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止めてもよい町 ――ホルムズ逆封鎖、軽油三十リットル、医療費三割、そして人の住まない都市――

◆止めてもよい町


――ホルムズ逆封鎖、

 軽油三十リットル、

 医療費三割、

 そして人の住まない都市――


………


戦争は、

爆発音で始まらなかった。


最初に鳴ったのは、

スマホの小さな

通知音だった。


「購入可能数を

 超えています」


その日、

日本人は

まだ知らなかった。


食料も、

医療も、

電気も、

命も、


これから少しずつ

「順番待ち」

にされることを。


………


★目次


■第一章 

 ホルムズ海峡は、

 遠い海ではなかった


■第二章 

 三十リットルの田植え


■第三章 

 国にはあった、

 町にはなかった


■第四章 

 卵を十個ずつ黙らせる

 透明な箱


■第五章 

 肉を入れる

 白い皿が消えた日


■第六章 

 あなたの不安は

 三個までです


■第七章 

 半分になった食料は、

 半分も残らない


■第八章 

 大丈夫という言葉が、

 いちばん怖かった


■第九章 

 百五十円で売られた命


■第十章 

 国境は守る、

 心臓は誰が守る


■第十一章 

 人の住まない都市


■第十二章 

 百五十万リットルの眠り


■第十三章 

 計画停電の地図


■第十四章 

 灰色に塗られた家


■第十五章 

 地味な発電機メーカーが、

 町の人工心臓になった日


■第十六章 

 止めてもよい町


❥Z世代のあなたへ


★あとがき 

 ホームズとワトソン、

 やすきよ漫才風


………


■第一章 

 ホルムズ海峡は、

 遠い海ではなかった


わたしは地図だった。


中国地方の

ある県庁所在地の、

市役所でも県庁でもない、

古い会議室の壁に

貼られていた。


町の地図だった。


川があった。

駅があった。

病院があった。

団地があった。

スーパーがあった。

JAスタンドがあった。


そして

少し離れた場所に、

窓のない

四角い建物があった。


住民はそれを

倉庫だと思っていた。


違った。


それは、

止めてはいけない

建物だった。


銀行の記録。

行政の記録。

病院の予約。

スマホ決済。

AIの記憶。


人間は住んでいない。


けれど、

人間の暮らしは、

そこに預けられていた。


その日、

会議室のテレビが言った。


「ホルムズ海峡をめぐる

 緊張が高まっています」


誰かが

リモコンで音量を上げた。


画面には、

遠い海が映っていた。


タンカー。

海峡。

原油。

中東。

封鎖懸念。


会議室の若い職員が言った。


「遠い話ですよね」


年配の男が言った。


「遠くない」


その男は、

地図の前に立ち、

赤いペンを持った。


「この海が詰まると、

 この町の軽油が詰まる」


彼は、

JAスタンドに丸をつけた。


「この海が詰まると、

 この町の

 食品トレーが詰まる」


彼は、

スーパーに丸をつけた。


「この海が詰まると、

 この町の電気が詰まる」


彼は、

変電所に丸をつけた。


「この海が詰まると、

 この町の病院代まで

 重くなる」


彼は、

病院に丸をつけた。


ホルムズ海峡は、

地図の中にはなかった。


けれどその日、

わたしの上の町は、

遠い海に

首を絞められ始めた。


■第二章 

 三十リットルの田植え


最初に出たのは、

小さな貼り紙だった。


JAスタンドの給油機に、

白い紙が貼られた。


「一般のお客様

 軽油は一台

 三十リットルまで」


たったそれだけだった。


暴動は起きなかった。

ニュース速報にも

ならなかった。

誰も叫ばなかった。


けれど、

その紙を見た

農家の老人は、

黙って帽子を脱いだ。


田植えの前だった。


トラクター。

田植え機。

軽トラック。

用水路の管理。

苗の運搬。


米は水で育つ。


そう教科書には

書いてあった。


でも本当は違った。


米は、

水と土と太陽だけでは

育たない。


軽油で育っていた。


三十リットル。


その数字は、

ガソリンスタンドの

都合ではなかった。


誰を先に動かすか。


その順位表だった。


✲一般客より農家

✲ドライブより田植え

✲満タンより苗


町の若者は、

まだ気づいていなかった。


スーパーの米棚が

空になる前に、

田んぼの入口で、

もう配給は

始まっていたのだ。


わたしの地図の上で、

JAスタンドの丸が、

赤く濃くなった。


■第三章 

 国にはあった、

 町にはなかった


政府は言った。


「石油備蓄はあります」


テレビの中の顔は、

落ち着いていた。


「国民生活に直ちに

