第八話 新たな動き
1週間のご無沙汰でした。
猫が寝転んだ…です。
第二章、まだまだ序盤ですが、そろそろ動き出し始めました。
これからの展開をお楽しみ下さい。
ギルドを出たマキは、そのまま街の東門を抜けた。
復興作業の音はまだ街中に残っているが、一歩森へ入れば聞こえるのは風が葉を揺らす音と、小鳥の鳴き声だけになる。
肩には、灰色の小さな身体。
フードの縁から顔だけを出したバーツが、興味深そうに周囲を見回していた。
「今日は修行だぞ」
「クル?」
返事をしているのか、分かっていないのか。それでも律儀に返事をするその鳴き声に、マキは少しだけ口元を緩める。
昨日、正式に従魔登録を済ませたばかりだというのに、本人――いや本獣はそんなことなど気にもしていないらしい。
街を出てからずっと、景色を眺めたり、風へ鼻を向けたりと忙しそうにしている。
相変わらずのマイペースだった。
「さて……今日は何をやるかな」
前回は風魔法だけに絞って訓練を行った。
探知の精度向上から移動補助、気配遮断、結界維持まで一通り試したが、実際にやってみると改善点はいくらでも出てくる。
攻撃魔法も同様だった。
一つ一つを丁寧に確認した結果、自分でも思っていた以上に粗が見つかった。
だから今日は別系統を試したい。
「水……いや、土も捨てがたいな」
少し考え、首を横へ振る。
「よし、水にしよう」
水場があったほうが都合が良い。まずは水場探しから始めることにした。
なら、その間の移動は風魔法のおさらいをしながらだな。
マキは足元へ薄く風をまとわせた。
身体を押し出すのではなく、進行方向へ流れを作り、自分を滑らせる。
地面を蹴る力を最小限に抑え、風へ乗るように木々の間を進んでいく。
森の匂いが流れる――
風に揺れた枝葉が頭上で擦れ合い、湿った土の匂いが足元から立ち上ってくる。
耳を澄ませば、どこかで水が流れる音も聞こえた。
森そのものへ溶け込むように魔力を広げながら、マキは周囲の様子を探っていく。
数秒後、探知へ複数の反応が映る。
茂みの中を走り回る小動物に混じり、角ウサギや牙獣の気配も確認できた。
そのさらに先――森の奥に、人間と思われる反応がまとまって移動している。
「……こんな所に集団?」
反応は二十数人――
まとまって移動している。
妙な既視感を覚え、そのうちの一つへ意識を向ける。
「この気配……」
探知だけで個人を断定することは難しい。
だが、長年一緒に戦った相手なら話は別だった。
「ロイか?」
クラン《翼》のベテラン斥候。
静かに動き、誰より先に危険を見つける男。
確か、オーガ軍団の侵攻経路を追う調査隊へ参加していたはずだ。
「もう戻ってきたのか」
無事だったらしい――
少しだけ肩の力が抜ける。
――その一瞬だった。
「しまっ――」
進路修正がわずかに遅れた。
目の前へ伸びた枝が肩の高さまで迫っている。
自分だけなら掠めるように避けられる。
だが今日は違う。
肩にはバーツが乗っていた。
身体をひねり、急停止と方向転換を同時に行おうとした、その時――
ひゅっ。
空気を裂く音がした。
二の腕ほどの太さの枝が音もなく切断され、二つに分かれて地面へ落ちる。
マキは数メルト先で止まり、ゆっくり振り返った。
切断面は驚くほど滑らかだった。
風刃――
アタシがよく使う見慣れた魔法。
――だが、自分は撃っていない。
「…………」
肩を見る。
バーツは何事もなかったような顔で、尻尾をゆらゆら揺らしていた。
「……今の、お前か?」
「クル?」
首を傾げる。
一瞬、見間違いかとも思った。
だが、魔力の流れを探知すると、小さな身体から漏れ出る、微かな風属性魔力がまだ残っていた。
「魔獣だから魔法が使えても、おかしくはない……が」
そう口にしながらも納得できない。
威力も精度も、初めて偶然出たようなものではなかった。
マキは両手でバーツを抱き上げ、真正面から丸い目を覗き込んだ。
「お前、一体――」
その瞬間だった。
『ツカエル……』
頭の中へ、小さな声が響いた。
幼い子供が、一文字ずつ確かめながら話しているような、たどたどしい高い声。
マキの動きが止まる。
『……ボク…ツカエル』
今度は少しだけはっきり聞こえた。
「…………お前」
腕の中のバーツは、嬉しそうに小さく鳴いた。
その頃――
クルド冒険者ギルド本館では、長期任務から戻った調査隊を迎えていた。
