解像度を上げろ、ポテチの裏側に 「世界」が透ける前に ――令和の第三次石油ショックは、ガソリンスタンドじゃなく、スーパーの棚から始まった――
◆解像度を上げろ、
ポテチの裏側に
「世界」が透ける前に
――令和の第三次石油ショックは、
ガソリンスタンドじゃなく、
スーパーの棚から始まった――
………
節約要請は、
まだ出ていなかった。
政府のおじさんたちは、
テレビでこう言った。
「現時点では、
国民に追加の節約を
お願いする段階ではありません」
ネクタイは曲がっていない。
表情も落ち着いている。
後ろのパネルもきれいだった。
でも。
スーパーの棚は、
もう完全にバグっていた。
ポテチが白黒。
かっぱえびせんは、
色を抜かれたゾンビみたい。
おかきは透明袋。
そこに白いシールが一枚。
「ご自由にお書きください」
高校一年生のゆづきは、
スマホを構えた。
「うわ、マジで?
これエモすぎワロタ。
ミニマルアートじゃん。
VSCOフィルター
かけたらバズるわ」
その瞬間。
六十七歳の元証券マンの
おじいちゃんが、
ポテチの袋を無言で奪い取った。
「エモいじゃねえ。
これは敗北宣言じゃ」
「は?」
「お前が見てる
『おしゃれ白黒』はな、
インク買えねえ、
ナフサ買えねえ、
フィルム買えねえ
社会の死に顔なんじゃよ」
「じいちゃん、
いきなり重すぎ」
「重いんじゃない。
現実が軽すぎるふりを
しとるだけじゃ」
ゆづきのスマホが止まった。
おじいちゃんは、
白黒の袋を指で叩いた。
「世界がバグり始めたとき、
最初に消えるのは、
iPhoneでも旅行でもない」
「じゃあ何?」
「彩りじゃ」
「彩り?」
「ポテチの赤。
ケチャップのトマト。
ハムのパッケージのピンク。
ビスケットの派手袋。
あれ全部、
社会にまだ余裕があった
証拠なんじゃ」
ゆづきは、
ポテチの袋をまじまじと見た。
さっきまで、
かわいいと思っていた。
けれど今は、
それがレントゲン写真に見えた。
中身はまだある。
でも外側が死んでいる。
………
★目次
■第一章
エモい白黒袋
■第二章
透明なおかきと白い余白
■第三章
ケチャップからトマトが消えた日
■第四章
ミレービスケットは焼けた
■第五章
NISAの数字より、カレー粉の重さ
■第六章
ボーナス払いという時限爆弾
■第七章
昼のコンビニ景気指数
■第八章
コピー機は十円で町を支えていた
■第九章
所有できない世代
■第十章
エアコンは買えた。でも使えない
■第十一章
車検場の赤い警告灯
■第十二章
漁師は船を出さなかった
■第十三章
普通の袋がなかった
■第十四章
ナイジェリアの七割
■第十五章
夜景はまだ明るかった
■第十六章
節約要請は、まだ出ていなかった
❥Z世代のあなたへ
★あとがき
ホームズとワトソンのメタ認知漫才
■第一章
エモい白黒袋
スーパーの菓子コーナーで、
ゆづきは
テンションが上がっていた。
「これTikTokで、
『昭和フィルター再現してみた』
って言ったら絶対ウケる」
おじいちゃんは即答した。
「ウケる前に日本が死ぬわ」
「じいちゃん、暗すぎ」
「暗いんじゃない。
現実じゃ」
ゆづきは白黒のポテチ袋を、
スマホで撮ろうとした。
おじいちゃんは止めた。
「いいか。
昔の石油ショックは、
燃料が足りなかった」
「うん」
「今は素材が足りない」
「素材?」
「袋を作る石油。
インクを作る石油。
運ぶ石油。
冷やす電気。
売り場を照らす電気。
全部、
石油から伸びた
根っこなんじゃ」
「ポテチの袋って、
そんな大ごとなの?」
「大ごとじゃ。
ホルムズ海峡が詰まったら、
ガソリンスタンドだけが
困ると思うじゃろ?」
「違うの?」
「違う。
お前の言う
『エモ白黒』が
日常になる」
ゆづきはカメラを下ろした。
今まで棚は、
ただの棚だった。
今日は違った。
スーパーの棚が、
世界経済の
ダッシュボードに見えた。
白黒ポテチ。
色抜けえびせん。
透明おかき。
どれも、
政府の会見より正直だった。
おじいちゃんは言った。
「政府はまだ大丈夫と言う。
でも袋はもう、
大丈夫じゃない顔をしとる」
「袋に顔あるん?」
「ある。
商品の顔じゃ。
今、
その顔色が悪い」
ゆづきは、
もう一度棚を見た。
ポテチは何も言わない。
でも、
ものすごく
しゃべっている気がした。
❥Z世代のあなたへ
「エモい」
「ミニマル」
「逆におしゃれ」
そう言う前に、
一回だけ止まって見てほしい。
それは本当にデザインなのか。
それとも、
社会が削った結果なのか。
これからの時代に必要なのは、
TikTokの解像度だけじゃない。
生活の解像度だ。
■第二章
透明なおかきと白い余白
次の棚には、
透明な袋のおかきが並んでいた。
中身が丸見え。
袋には商品名もない。
派手なイラストもない。
「サクサク!」もない。
「うま塩!」もない。
裏に白いシールが一枚。
原材料。
製造者。
賞味期限。
アレルギー表示。
それだけ。
表にはこう書かれていた。
「ご自由にお書きください」
ゆづきの目が光った。
「これ、かわいすぎ!