 影響はありません」


「冷静に

 行動してください」


「必要以上の購入は

 控えてください」


言葉だけ聞けば、

安心できるはずだった。


けれど、

町のスタンドでは、

軽油が

三十リットルだった。


物流会社は、

いつもの量を入

れられなかった。


トラックの運転手は、

配送ルートを

減らし始めた。


農家は、

田植えの順番を

組み直した。


ガソリンはまだ売っていた。


でも、

人々の顔が変わってきた。


給油機の前で、

みんながメーターを見る。


満タンにしたい。

でも、

後ろにも車がいる。


国にはある。


でも、

この町にはない。


正確に言えば、

「ある」はずのものが、

今日この場所で、

自分のタンクに入らない。


わたしは地図だった。


地図には、

国家備蓄の場所など

載っていない。


載っているのは、

この町の

スタンドだけだった。


そして

その町のスタンドには、

三十リットルの紙が

貼られていた。


■第四章 

 卵を十個ずつ黙らせる

 透明な箱


次に薄くなったのは、

卵だった。


いや、

卵ではない。


卵を十個ずつ入れる、

透明な小さな箱だった。


✲卵パック。


誰もそれを、

社会のインフラだとは

思っていなかった。


透明で、

軽くて、

捨てられて、

踏めばすぐ潰れる。


そんなものが、

朝ごはんを支えていた。


養鶏場では、

卵は産まれていた。


でも、

パックが足りなかった。


パックがなければ、

十個入りにできない。


積めない。

運べない。

バーコードが貼れない。

賞味期限が見えない。

棚に並べにくい。

レジで流しにくい。

割れれば苦情になる。


スーパーの店長は言った。


「卵はあるんです。

 でも、

 売る形がないんです」


客は怒った。


「卵があるなら売ってよ」


店長は黙った。


昔なら、

かごで売れたかもしれない。


でも令和のスーパーは、

かごでは回らない。


バーコードで回る。

ラベルで回る。

パックで回る。

配送箱で回る。

レジの読み取りで回る。


卵は、

鶏が産んでいたのではない。


鶏と石油化学が、

一緒に産んでいた。


わたしは、

地図の上で震えた。


ホルムズ海峡は遠い。


けれど、

その遠い海の息苦しさは、

朝の卵パックの中にまで

来ていた。


■第五章 

 肉を入れる

 白い皿が消えた日


その週、

スーパーの精肉売り場から、

安い肉が減った。


肉がないのではなかった。


肉を入れる白いトレーが

足りなかった。


トレー。

ラップ。

吸水シート。

ラベル。

段ボール。

配送用コンテナ。


どれか一つでも詰まると、

肉は商品になれない。


鮮魚も同じだった。

魚は海にいた。


でも、

店に来るには、

氷と箱とトレーとフィルムと

軽油が必要だった。


惣菜も同じだった。


唐揚げは揚げられる。

でもフタつき容器がない。


豆腐は作れる。

でも容器がない。


プリンは作れる。

でもカップがない。


弁当は作れる。

でも弁当箱がない。


町の人は、

ようやく気づき始めた。


食料とは、

食べ物だけではない。


✲食料とは、

 食べ物を守る

 入れ物のことであり、

 入れ物を運ぶ

 軽油のことであり、

 入れ物を作る

 ナフサのことであり、

 入れ物を積む

 段ボールのことであり、

 それを冷やす

 電気のことだった


棚には、

まだ商品があった。


でも、

選べなかった。


十種類あった肉は、

四種類になった。


三段あった惣菜は、

一段になった。


いつもの安い商品は消え、

高い商品だけが残った。


人々は、

空っぽの棚よりも、

中途半端に残った

棚の方が怖いことを知った。


それは、

まだ終わっていないことを

示していたからだ。


✲これからもっと減る


そう見えたからだ。


■第六章 

 あなたの不安は

 三個までです


九州のある中核都市で、

弥生はスマホを握っていた。


彼女は、

ポリ袋を十個買おうとした。


Amazonでも

楽天でもよかった。


とにかく、

買えればよかった。


数量欄に、

10と入れた。


画面は、

何も言わずに、

3へ戻した。


もう一度、

10と入れた。


また、

3へ戻った。


怒鳴る店員はいない。


「お一人様三点まで」


という貼り紙もない。


行列もない。

配給所もない。

役所の窓口もない。


ただ、

スマホの白い画面だけが、

静かに告げた。


✲「購入可能数を超えています」


弥生には、

その文字がこう見えた。


あなたの不安は、

三個までです。


翌朝、

メールが届いた。


在庫確保ができなかったため、

ご注文を

キャンセルいたしました。


注文はできた。