正面ホールには、長旅を終えた冒険者たちの姿が並んでいる。
鎧には泥がこびりつき、外套には森を歩き続けた痕跡が色濃く残っていた。
疲労の色は隠せない。
それでも誰一人欠けることなく戻ってきたという事実に、その場にいた職員たちは安堵していた。
「よく戻ってきてくれた」
ギルドマスターがゆっくりと頷く。
「三ヶ月以上に及ぶ長期調査、本当にご苦労だった。まずはゆっくりと休息を取ってくれ」
調査隊の面々が表情を緩める。
だがギルドマスターは続けた。
「ただし、隊長、副隊長、各班の班長は残ってくれ。先に報告を受けたい」
その言葉に数人が頷く。
重要な報告があることは全員分かっていた。
やがて彼らは会議室へ移動した。
室内にはギルド幹部だけでなく、主要クランの代表者たちも顔を揃えている。
ライアンもその一人だった。
全員が席に着くのを待ち、ギルドマスターが口を開く。
「詳細な報告書は後で提出してもらう。まずは重要事項から聞かせてくれ」
調査隊長は軽く頷いた。
「了解です」
そして机上へ広げられた地図を指差す。
「まず、オーガ軍団の侵攻経路についてです」
会議室の空気が引き締まった。
「痕跡を追跡した結果、連中はクルドの東側から来たわけではありませんでした」
「どういうことだ?」
誰かが尋ねる。
「東門側から元を辿ると、途中で大きく進路を変えており、北西方向から来ていることが分かります」
隊長の指が地図をなぞる。
クルドの北側を横切る一本の進行路。
その線はさらに北西へ続き、かなり奥へ進んだ地点で二つに分岐していた。
「ここです」
隊長は地図の一点を叩く。
「途中で二手に分かれています。一方は東門へ向かったオーガ軍団。もう一方は西門へ向かったオーク軍団のものと考えて間違いないでしょう」
「つまり、あいつらは途中まで同じ経路を進んでいたのか……
やはり、連携を取っていたのに間違いはないな」
ライアンが眉をひそめる。
「その可能性が高いです」
隊長は頷き、先を続ける。
「我々はそのまま北西へ向かい、さらに奥へ踏み込みました」
そこで一度言葉を切る。
「途中、山側でオークの集落を発見しています」
「集落だと?」
「規模は小さいですが、明らかに定住を始めていました。おそらく西門を襲った軍勢の生き残りでしょう」
会議室がざわつく。
オークは放置すれば増える。
しかも拠点化を始めているとなれば問題は小さくない。
「戦闘は?」
「避けました。今回の依頼目的は調査です」
隊長は即答した。
「こちらから仕掛ける理由はありませんでした」
それについて異論は出ない。
オーク退治なら別任務で済む話だ。
問題はその先にあった。
「森の奥へ進むにつれて、周辺の様子が変わり始めました」
隊長の声が低くなる。
「普段なら見かけない魔物が増えていました」
「どんな魔物だ?」
「ウルフの大型個体や、リザード系の上位種です」
隊長は地図をなぞりながら続ける。
「そして、その辺りから進路の周辺で大量の死骸、それも数ヶ月以上経ったと思われるものを見かけるようになりました」
「死骸?」
「ゴブリンが大半です」
隊長は地図の一点を示した。
「食い散らかされてほとんど白骨化していましたが、現場の状況から見て、おそらく生きたまま喰われたものと思われます」
「オーガやオークどもの進軍中の食料にされたか?」
「おそらくは――」
隊長は頷く。
「ウルフやリザードなどは、その後からやってきて、その周辺に居ついたものではないかと……」
「それで、生き残ったオークどもが、その手前を新たな縄張りにしたということか」
ライアンの推論に皆が「なるほど」と頷く。
「ですが異常なのはそこから先です――」
会議室の全員が自然と身を乗り出した。
「さらに奥へ進むと、魔力濃度が急激に上がり始めました」
ライアンの表情が変わる。
森の魔力濃度が上がる――
それは魔物の強化と直結する話だ。
「周辺を徘徊していた魔物も明らかに変質していました」
「どんな連中だ?」
「ミノタウロスです」
誰かが息を呑む。
会議室が静まり返った。
「しかも一体ではありません」
隊長は苦い顔をした。
「複数、存在を確認しました」
ミノタウロスは都市近郊で遭遇するような魔物ではない。
それが複数――
森のさらに奥とはいえ、通常の生息域から外れた場所だった。
「我々の戦力では、それ以上の前進は危険と判断しました」
