第十話 ……ケイト
激突した瞬間、凄まじい衝撃が周囲へ弾け飛んだ。
オーガキングの棍棒が唸りを上げて振り下ろされる。
ライアンは正面から受けた。
「ぐっ……!!」
両腕へ凄まじい重量が食い込む。
まともに受け切れる重さではない。
足元の瓦礫が砕け、地面へ深く靴跡が沈む。
それでも、潰される前に力を流した。
半歩ずらし、軌道を逸らす。
それと同時に力強く踏み込む。
大剣が閃き、オーガキングの脇腹を斬り裂いた。
――だが浅い。
分厚すぎる筋肉が致命打を阻む。
「硬ぇな……!」
舌打ちしながら距離を取る。
直後、棍棒が横薙ぎに振り抜かれた。
まるで暴風のような一撃。
ライアンは咄嗟に飛び退く。
先ほどまでいた場所の瓦礫がまとめて吹き飛んだ。
地面が抉れる――
「ちっ……!」
速い――
巨体に似合わない速度だった。
ただ単に力が強いだけではない。
戦い慣れてもいる。
油断すれば一撃で終わる。
だが――。
ライアンの灰色の瞳が細まる。
見えてきた。
踏み込みの癖。
振り抜く瞬間の重心移動。
左側へ荷重が偏るタイミング。
観察するたび、少しずつ噛み合っていく。
再び踏み込む――
今度は真正面からではない。
棍棒の死角へ潜り込み、一撃、二撃、三撃と連続で斬り込む。
肩。
脇腹。
太腿。
確実に傷が深くなっていく――
「グォォォオオオ!!」
オーガキングが怒号を上げた。
反撃の棍棒が地面を叩き割る。
瓦礫が爆ぜ飛ぶ。
だがライアンは止まらない。
距離を離し、また詰める。
重い一撃を躱しながら、少しずつ傷を積み重ねていく。
周囲の冒険者たちは、固唾を呑んでその戦いを見守っていた。
誰も割って入れない。
次元が違う――
轟音のような激突を何度も繰り返しながら、ライアンとオーガキングは互いに消耗を深めていく。
一瞬でも目を離せば命を落とす。
そんな極限の打ち合いだった。
だが――終わりの見えなかった死闘も、少しずつ均衡が崩れ始めていた。
オーガキングの動きが、わずかに鈍る。
右足の踏み込みが浅い。
肩の動きも落ちている。
「……そこだ」
ライアンの目が鋭く光る。
地面を蹴った。
これまでで最も深く踏み込む。
全身の力を、腰から腕へ。
その力を剣に込めて叩き込む。
「はあああぁっ!!」
渾身の一撃――
大剣が、オーガキングの胸元へ深々と食い込んだ。
分厚い筋肉を断ち割り、骨を砕き、ついに致命へ届く。
巨体が、大きく揺らいだ――
「がああああっ!!」
断末魔の咆哮――!!
同時に、オーガキングの巨体が大きく前のめりに傾いだ。
「――っ!」
致命傷――
誰の目にもそう見えた。
だが、そのまま終わる相手ではなかった。
振り上げられていた棍棒が、最後の力を振り絞るように叩きつけられる。
構えも技術もない――
ただ膂力だけで振り抜かれた、捨て身の一撃だった。
「くっ……!!」
ライアンは咄嗟に身を捻る。
直撃だけは避けた。
だが、完全には逃れきれない。
直撃こそ外したものの、振り抜かれた棍棒の衝撃は甘くなかった。
凄まじい衝撃が全身を打ち抜き、ライアンの身体が吹き飛ぶ。
地面を何度も転がり、最後は瓦礫へ激突してようやく止まった。
「ぐ……っ!」
肺の空気がまとめて吐き出される。
視界が揺れる――
それでも、無理やり顔を上げた。
その先で――
オーガキングの巨体が、ゆっくりと崩れ落ちる。
轟音とともに、オーガキングの巨体が地面へ倒れ伏した。
巨体が地へ沈み、戦場が一瞬だけ静まり返る。
「……倒した、か……」
荒い呼吸の合間に、ライアンが掠れた声で呟く。
その瞬間、張り詰めていた前線の空気が一気に緩んだ。
「ライアン様!!」
後方から悲鳴混じりの声が飛ぶ。
第二防衛線の内側から、かしまし娘たちが駆け出してくるのが見えた。
「大丈夫ですか!?」
「今、回復を――!」
防衛線の隙間を争うように抜け、倒れ伏したキングの前を横切るように前へ出る。
「来るな――!!」
ライアンが叫ぶ。
ようやく緊張から解放された彼女たちは、倒れ伏したオーガキングを見て完全に勝利したと思っていた。
ライアンの制止より早く、安堵したまま駆け出してしまっている。
前線ではまだ雑魚オーガとの戦闘が続いていることすら見えていないのだろう。
だがその時――
倒れ伏していた巨体が、不意に痙攣した。
「――っ」
ライアンの背筋が凍る。
オーガキング――
まだ、死んでいないのか――!?