でも、

買えなかった。


買えたと思った。

でも、

届かなかった。


弥生は、

初めて理解した。


令和の配給所は、

役所にはない。


スマホのカートの中にある。


そして、

そこには人間の顔がない。


顔がないから、

抗議しても届かない。


数量欄は、

ただ三に戻るだけだった。


■第七章 

 半分になった食料は、

 半分も残らない


町に噂が流れた。


食品流通量が、

六割落ちるかもしれない。


本当かどうか、

誰にも分からなかった。


政府は否定した。


「十分な供給があります」


「冷静な購買行動を

 お願いします」


けれど、

人間は政府発表を食べて

生きているわけではない。


棚を見て生きている。

棚が薄い。


それだけで、

人の心は変わる。


✲普段一個でいい人が、

 二個買う。


✲普段買わない人が、

 念のために買う。


✲十人が少しずつ余分に買う。


その少しずつが、

最後の在庫を食い尽くす。


供給が半分になっても、

棚に半分残るわけではない。


不安が、

需要を百二十にする。


恐怖が、

需要を百五十にする。


買いだめは、

悪人だけが

するものではない。


家族を守りたい

普通の人が、

少しずつするものだ。


その普通の人たちが、

町全体の棚を空にする。


わたしの地図には、

スーパーの位置は

載っていた。


けれど、

人間の不安の大きさは

載っていなかった。


だから地図は、

いつも遅れる。


人間の心が

パニックになった時、

地図はまだ平常を

描いている。


■第八章 

 大丈夫という言葉が、

 いちばん怖かった


テレビは言った。


✲「大丈夫です」


政府は言った。


✲「冷静に」


専門家は言った。


✲「直ちに影響はありません」


その言葉は、

正しいのかもしれなかった。


でも、

町の人々には、

もう届かなかった。


なぜなら、

JAには三十リットルの

貼り紙があった。


Amazonの数量欄は

三に戻った。


卵は 

一人一パックになった。


肉の棚は薄かった。


病院の窓口では、

負担増のニュースが

流れていた。


データセンターの

建設現場では、

クレーンがまだ動いていた。


大丈夫。


その言葉は、

棚が満ちている時には

安心だった。


けれど、

棚が薄くなった後では、

かえって怖かった。


本当に大丈夫なら、

なぜ制限があるのか。


本当に大丈夫なら、

なぜキャンセルされるのか。


本当に大丈夫なら、

なぜ貼り紙が増えるのか。


人々は、

政府の顔より、

貼り紙を信じ始めた。


わたしは地図だった。


地図は嘘をつかない。


けれど、

地図は間に合わない。


町が変わる速度に、

紙はいつも遅れる。


■第九章 

 百五十円で売られた命


病院の受付で、

老人が財布を開いていた。


ニュースでは、


✲「高齢者の医療費を

  原則三割へ近づける

  話が流れていた」


若い人の保険料を軽くするため。

そう説明されていた。

月に百五十円ほど。


百五十円。


缶コーヒー一杯。

ペットボトル一本。

菓子パン一つにも

足りない時代の百五十円。


そのために、

私の町に住んでいる

67歳のおじいちゃんは 

病院の入口で考える。


✲今日、検査を受けるか?

✲薬をもらうか?

✲来月まで我慢するか?

✲家族に言うか?

✲言わずに帰るか?


病気は、

財布を見て止まってくれない。


がんは、

高額療養費の議論を

待ってくれない。


心臓は、

制度改正の工程表を

読んでくれない。


それでも人間は、

財布を見て

病院へ行くのをやめる。


67歳のおじいちゃんは、

小さく笑った。


「わしの命は、

 誰かの缶コーヒー

 一杯分で

 先送りにされたんか」


受付の人は、

悪人ではなかった。


ただ、

制度を読み上げた

だけだった。


そこがいちばん怖かった。


悪人がいなくても、

人は病院から帰る。


悪意がなくても、

命は軽くなる。


■第十章 

 国境は守る、

 心臓は誰が守る


会議室のテレビでは、

防衛費のニュースが

流れていた。


ミサイル。

ドローン。

弾薬。

基地。

防衛力強化。


国を守るために必要です。


そう言っていた。


同じ画面の下に、

医療費負担見直しの

字幕が流れた。


持続可能な

社会保障のためです。


✲武器は、

 必要だから


✲医療は、

 持続可能性


その言葉の温度差が、

67歳のおじいちゃんの

胸に刺さった。


国境は守る。

けれど、

わしの心臓は

誰が守るんじゃろうか。


防衛費が

悪いという話ではない。


外から国を守ることは

必要だ。


けれど、

内側で病院へ行けない人が

増えるなら、

その国は

何を守っているのか?


