表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
81/158

人間に値札がついた夜 ――ホルムズ海峡が 、封鎖された日から、世界で最初に枯渇したのは  石油じゃなく、「人間の尊厳」だった――

✦人間に値札がついた夜


――ホルムズ海峡が

 封鎖された日から、

 世界で最初に枯渇したのは

 石油じゃなく、

 「人間の尊厳」だった――


………


深夜一時三十七分。


ゆづきのスマホが、

暗い部屋で青白く光った。


「あなたに

 ぴったりのスカウト」

「完全匿名」

「明日には三十万円」


一行の通知。


指が震えた。


いや、違う。


震えたのは指ではなく、

画面の向こう側だった。


何かが、

スマホの奥で息をしていた。


外では、

遠くの救急車のサイレンが、

細い糸みたいに夜を

裂いていた。


家族は寝静まり、

冷蔵庫のモーター音だけが、

規則正しく部屋の隅を

叩いている。


ブーン。

ブーン。

ブーン。


それはまるで、

どこかの倉庫で回る

換気扇の音に似ていた。


ゆづきは高校一年生。


部屋の電気は消したまま、

布団の中で息を潜めていた。


この通知が、

ただの広告じゃないことには

気づいていた。


でも、

気づいたところで、

腹は減る。


家賃は来る。


母の溜息は増える。


進学資金は、

スマホ画面のバッテリーみたいに、

一%ずつ減っていく。


「荷物を受け取るだけ」

「親にバレません」

「高校生OK」

「身分証不要」

「今すぐ人生逆転」


画面の向こうから、

ぬるい息が這い上がってくる。


ゆづきはタップしなかった。


まだ、だ。


でも、

彼女は知らなかった。


この夜、

同じ通知が

日本全国で何千人にも届き、

何十人かが、

「ただの受け取り」

で消えていくことを。


そしてそれが、

ホルムズ海峡封鎖後の、

新しい世界経済の

トレンドだということを。


石油が止まれば、

車は鉄くずになる。


でも、

人間は止まれない。


人間は腹が減る。


人間は家賃を払う。


人間は親の顔色を見る。


人間は友だちに遅れたくない。


人間は、

たった一通の通知に、

人生を差し出してしまう。


ほんまに怖い終末は、

ミサイルの音で始まらん。


スマホの通知音で始まる。


  ✲✲✲


★目次


■第一章

 消えた十円と、黒い糸


■第二章

 井戸


■第三章

 メキシコの陸、キューバの海


■第四章

 日本上陸


■第五章

 バーコード


■第六章

 レンの既読


■第七章

 国境のAI審査官


■第八章

 裏配給国家


■第九章

 倉庫街の匂い


■第十章

 人権リスクが原価になる日


■第十一章

 消えた名前


■第十二章

 みかん四つの警告


■第十三章

 到着しました


■第十四章

 人間物流


■第十五章

 自分にバーコードを貼らせるな


❥Z世代のあなたへ

 井戸を覗いた指を止めるために


★あとがき

 ホームズとワトソンの

 ホラー漫才

 笑いと涙の締め


■第一章

 消えた十円と、黒い糸


地理の授業で、

教師が「ホルムズ海峡」と

黒板に書いた時、

ゆづきはまだ、

それを遠い国の単語だと

思っていた。


ホルムズ。


名前だけ聞けば、

ゲームの

ダンジョンみたいだった。


砂漠。

海峡。

タンカー。

中東。

原油。


教科書の中に閉じ込められた、

眠たい言葉。


でも現実は、

教科書よりずっと残酷だった。


ホルムズ海峡が

封鎖されてから三か月。


石油価格は天井知らず。

ガソリンは上がった。

電気代も上がった。

食料品も上がった。

物流費も上がった。

冷凍食品も上がった。

コンビニのチキンも上がった。

パンの中身は少し軽くなった。


上がらなかったのは、

母の給料だけだった。


ある夜、

母はスマホの家計簿アプリを

見ながら言った。


「ごめんね、ゆづき。

 今月、サブスク一つ切るね」


月八百九十円。


たったそれだけ。


でも、

ゆづきには、

家の中から