濁った目が、動く。
ゆっくりと――
棍棒を、持ち上げる。
狙いは――
無防備なまま、かしまし娘たちがオーガキングのすぐ脇を駆け抜けようとしている。
「やめろ……!!」
ライアンは咄嗟に叫び、無理やり立ち上がろうとした。
――だが、限界まで消耗した足が言うことを聞かない。
踏み出しかけた身体が大きく揺れ、そのまま膝をつく。
距離が遠い――
今から走っても、とても間に合わない。
伸ばした手は、届く前に空を切る。
(届かない――!!)
――その瞬間。
一陣の風が戦場を駆け抜けた。
舞い上がる土煙。
次の瞬間には、ライアンとかしまし娘たちの間へ、一つの影が滑り込んでいた。
「――ケイト!!」
気づけば、叫んでいた。
なぜケイトの名を呼んだのか、自分でも分からない――
考えるより先に、心が反応していた。
あの背中を見た瞬間、胸の奥に残り続けていた名前が――
影はそのまま踏み込み、流れるような動きで剣を振るった。
鋭い斬撃が一閃する――
それは、何度も見てきた剣筋だった。
次の瞬間、オーガキングの首が宙を舞った。
今度こそ、終わった――
オーガキングの首が地面へ転がり、戦場から動く気配が消える。
直後、それまで響いていた怒号や金属音が、嘘のように遠のいた。
誰もが息を呑み、その場へ視線を向ける。
そんな静まり返った戦場の中で――
影が、ゆっくりと肩越しに振り返った。
見えたのは、横顔だけだった。。
それでも――
間違いない。
「……ケイト……」
肩越しに見えた横顔――
浮かぶ笑みは、昔と何も変わっていなかった。
無茶をする仲間を見るたびに浮かべていた、あの少し困ったような笑い方。
――何も言わない。
それでも、その笑みだけで……
「まだ立てるな…」と背中を押された気がした。
ライアンが思わず一歩踏み出しかける。
だが、その瞬間――
一陣の風が吹き抜け、舞い上がった土煙が視界を覆った。
次に見えた時には、もうそこに姿はない。
まるで最初から存在していなかったかのように。
「……っ」
ライアンは、その場に崩れそうになるのをこらえる。
剣を地面に突き立てる。
「……なんでだよ……」
ライアンは、絞り出すように呟いた。
当然、答えが返ってくるはずもない。
それでも、脳裏に焼き付いた光景が離れない。
振り下ろされる棍棒の前へ、迷いなく滑り込んできた背中。
一瞬で戦場を切り裂いた剣筋。
………そして、昔と変わらない笑い方。
見間違えるはずがない。
何度も隣で見てきた。
憧れて、追いかけ続けて、それでも届かなかった人の背中だった。
強くて、ぶっきらぼうで。
それでも、ふとしたときに見せるあの笑い方に――
少しだけ、目を奪われていた。
子どもの憧れで済ませたつもりだった――
もう、とっくに………
だが――――
「……くそ……」
押し殺すような声が、ライアンの喉から漏れた。
消えたはずだと思っていた想いが、胸の奥から溢れ出でまた形を取り戻していく。
あの姿を見せられて、何も感じないわけがなかった。
「……なんで、今さら……」
誰にも届かない声が、静かに落ちた――
「俺が頼りないから……助けに来たのかよ」
掠れた笑い混じりの声がこぼれる。
――死んだはずなのに………
それでも、あの人はまた自分の前に現れてしまった。
ライアンはしばらく黙ったまま、その姿が消えた場所を見つめる。
やがて、ゆっくりと目を閉じた。
――死んだ。
そう聞かされていた。
自分でも、そう納得しようとしてきた。
だが――
「……いや」
掠れた声とともに、わずかに顔を上げる。
胸の奥で、消えかけていた何かが熱を取り戻していく。
「もしかして……あの人……」
誰にも届かない声が、静かに零れた。
「……生きて…る、のか……?」
少し離れた瓦礫の陰で、マキは小さく息を吐いた。
「……ギリギリだったな」
呟きながら、維持していた幻影魔法を静かに解いていく。
輪郭を覆っていた魔力が霧のようにほどけ、無理やり引き上げていた身体能力もゆっくり元へ戻っていった。
身体の奥がじんわり熱い。
広域探査に補助魔法、さらに幻影まで重ね続けた反動で、魔力の消耗も決して軽くはない。
「まだまだ甘いけど……ま、上出来か」
苦笑しながら肩を回す。
そのまま視線を遠くへ向けた。
崩れた第一ゲートの前。
土煙の残る戦場の中で、ライアンがしっかりと立っている。
満身創痍だ。
それでも、もう膝をついてはいなかった。
「……」
マキは、一瞬だけ目を細める。
(ちゃんと自分の足で立ってるじゃないか)
昔は、転びながらでも必死についてきていた。
無茶をしては怒られ、それでも食らいついてきた。
そんな少年が、今では街を背負って前に立っている。
その事実に、胸の奥が少しだけ軽くなる。
「さて……」
それ以上は見なかった――
くるりと背を向け、マキは軽く笑う。
「もうひと仕事くらいは、しとくか」
まだ残党狩りも残っている。
負傷者の救助もあるだろう。
放っておけば無理をする連中も多い。
「……まあ、ほどほどにしとかないとね」
今の自分は、“マキ・クラーク”。
ケイト・クラークではない――
その線引きを、自分で崩すわけにはいかなかった。
マキはそのまま、誰にも気づかれないまま戦場を離れていく。
――ただ一人。
“もう一人の自分”として。




