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ツナマヨが消えた朝、コオロギの蜘蛛の糸が垂れてきた――油、ナフサ、肥料、配給アプリ。最後の非常口は、母ちゃんの沈黙だった――

✦ツナマヨが消えた朝、

 コオロギの蜘蛛の糸が

 垂れてきた  


――油、ナフサ、肥料、

 配給アプリ。

 最後の非常口は、

 母ちゃんの沈黙だった――


………


戦争は、爆発音で始まらん。


ミサイルでもない。

空襲警報でもない。

政治家の会見でもない。


コンビニの棚から、

ツナマヨが

一個ずつ減っていく音で

始まるんじゃ。


あの白い具は、

マヨネーズではなかった。


世界の物流だった。


そして本当に怖いのは、

ツナマヨが

消えることではない。


「うちにはまだある」


と、

誰かに言ってしまう

ことなんじゃ。


………


★目次


■第一章 

 ブラジルの鳥は、

 まだ生きていた


■第二章 

 油が油を作っていた 


■第三章 

 ツナマヨが消えた朝


■第四章 

 ナフサという透明な骨


■第五章 

 中身より先に

 包み紙が消えた


■第六章 

 三八%は、

 平時の数字だった


■第七章 

 肥料は来年の畑を●す


■第八章 

 冬のイチゴは、

 重油で赤かった


■第九章 

 米はあるのに、

 昼ごはんにならない


■第十章 

 冷凍庫が信用できない夜


■第十一章 

 犬の飯より安い昼ごはん


■第十二章 

 コオロギの蜘蛛の糸


■第十三章 

 配給手帳は

 スマホに戻ってきた


■第十四章 

 母ちゃんは、

 子どもにも

 全部は言わなかった


■第十五章 

 非常口は、

 母ちゃんの胸の中にあった


❥Z 世代のあなたへ


★あとがき

 ホームズとワトソンの

 やすきよ漫才風


………


■第一章 

 ブラジルの鳥は、

 まだ生きていた


ブラジルの大地には、

 まだ鳥がいた。

鶏は歩いていた。

餌をついばんでいた。

太陽の下で、

何も知らん顔をしていた。


けれど、

その鳥は、

もう簡単には

日本の食卓へ

来られなかった。


鳥が消えたわけではない。

鶏肉が地球から

なくなったわけでもない。


ただ、

鳥が「鶏肉」になって、

日本のスーパーの

白いトレーに

乗るまでの道が、

長すぎた。


✲餌が高い

✲餌を運ぶ軽油が高い

✲養鶏場の電気が高い

✲冷凍処理に

 エネルギーがいる

✲港まで運ぶトラックがいる

✲冷凍船の重油がいる

✲船舶保険が跳ね上がる

✲日本に着いてからも、

 冷凍倉庫がいる

✲冷蔵トラックがいる

✲スーパーの容器がいる

✲包装フィルムがいる

✲衛生管理がいる


鳥はいる。

けれど、鶏肉は届かない。


六十七歳の

元証券マンのおじいちゃんは、

テレビの前で腕を組んだ。


「なるほどのう。

 鳥はおるのに、

 鶏肉は食えん。

 これが、

 今の世界か」


台所では、

母ちゃんが

冷蔵庫を開けていた。


子どもが言った。


「母ちゃん、今日は唐揚げ?」


母ちゃんは、少し黙った。


「今日は、

 違うもんにしようね」


「なんで?」


「鶏肉が高いの」


「鳥はいないの?」


母ちゃんは、

冷蔵庫の奥を見た。


卵が二つ。

豆腐が一丁。

納豆が三つ。

鶏肉はなかった。


「鳥はいるのよ」


「じゃあ、

 なんで鶏肉ないの?」


母ちゃんは、

子どもに

世界を説明しようとして、

やめた。


世界は、

子どもの質問より

ずっと複雑で、

でも子どもの質問より

ずっと単純だった。


「鳥はいる。

 でも、

 ここまで来る力がないの」


子どもは、首をかしげた。


「変なの」


「そうね。変なの」


でも、