わたしの地図には、

国境は載っていなかった。


載っていたのは、

病院と、

団地と、

スーパーと、

JAスタンドと、

データセンターだった。


国を守るという言葉は大きい。


でも人間の命は、

いつも小さな受付窓口で、

小銭と一緒に数えられる。


■第十一章 

 人の住まない都市


九州の中核都市の外れに、

窓のない建物があった。


人は住んでいない。


けれど、

町ほど電気を食った。


✲「百メガワット級」


十万世帯から

二十五万世帯分の

平均電力に

相当することもある数字。


その建物は、

昼も夜も冷やされていた。


中にあるのは、

人間ではなかった。


サーバー。

GPU。

光ファイバー。

冷却装置。

UPS。

非常用発電機。


人間の銀行口座。

決済履歴。

病院の予約。

行政データ。

AIの記憶。


そこには、

人間の暮らしの影だけが

集められていた。


人の住まない都市。


誰もそう呼ばなかった。


けれど、

わたしはそう呼んだ。


✲人間の町では、

 エアコンを弱めろと

 言われていた


✲人間の町では、

 冷蔵庫の中身を

 心配していた


✲人間の町では、

 老人が医療費を

 心配していた。


✲その横で、

 人の住まない都市は、

 絶対に止めるなと

 言われていた。


人間の暮らしは節電対象。

機械の記憶は保護対象。


わたしの地図の上で、

その差は、

黄色い丸と灰色の面として

塗られていた。


■第十二章 

 百五十万リットルの眠り


その建物の奥には、

巨大な燃料が眠っていた。


✲「百二十万リットル」


あるいは、

百五十万リットル。


正確な数字は、

町の人には知らされない。


安全のため。

防災のため。

企業秘密のため。

重要インフラのため。


理由はいくつもある。


けれど、

知らされないという事実だけは残る。


✲「百メガワット級の

 データセンターを、

 二日、三日

 動かそうとすれば、

 百万リットル級の燃料が

 必要になる「


一日六十万リットル級。

二日で百二十万リットル級。

三日なら、

さらに増える。


その燃料は、

町の地下か、

建物の奥で眠っている。


通学路の近くかもしれない。

住宅地の近くかもしれない。

駅の近くかもしれない。

空港へ向かう

道路の横かもしれない。


人々は知らない。


けれど停電になれば、

その燃料は目を覚ます。


病院も燃料を欲しがる。

下水ポンプも欲しがる。

冷凍倉庫も欲しがる。

避難所も欲しがる。

農家も軽油を欲しがる。


✲データセンターも言う。

 「止められません」


その時、

燃料は命になる。


そして問題は、

誰の命を

先に燃やすかになる。


■第十三章 

 計画停電の地図


わたしは、

その日のために

貼られていた。


計画停電の会議。


机の上には、

電力需給の資料が並んでいた。


予備率。

ピーク需要。

供給力。

大口需要家。

重要負荷。

遮断区域。


人間の言葉は消えていた。


あるのは、

数字と系統だけだった。


✲「この病院は外せない」

✲「この通信施設も外せない」

✲「このデータセンターは重要」

✲「下水ポンプ場も止められない」

✲「浄水場も外せない」

✲「この工業地域も影響が大きい」


止められない場所が、

次々に地図の上で囲まれた。


赤。

黄色。

青。


残ったのは、

灰色だった。


住宅地。


古い団地。

一戸建て。

アパート。

小さな商店。

年金暮らしの家。

子育て中の家。


会議では、

