第19話 ご主人さまは変えられないのニャ
「君が最初に僕の前に現れた時は、僕の母が亡くなった時だった。落ち込んだ僕を、君は笑顔で励ましてくれたね。」
……だって、泣いてるご主人さまを放ってはおけなかったニャ。猫の姿のままでもご主人さまを慰めたけど、元気にならなかった。
かといって、猫又の姿で現れたら怖がらせるだけなのニャ。だから人間の姿になって、ご主人さまを元気にさせたかったから。
「君と親しくなるうちに、僕は段々と前を向くようになって、元気を取り戻していった。でもその時には気付いたら、君は僕の目の前からいなくなってしまった。……しばらく探したよ、君のこと。」
「う……それはごめんなさいニ……です。」
ご主人さまが幸せに笑っているのを見ていられれば、それであちしはよかったニャ。
だって猫又は家族にはなれないニャ。
ご主人さまの奥さんと妹さんが亡くなった時、何度も猫の姿で近付いたニャ。だけどほんの少し笑顔を見せるだけで、猫のあちしには何も出来ないのだと悟った。
「妻が、妹が亡くなって、更に父が亡くなった。子育てのことも、領地のことも、いっぱいいっぱいでつぶれそうだった時に、君は再び突然現れた。」
まるでそのことを知っていたかのように。とご主人さまは続けた。
「どこかで僕のことをずっと見ていたの?僕が妻を迎える時にも、姿を現さなかったから、君は僕のことなんて、どうでもいいんだと思っていたよ。」
「どうでもよくなんかありません。ハルトは私にとって、ずっとずっと、大切な人です。これは一生変わらない事実です。あなたが私を愛さなくても。」
どうでもよくなんかないニャ。
ずっと見ていた。猫の姿で。
ずっとそばにいたかった。本当は。
だけど、ご主人さまのお父さんは動物が嫌いだったし、ご主人さまの奥さんは、あちしが近付くとくしゃみが止まらなくなるから、こっそり飼い続けてもらうことも難しかった。
「……あなたの幸せを願っていました、遠くで。私には、それしかできなかったから。私の存在は、あなたに望まれているわけではないから。」
目線を落とすあちしに、困惑した表情を浮かべるご主人さま。
ご主人さまがまたあちしを飼いたいって言ってくれたら、ずっと猫としてそばにいたかったニャ。
でも、ご主人さまに近付いても、ご主人さまはあちしを求めてはくれなかったニャ。
ただそれだけのことニャ。
望まれないのに、そばにい続けるのは苦しいニャ。
ほんとはおいでって言われたかったニャ。
ずっとずっと、撫でて欲しかったニャ。
ご主人さまのものになりたかったニャ。
でもご主人の目に、あちしはうつってなかったニャ。
それでも離れられなかったニャ。
ご主人さまを見ていたかったニャ。
犬は捨てられても、主人を変えることが出来るけど、あちしには……無理だったのニャ。
あちしは気付けば、ボロボロと涙をこぼしていた。それを見て、オロオロと困ったように、あちしにハンカチを差し出すご主人さま。
「……ずっと、あなたのそばに、いたかった。会いたかった。愛されたかった。愛されないなら、せめて見つめていたかった。勝手に見てて、ごめんなさい。」
差し出されたハンカチで、たれてきそうな鼻水を、思わずかんでしまった。
……しまった、ご主人さまのきれいなハンカチを汚してしまったのニャ。
あちしは、あきらめることに慣れているニャ。
友だちがいないことも、家族がいないことも、みんなから嫌われていることにも。
だからご主人さまに飼われなくても、それはあちしにとって、当たり前の、あきらめるべき事柄のひとつだ。
ご主人さまが、生きて、元気なことがわかるニャ。
いつもお仕事を頑張って、幸せそうなことが見られるニャ。
それだけで……それだけしか許されなくても、それでよかったニャ。
ヴィルヘルムたちが、ご主人さまの殺害計画をほのめかさなければ、もう一度人間の姿で、ご主人さまの前に現れるつもりもなかったニャ。
ずっとそばにいて、悪いことをやめさせるには、猫の姿では無理があったニャ。でもそのことをご主人さまに言うべきなのか、悩むニャ。
だって、何にも証拠はないニャ。うそつきだって言われて、追い出されかねないニャ。今はまだ言うべき時ではないニャ。
「……そんな風に思ってくれている存在がいたことに、僕はずっと気付かないで生きてきたよ。君は僕に、大好きって、あの日言ってくれたのにね。」
あちしに出来たことは、ご主人さまに大好きを伝えることだけ。
ご主人さまに元気でいて欲しい、生きていて欲しいって思う相手がいるっていうことを、伝えることだけ。それはきっと、ご主人さまのお母さんも、同じだと思ったからニャ。
「君の正体が何なのか、僕は少し気になっているよ。でも、君が話したくないなら、無理に聞かない。今は君がここにいてくれるだけで、それだけで十分だ。」
その言葉に、あちしの胸が激しく揺れた。
ご主人さまは気づいている……?あちしが本当は人間じゃないってことに?
耳と尻尾がまた出そうになる。心臓の音がうるさく聞こえる。
話したいニャ……。本当は全部話してしまいたいニャ。でも、話したら……終わりだニャ。ご主人さまも、子供たちも……きっとあちしを怖がるニャ……。我慢ニャ。我慢ニャ、ミミ。
あちしは小さく息を吐き、そっと目を伏せた。
「……ありがとうございます、ハルト。……私も、ここにいられて嬉しいです。」
夜の屋敷に、静かな時間が流れる。ランプの炎が揺れる中、あちしの心も揺れていた。
絶対にみんなを守りたい。だけど、……この優しさが、いつか自分の本当の姿を拒絶するものになるかもしれないという恐怖が、胸の奥で小さく、でも確かに疼き続けていた。
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