その「変なの」が、

これから 

日本中の食卓で起こる。


✲魚は海にいるのに、

 ツナは来ない。


✲米はあるのに、

 弁当にならない。


✲豆腐は作れるのに、

 容器がない。


✲油は世界の

 どこかにあるのに、

 台所には届かない。


食べ物は、

食べ物だけで

できていなかった。


それが、

最初のドミノだった。


■第二章 

 油が油を作っていた


サラダ油は、

台所の隅にあった。

透明で、静かで、

何も言わない。


昔は、

特売の日に

一本買えばよかった。

なくなりそうになったら、

また買えばよかった。


母ちゃんは、

いつものように棚から

サラダ油を取ろうとした。


値札を見て、手が止まった。


前より高い。

十円。

二十円。

五十円。


最初、人は笑った。


「十円や二十円で騒ぐな」

「貧乏くさい」

「どうせすぐ落ち着く」

「また値上げか、はいはい」


けれど、

十円は二十円になり、

二十円は五十円になり、

五十円は百円になった。


やがて、

値上げは

値上げではなくなった。


棚の奥行きが、薄くなった。


おじいちゃんは、

サラダ油のボトルを

手に取って言った。


「油が高いんじゃない。

 油を作る油が

 高いんじゃ」


子どもが聞いた。


「油を作る油?」


「そうじゃ。

 食べられん油が、

 食べられる油を

 作っとるんじゃ」


大豆や菜種を運ぶ船。

工場を動かす電気。

機械を回すエネルギー。

ボトルを作るナフサ。

キャップを作る樹脂。

段ボール。

トラック。

倉庫。

スーパーの照明。


食用油は、

畑だけでは

できていなかった。


重油。

軽油。

電気。

ナフサ。


食べられない油が、

食べられる油を作っていた。


母ちゃんは、

ボトルを一本だけ買った。

二本は買わなかった。


買えないのではない。

買うと目立つからだ。


その時、

母ちゃんはもう知っていた。


有事には、

物を持つことより、

持っていると

知られないことの方が

大事になる。


■第三章 

 ツナマヨが消えた朝


最初に消えたのは、

高級食材ではなかった。


ステーキでもない。

うなぎでもない。

寿司でもない。

高級メロンでもない。


コンビニの棚にあった、

白い三角形だった。


ツナマヨおにぎり。


若者が、

朝の通学前に買う。


会社員が、昼に買う。


夜勤明けの人が、

帰りに買う。


お金がない日でも、

なんとか手が届く。


その白い三角が、

ある朝、

少し減っていた。


「たまたま売り切れじゃろ」


みんな、そう思った。


次の日も少なかった。

その次の日も少なかった。

夕方には、もうなかった。


代わりに、

塩むすびが増えた。

昆布が増えた。

具の少ない商品が増えた。


若者がスマホでつぶやいた。


「最近ツナマヨ少なくね?」


誰かが笑った。


「お前、

 ツナマヨ依存症かよ」


けれど、

おじいちゃんは

笑わなかった。


ツナマヨは、

ただのおにぎりではない。


米。

海苔。

ツナ。

マヨネーズ。

食用油。

卵。

酢。

包装フィルム。

ラベル。

バーコード。

配送トラック。

コンビニ物流。

廃棄ロス管理。


その全部がそろって、

初めて棚に並ぶ。


おじいちゃんは言った。


「あの白い具は、

 マヨネーズでは

 なかったんじゃ」


子どもが聞いた。


「じゃあ何?」


おじいちゃんは、

棚の空白を見た。


「世界の物流じゃ」


その日、

日本人はまだ

気づいていなかった。


ツナマヨが

消えたのではない。


ツナマヨを

成立させていた世界が、

音もなく欠け始めたのだ。


■第四章 

 ナフサという透明な骨


食料危機は、

腹から始まると