誰も悪人ではなかった。


誰も笑っていなかった。


ただ、

足りない電気を前に、

どこかを止めるしかなかった。


「第4グループ、

 午後7時から9時」


その瞬間、

わたしは地図ではなくなった。


人間を消す順番表になった。


■第十四章 

 灰色に塗られた家


午後七時。

町が暗くなった。


最初に止まったのは、

テレビだった。

次に、

Wi-Fiが死んだ。

冷蔵庫が沈黙した。

電子レンジは黒い箱になった。

エアコンのランプが消えた。


老人は、

うちわを探した。


母親は、

冷凍庫の肉を触った。


高校生は、

スマホの残量を見た。


赤ん坊が泣いた。


団地の階段に、

人が出てきた。


誰かが言った。


✲「データセンターは

 動いとるんじゃろ?」


誰も答えなかった。


町の外れで、

低い音がしていた。


冷却ファンの音だった。


人の住まない都市が、

燃料を食べながら動いていた。


それは、

町を守っているのかも

しれない。

銀行を守っているのかも

しれない。

決済を守っているのかも

しれない。

行政を守っているのかも

しれない。

AIを守っているのかも

しれない。


けれど、

暗い台所にいる

67歳のおじいちゃんには、

こう見えた。


✲人間の冷蔵庫は

 止められる。


✲機械の記憶は

 止められない。


その差が、

あまりにも残酷だった。


■第十五章 

 地味な発電機メーカーが、

 町の人工心臓になった日


停電から二時間後、

町の音が変わった。


エアコンの音ではない。

テレビの音でもない。


遠くから、

低く重たい

唸りが近づいてきた。


✲発電機だった。


病院の裏口。

避難所の校庭。

下水ポンプ場の横。

役所の臨時窓口。

通信施設の脇。


そこへ、

小さな鉄の箱が運ばれてきた。


東証に上場している、

地味な発電機メーカーの 

製品だった。


ふだん、

若者はその会社の名前を

知らなかった。


AI企業ほど派手ではない。

半導体企業ほど夢

を語らない。

スマホのように

毎日触るものでもない。


けれど停電した町で、

最初に人間のそばへ来たのは、

その地味な鉄の箱だった。


可搬形発電機。

非常用発電機。

電源車。


建設現場で使われ、

災害現場で使われ、

病院で使われ、

自治体で使われ、

避難所で使われる。


ふだんは、

誰も振り向かない。


でも電気が止まった瞬間、

その会社は町の 

人工心臓になった。


データセンターには、

巨大な自家発電設備が

あった。


だが人間の町には、

移動できる心臓が

必要だった。


病院の冷蔵庫を動かすため。

避難所の照明をつけるため。

下水ポンプを回すため。

通信機器を生かすため。

スマホ充電所を作るため。


一台の発電機が、

ひとつの暗闇を押し返した。

67歳の老人が言った。


「あれがなかったら、

 わしらは本当に

 終わっとったな」


若い職員が言った。


「AIの会社ばかり

 見てました。

 でも、停電したら、

 こういう会社が最初に

 必要になるんですね」


年配の男が答えた。


「派手な会社が

 未来を語る。

 地味な会社が

 夜を越えさせる」


その言葉を聞いて、

わたしの地図の上に、

新しい印が増えた。


病院でもない。

データセンターでもない。

スーパーでもない。


発電機が

置かれた場所だった。


そこは、

人間の町がまだ

諦めていない場所だった。


■第十六章 

 止めてもよい町


翌朝、

テレビは言った。


「大きな混乱は