隊長は静かに続ける。
「帰路を確保するためマーキングを行いながら撤退しています」
誰もそれを責めなかった。
今回の探査隊は、斥候を中心としたメンバーで構成されている。
むしろ、無理をせず生きて戻ったことは正しい判断だった。
数秒の沈黙。
そして隊長は小さく息を吐く。
「……これから言うのは、何の確証もない俺個人の所見なんだが」
その一言に、会議室の視線が一斉に集まった。
隊長はゆっくりと言葉を続ける。
「ダンジョンが発生しているのではないだろうか」
一瞬、誰も言葉を発しなかった。
次の瞬間、会議室が騒然となる。
「ダンジョンだと!?」
「そんな馬鹿な!」
「何か、それらしい兆候でもあったのか!?」
隊長は静かに首を振った。
「もう一度言う。確証は一切ない。強いて言うなら、あの領域に足を踏み入れた時の感覚だ」
そこで一度言葉を切る。
「あの空気を、俺は一度だけ知っている」
隊長はゆっくりと視線を落とした。
「まだ新人だった頃、クラン《翼》がダンジョンを踏破した任務に随行したことがある。その時に感じた空気と、あまりにも似ていた」
会議室が静まり返る。
隊長は経験を誇張するような男ではない。
だからこそ、その言葉には重みがあった。
ライアンが腕を組んだまま口を開く。
「……いや」
「異常な魔力濃度、高位魔物の増加、そして魔物の活動範囲の拡大。ダンジョンだと考えれば全部つながる」
ギルドマスターは腕を組んだまま黙り込んだ。
――もし本当にダンジョンなら。
あの日のオーガとオークの軍団襲撃も。
いまなお森で続いている異変の数々も。
すべて一つの原因から始まっていたことになる。
そして、その先に待つものは――
クルドの街を飲み込む、さらなる厄災かもしれなかった。
一方その頃。
マキは森の中で、別の意味で大騒ぎしていた。
「もう一回だ」
『オー』
「今度は少し離れてみろ」
バーツは近くの枝へ飛び移る。
マキは意識を集中して、バーツの魔力に同調を試みる。
次の瞬間、視界が切り替わる。
「うおっ!?」
慌てて目を閉じる。
今見えていたのは自分の視界ではない。
バーツの見ている景色だった。
もう一度試してみる。
今度は最初から目を閉じた。
視界が切り替わる――
高い位置から森を見下ろしている感覚。木々の隙間から、森の地面が見える。
その先には、自分の身体がはっきり映っていた。
「視覚の共有まで出来るのかよ……」
思わず頭を抱える。
試してみれば試してみるほど、出来ることが増えていく。
念話は問題なく成立した。
風魔法も使える。
しかも、ただ使えるだけではない。
契約による繋がりを通して魔力を流せば、バーツの放った風刃へ自分の魔力を重ねることができる。ある程度なら軌道の誘導まで可能だった。
その結果、危うく木を一本倒しかけた……悪いことをした。
「……後で謝っとくか」
「?」
バーツは意味が分からないらしい。
首を傾げながら尻尾を揺らして、こちらの様子をうかがっている。
その様子を見ていると、なんだか昔の後輩たちを思い出し、思わず苦笑が漏れた。
「しかしなぁ……」
普通の従魔じゃない気がする。
念話で意思疎通が図れるだけでも十分珍しい。
それなのに風魔法まで扱い、感覚共有のような真似まで出来る。
どう考えても説明がつかなかった。
だが、不思議と嫌な感じはしない。
むしろ面白い――
久しぶりに未知のものへ触れている感覚だった。
気がつけば半日近く実験を続けていた。
さすがに少しやりすぎたかもしれない。
マキは枝の上へ座るバーツを見上げた。
「悪いな。無理させたか?」
バーツは少し考えるような仕草を見せた後、たどたどしく念話を返してくる。
『オモシロイ』
そして少し間を置き、
『ダイジョブ』
と続けた。
マキは思わず吹き出した。
「そっか……ありがとよ」
返事を聞いたバーツは満足そうに胸を張る。
そんな得意げな様子が妙に可笑しくて、マキはもう一度小さく笑った。
「よし――」
マキは軽く頬を叩いて気合いを入れた。
「じゃあ休み休みやるか。まだ試したいことが山ほどある」
『オー!』
元気な返事が返ってくる。
どうやら、当分は賑やかな日々が続きそうだった。
だが、それも悪くなかった。
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