思われていた。


けれど実際には、

包装フィルムから始まった。


おにぎりの三角フィルム。

豆腐の白い容器。

マヨネーズのボトル。

フリーザーバッグ。

ラップ。

食品トレー。

冷凍食品の袋。

弁当のフタ。

ゴミ袋。

保存容器。


全部、

当たり前にそこにあった。

誰も感謝しなかった。

誰も気にしなかった。

透明すぎて、

見えていなかった。


けれど、ナフサが詰まった。


ナフサ。

粗製ガソリン。

石油化学の入口。

プラスチックの骨。

現代生活の透明な骨。


母ちゃんは

スーパーで豆腐を見た。


豆腐はあった。

けれど、

いつもの容器ではなかった。


薄い。

頼りない。

少し高い。

店員が小さな紙を貼っていた。


「包材不足のため、

 仕様を変更しております」


子どもが言った。


「豆腐はあるじゃん」


母ちゃんは言った。


「そうね。豆腐はある」


でも、

おじいちゃんは首を振った。


「豆腐はあっても、

 豆腐の家がないんじゃ」


子どもが笑った。


「豆腐の家?」


「そうじゃ。

 令和の食べ物は、

 みんなお家に入って

 売られとる。

 豆腐の家。

 肉の家。

 弁当の家。

 おにぎりの家。

 その家が

 作れんようになったら、

 中身も売れん」


豆腐はあった。

でも豆腐の家がなかった。


それが、

二〇二六年の日本だった。


■第五章 

 中身より先に

 包み紙が消えた


中身はあるのに、売れない。

これが一番、

人を混乱させた。


✲工場には食品がある。

 でも袋がない。


✲弁当は作れる。

 でもフタがない。


✲肉は切れる。

 でもトレーがない。


✲おにぎりは握れる。

 でもフィルムがない。


✲マヨネーズは作れる。

 でもボトルがない。


✲店頭に並べられない。

✲衛生上、出せない。

✲賞味期限を貼れない。

✲バーコードが貼れない。

✲配送ケースが足りない。


人々は怒った。


「中身があるなら売れよ」


でも売れなかった。

令和の食品は、

裸では生きられない。


母ちゃんは、

スーパーの惣菜売り場で

立ち止まった。


前は、唐揚げ、コロッケ、

ポテトサラダ、焼き魚、

弁当が並んでいた。


今は違う。


種類が少ない。

容器が安っぽい。

量が少ない。

値段だけが高い。


子どもが言った。


「なんか、

 全部小さくなった」


母ちゃんは答えなかった。


小さくなったのは

惣菜ではない。

日本の余白だった。


おじいちゃんは、

誰にも聞こえない声で

言った。


「二〇二六年、

 日本人は初めて知った。

 食べ物は、

 中身より先に

 包み紙から消えることを」


■第六章 

 三八%は、

 平時の数字だった


父ちゃんはテレビを見ていた。


専門家が言った。


「日本の食料自給率は

 カロリーベースで

 三八%です」


父ちゃんは、

少し安心した顔をした。


「ほら見ろ。

 三八%あるじゃないか。

 ゼロじゃない。

 何とかなる」


母ちゃんは、

味噌汁を

かき混ぜながら言った。


「その三八%は、

 軽油がある時の三八%よ」


父ちゃんは、箸を止めた。


「どういう意味だ」


母ちゃんは静かに続けた。


「肥料がある時の三八%。

 トラクターが動く時の

 三八%。

 袋がある時の三八%。

 冷蔵庫が動く時の

 三八%。

 トラックが走る時の

 三八%。

 ビニールハウスが

 暖まる時の三八%」


父ちゃんは黙った。

おじいちゃんは、

うなずいた。


「数字は嘘をつかん。

 けど、

 数字の前提は

 よく隠れるんじゃ」


✲日本の自給率三八%


それは、平時の数字だった。


ホルムズ海峡が詰まり、

原油が詰まり、

軽油が詰まり、

肥料が詰まり、