未来が一枚はがれたように

感じた。


母の横顔は、

電気を消したあとの

部屋みたいに暗かった。


翌日、

近所に住む六十七歳の

元証券マンのおじいちゃんが、

こたつの上にみかんを

四つ並べた。


「ゆづき、このみかんを見てみ」


「また、みかん経済?」


「そうじゃ。

 みかんは世界を説明できる」


一つ目のみかん。


「これが石油」


二つ目。


「これがモノの値段」


三つ目。


「これが仕事」


四つ目。


「これが人間じゃ」


ゆづきは首をかしげた。


「石油と人間が、なんで並ぶの?」


おじいちゃんは、

みかんを転がしながら言った。


「石油が止まるとな、

 まずモノの値段がバグる。

 次に仕事が蒸発する。

 そして最後に、

 商品化された人間が動き出す」


「商品化された人間?」


「そうじゃ。

 食えんようになった人間は、

 自分を荷物として

 闇の物流に流してしまう。

 メキシコでは陸で消え、

 キューバでは海で消える。

 日本では――」


おじいちゃんは、

ゆづきのスマホを見た。


「スマホの画面越しに、

 魂ごと吸い込まれて消える」


ゆづきは笑おうとした。


でも笑えなかった。


ちょうどその時、

スマホに通知が出た。


「今すぐ人生逆転」

「あなただけに」


画面の文字は、

小さな虫のように並んでいた。


その虫たちは、

ゆづきの目の奥へ、

ゆっくり入り込んできた。


■第二章

 井戸


その夜、

ゆづきは眠れなかった。


暗い部屋。


カーテンの隙間から、

コンビニの白い看板が見えた。


世界中が値上がりしても、

コンビニの光だけは、

まだ平気な顔をしていた。


ゆづきは

布団の中でスマホを開いた。


動画。

SNS。

ニュース。

広告。

求人。

おすすめ。

広告。

また求人。


指を下へ滑らせる。


画面の底が、

どんどん深くなる。


スマホが井戸に見えた。


のぞき込めば、

無限に落ちていく。


底には、

自分の顔が沈んでいる。


「完全匿名」

「高校生OK」

「荷物を受け取るだけ」

「身分証不要」

「親にバレません」

「明日には三十万円」


ゆづきは、

一つひとつの文字を見た。


怪しい。


どう見ても怪しい。


でも、

怪しいとわかっていても、

目が離せなかった。


なぜなら、

その広告は、

ゆづきの弱いところだけを

正確につついてきたからだ。


進学費用。

スマホ代。

母のため息。

友だちとの差。

将来の不安。

何者にもなれない怖さ。


アルゴリズムは、

人間の弱点を読む。


人間が自分でも

認めたくない場所を、

画面の奥から触ってくる。


ゆづきはスマホを伏せた。


でも、

通知音が頭の中で鳴り続けた。


ピコン。


ピコン。


ピコン。


その音は、

井戸の底から響いていた。


■第三章

 メキシコの陸、キューバの海


翌朝、

ニュースはメキシコを伝えていた。


行方不明者、十三万人超。


身元不明の遺体、七万体規模。


ゆづきには、

数字が大きすぎて、

ただの記号に見えた。


十三万人。


学校どころではない。

町がいくつも消える数だった。


「なんで、

 そんなに人が消えるの?」


ゆづきが聞くと、

おじいちゃんは低い声で言った。


「メキシコではな、

 人間が道路で消える。

 求人で消える。

 国境へ向かう途中で消える。

 警察へ相談したあとで消える。

 探しに行った家族まで消える」


ゆづきは黙った。


「カルテルいうのは、

 麻薬だけを扱うんじゃない。

 人間も扱う」


運び屋。

見張り。

兵隊。

強制労働。

身代金。

見せしめ。

偽求人。


人間が、

仕事を探して家を出たまま、

闇の会社に採用される。


しかも、

退職届は出せない。


「警察は?」


「一部は買われる。

 一部は脅される。

 一部は黙る」


「じゃあ、

 誰に助けてもらうの?」


おじいちゃんは答えなかった。


答えられなかった。


次のニュースは、

キューバだった。


燃料不足。

停電。

食料難。

海へ出る若者たち。