推し活に最強じゃん。
自分だけのおかき
作れるってことでしょ?」
棚の見本には、
黒いマジックでこう書いてあった。
がんばれ赤組!
別の袋には、
おばあちゃんへ。
いつもありがとう。
さらに別の袋には、
子どもが描いたらしい、
謎の丸い生き物。
ゆづきは笑った。
「これ絶対バズる。
メッセージおかき、
天才じゃん」
おじいちゃんもうなずいた。
「企業は天才じゃ」
「でしょ?」
「足りないものを、
参加型コンテンツに
変換した。
インスタ映えする
危機管理じゃ」
「褒めてる?」
「褒めとる。
でも、目は笑えん」
おじいちゃんは、
白いシールを指さした。
「これは余白に見えるじゃろ?」
「うん」
「本当は空白じゃ」
「空白?」
「印刷する金も、
インクも、
専用袋も、
安定した納期もない。
だから企業は、
お前らに
描かせることにした」
ゆづきは黙った。
おじいちゃんは続けた。
「『自由に書いてね♡』
の裏側はな、
『すみません、もう無理です』
なんじゃよ」
「その言い方やめて。
かわいいおかきが
急にホラーになった」
「ホラーじゃない。
経済じゃ」
ゆづきは、
白いシールを指でなぞった。
そこに何を書くか考えた。
がんばれ赤組。
いや、違う。
がんばれ日本。
いや、
それも違う。
ゆづきは心の中で、
黒いマジックを握った。
そしてこう書いた。
ちゃんと気づけ、このバカ。
❥Z世代のあなたへ
企業はすごい。
不足を遊びに変える。
コスト削減をデザインに変える。
危機を「参加型」に変える。
でも、
そこで止まったら負けだ。
かわいいの裏側を見ろ。
そこにあるのは、
余白じゃない。
社会の空白かもしれない。
■第三章
ケチャップから
トマトが消えた日
ケチャップ売り場で、
ゆづきはまた笑った。
「ケチャップ会社なのに、
トマト描くの
ケチってるww」
ラベルの
トマトの絵が減っていた。
前はもっと赤かった。
もっとおいしそうだった。
もっと、
「私はトマトです!」
と叫んでいた。
今は静かだ。
おじいちゃんは、
ケチャップを一本手に取った。
「中身を守るために、
顔を削ったんじゃ」
「顔って
さっきから言うけど、
ケチャップの顔って
トマトなの?」
「そうじゃ。
その顔を削るということは、
かなり追い込まれとる」
「でも
ケチャップって
トマトでしょ?
