第23話:アルトとの断絶未遂
廊下を歩く。
いつもと同じ時間。
いつもと同じ経路。
いつもと同じ流れ。
——のはずだった。
「……」
足が、わずかに止まる。
違和感。
理由は、はっきりしている。
いない。
そこにいるはずの人物が。
壁際。
いつも、同じ位置。
同じ距離。
同じ無表情。
——アルト。
だが。
今日は、いない。
「……」
見間違いではない。
時間も合っている。
ズレていない。
それでも。
いない。
ただ、それだけのこと。
それだけのはずなのに。
胸の奥に、わずかな空白が生まれる。
「……」
そのまま、歩き出す。
立ち止まる理由はない。
予定もある。
問題は、ない。
——問題は、ないはず。
講義室へ向かう。
扉を開ける。
席に着く。
すべて、いつも通り。
だが。
どこか、噛み合っていない。
ほんのわずかに。
歯車がズレているような感覚。
「……」
講義が終わる。
人の流れに乗って、廊下へ出る。
ふと。
視線が、あの場所へ向く。
——いるはずの位置。
だが。
やはり、いない。
「……」
今度は、はっきりと感じる。
違和感ではなく。
“欠落”。
偶然。
すれ違い。
何気ない会話。
それらが。
きれいに、消えている。
「……偶然が」
小さく、呟く。
言葉にすることで、輪郭が浮かび上がる。
「……消えている?」
そのまま、歩き続ける。
中庭へ出る。
風が吹く。
光が差す。
人の気配が流れる。
——整っている。
あまりにも、整いすぎている。
誰と会うか。
どこで止まるか。
何が起きるか。
すべてが、滑らかに繋がっている。
引っかかりが、ない。
ズレが、ない。
“余白”が、ない。
「……」
歩みを止める。
ゆっくりと、周囲を見渡す。
完璧な流れ。
だが。
その中に、“あの存在”だけが含まれていない。
意図的に。
排除されたかのように。
「……」
胸の奥が、わずかに重くなる。
理由は、分かっている。
考えたくなくても。
結びついてしまう。
——セラフィーナ。
あの言葉。
あの視線。
あの“修正”。
そして。
あの理論。
「……」
そのとき。
背後から、静かな足音。
振り向くまでもない。
分かる。
セラフィーナ。
いつの間にか、そこにいる。
自然に。
正確に。
まるで、この瞬間に現れることが決まっていたかのように。
「何か、お探しで?」
穏やかな声。
優しい響き。
だが。
逃げ道はない。
「……いいえ」
短く返す。
だが。
その一瞬の間を。
見逃さない。
「そう」
セラフィーナは微笑む。
すべて理解しているかのように。
「無駄な接触は、減らしましたわ」
あまりにもあっさりと。
当然のように。
言い切る。
「……減らした?」
問い返す。
確認するように。
だが。
答えは、すでに分かっている。
「ええ」
セラフィーナは頷く。
迷いなく。
揺らぎなく。
「不要な分岐は排除すべきですわ」
その言葉が、静かに突き刺さる。
不要。
分岐。
排除。
すべてが、理にかなっている。
すべてが、正しい。
だからこそ。
否定しづらい。
「……あれは」
言葉を探す。
形にしようとする。
「……不要、なのですの?」
ようやく出た問い。
曖昧で。
確信のない言葉。
セラフィーナは、ほんのわずかに目を細める。
そして。
静かに答える。
「結果に寄与しない要素は、すべて不要です」
即答。
迷いはない。
「むしろ、誤差を増やす要因となります」
淡々と。
事実として。
切り捨てる。
「……」
胸の奥が、わずかに軋む。
誤差。
無駄。
排除。
それは。
かつて、自分が使っていた言葉。
自分自身の思考。
——否定できない。
それでも。
「……それでも」
小さく、呟く。
言葉にならない感覚を、掴もうとする。
だが。
形にならない。
理由が分からない。
説明できない。
ただ。
消えてほしくないと、思っているだけ。
「……理解できませんのね」
セラフィーナが、静かに言う。
責めるでもなく。
ただ、確認するように。
「……ええ」
否定しない。
できない。
分からないものは、分からない。
それが、事実。
「では、いずれ理解できますわ」
穏やかな声。
優しい響き。
だが。
そこに、選択の余地はない。
「修正は、進行していますから」
その一言で。
すべてが、確定する。
この世界は。
もう。
自由ではない。
「……」
セラフィーナは、背を向ける。
迷いのない歩み。
一直線の軌道。
——完璧な存在。
その背中が、遠ざかっていく。
「……」
残された静寂。
風が、静かに吹く。
何も変わらない景色。
だが。
ひとつだけ、確実に変わっている。
“偶然”が、消えた。
出会いが、消えた。
不確定が、消えた。
——あの存在と共に。
「……」
胸の奥に残る、わずかな感覚。
名前は、まだ分からない。
理由も、説明できない。
それでも。
確かに、そこにある。
消えていない。
削れていない。
残っている。
“不要”とされたはずのものが。
(第23話 終)