 ありませんでした」


政府は言った。


「計画停電は

 予定通り終了しました」


電力会社は言った。


「ご協力

 ありがとうございました」


データセンターは、

何も言わなかった。


ただ、

動き続けた。


スーパーでは、

卵が一人一パックだった。


肉の棚はまだ薄かった。

惣菜は少なかった。


Amazonの数量欄は、

また三に戻った。


JAスタンドには、

軽油三十リットルの 

貼り紙が残っていた。


病院の待合室では、

老人が診察券を握ったまま、

しばらく座っていた。


校庭では、

地味な発電機が

まだ唸っていた。


その音は、

決して美しくはなかった。


うるさくて、

油臭くて、

古臭い音だった。


でも、

その音の下で、

避難所の灯りがついた。


下水ポンプが回った。

冷蔵庫の薬が守られた。

スマホが少しだけ

充電された。


人間の町は、

完全には止まらなかった。


大きな爆発はなかった。

戦車も来なかった。

ミサイルも

飛んでこなかった。


でも、

町は確実に変わっていた。


人々はようやく気づいた。


自分たちは、

貧しくなっただけではない。

止めてもよい側に、

静かに並べられていたのだ。


食料は、

選べなくなった。


燃料は、

満タンにできなくなった。


医療は、

財布を見て

決めるようになった。


電気は、

誰を残すかで

決められるようになった。


データは、

人間より先に

冷やされるようになった。


けれど、

その暗闇の中に、

小さな

人工心臓が運び込まれた。


地味な会社の、

地味な発電機だった。


わたしは地図だった。


町を案内するために

作られた。


けれど二〇二六年の夏、

わたしは、

人間の順位表になった。


そして、

一番下に塗られた灰色の町で、

67歳の老人がつぶやいた。


「わしらは、

 貧しくなったんじゃない。


 止めてもよい側に、

 塗られたんじゃ。


 けどな、

 まだ終わりじゃない。


 この小さな

 発電機の音がするうちは、

 人間の町は、

 まだ生きとる」 


………


❥Z世代のあなたへ


あなたは、

スマホで

何でも買える時代に

生まれた。


水も、

食料も、

服も、

薬も、

推しのグッズも、


クリックすれば

届くと思っていたかも

しれない。


でも、

それは魔法ではない。


スマホの向こうには、

軽油で動くトラックがある。


食品を守るトレーがある。


卵を十個ずつ黙らせる

パックがある。


倉庫がある。

冷凍庫がある。

発電所がある。

送電線がある。

データセンターがある。


そして、

それを動かす人間がいる。


便利は、

燃料と電気と容器と

人手でできている。


だから、

これからの時代に

強い人は、

何でも

大量に買える人ではない。


少ないもので回せる人。

近くで暮らせる人。

車に頼りすぎない人。

スマホが止まっても

動ける人。

現金を少し持つ人。

冷蔵庫が止まっても

一日を組み立てられる人。

病院に行ける体を、

普段から

少しでも守る人。


そして、

派手な未来企業だけでなく、

地味に社会を支える会社にも

目を向ける人。


AIを動かす会社も大事だ。

でも、

停電した町を動かす

発電機も大事だ。


データを守る会社も

大事だ。

でも、

人間の夜を越えさせる

会社も大事だ。


便利を捨てろという

話ではない。


便利が止まった時に、

あなたまで止まるな。


それが、

これからの生きる力だ。


………


★あとがき

 ホームズとワトソンの