石油関係ある?」
おじいちゃんは笑った。
「あるどころか、
石油まみれじゃ」
「え、
ケチャップまで石油なの!?」
「トマトを育てる。
肥料を使う。
収穫する。
工場へ運ぶ。
洗う。
つぶす。
加熱する。
水分を飛ばす。
濃縮する。
殺菌する。
酢や砂糖や塩を混ぜる。
プラスチック容器に詰める。
ラベルを貼る。
段ボールに入れる。
トラックで運ぶ」
ゆづきは、
ケチャップのボトルを見た。
「めちゃくちゃ工場じゃん」
「そうじゃ。
ケチャップは、
畑から来た顔をしとるが、
実際は
エネルギーを食った
加工食品じゃ」
ゆづきは、
今までケチャップを
誤解していた。
赤いから、
自然な感じがしていた。
トマトの絵が描いてあるから、
畑の延長だと思っていた。
でも本当は違った。
ケチャップは、
農業、工場、熱、電気、軽油、
容器、印刷、物流が、
一本のボトルに
詰まったものだった。
「つまり、
トマトの絵が
減ったってことは」
ゆづきが言うと、
おじいちゃんがうなずいた。
「中身を作る力も、
外側を飾る力も、
同時に痩せ始めたと
いうことじゃ」
ゆづきは、
ケチャップを棚に戻した。
ラベルの赤が、
前より薄く見えた。
❥Z世代のあなたへ
「食べ物」は、
食べ物だけでできていない。
容器。
ラベル。
工場。
電気。
熱。
軽油。
冷蔵。
物流。
その全部がそろって、
ようやく君の食卓に来る。
これからは、
中身だけ見るな。
中身が届くまでの道を見ろ。
■第四章
ミレービスケットは焼けた
ニュースが流れた。
高知のミレービスケット、
一部商品が生産停止。
ゆづきは言った。
「材料がないの?」
おじいちゃんは首を振った。
「袋じゃ」
「袋?」
「ビスケットは焼けた。
でも袋が来ない。
だから出せない」
ゆづきは、
一瞬理解できなかった。
「え、
焼けてるのに?」
「焼けとる」
「じゃあ食べられるじゃん」
「裸で売るんか?」
「……無理か」
「湿気る。
割れる。
賞味期限が貼れん。
バーコードがつかん。
原材料表示もできん。
棚に並べられん」
ゆづきは、
透明おかきの白いシールを
思い出した。
商品は、
中身だけでは商品にならない。
包む。
表示する。
運ぶ。
並べる。
売る。
そこまで行って、
初めて商品になる。
おじいちゃんは言った。
「これが本当の食料危機じゃ」
「畑が枯れるんじゃなくて?」
「それもある。
肥料が足りなければ、
来年の畑は痩せる。
でも今起きとるのは、
包装が●ぬ食料危機じゃ」
「包装が●ぬ」
「そうじゃ。
畑は青い。
工場も焼ける。
でも袋がない。
それで売れない」
ゆづきは、
ゾッとした。
食料危機とは、
米が全部なくなることだと
思っていた。
でも違った。
あるのに出せない。
作れるのに売れない。
焼けたビスケットが、
袋の前で止まる。
それは、
ものすごく
現代的な怖さだった。
おじいちゃんはつぶやいた。
「政府は総量を語る。
現場は袋を待つ。
庶民は棚を見る。
一番正直なのは、
棚の空白じゃ」
❥Z世代のあなたへ
「食料があるか」
だけでは足りない。
包めるか。
表示できるか。
冷やせるか。
運べるか。
棚に並ぶか。
そこまで見て、
初めて「食べ物がある」と
言える。
現代の食料危機は、
畑ではなく、
袋から始まることがある。
■第五章
NISAの数字より、
カレー粉の重さ
カレー棚の前で、
若い女性が立ち止まっていた。
手には、
いつものカレー粉。
値札は四百六十六円。
女性は一度、
それをカゴに入れた。
そして、
すぐ戻した。
ゆづきは見てしまった。
女性は特価ワゴンへ行った。
二百八十八円。
それを手に取って、
裏の内容量をじっと見ている。
「安いけど、
グラム少ないのかな」
ゆづきがつぶやくと、
おじいちゃんは言った。
「買い物が、
相場を見る仕事に
なったんじゃ」
そのとき、
女性のスマホに通知が出た。
NISA積立完了。
ゆづきは、
見てはいけないものを
見た気がした。
未来の自分には、
毎月五万円を送っている。
でも、
今日の自分は、
四百六十六円のカレー粉を
棚に戻している。
「なんか、変じゃない?」
ゆづきが言うと、
おじいちゃんは言った。
「変じゃ。
でも、若い人は悪くない。
将来が怖いから、
未来に先払いしとるんじゃ」
「でも今日のごはんは?」
「そこが問題じゃ」
おじいちゃんは、
カレー粉の箱を持ち上げた。
「画面の中の資産が増えても、
それで買える
カレー粉の数が減っとったら、
何が増えたと
言えるんじゃろうな」
ゆづきは黙った。
「数字は増える。
でも物理は減る。
評価額は増える。