古いボート。

密航業者。

フロリダを目指す海。


「メキシコは陸で消える。

 キューバは海で消える」


おじいちゃんは言った。


「そしてアメリカは、

 空からその流れを数える」


偵察機。

AI監視。

海上レーダー。

国境管理。


ゆづきは思った。


人間は、

移動しているのではない。


数えられている。


選別されている。


欲しがられている。


怖がられている。


そして、

売られている。


■第四章

 日本上陸


日本は遠いと思っていた。


メキシコも、

キューバも、

アメリカも、

テレビの中の話だと思っていた。


でも違った。


ホルムズ海峡封鎖後、

日本でも人手不足は悪化した。


燃料が高くなり、

物流費が上がり、

企業は採用を絞った。


一方で、

若者の即金需要は膨らんだ。


スマホ代。

学費。

家賃。

電気代。

推し活。

交通費。

食費。


そして、

家庭の沈黙。


金がない家ほど、

金がないことを話せない。


ゆづきの周りにも、

「ちょっとヤバいバイト」

の話が流れ始めた。


荷物を受け取るだけ。

カードを渡すだけ。

部屋を貸すだけ。

車に乗るだけ。

住所を使わせるだけ。


その「だけ」が、

人間を穴へ落とす。


ある日、

クラスの女子が

突然来なくなった。


先生は言った。


「家庭の事情です」


でも、

彼女のSNSは

更新され続けていた。


不自然に明るい言葉。

不自然に同じ時間の投稿。

不自然に加工された写真。


ゆづきは、

そのアカウントを見て思った。


これは本人じゃない。


誰かが、

彼女の声を使っている。


その夜、

ゆづきのスマホに

また通知が来た。


「あなたにぴったりのスカウト」


今度は、

すぐに消えなかった。


画面の上に、

貼りついたままだった。


■第五章

 バーコード


ゆづきは調べ始めた。


最初はただの不安だった。


でも、

検索すればするほど、

画面の奥から

同じ言葉が出てきた。


行方不明。

闇バイト。

偽求人。

荷物受け取り。

監禁。

海外ルート。

人身取引。

強制労働。

身元不明。

アカウントだけ生きている。


ニュースに

ならない若者たち。


警察統計に

きれいに入らない消え方。


家出。

失踪。

トラブル。

家庭の事情。

本人の意思。


そういう曖昧な言葉の下に、

若者が埋められていく。


おじいちゃんは言った。


「昔の犯罪は、

 人をさらった。

 今の犯罪は、

 人に自分で歩いて来させる」


「どうやって?」


「値札を見せるんじゃ」


高収入。

匿名。

即金。

一回だけ。

親にバレない。

人生逆転。


それは求人ではない。


人間につけられた値札だった。


「デジタル・プライスじゃ」


おじいちゃんは言った。


「一度でも、

 買える人間として見られたら、

 次の広告が来る。

 もっと甘い話。

 もっと危ない話。

 もっと戻れない話」


ゆづきはスマホを握りしめた。


画面の中で、

自分にバーコードが

貼られている気がした。


名前。

年齢。

住所。

学校。

家庭の経済状態。

検索履歴。

友人関係。

不安。

焦り。

孤独。


全部が読み取られている。


人間が、

商品情報に分解されていく。


■第六章

 レンの既読


放課後、

レンが言った。


「なあ、ゆづき。

 いいバイト見つけた」


ゆづきの背中が冷えた。


「どんな?」


「荷物受け取るだけ。

 一回二万円。

 高校生でも相談可。

 身分証いらんって」


レンのスマホ画面には、

ゆづきが夜中に見たものと

同じ通知があった。


完全匿名。

親バレなし。

今すぐ人生逆転。


「やめときな」


ゆづきは即答した。


レンは笑った。


「大げさ。

 みんなやってるって」


みんなやってる。


それが一番怖い言葉だった。


みんながやっているなら

安全。

みんなが押しているなら

大丈夫。

みんなが沈んでいるなら、

それは海ではなく流行。


ゆづきは言った。


「その“みんな”って誰?