ナフサが詰まり、

包装が詰まり、

物流が詰まる。


その瞬間、

三八%は

紙の上の安心に変わる。


子どもが聞いた。


「じゃあ、

 ほんとは何%なの?」


誰も答えられなかった。

その沈黙が、答えだった。


■第七章 

 肥料は来年の畑を●す


食料危機は、

棚が空になってから始まると

思われていた。


でも、本当は違った。


農家が、

畑の前で作付けを迷った時に、

もう始まっていた。


種はある。

畑もある。

水もある。

太陽もある。

でも、肥料が足りない。


軽油が高い。

農機を動かす

回数を減らしたい。

ビニールも高い。

出荷用の箱も高い。


農家のおじさんは言った。


「作れる。

 でも、

 いつものようには作れん」


母ちゃんは、

野菜売り場で値札を見た。


キャベツ。

トマト。

きゅうり。

レタス。

じゃがいも。


前より高い。

でも本当に怖いのは、

今の値札ではなかった。


来年の値札だった。


肥料が止まるということは、

今日の食卓が

止まることではない。


まだ芽も出ていない

来年の朝ごはんが、

静かに減らされることだった。


おじいちゃんは言った。


「飢えは、

 未来から歩いてくるんじゃ。

 しかも、

 最初は足音がせん」


子どもは、

トマトを一つ手に取った。


「これ、来年もある?」


母ちゃんは、値段を見た。

それから子どもの顔を見た。


「あるといいね」


その言葉は、祈りに近かった。


■第八章 

 冬のイチゴは、

 重油で赤かった


昔、

日本では、

冬でもイチゴが食べられた。

冬でもトマトがあった。

冬でもきゅうりがあった。

いつでもレタスがあった。


みんな、

それを普通だと思っていた。

けれど、普通ではなかった。


ビニールハウス。

暖房。

重油。

電気。

肥料。

水。

輸送。

包装。


それらで、

季節をねじ曲げていた。


冬のイチゴは、

春の味ではなかった。


重油で赤くした、

季節外れの夢だった。


母ちゃんは、

スーパーで

イチゴのパックを見た。


値段を見て、

手を引っ込めた。


子どもが言った。


「買わないの?」


「今日はやめとこう」


「なんで?」


「高いから」


「前は買ってたじゃん」


母ちゃんは笑った。


「前は、

 世界が無理を

 してくれてたのよ」


子どもは分からなかった。


でも、

おじいちゃんには分かった。


ホルムズ海峡が閉じた時、

日本の食卓から

最初に消えたのは、

飢えではない。


季節を無視する力だった。


■第九章 

 米はあるのに、

 昼ごはんにならない


米はあった。

田んぼにもある。

米びつにも少しある。

政府も「在庫はある」

と言う。


でも、

米はそのままでは

昼ごはんにならない。


炊く電気がいる。

水がいる。

袋がいる。

弁当に詰める容器がいる。

店へ運ぶトラックがいる。

店員が並べる時間がいる。

冷蔵や衛生管理もいる。


米はある。

でも、おにぎりにならない。


母ちゃんは、

炊飯器の予約ボタンを見た。


冷蔵庫には、

計画停電の予定表。


火曜日、午後二時から五時。

木曜日、午後一時から四時。

土曜日、午前十時から

    午後一時。


子どもが聞いた。


「母ちゃん、停電って何?」


「電気が止まること」


「エアコンも?」


「そうね」


「冷蔵庫も?」


「そうね」


「炊飯器も?」


母ちゃんは、黙った。

子どもは、核心を突いた。


「じゃあ、

 ごはんも作れないの?」


母ちゃんは、

少しして言った。


「作れる時に作るの。

 これからは、

 時間も

 食べ物の材料になるのよ」


米びつには米があった。


けれど日本には、

米を昼ごはんに変える

