第18話 本当の名前を教えるニャ
「……父は、とても厳格な人間だった。それに、母をとても愛していた。政略結婚だったけど、とても仲の良い夫婦だったんだよ。そんな父が、母を裏切るとは、思えないんだ。」
あちしがご主人さまに拾われた時、ご主人さまのお母さんはまだ生きていた。だんだんと弱っていって、病気で亡くなられてしまったけれど、最後まで仲の良い夫婦だったことを、あちしも覚えている。
「それに、正直、妹じゃないほうが、僕としても、その……。」
ご主人さまが、ちょっと目元を赤くして、咳ばらいをしながら、目線をあちしからそらしつつ、そう言う。
「私が妹だと、嫌ですか?」
「そうじゃないよ!そういうことじゃ……ないけど、妹じゃなかったらいいなとは、正直思ってる。」
そう言われて、あちしは思わず落ち込んでしまった。妹じゃないほうがいいだなんて……家族にはなれないと言われたようなものだからだ。
落ち込まないで、悪い意味じゃ、ないから、と、ご主人さまは慌てて広げた手のひらをこちらに向けて、ブンブン振りながらそう言った。
「──どうして僕の妹を、名乗ったの?」
ご主人さまが、じっとあちしを見て来る。これ以上は、ごまかせなさそうニャ。
「あこがれて……いたから、です。」
「あこがれ?」
「ごしゅ……ハルトに、ハルトの家族に、あこがれていたから。私には……家族がいないから。遠くでずっと見てて、あなたの妹になりたかったから。」
それは本当だ。仲のよい、グランディック伯爵家の家族がうらやましかった。気が付いたらひとりぼっちになって。
野良猫の仲間が出来ても、友だちは先に死んでいなくなって。
猫又になって仲間が出来ても、あちしのしっぽがここのつになったことで、やっぱり仲間はいなくなった。
あの暖かい家の中に、ずっと入りたかった。
それを遠くでずっと見て来た。
その家の子にひろわれて、しばらく飼われるとは、思ってもみなかったけど。
人間の家は、いつも夜になると明かりがなくなる。
だけど貴族であるご主人さまの家だけは、いつも夜でもしばらく明るくて。
その明かりに、仲の良さそうな家族の姿が浮かぶ。
ご主人さまと、ご主人さまの妹と、ご主人さまのお父さんとお母さん。
あの暖かそうな光は、グランディック伯爵家の家族の象徴のようなもので。
その光に、あちしはずっとあこがれていたのだ。
「そっか……当時君も小さかったし、それで妹を名乗ったんだね。ごっこ遊びの延長みたいなものかな。妹も小さい時よくやっていたっけ。」
ご主人さま一人納得したようにつぶやいている。
「それで、本当の名前は、なんていうんだい?」
「──え?」
ご主人さまは、最初にいきなりあちしを、ミシェルって呼んだ。なんでかわからないけど。だから本当の名前を気にしていたとは思わなかった。
「君に当時名前を聞いたら、ミ……って言って止まっちゃったんだよ。だから僕が、ミシェル?って聞いたら、君がそうだって目を輝かせたんだ。だから僕は君をミシェルって呼んだ。でも……たぶん本当の名前は、違うんだよね?」
そう言えばそうだったような気もするニャ。
本当の名前を言うと、人間ではあんまりありえない名前だから、黙っていたのだけど。ご主人さまにこれ以上嘘もつけないし……。
「ミ……ミミです。」
「え?」
「ミミです……私の本当の名前。」
「そっか。ミミか。確かに珍しい名前だね、隠したくたくなるのも、少しわかるよ。なんか、ペットにつけるみたいな名前だものね。」
ギクッ。
「君が嫌なら、このままランディスとリリアナには、ミシェルって呼んで貰うことにするけど、君と二人きりの時には、本当の名前を……ミミって呼んでもかまわないかな?」
あちしは思わず耳が出そうになるのを慌てておさえた。
だって、ご主人さまが、あちしの名前を呼んでくれるニャ。
あちしにはずっと名前なんてなかった。
気が付いたら親なんていなかったし、周りの猫たちも、猫又になってからも、名前を持ってる子なんて、殆どいなかったのニャ。
猫にも猫又にも、名前を付ける習慣ってものがないから。
昔人間に飼われてた猫や、猫だった時に飼われてて猫又になった子だけが、名前を持っていたのニャ。
あちしはそれがとってもうらやましかった。
大切で、特別な存在だって、誰かに言ってもらっているのと、同じだと思ったから。だからずっと名前が欲しかった。
ミミって名前は、拾って飼ってくれてた時に、ご主人さまが、あちしに付けてくれた、大切な名前なのニャ。
それをまた……ご主人さまが呼んでくれるのニャ。
そんなの、とっても嬉しいのニャ!
「はい、ぜひ、お願いします!」
あちしはニッコリ笑ってそう言った。
「ありがとう、ミミ。」
ご主人さまの優しい声が、あちしの名を呼んだ。
頭の横でふわりと猫耳が形を現しかけた。腰の後ろで、尻尾も少し動きそうになる。あちしは慌てて両手で頭を押さえ、椅子から体を起こした。
「ミミ?どうかしたの?」
ご主人さまが不思議そうに身を乗り出す。あちしは必死に笑顔を作った。
「い、いいえ!なんでもないです……!ちょっと、眠たくなって……え、えへへ。ハルトこそ、無理はしないでくださいね。子育ても、仕事も……あちしが……私が、できる限り手伝いますから。」
声が少しだけ「ニャ」に近づきそうになったが、なんとか抑えた。ご主人さまが優しく微笑む。
「でも……正直、君が本当に僕の妹かどうかも気になっていたけど、それ以上に気になってることがあるんだ。どうして、僕を手伝ってくれるの?」
「え?」
思わず、ニャ?と聞き返しそうになったニャ。危ない危ない。
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