 屋敷にて


 ――やすきよ漫才風、

  笑いと涙の推理――


✲ワトソン


「ホームズ!

 今回の事件は何ですか?

 密室殺人ですか?

 毒入り紅茶ですか?

 消えた宝石ですか?」


✲ホームズ


「違う、ワトソン君。

 今回消えたのは

 宝石ではない」


✲ワトソン


「では何が消えたんです?」


✲ホームズ


「選べる自由だ」


✲ワトソン


「重い!

 最初から重い!」


✲ホームズ


「軽く言おうか?」


✲ワトソン


「お願いします」


✲ホームズ


「プリンが

 三個までになった」


✲ワトソン


「それは大事件です!」


✲ホームズ


「君の場合だけな」


✲ワトソン


「ホームズ、

 なぜプリンが 

 三個までなんです?」


✲ホームズ


「容器が足りないからだ」


✲ワトソン


「プリン本体ではなく?」


✲ホームズ


「そうだ。

 プリンは作れる。

 しかし

 カップがなければ

 売れない」


✲ワトソン


「じゃあ私はどうすれば?」


✲ホームズ


「皿を持って

 工場へ行きたまえ」


✲ワトソン


「怪しい人です!」


✲ホームズ


「現代の食料危機とは、

 そういうことだ。

 中身だけでは

 社会は回らない」


✲ワトソン


「卵もですか?」


✲ホームズ


「卵もだ。

 卵は鶏が産む。

 だがスーパーの卵は、

 鶏と石油化学が

 共同で産む」


✲ワトソン


「鶏もびっくりです!」


✲ホームズ 


「さらに軽油だ」


✲ワトソン


「軽油?」


✲ホームズ


「米は水で育つと 

 思っていただろう」


✲ワトソン


「はい」


✲ホームズ


「甘い。

 米は軽油でも育つ」


✲ワトソン


「田んぼに 

 軽油をまくんですか?」


✲ホームズ


「まかん!

 トラクターと

 田植え機を動かすんだ!」


✲ワトソン


「なるほど。

 三十リットルの

 田植えですね」


✲ホームズ


「その通り。

 そして次は医療だ」


✲ワトソン


「医療まで?」


✲ホームズ


「高齢者三割。

 若者は月百五十円ほど

 助かるかもしれない。

 だが老人は

 病院の入口で財布を見る」


✲ワトソン


「百五十円で

 命の話をされるのは、

 さすがに笑えませんね」


✲ホームズ


「だから笑いながら

 泣くしかない」


✲ワトソン


「では

 データセンターは?」


✲ホームズ


「人の住まない都市だ」


✲ワトソン


「都市なのに

 人が住まない?」


✲ホームズ


「そうだ。

 人は住まない。

 しかし

 町ほど電気を食う。

 百メガワット級なら、

 十万から二十五万世帯級の

 平均電力に

 相当することもある」


✲ワトソン


「そんな建物が

 近所にあったら、

 うちの紅茶ポットは

 停電しますか?」


✲ホームズ


「直接 

 吸われるわけではない。

 だが

 電気が足りなくなれば、

 止められない施設が

 優先される。

 紅茶ポットは止められる」


✲ワトソン


「紅茶ポットの人権は?」


✲ホームズ


「ない」


✲ワトソン


「ひどい!」


✲ホームズ


「だが本当にひどいのは、

 紅茶ポットではない。

 冷蔵庫に

 薬を入れている老人だ。

 暑さに弱い赤ん坊だ。

 停電した団地の階段を

 下りられない人だ」


✲ワトソン


「ホームズ……」


✲ホームズ


「しかし、

 ここで地味な

 発電機メーカーが

 登場する」


✲ワトソン


「おお!