余力がなくなっていた。


■第十章 

 冷凍庫が信用できない夜


冷凍庫は、安心の箱だった。


冷凍うどん。

冷凍野菜。

冷凍食品。

冷凍肉。

アイス。

忙しい日の味方。

一人暮らしの命綱。

共働き家庭の非常口。


けれど、

計画停電が始まると、

冷凍庫は安心ではなくなった。


三時間の停電。

五時間の停電。

夏の夜。

室温三十度。


冷凍庫の中の食べ物が、

じわじわ不安になる。


母ちゃんは、冷凍庫を開けた。

白い冷気が、少しだけ逃げた。


「早く閉めなきゃ」


子どもが言った。


「なんで?」


「冷える力が

 もったいないから」


昔は、

そんなことを考えなかった。


冷凍庫はいつでも冷えていた。

電気はいつでも来ていた。

コンセントは、

社会とつながる命綱だった。

でも、その命綱が細くなった。


母ちゃんは気づいた。


冷凍庫は、

食べ物を

保存していたのではない。

明日の安心を

凍らせていたのだ。

そして電気が止まると、

安心は溶ける。


母ちゃんは、

冷凍庫を

信用しすぎるのをやめた。


代わりに、台所の奥を見た。


米。

味噌。

乾麺。

切り干し大根。

高野豆腐。

缶詰。

飴。

チョコ。


常温で、

黙って待てる食べ物。


それが、

本当の非常口になっていった。


■第十一章 

 犬の飯より安い昼ごはん


ある日、

ペットショップの前で、

子どもが立ち止まった。


きれいな袋が並んでいた。


高タンパク。

グレインフリー。

昆虫プロテイン。

サステナブル。

プレミアム。


犬用だった。


値段を見て、

母ちゃんは笑えなかった。


その帰り、

コンビニに寄った。


おにぎり棚は薄かった。

ツナマヨはなかった。

塩むすびが少しあった。


子どもが言った。


「犬のごはんの方が高そう」


母ちゃんは、

答えられなかった。


おじいちゃんは、

ゆっくり言った。


「高いか安いか

 だけじゃないんじゃ。

 犬の飯には、

 金持ちの市場が残っとる。

 人間の昼ごはんには、

 国の余裕がなくなっとる」


昆虫タンパクは、

人間の皿には

乗りにくかった。


気持ち悪い。

まずそう。

誰が虫なんか食べるか。


そう言って、

みんな笑っていた。

だから虫は、

人間の皿から逃げた。


ペットフードへ。

養殖魚の餌へ。

鶏の餌へ。

高付加価値の素材へ。


人間は虫を拒んだ。

だから虫は、

魚の腹を通って戻ってきた。


そして今度は、

非常食コーナーに

戻ろうとしていた。


■第十二章 

 コオロギの蜘蛛の糸


テレビにCMが流れた。


明るい音楽。

きれいな若者。

白い背景。

笑顔。


「未来のタンパク質を、

 あなたの食卓へ」


「地球にやさしい」


「高タンパク」


「非常時にも」


「次世代フード」


若者が手に持っていたのは、

チョコ味の

プロテインバーだった。


袋の裏に、

小さく書いてあった。


Cricket Protein.

コオロギタンパク。


少し前まで、

みんな笑っていた。


「誰が虫なんか食うか」


「気持ち悪い」


「学校給食に出すな」


「そんな未来、

 来るわけない」


けれど、ツナマヨが消え、

サラダ油が高くなり、

卵が高くなり、

肉が遠くなり、

缶詰が金貨になった時、

人々は笑わなくなった。


子どもが

テレビを見て言った。


「これ食べたら助かるの?」


おじいちゃんは言った。


「蜘蛛の糸じゃな」


「天国に行けるの?」


おじいちゃんは首を振った。


「いや。

 これは天国へ上がる

 糸じゃない。

 地獄の売店へ

 並ぶための糸じゃ」


画面の向こうでは、

投資家が資料を見ていた。


Alternative Protein.