 名前言える?」


レンは黙った。


「紹介してきた人、

 会ったことある?」


レンは目をそらした。


「でも、金がいるんだよ」


その声で、

ゆづきは強く言えなくなった。


正論は、

金がない人の前で軽くなる。


その夜、

ゆづきはレンにメッセージを送った。


「お願い。行かないで」


既読。


返事なし。


一分。


三分。


十分。


画面の「既読」が、

小さな墓標に見えた。


■第七章

 国境のAI審査官


おじいちゃんは、

ゆづきに言った。


「これからの国境は、

 パスポートだけを

 見るんじゃない」


顔。

指紋。

スマホ。

SNS。

送金履歴。

位置情報。

過去の移動。

友人関係。

求人履歴。


全部見られる。


そしてAIが判定する。


この人は労働者か。

被害者か。

加害者か。

カルテルと関係があるか。

闇求人に関わったか。

危険か。

安全か。

入れてよいか。

止めるべきか。


「昔の国境は線だった。

 これからの国境は、

 人間を採点する機械になる」


ゆづきは言った。


「一回でも間違ったら?」


「その記録は残る」


「知らずに関わっても?」


「AIは事情を

 聞いてくれんことがある」


ゆづきは寒気がした。


デジタル・タトゥーより

怖いもの。


デジタル・プライス。


一度、

「買える人間」

「運べる人間」

「危ない人間」

とラベルを貼られたら、

その値札は

国境を越えてついてくる。


レンは、

もう貼られてしまったのだろうか。


ゆづきはスマホを見た。


レンのアイコンは、

まだ明るく笑っていた。


でもその笑顔が、

本人のものに見えなくなっていた。


■第八章

 裏配給国家


危機になると、

強い国は配給をする。


ガソリン。

米。

薬。

電気。

水。

医療。

移動。


でも、

国家が弱い場所では、

政府より先に

裏社会が窓口を開ける。


「燃料が欲しいなら払え」

「道を通りたいなら払え」

「仕事が欲しいなら来い」

「国境を越えたいなら金を出せ」

「家族を返してほしいなら黙れ」


これが裏配給国家。


ゆづきは言った。


「悪い市役所みたい」


「そうじゃ」


おじいちゃんは言った。


「怖いのは、

 そこに人が並ぶことじゃ」


人は腹が減ると、

正しい窓口ではなく、

開いている窓口へ行ってしまう。


それが闇でも。


そこに名前を書けば、

食べられるかもしれない。


そこに口座を渡せば、

今月だけ助かるかもしれない。


そこに

荷物を受け取りに行けば、

母のため息が

一つ減るかもしれない。


そう思った瞬間、

人は自分の足で井戸へ向かう。


ゆづきは、

レンのことを考えた。


レンは悪い子ではない。


ただ、

お金が必要だった。


ただ、

誰にも相談できなかった。


ただ、

画面の奥の窓口が

開いていただけだった。


■第九章

 倉庫街の匂い


レンが消えたのは、

それから二日後だった。


学校に来ない。


電話に出ない。


メッセージは既読にならない。


SNSだけが更新された。


「大丈夫」

「ちょっと忙しい」

「心配しないで」


言葉はレンのものに似ていた。


でも、

句読点が違った。


絵文字が違った。


投稿時間が違った。


ゆづきは気づいた。


これはレンじゃない。


レンのアカウントを使っている、

別の誰かだ。


三日目の夜、

ゆづきのスマホに、

レンのアカウントから

メッセージが来た。


「大丈夫、

 ただの受け取りだった。

 心配すんな」


それが最後だった。


ゆづきは、

レンの最後の

位置情報をたどった。


工業地帯の端。

配送センターの裏。

閉店したホームセンター。

古い倉庫街。


そこは、

昼でも人が少ない場所だった。


夜になると、

街灯の下だけが白く、

それ以外は

黒い水のように沈んでいた。


ゆづきは地図を見た。


画面には、

無機質な文字が出ていた。


「到着しました」


その瞬間、

風に混じって、

変な匂いがした。


油。

古い段ボール。

湿ったコンクリート。

汗。

消毒液。


そして、

何かが

長く閉じ込められていた匂い。


ゆづきは、

初めて本気で後悔した。


来るべきじゃなかった。


■第十章

 人権リスクが原価になる日


倉庫の壁には、

会社名がなかった。


看板もない。


ただ、

シャッターの横に、

小さなQRコードだけが

貼られていた。