でも胃袋は満たされん。
お前が信じとる数字と、
目の前のカレー粉。
どっちが
嘘をついとると思う?」
ゆづきは、
答えられなかった。
スマホの中の百万円は軽い。
カレー粉の箱は小さい。
でも、
今日はカレー粉の方が重かった。
❥Z世代のあなたへ
マネーリテラシーは大事だ。
でもこれからは、
現物リテラシーが
もっと大事になる。
画面の中の数字が増えても、
米、卵、味噌、カレー粉、
灯油、部品が買えなければ、
生活は守れない。
数字と物理。
両方見ろ。
■第六章
ボーナス払いという時限爆弾
父ちゃんは、
カードの明細を見ていた。
ボーナス払い。
二十万円。
去年買った家電。
子どもの教材。
春に買ったスーツ。
スマホの周辺機器。
全部、
夏のボーナスで
払うつもりだった。
だが、
会社の朝礼で社長が言った。
「今年の夏のボーナスは、
すまん」
理由は単純だった。
仕事はある。
でも材料が来ない。
ユニットバスが来ない。
接着剤が来ない。
配管が来ない。
塗料が来ない。
壁紙が来ない。
工事は終わらない。
請求書を出せない。
入金が遅れる。
売上はあるはずなのに、
現金が入らない。
父ちゃんは家に帰って、
スマホを見た。
カード会社からの通知。
お支払い予定額。
NISA積立日。
残高不足にご注意ください。
過去の買い物が請求に来る。
未来の自分への投資も落ちる。
今日の食費だけが残らない。
おじいちゃんは言った。
「ボーナス払いは、
未来の給料を
先に食っとるんじゃ」
「未来の給料が来るなら、
いいんだけどね」
父ちゃんは笑った。
でも笑えていなかった。
おじいちゃんは言った。
「貯金は消える。
借金は追ってくる」
借金は、
家の中で一番まじめな
幽霊だった。
毎月、
決まった日に現れる。
ボーナスは
会社の都合で消える。
でも、
カードの請求は消えない。
未来の給料を
先に使っているのに、
未来の給料が来る保証はない。
そのことに気づいたとき、
父ちゃんの顔から血の気が引いた。
❥Z世代のあなたへ
ボーナス払いは、
未来の給料を先に使うことだ。
でも未来の給料は、
確定していない。
これからの時代、
「ボーナスがなくても
倒れない家計」
が、最強の保険になる。
■第七章
昼のコンビニ景気指数
昼の十二時。
昔なら、
コンビニの駐車場は
満車だった。
軽バン。
ハイエース。
二トントラック。
作業服の職人たちが、
カップ麺をすすり、
缶コーヒーを飲み、
スマホで現場写真を送っていた。
昼のコンビニは、
町の現場仕事の休憩所だった。
だが、
その日。
駐車場はガラガラだった。
店長は弁当棚を見た。
からあげ弁当が残っている。
焼肉弁当も残っている。
おにぎりも減っていない。
「今日は雨でもないのに」
そこへ、
一台の軽バンが入ってきた。
クロス屋だった。
男は弁当を買わず、
コピー機で
見積書を一枚刷った。
店長が聞いた。
「今日は現場、早いんですか」
男は苦笑いした。
「早いんじゃないです。
止まったんです」
「止まった?」
「壁紙が来ないんです。
壁はある。
客もいる。
貼る人間もいる。
でも、
貼る紙がない」
男はコピーした見積書を折り、
何も買わずに出ていった。
おじいちゃんは、
その話を聞いて言った。
「株価より、
昼のコンビニ駐車場の
軽バン台数の方が早い」
「何が?」
「景気じゃ」
「コンビニ駐車場が?」
「そうじゃ。
職人の車が減ったら、
町の仕事が止まり始めとる」
昼のコンビニ駐車場が
空いた日、
町はまだ壊れていないように
見えた。
でも、
壁紙も、
塗料も、
配管も、
もう届いていなかった。
❥Z世代のあなたへ
景気はニュースだけで見るな。
昼のコンビニを見ろ。
軽バンの数を見ろ。
作業服の人を見ろ。
弁当の残り方を見ろ。
町は、
統計より先に変化する。
■第八章
コピー機は十円で
町を支えていた
コンビニの隅で、
コピー機は今日も光っていた。
白黒一枚十円。
誰も、
その値段の意味を
考えなかった。
住民票。
履歴書。
保険証のコピー。
学校の提出書類。
チケット。
契約書。
発送ラベル。
町の書類は、
コンビニのコピー機から
出てきた。
でも店長は知っていた。
トナーは上がった。
紙も上がった。
保守費も上がった。
リース料も重かった。
コピー機は、
儲ける機械ではなかった。
町の便利さを、
十円で支えている機械だった。
客はATMでお金を下ろす。
コピーをする。
公共料金を払う。
荷物を出す。
そして何も買わずに帰る。
コンビニは混んでいる。
でもレジだけが空いている。
おじいちゃんは言った。
「コンビニは、
店から小さな役所に
