第13話:アルトとの対比
夕方の廊下。
窓の外は、ゆっくりと色を落とし始めている。
足音が、静かに響く。
——予定はない。
正確には。
“予定に縛られていない時間”。
「……」
歩きながら、ふと足を止める。
視線の先。
壁際に、ひとり。
アルトが立っていた。
前と同じ場所。
同じように、何もせず。
ただ、そこにいる。
——非効率。
本来なら、関わる理由はない。
得られる評価もない。
上昇する好感度もない。
結果に繋がらない。
それでも。
なぜか。
視線が、外れない。
「あなた」
声をかける。
アルトが、ゆっくりとこちらを見る。
変わらない表情。
読み取れない視線。
だが。
その“何もなさ”が、逆に強く残る。
「……何か」
短い返答。
無駄がない。
けれど。
どこか、拒絶もしない。
「一つ、伺ってもよろしいかしら」
「どうぞ」
即答。
間がない。
それでいて、急かす感じもない。
不思議な距離感。
「あなたは——」
一瞬、言葉を選ぶ。
普段なら、選択肢が浮かぶはずの場所。
だが、何も出てこない。
だから。
そのまま、口にする。
「誰かを好きになったことは?」
問いは、単純。
だが。
自分でも理由が分からない。
なぜ、この質問をしたのか。
アルトは、すぐには答えなかった。
わずかな沈黙。
ほんの一拍。
その“考える時間”が。
なぜか、意識に残る。
「……分かりません」
返ってきたのは、短い言葉。
曖昧で。
不完全で。
結論にもなっていない答え。
——普通なら。
価値のない返答。
会話としては、不成立。
広がらない。
深まらない。
意味がない。
……はずなのに。
「……そう」
自然に、言葉が続く。
否定もしない。
評価もしない。
ただ、受け取る。
それだけで。
会話が、途切れない。
「では」
続ける。
少しだけ、踏み込むように。
「好きとは、どういうものだと思いますの?」
また、曖昧な問い。
定義もない。
正解もない。
——選ぶ理由のない質問。
アルトは、わずかに視線を落とす。
考えている。
その時間が、静かに流れる。
「……分かりません」
同じ答え。
変わらない言葉。
——それでも。
先ほどとは、少し違う。
ほんのわずかに。
迷いのようなものが、混じっている。
「……そう」
もう一度、同じ言葉を返す。
それ以上、何も言わない。
沈黙が落ちる。
だが。
それは、空白ではない。
埋める必要のない時間。
ただ、そこにあるもの。
「……」
胸の奥に、何かが残る。
はっきりとは掴めない。
だが。
確かに、残っている。
さっきの言葉。
短くて。
曖昧で。
不完全な答え。
それなのに。
消えない。
薄れない。
むしろ。
ゆっくりと、沈んでいく。
深く。
静かに。
「……どうして」
小さく、呟く。
自分に向けて。
答えを求めるように。
思い出す。
王子の言葉。
あの告白。
「私は、君を愛している」
完璧で。
美しくて。
正しくて。
——そして。
軽かった。
同じ言葉を、二度聞いた。
その瞬間。
重さは、失われた。
価値は、削れた。
残らなかった。
……それに対して。
今の会話。
意味も曖昧で。
結論もなくて。
正解もない。
それなのに。
なぜか。
消えない。
「……こちらの方が、残るのかしら」
静かに、言葉にする。
理解できないまま。
納得もできないまま。
ただ。
事実として。
そこにある。
完璧なものは、滑り落ちていく。
不完全なものは、引っかかる。
残る。
離れない。
「……」
アルトは、何も言わない。
問い返さない。
評価もしない。
ただ。
そこにいる。
それだけで。
この時間は、確かに存在している。
消えないまま。
曖昧なまま。
形を持たないまま。
——残っていく。
(第13話 終)