 ついにヒーローですか?」


✲ホームズ


「そうだ。

 ただしマントはない。

 油臭い。

 音もうるさい。

 見た目も地味だ」


✲ワトソン


「ヒーロー感ゼロですね」


✲ホームズ


「だが停電した

 病院の裏で回る。

 避難所の校庭で回る。

 下水ポンプの横で回る。

 通信施設の脇で回る」


✲ワトソン


「それは本物のヒーローです」


✲ホームズ


「AI企業は未来を語る。

 地味な発電機は

 夜を越えさせる」


✲ワトソン


「ホームズ、

 今回ちょっと

 かっこいいです」


✲ホームズ


「いつもだ」


✲ワトソン


「そこは否定してください」


✲ホームズ


「ワトソン君。

 今回の犯人は、

 ナイフを持っていない。

 拳銃も持っていない」


✲ワトソン


「何を持っているんです?」


✲ホームズ


「ペンだ」


✲ワトソン


「ペン?」


✲ホームズ 


「地図に線を引くペンだ」


✲ワトソン


「怖いですね」


✲ホームズ


「怖い。

 だが希望もある」


✲ワトソン


「ありますか?」


✲ホームズ 


「ある。

 自分が止めてもよい側だと

 気づいた人間は、

 止まらない暮らしを

 作り始める」


✲ワトソン 


「どうやって?」


✲ホームズ


「近くで暮らす。

 無駄に走らない。

 買い占めない。

 少なく備える。

 家族と話す。

 隣の人を知る。

 スマホ以外の道を残す。

 冷蔵庫以外の

 食べ方を覚える。

 そして、

 地味なものを

 馬鹿にしない」


✲ワトソン


「地味なもの?」


✲ホームズ


「発電機。

 軽油。

 段ボール。

 トレー。

 ラップ。

 下水ポンプ。

 電気工事。

 メンテナンス。

 そういう地味なものが、

 文明の本体だ」


✲ワトソン


「じゃあホームズ、

 最後に一言

 お願いします」


✲ホームズ


「よろしい」


✲ワトソン


「名推理を」


✲ホームズ


「文明とは、

 プリンのカップであり、

 停電時の発電機である」


✲ワトソン


「長い!」


✲ホームズ


「では短く言う」


✲ワトソン


「お願いします」


✲ホームズ


「便利が止まった時、

 自分まで止まるな」


✲ワトソン


「それは名言です」


✲ホームズ


「そしてプリンは

 冷えているうちに

 食べろ」


✲ワトソン


「結局そこかい!」


✲ホームズ 


「プリンも

 電気で冷えている」


✲ワトソン


「確かに!」


✲ホームズ


「読者諸君。

 笑ってくれ。

 そして少しだけ

 考えてくれ。

 あなたの町が、

 止めてもよい側に

 塗られる前に。

 あなた自身が、

 自分の暮らしを、

 地図の灰色から

 取り戻すために」


✲ワトソン


「で、プリンは?」


✲ホームズ


「三個までだ」


✲ワトソン


「またか!」


✲ホームズ


「ただし、

 停電前なら

 一個多く食べてもよい」


✲ワトソン


「それは備蓄ではなく

 食いだめです!」


✲ホームズ


「これが人間だ」


✲ワトソン


「情けない!」


✲ホームズ


「だが、

 情けない人間を

 守るために、

 地味な発電機は

 今日も回る」


✲ワトソン


「……最後だけ

 泣かせに来ましたね」


✲ホームズ


「笑いと涙。

 それが文明の 

 非常用電源だ」

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