なったんじゃ」
「役所?」
「コピー、ATM、支払い、発送。
生活の用事が集まる。
でも税金は入ってこん」
「それ、きついね」
「きつい。
便利ステーションになった店ほど、
便利だけ使われて、
利益が残らん」
コピー機は、
今日も動いていた。
だが、
その中で減っていくトナーも、
積まれていく紙も、
見えない赤字のように思えた。
❥Z世代のあなたへ
便利は無料ではない。
十円コピーも、
ATMも、
発送端末も、
誰かがコストを払っている。
便利すぎる社会は、
その裏側の赤字に気づきにくい。
■第九章
所有できない世代
ゆづきのスマホには、
たくさんのアプリが入っていた。
動画。
音楽。
写真。
クラウド。
電子書籍。
ゲーム。
決済。
投資。
全部、
手のひらにあった。
でも、
ほとんどは持っていなかった。
使わせてもらっている
だけだった。
おじいちゃんは言った。
「お前らの世代は賢い。
何も持たず、
身軽に生きとる」
「褒めてる?」
「半分はな」
「半分は?」
「危うい」
「また始まった」
「聞け。
利用権は、
供給側が蛇口を閉めた瞬間に
消える」
「サブスクの話?」
「サブスクもそう。
クラウドもそう。
キャッシュレスもそう。
車も、家電も、
物流も同じじゃ」
おじいちゃんは、
車検場の話をした。
車体はある。
エンジンもある。
でもブレーキフルードがない。
ゴムブーツがない。
AdBlueがない。
すると、
車は使えない。
「そこに物があっても、
使う権利が止まるんじゃ」
ゆづきは、
スマホを見た。
もし通信が止まったら。
もし電気が止まったら。
もし決済が止まったら。
もし
クラウドに入れなくなったら。
身軽さは強さだ。
でも危機の時には、
無防備と紙一重になる。
おじいちゃんは言った。
「デジタルで完結する生活は
便利じゃ。
でも
物理の供給網が切れた瞬間、
人生ごとログアウトされる」
ゆづきは、
スマホの画面を暗くした。
画面の中の世界も、
結局は電気と燃料で
動いている。
それに気づいた瞬間、
スマホが少し重くなった。
❥Z世代のあなたへ
全部サブスクでいい。
全部クラウドでいい。
全部スマホでいい。
そう思うのは自然だ。
でも、
供給側が蛇口を閉めた瞬間、
利用権は消える。
これから必要なのは、
デジタルの便利さと、
物理の生存力の両方だ。
■第十章
エアコンは買えた。
でも使えない
家電量販店には、
エアコンが並んでいた。
本体はある。
型落ちもある。
店員は笑顔で言った。
「在庫ございます」
ひろしは安心しかけた。
しかし、
店員は続けた。
「ただし、
取り付け工事は三週間後です」
「三週間?」
「それと、
現場によって
追加費用がかかります」
見積書には、
本体八万九千円。
そして、
追加工事費十三万円。
ひろしは目を疑った。
「エアコンより、
取り付けの方が
高いじゃないですか」
店員は
申し訳なさそうに言った。
「配管、化粧カバー、テープ、
高所作業、専用コンセント、
撤去費用。
今、
部材も職人さんも厳しくて」
エアコンは、
買えば涼しくなる家電では
なかった。
壁に穴を開ける。
銅管を通す。
テープを巻く。
室外機を置く。
電気をつなぐ。
真空引きをする。
誰かの手で命を吹き込まれる、
小さな冷たいインフラだった。
おじいちゃんは言った。
「買えるのに使えない。
これが新しいインフレじゃ」
「高いだけじゃなくて?」
「高いだけなら
まだ分かりやすい。
本当の怖さは、
買ったのに使えんことじゃ」
本体はある。
でも付かない。
袋はある。
でも色がない。
ビスケットはある。
でも包めない。
車はある。
でも車検が通らない。
日本は、物が完全に
消えたわけではなかった。
物を、
生活に使える形へ変える
最後の一手が、
足りなくなっていた。
❥Z世代のあなたへ
これからは、
「買えるか」だけでは
足りない。
届くか。
設置できるか。
修理できるか。
使い続けられるか。
そこまで見て初めて、
本当に買えたと言える。
■第十一章
車検場の赤い警告灯
整備士は、
車の下に潜った。
ライトで足回りを照らす。
「ブーツ、割れてますね」
客は言った。
「じゃあ替えてください」
整備士は黙った。
「それが、
部品が入らないんです」
客は眉をひそめた。
「車検、
通らないんですか?」
整備士は立ち上がり、
ブレーキペダルを踏んだ。
ふわり、
と沈む。
「ブレーキフルードも
交換が必要です。
でも今、
入荷が遅れています」
「エンジンオイルなら、
まだ少し待てます。
でもブレーキは無理です」
客の顔が青ざめた。