ゆづきは

スマホを向けそうになって、

手を止めた。


押したら終わる。


そんな気がした。


おじいちゃんの言葉が蘇った。


「これからの企業は、

 安く作るだけでは

 生き残れん。

 ちゃんと作ったことを

 証明せんといけん」


でも、

ここは逆だった。


証明しないことで、

安くしている場所。


名前を出さないことで、

人を使う場所。


責任者を隠すことで、

若者を消す場所。


人権が原価になる時代。


それは

きれいな言葉ではなかった。


誰かを安く使う。

誰かの住所を使う。

誰かの口座を使う。

誰かの体を使う。

誰かの名前を消す。


そうしてできた安さが、

社会に流れていく。


翌日届く荷物。

安い配送。

早いサービス。

人手不足なのに回っている現場。


ゆづきは、

吐き気をこらえた。


この国は、

知らないふりをしているだけかも

しれない。


届くはずのものが届く裏で、

帰るはずの人間が帰っていない。


■第十一章

 消えた名前


ゆづきは警察へ行った。


レンが消えた。

怪しい求人を見た。

倉庫街へ向かった。

SNSがおかしい。


警察官はメモを取った。


でも、

その顔は疲れていた。


「家出の可能性もありますね」

「高校生ですから」

「友人関係の

 トラブルかもしれません」

「本人の意思で

 動いている場合もあります」


家出。

トラブル。

本人の意思。


その言葉は、

便利な箱だった。


何でも入れられる。


消えた人間も、

見なかったことも、

動けない言い訳も。


ゆづきは叫びたかった。


違う。


レンは家出じゃない。


井戸に落ちたんだ。


でも、

井戸は書類に載らない。


スマホの奥にある穴は、

地図にない。


その夜、

レンのアカウントが消えた。


プロフィール画像も。

投稿も。

メッセージ履歴も。


まるで最初から、

そんな人間はいなかったみたいに。


ゆづきは、

震える手で

スクリーンショットを見返した。


そこにだけ、

レンはまだいた。


既読の文字の横で、

笑っていた。


■第十二章

 みかん四つの警告


ゆづきは、

おじいちゃんの家へ

駆け込んだ。


「レンが消えた」


おじいちゃんは、

何も言わずにこたつへ

座らせた。


また、

みかんが四つ並んでいた。


「今はみかんどころじゃない!」


ゆづきが叫ぶと、

おじいちゃんは静かに言った。


「だからこそ、見るんじゃ」


一つ目。


「石油」


二つ目。


「値上げ」


三つ目。


「仕事」


四つ目。


「人間」


「この四つは、

 一本の黒い糸でつながっとる」


ホルムズ海峡が締まる。

燃料が上がる。

企業が苦しくなる。

仕事が細る。

若者が焦る。

闇求人が増える。

人間が吸い込まれる。


「レンは悪い子じゃない」


ゆづきは泣きそうになった。


「知っとる」


「ただ、

 お金が必要だっただけ」


「知っとる」


「それなのに、なんで……」


おじいちゃんは、

四つ目のみかんを手に取った。


「弱い人間が悪いんじゃない。

 弱った人間を探して

 値札を貼る仕組みが

 悪いんじゃ」


その時、

ゆづきのスマホが震えた。


知らない番号。


メッセージ。


「レンに会いたければ、

 一人で来い」


添付された画像には、

レンのスマホが写っていた。


画面には、

ゆづきとのトークが

開かれていた。


■第十三章

 到着しました


指定された場所は、

あの倉庫街だった。


おじいちゃんは言った。


「一人で行くな」


ゆづきはうなずいた。


位置情報を共有した。

友だちに送った。

おじいちゃんにも送った。

スクリーンショットも残した。

警察にも再度連絡した。


それでも、

足は震えた。


夜の倉庫街は、

昼よりずっと広かった。


街灯の光が、

ところどころで切れている。


遠くでトラックのエンジン音がした。


ゆづきのスマホが言った。


「目的地周辺です」


冷たい機械の声。


その直後、

画面に通知が出た。


「あなたにぴったりの

 スカウトがあります」


ゆづきは息を止めた。


今、この場所で。


このタイミングで。


通知が来た。


まるで、

見られている。


ゆづきはスマホを握りしめた。


シャッターの前に、

男が立っていた。


笑顔だった。


普通の笑顔。


コンビニ店員みたいな。

塾の先生みたいな。

親戚のおじさんみたいな。


だから怖かった。


