心臓のことが、気になって。」
ハルトは静かに頷いた。
「僕もだ。でも、君まで無理をしなくていい。明日、改めて教会に問い合わせてみよう」
あちしは「はい」と答えつつ、心の中で決めた。
『……ハルトにこれ以上心配をかけたくないニャ。次は、もっと深く調べる。黒い猫又が、何のために心臓を狙っているのか。ひょっとしたら、ハルトたちだって狙われているかも知れないのニャ。それを絶対、一人で、突き止めるニャ。』
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その夜、森の奥で、黒い毛並みの猫又が、赤い瞳を細めて夜空を見上げていた。
「……私以外の強い猫又の気配を感じるわ……。面白い。ひょっとしたら、九尾になるだけじゃなく、それ以上の力を手に入れられるかも知れないわね。その子の心臓なら、残りの三人分を一気に賄っておつりがくるかも知れないわ。なんて都合がいいのかしら。」
ルナはゆっくりと尻尾を揺らし、低く笑った。
「そろそろ、取引をすすめる時かも知れないわね。」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
グランディック伯爵家の夜は、表面的には穏やかに更けていった。
だけど、あちしの心の中では、静かに、確実に、次の嵐が近づいていた。
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