「止まれない車を、
通すわけにはいきません」
その横では、
トラックの運転手が困っていた。
軽油はある。
荷物もある。
運転手もいる。
でも、
AdBlueの警告灯が
赤く光っていた。
残量ゼロ。
再始動不可。
トラックは、
燃料がないから
止まったのではなかった。
走ってもよいと
許される透明な液体がないから、
動かなかった。
おじいちゃんは言った。
「走れないより怖いのは、
止まれない車じゃ」
車は、
大きな鉄の塊に見える。
でも本当は、
小さな液体と、
小さなゴムと、
小さなセンサーと、
小さな部品の集合体だった。
その一つが欠けただけで、
通勤も、
配送も、
通院も、
工事も、
介護も止まる。
❥Z世代のあなたへ
社会は、
大きなものから壊れるとは
限らない。
小さな液体。
小さなゴム。
小さな部品。
小さな警告灯。
そこから止まる。
小さいものを軽く見る人は、
危機に弱い。
■第十二章
漁師は船を出さなかった
港に朝が来た。
だが、
船は出なかった。
漁師は、
重油の値段を見ていた。
一日出れば、
燃料だけで八万円。
十万円。
沖へ行けば、
もっとかかる。
魚が取れればいい。
だが、
取れなければ、
海に金を捨てるだけだった。
昔は、
六万円、七万円でも
苦しかった。
今は、
十四万円、十五万円の
覚悟がいる。
漁師は船を見た。
父の代から続いた船だった。
祖父も乗った。
自分も乗った。
海の匂いと重油の匂いは、
生活の匂いだった。
しかし、
その日、
漁師は燃料を入れなかった。
「出れば赤字なら、
出ん方がましじゃ」
塗装屋も同じだった。
仕事はある。
外壁を塗ってほしい家もある。
でも塗料がない。
シンナーが高い。
色が揃わない。
足場代が上がる。
水回りの設備屋も同じだった。
ユニットバスが来ない。
接着剤がない。
配管が遅れる。
客は怒る。
工期は延びる。
見積もりは合わない。
請求は出せない。
おじいちゃんは言った。
「昔は、
仕事がないから廃業した。
これからは違う。
仕事をすると赤字になるから、
人は店を閉める」
働けば働くほど、
損をする。
そんな社会で、
人は努力をやめるのではない。
赤字を止めるために、
手を止める。
❥Z世代のあなたへ
努力は大切だ。
でも、
働けば働くほど
赤字になる時は、
努力の方向を
変えなければならない。
根性だけで突っ込む時代は
終わる。
採算を見る力も、
生きる力だ。
■第十三章
普通の袋がなかった
市役所のホームページに、
お知らせが出た。
指定ごみ袋が
不足しているため、
当面の間、
透明または半透明の袋でも
収集します。
母ちゃんは、
台所の引き出しを開けた。
昔なら、
そこにはスーパーのレジ袋が
何十枚も入っていた。
くしゃくしゃに丸められた袋。
小さい袋。
大きい袋。
魚を包んだ袋。
野菜を入れた袋。
だが、
今はなかった。
母ちゃんは真面目だった。
エコバッグを使いなさい。
レジ袋を減らしなさい。
環境にやさしくしなさい。
その通りにしてきた。
その結果、
危機の日に、
普通の袋が一枚もなかった。
ゆづきは言った。
「普通の袋で出していいって
言われても、
普通の袋がないじゃん」
おじいちゃんは苦笑いした。
「正しいことを
積み重ねた国が、
非常時の余白を失ったんじゃ」
米はある。
野菜もある。
ごみも出る。
でも、
出す袋がない。
食べる前には包めない。
食べたあとには捨てられない。
日本は、
ごみ袋一枚でも、
暮らしが止まる国になっていた。
❥Z世代のあなたへ
環境意識は大事だ。
でも、
非常時には余白も必要だ。
正しさだけで暮らしは回らない。
正しさと備え。
両方いる。
■第十四章
ナイジェリアの七割
政府は言った。
「六月は七割、
原油を確保できる見通しです」
テレビの解説者は、
少し安心した顔をした。
だが、
おじいちゃんはスマホで調べた。
その中に、
ナイジェリアの文字があった。
外務省の危険情報には、
赤い文字が並んでいた。
退避してください。
渡航は止めてください。
誘拐。
テロ。
騒乱。
略奪。
おじいちゃんはつぶやいた。
「人間には行くなと言う国から、
石油だけは来いと言うんか」
もちろん、
原油取引は旅行とは違う。
商社。
石油会社。
船会社。
保険会社。
港湾。
警備。
国際契約。
たくさんの仕組みが動く。
それでも、
安心とは言えなかった。
アゼルバイジャンから来た
二十八万バレルは、
日本の消費で見れば約二時間分。
ニュースになる量と、
生活を支える量は違う。
政府は七割と言う。
でも、
生活は十割で動いている。
その三割の穴から、
白黒の袋がこぼれ、
