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最強暗殺者に拾われた没落オメガの古書店主。絶望の夜から一転、狂信的な溺愛と絶対の盾で守られ極上の番となる  作者: 水凪しおん


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第12話「夜明けの脱出」

 地下牢の重苦しい静寂の中、ギルベルトはルカの体を抱きかかえたまま、荒い呼吸を整えようとしていた。

 彼の背中や太ももからは依然として血が滲み出し、ルカの衣服を赤黒く染めている。

 だが、ギルベルトの腕の力強さは少しも衰えておらず、ルカを絶対に離さないという強い意志が感じられた。

 ルカの体内ではヒートの波が不規則に打ち寄せ、甘い香りが空気中に漂い続けていたが、ギルベルトの纏う雨上がりの森の香りがそれを優しく包み込み、抑え込むように作用していた。

 それは、アルファとオメガの魂が深く結びつき始めている証拠でもあった。


「このままここに留まるのは危険だ。すぐに屋敷を出るぞ」


 ギルベルトは低い声で告げると、ルカを抱き上げたまま立ち上がった。

 ルカは彼の首に両腕を回し、顔を胸元に押し当てて小さく頷いた。

 ギルベルトは気を失っている私兵の腰から鍵束を奪い取り、伯爵の豪奢な毛皮のコートを剥ぎ取ると、ルカの肩にすっぽりと被せた。

 冷え切った地下の空気からルカを守るための配慮だった。


「歩けるか?」

「うん……少しなら」


 ルカは強がって見せたが、実際には足の感覚はほとんどなく、ヒートの熱で立っているのもやっとの状態だった。

 ギルベルトはそれを察したように、ルカの腰を片腕でしっかりと支え、もう片方の手で床に落ちていた剣を拾い上げた。


「俺から離れるな」


 二人は地下牢を後にし、薄暗い螺旋階段を慎重に上り始めた。

 ルカの体から漂う甘い香りを少しでも消すため、ギルベルトは自身のフェロモンを強く放ち、周囲の空気を自分のもので塗りつぶしていく。

 ルカにとって、その香りは恐怖を和らげる何よりの薬だった。

 螺旋階段を上りきり、重い木の扉を押し開けると、外はまだ深い雪の夜だった。

 冷たい風が頬を打ち、ルカの熱に浮かされた頭をわずかに冷やしてくれる。

 先ほどルカが気絶させた見張り兵は、まだ倒れたまま雪に埋もれかけていた。

 屋敷の敷地内は不気味なほど静まり返っている。

 伯爵が私兵の大半を古書店の襲撃に向かわせたため、屋敷の警備が手薄になっていたのは不幸中の幸いだった。

 ギルベルトはルカを支えながら、壁の影を縫うようにして裏門の方へと足を進める。

 彼の足取りは、ひどい怪我を負っているとは思えないほど静かで、確かなものだった。


「ギルベルト……傷、大丈夫なの?」


 ルカが心配そうに見上げると、ギルベルトは前を見据えたまま短く答えた。


「問題ない。お前を安全な場所へ運ぶまでは、倒れるわけにはいかないからな」


 その横顔には、かつて見たような冷徹な暗殺者の影はなく、ただ一つの大切なものを守り抜こうとする男の深い愛情が滲んでいた。

 裏門の近くまで辿り着くと、そこには先ほどルカが乗ってきた黒塗りの馬車が停められたままになっていた。

 御者たちはどこかへ休憩に行ったのか、姿は見えない。

 ギルベルトは素早く周囲を見回し、馬車へとルカを押し込んだ。


「奥に隠れていろ」


 ギルベルト自身も御者台に飛び乗り、手綱を素早く握り直す。

 彼は剣の柄で馬の尻を軽く叩き、低く鋭い声で指示を出した。

 馬がいななき、車輪が雪を蹴立てて裏門を抜け、帝都の闇の中へと走り出す。

 馬車は揺れながらも一定の速度で丘を下り、人気のない旧市街の方向へと向かっていった。

 ルカは馬車の後部座席に丸くなり、伯爵の毛皮のコートに包まりながら、ギルベルトの背中を窓越しに見つめていた。

 雪が降りしきる中、彼が御者を務めるその後ろ姿は、ルカにとって世界で一番頼もしく、そして愛おしいものだった。

 ヒートの熱はまだルカの体を支配していたが、恐怖や不安はすでに消え去っていた。

 彼がそばにいる。それだけで、どんな困難も乗り越えられるような気がした。


***


 馬車が帝都の外れにある、打ち捨てられた古い倉庫街に到着した頃には、東の空が白み始め、夜明けの冷たい青い光が雪景色を照らし出していた。

 ギルベルトは馬車を人目につかない建物の陰に停めると、手綱を下ろして後部座席の扉を開けた。

 彼は血と雪で汚れた顔を拭いもせず、ルカへと手を差し伸べた。


「着いた。ここは、かつて俺が隠れ家として使っていた場所だ。奴らには絶対に見つからない」


 ルカは彼の大きな手を取り、馬車から降りた。

 冷たい雪の上に降り立った瞬間、限界を迎えていたルカの足がもつれ、体が前に崩れ落ちそうになる。

 ギルベルトがそれを両腕でしっかりと受け止めた。

 彼の胸に顔を埋めると、雨上がりの森の香りがルカの鼻腔をいっぱいに満たした。


「よく頑張ったな、ルカ。もう、大丈夫だ」


 ギルベルトの低い声が耳元で囁かれ、その手がルカの髪を優しく撫でる。

 その温もりに触れた瞬間、ルカの体内で抑え込まれていたヒートの熱が、一気に堰を切ったように溢れ出した。

 ルカの腕がギルベルトの背中に回り、彼にしがみつくようにして甘い香りを色濃く放ち始める。

 理性が本能に塗りつぶされ、ただ目の前のアルファを求める強烈な衝動だけがルカの全てを支配した。

 ギルベルトの体がビクッと強張り、彼の呼吸が荒くなるのがわかった。

 だが、彼はルカを突き放すことなく、より強く抱きしめ返してきた。

 夜明けの青い光の中、二人の影が雪の上に一つに溶け合っていく。

 それは、過酷な夜を乗り越えた二人が、初めて互いの魂を求め合い、深く結びつくための静かな儀式の始まりだった。

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