「君も来てくれたんだ」


男は言った。


「いい子だね」


その後ろに、

暗い倉庫の口が開いていた。


中には、

無数の影があった。


人の形をしているのに、

誰も声を出さない影。


その床に、

レンのスマホが落ちていた。


画面だけが光っていた。


ゆづきは叫びそうになった。


でも声が出なかった。


男が一歩近づいた。


「大丈夫。

 受け取るだけだから」


その言葉を聞いた瞬間、

ゆづきは走った。


■第十四章

 人間物流


ゆづきは走った。


背後で男の声がした。


怒鳴らない。


追いかける足音も、

すぐには聞こえない。


それが余計に怖かった。


逃げられると思わせている。


そう気づいた。


スマホが震える。


通知。


「道を間違えています」


マップアプリが、

親切な声で言う。


「ルートを再検索します」


ゆづきは泣きそうになった。


ルートなんかいらない。


出口が欲しい。


世界は、

人間を便利に運ぶために

作られている。


地図。

決済。

配送。

求人。

顔認証。

位置情報。


でも、

その便利な仕組みは、

裏社会にも使える。


人を探す。

人を集める。

人を運ぶ。

人を隠す。

人を消す。


人間物流。


おじいちゃんの言葉が、

頭の中で鳴った。


「人間は荷物じゃない。

 でも世界は、

 人間を荷物みたいに

 扱い始めとる」


ゆづきは、

最後の力で大通りへ出た。


ちょうどその時、

おじいちゃんの車が止まった。


「乗れ!」


後部座席に飛び込む。


車が動き出す。


背後の倉庫街は、

何もなかったように

静かだった。


ただ、

レンのスマホだけが、

あの暗い床で光っている。


ゆづきには、

それが小さな墓標に見えた。


■第十五章

 自分にバーコードを貼らせるな


レンは戻ってこなかった。


数日後、

警察は動き始めた。


でも、

倉庫は空だった。


シャッターの

QRコードも消えていた。


監視カメラは壊れていた。


周辺の会社は言った。


「何も知らない」

「夜は無人です」

「誰かが勝手に使ったのでは」


レンの名前は、

書類の中で迷子になった。


家出。

失踪。

事件性不明。

本人意思の可能性。


ゆづきは、

その言葉を全部憎んだ。


でも、

憎んでもレンは戻らなかった。


学校では、

しばらく噂になった。


でも一週間後、

別の話題に流れた。


新しい動画。

新しい炎上。

新しい値上げ。

新しい通知。


世界は、

人が一人消えたくらいでは

止まらない。


それが一番怖かった。


ある夜、

ゆづきのスマホに

また通知が来た。


「あなたに

 ぴったりのスカウト」


ゆづきは、

画面を見つめた。


指は震えなかった。


スクリーンショットを撮った。

通報した。

友だちのグループに送った。


「これ、絶対押さないで」


そして最後に、

レンとのトーク画面を開いた。


最後の既読は、

まだ残っていた。


ゆづきは小さく言った。


「レン、私は止める側になる」


スマホの画面に、

自分の顔が映っていた。


疲れていた。

怖がっていた。

でも、

井戸の底には沈んでいなかった。


ホルムズ海峡は、

いつか再開するかもしれない。


石油は、

また流れるかもしれない。


でも、

一度始まった人間物流は、

簡単には止まらない。


毎月のように、

誰かが「荷物受け取り」で消える。


ニュースにはならない。


ただの行方不明として処理される。


統計の外側で。


タイムラインの下の方で。


通知音の向こう側で。


だから、

指を止めてくれ。


スクロールするな。


誰かに見せてくれ。


笑われてもいいから、

友だちを止めてくれ。


あなたは在庫じゃない。


荷物じゃない。


バーコードを貼られるために

生まれてきたわけじゃない。


世界がどれだけ暗くなっても、

自分の価値を

通知音に決めさせるな。


もし君がすでに

井戸を覗いてしまったのなら、

まだ遅くない。


底に落ちる前に、

誰かの名前を呼べ。


助けてと言え。


スクリーンショットを残せ。


位置情報を送れ。


一人で行くな。


押すな。


消せ。


逃げろ。


君は、

まだ荷物じゃない。


………


❥Z世代のあなたへ

 井戸を覗いた指を止めるために


この物語は、

怖がらせるためだけの

話ではありません。


メキシコ。

キューバ。

アメリカ。

ホルムズ海峡。