ミレービスケットが止まり、
エアコンの配管が消え、
車検場の赤いランプが灯った。
おじいちゃんは言った。
「契約書では、
電気はつかん。
LNG船が港に着いて、
初めて電気になる」
日本は契約を信じた。
欧州は冬を見た。
アメリカは値札を見た。
オーストラリアは国旗を見た。
そして船は、
一番強い理由のある港へ向かう。
❥Z世代のあなたへ
「契約があるから大丈夫」
これは平時の言葉だ。
危機の時は、
契約だけでなく、
航路、保険、治安、政治、
価格、港が必要になる。
紙だけでは、
暮らしは動かない。
■第十五章
夜景はまだ明るかった
有明の夜は、
まだ明るかった。
お台場の建物は光り、
観覧車は回り、
ジェットコースターは
夜空に歓声を投げていた。
ディズニーランドも、
夜九時まで光っていた。
人々は笑っていた。
スマホで写真を撮り、
アイスを食べ、
光るカチューシャをつけていた。
ゆづきはその景色を見て、
少し安心した。
日本は
まだ大丈夫なのかもしれない。
だが、
おじいちゃんは静かだった。
その同じ夜。
高知では、
ミレービスケットが
袋待ちで止まっていた。
整備工場では、
ブレーキフルードが
足りなかった。
塗装屋は、
シンナーが来ずに
現場を断った。
漁港では、
重油代を見た漁師が
船を出さなかった。
トラックは、
AdBlueの警告灯を見て
止まっていた。
おじいちゃんは、
東京湾の光を見ながら言った。
「日本はまだ、
夜を遊ぶ国の顔をしとる。
けれど、
昼を動かす油が足りんのじゃ」
ゆづきは、
夜景を見た。
美しかった。
でも、
少し怖くなった。
夜の光を守るために、
昼の物流が痩せていく。
そんな国は、
長くは続かない。
日本は
石油を燃やしていたのではない。
安心。
便利。
夜景。
娯楽。
翌日配送。
きれいな包装。
それらを燃やしていたのだ。
❥Z世代のあなたへ
楽しい場所は悪くない。
夜景も、
遊園地も、
旅行も、
人間には必要だ。
でも危機の時には、
順番を考えないといけない。
命に必要な電気。
食べ物を運ぶ物流。
医療。
下水。
農業。
整備。
そこを守るために、
何を少し我慢するか。
それが、
これからの現実になるかも
しれない。
■第十六章
節約要請は、
まだ出ていなかった
五月の終わり。
政府は、
まだ強い言葉を
使っていなかった。
節約要請。
配給。
制限。
計画停電。
そういう言葉は、
まだ画面に
大きく出ていなかった。
だが、
ガソリン補助金の話が出た。
補助金を外せば、
価格は上がる。
一リットル二百円。
二百五十円。
三百円。
政府が遠出を禁止しなくても、
人々は勝手に遠出をやめる。
次に、
ガソリンスタンドの
貼り紙が変わる。
本日、一台三十リットルまで。
満タン給油はご遠慮ください。
業務車両を優先します。
そして、
いつか二十リットルになる。
それは配給ではない。
けれど自由でもない。
次に電気が来る。
節電のお願い。
商業施設の照明削減。
夜間営業の短縮。
空調温度の調整。
そして、
計画停電の話が出る。
ゆづきは聞いた。
「これって、
もう節約要請じゃないの?」
おじいちゃんは言った。
「国は“制限”と言わん。
まず値段で歩かせる。
次に量で止める。
最後に電気で黙らせるんじゃ」
「怖いね」
「怖い。
でも、
もっと怖いのは、
みんながまだ
気づいていないことじゃ」
「何に?」
「節約要請は、
出てから
始まるんじゃない。
出る前に、
もう始まっとる」
ゆづきは、
この数週間を思い出した。
白黒のポテチ。
透明なおかき。
トマトの絵が減ったケチャップ。
袋待ちのミレービスケット。
昼のコンビニ駐車場。
十円コピー。
四百六十六円のカレー粉。
ボーナスのない夏。
設置できないエアコン。
車検場の赤いランプ。
船を出さない漁師。
普通の袋がない台所。
ナイジェリアの原油。
明るすぎる夜景。
全部、
別々の出来事だと思っていた。
でも違った。
一本の線でつながっていた。
石油が足りないのではない。
石油から生まれていた、
普通の暮らしの順番が、
ほどけ始めていたのだ。
その夜。
ゆづきは、
透明なおかきの白いシールに、
黒いマジックで文字を書いた。
がんばれ日本。
でも、
少し考えて、
その下にもう一行足した。
ちゃんと気づけ、このバカ。
おじいちゃんはそれを見て、
静かに笑った。
「ええ言葉じゃ」
「バカって書いちゃった」
「それくらいでええ。
今はやさしい言葉だけでは、
目が覚めん」
ゆづきは聞いた。
「間に合うかな」
おじいちゃんは、
すぐには答えなかった。
窓の外では、