石油。

移民。

闇求人。

スマホ。


全部、

遠い話に見えます。


でも、

世界が不安定になると、

一番先に狙われるのは、

いつも「困っている人」です。


お金がない人。

家に相談できない人。

友だちに遅れたくない人。

今すぐ稼ぎたい人。

自分には価値がないと

思っている人。


闇は、

強い人を狙いません。


弱っている瞬間を狙います。


だから覚えてください。


一、「だけ」がつく仕事は疑え。


受け取るだけ。

運ぶだけ。

一回だけ。

貸すだけ。

会うだけ。


その「だけ」が、

出口のない入口かも

しれません。


二、完全匿名は安全ではない。


匿名なのは、

あなたを守るためではなく、

相手が逃げるためかも

しれません。


三、親にバレない仕事は、

 警察にも言えない

 仕事かもしれない。


本当に安全な仕事は、

誰かに説明できます。


会社名があります。

住所があります。

責任者がいます。

契約があります。


秘密にさせる仕事は、

あなたを一人にするための

罠です。


四、スクショを残せ。


怪しいと思ったら、

消す前に残してください。


友だちに送ってください。

大人に見せてください。

相談窓口に出してください。


証拠は、

井戸に落ちる前の

ロープになります。


五、友だちを止めろ。


笑われてもいい。


うざいと言われてもいい。


大げさと言われてもいい。


消えたあとでは、

もう言えません。


「やめとけ」


その一言が、

命綱になることがあります。


あなたは在庫ではありません。


あなたは荷物ではありません。


あなたは、

誰かの裏物流に流されるために

生まれてきたわけでは

ありません。


自分にバーコードを

貼らせないでください。


………


★あとがき

 ホームズとワトソンの

 ホラー漫才

 笑いと涙の締め


ホームズ

「ワトソン君、

 今回の犯人は幽霊ではない」


ワトソン

「そりゃそうでしょうな。

 幽霊より怖いですわ。

 スマホに通知が来ただけで、

 人が倉庫街まで

 歩いていくんですから」


ホームズ

「本当に怖いものは、

 牙を見せて近づいてこない」


ワトソン

「クーポンみたいな顔して

 来るんですな」


ホームズ

「その通りだ」


ワトソン

「完全匿名、高収入、

 受け取るだけ。

 あかん。

 この“だけ”いう言葉、

 もう信用できまへんわ」


ホームズ

「“だけ”は、

 人間を油断させる麻酔だ」


ワトソン

「うまいこと言いますなあ。

 でも先生、

 わしにも値札が貼られますか?

 六十七歳、膝やや難あり、

 話長め、みかん付き」


ホームズ

「君は説明が長いので、

 闇市場では返品される」


ワトソン

「返品て!

 せめて訳あり特価に

 してください!」


ホームズ

「冗談はさておき、

 今回の話で一番大切なのは、

 人間は荷物ではない

 ということだ」


ワトソン

「せや。

 人間にバーコードを

 貼ったらあきまへん」


ホームズ

「ホルムズ海峡が閉じた時、

 世界は石油を心配した。

 だが本当に守るべきだったのは、

 人間の尊厳だった」


ワトソン

「先生、最後にZ世代へ一言」


ホームズ

「怪しい求人は押すな。

 一人で行くな。

 スクショを残せ。

 誰かに見せろ。

 友だちが押しそうなら止めろ」


ワトソン

「それでも腹が減ったら?」


ホームズ

「みかんを食べろ」


ワトソン

「結局みかんかい!」


ホームズ

「みかん四つで

 世界経済は説明できる」


ワトソン

「ほな次回は、

 みかん五つで

 AI失業をお願いしますわ」


ホームズ

「よかろう」


ワトソン

「続くんかい!」


ホームズ

「最後にもう一つ」


ワトソン

「まだあるんですか」


ホームズ

「今夜、

 君のスマホに届く通知は、

 救いの手かもしれない。

 だが、

 君を出荷するための

 バーコードかもしれない」


ワトソン

「怖っ」


ホームズ

「怖がるためではない。

 見抜くために読むのだ」


ワトソン

「お後がよろしいようで」


ホームズ

「いや、まだよくない」


ワトソン

「え?」


ホームズ

「寝る前に、

 怪しい求人を

 一つ通報してから寝たまえ」


ワトソン

「それが今日の宿題かい!」


   ――おしまい――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