町の明かりがまだついていた。
遠くの道路を、
一台のトラックが
ゆっくり走っていった。
動いている。
まだ、
動いている。
だからこそ、
今、気づかなければならない。
ニュースが節約と叫ぶ頃には、
もう逃げ場は少ない。
白黒の袋を見た瞬間に、
生活の解像度を上げた者だけが、
次の時代を笑って歩ける。
節約要請は、
まだ出ていなかった。
けれど日本人は、
もう節約させられていた。
ポテチの袋で。
ミレービスケットの空白で。
車検場の部品待ちで。
スーパーのレジに吸い込まれる
一万円札で。
そして、
白いシールに書かれた、
黒いマジックの一言で。
ちゃんと気づけ、このバカ。
❥Z世代のあなたへ
おい。
スマホ片手に、
「エモい」
「ミニマル」
「逆にセンスいい」
と言っている君へ。
白黒ポテチを、
「センスいい!」
で終わらせるな。
それは社会の死に顔だ。
世界がバグり始めたとき、
最初に消えるのは
贅沢品じゃない。
彩りだ。
ポテチの袋のインク。
ケチャップのラベルのトマト。
おかきの袋の印刷。
ハムの包装の赤。
ミレービスケットの袋。
これらは、
社会が健康だった頃の
余裕だった。
それが消えたということは、
システムが
こう叫び始めたということだ。
「中身を維持するだけで
精一杯です」
君たちは
デジタルネイティブだ。
でもこれからは、
物理ネイティブに
ならなきゃいけない。
スマホの画面で、
一円安い商品を探すだけでは
足りない。
世界のどこかで
船が止まったニュースを見て、
来月、
あの商品が
棚から消えるかもしれないと
読む力。
ガソリン価格を見て、
遠くの観光地ではなく、
近所のスーパーと
通学路を考える力。
白黒の袋を見て、
ナフサ、
インク、
フィルム、
物流、
工場、
棚までつなげる力。
それが、
NISAの利回りよりも、
君を守る最強のスキルに
なるかもしれない。
当たり前は、
石油という魔法で
コーティングされていた。
その魔法が剥がれ始めた。
今、
気づいたやつが勝つ。
棚の沈黙を聞けるやつだけが、
次の時代を笑って生き残る。
………
★あとがき
ホームズとワトソンの
メタ認知漫才
ワトソン
「ホームズさん、
Z世代の若者が
スマホを置いて、
スーパーの棚を
凝視していますよ。
不審者じゃないですか?」
ホームズ
「見ろ、ワトソン。
彼は株価チャートではなく、
ポテチの裏の
製造所固有記号と、
パッケージの厚みを見ている」
ワトソン
「パッケージの厚み?
そんなところ見ます?」
ホームズ
「見るのだよ。
彼は気づいたんだ。
世界は
SNSのトレンドではなく、
この0.05ミリの
フィルムの供給から
変わるということに」
ワトソン
「でも政府は、
冷静にと言っています」
ホームズ
「いいかい、ワトソン。
政府が冷静にと
言い始めた時こそ、
こちらは冷静に
棚を見るべきなのだ」
ワトソン
「パニックに
なるべきではない?」
ホームズ
「パニックになる必要はない。
だが、
寝ぼけていてはいけない。
白黒の袋を
カラーに戻す呪文は、
政府にもないのだから」
ワトソン
「では、僕らも
カレー粉を買って
おきましょうか?」
ホームズ
「いや、ワトソン。
カレー粉だけを
買うのではない」
ワトソン
「何を買うんです?」
ホームズ
「カレー粉がなくても
生きていける知恵だ」
ワトソン
「また難しいことを」
ホームズ
「簡単だよ。
米。
乾麺。
味噌。
缶詰。
乾物。
近所の店。
歩ける距離。
無駄な借金をしない心。
そして、
棚の変化を読む目だ」
ワトソン
「なるほど。
ところで
今日の晩ごはんは何です?」
ホームズ
「透明な袋に入った、
味の薄いおかきだ」
ワトソン
「それで足ります?」
ホームズ
「よく噛みたまえ。
世界の終わりと始まりの
味がするぞ」
ワトソン
「そんな食レポ、いりませんよ!」
ホームズ
「では最後に一つ」
ワトソン
「どうぞ」
ホームズ
「未来の技術は、
今日の袋にならない。
だから今日の暮らしは、
今日の目で守るのだ」
ワトソン
「決まりましたね」
ホームズ
「いや、まだだ」
ワトソン
「まだあるんですか」
ホームズ
「ある」
ワトソン
「どうぞ」
ホームズ
「節約要請は、
首相の会見から
始まるのではない。
ポテチの袋が白黒になった時、
もう始まっていたのだ」
ワトソン
「ホームズさん、
今日は冴えてますね」
ホームズ
「冴えているのではない。
腹が減っているのだ」
ワトソン
「結局そこですか!」
ホームズ
「そこだ。
経済は胃袋で分かる。
そして世界の危機は、
スーパーの棚で
一番早く見えるのだ」