Insect Feed.

Cultivated Meat.

Food Security Fund.


庶民には

非常口と呼ばれたものが、

金持ちには

成長市場と呼ばれていた。


庶民は蜘蛛の糸だと

思ってつかんだ。


けれど糸の上では、

金持ちが株価チャートを見て

笑っていた。


■第十三章 

 配給手帳は

 スマホに戻ってきた


配給制は、

突然始まらなかった。


最初は、スーパーの紙だった。


「お一人様一点限り」


次に、

ガソリンスタンドの

貼り紙だった。


「給油量制限中」


その次に、アプリになった。

子どもがスマホをのぞいた。


「母ちゃん、これなに?」


画面には、こう表示されていた。


今週の購入可能量。


米:二キロまで。

食用油:購入不可。

卵:一パックまで。

ガソリン:十リットルまで。

カセットボンベ:在庫なし。

配送:営業所受け取りのみ。


子どもが言った。


「ゲームのスタミナみたい」


母ちゃんは言った。


「違うよ。

 これは生活の残り回数よ」


昭和の配給手帳は紙だった。

令和の配給手帳は、

スマホの中で光っていた。


父ちゃんは怒った。


「こんなの、おかしいだろ」


おじいちゃんは言った。


「燃料が足りなくなると、

 国は善悪ではなく

 順番で人を見るんじゃ」


病院。

救急。

消防。

物流。

農業。

発電。

下水。

食品工場。

冷凍倉庫。


そのあとに、一般家庭。


個人車。

観光。

娯楽。

外食。


宅配の便利さ。


配給とは、

足りないものを

分ける制度ではない。


誰を後回しにするか

決める制度だった。


父ちゃんは、

何も言わなくなった。


テレビも、もう見なかった。


■第十四章 

 母ちゃんは、

 子どもにも

 全部は言わなかった


子どもが聞いた。


「母ちゃん、

 まだ缶詰あるの?」


「少しね」


「どこにあるの?」


「台所の奥」


「何個あるの?」


母ちゃんは答えなかった。


「なんで教えてくれないの?」


「お前が

 悪い子だからじゃないよ」


「じゃあ、なんで?」


「お前はいい子だからよ」


「いい子なら教えてよ」


母ちゃんは、ゆっくり言った。


「いい子だから、

 友達に言ってしまう」


子どもは黙った。

母ちゃんは続けた。


「友達に言う。

 友達のお母さんに伝わる。

 そのお母さんが、

 また別の人に言う。

 最後に、

 うちの玄関に人が来る」


「来たら、

 分けてあげればいいじゃん」


母ちゃんは首を振った。


「一人ならね。

 でも十人来たら?

 二十人来たら?

 そのあと、

 お前は何を食べる?」


子どもは、

初めて缶詰を見る目を変えた。


それは魚ではなかった。

家族が何日か

生きる時間だった。


父ちゃんにも、

全部は言わなかった。


父ちゃんは悪い人ではない。

でも、見栄がある。

外面がある。

正義がある。


「困った時はお互い様じゃ」


「隠すのはよくない」


「少し分ければええ」


「国が何とかする」


そう言って、

一袋の米を外へ

出してしまうかもしれない。


その瞬間、

非常口は開いたままになる。


備蓄は、

食料である前に情報だった。


漏れた瞬間、

食料は食料でなくなり、

請求書になる。


有事の孤独とは、

一人ぼっちになる

ことではない。


言いたいことを言わずに、

守るべきものを

守ることだった。


■第十五章 

 非常口は、

 母ちゃんの胸の中にあった


ホルムズ海峡の封鎖が

一年を超えた頃、

日本人はようやく気づいた。


備蓄は、延命だった。


非常口は、

別のところにあった。


✲車に頼りすぎないこと

✲歩いて行ける店を知ること

✲冷凍より常温を選ぶこと

✲新鮮より、

 持つ食べ物を

 大事にすること

✲揚げるより、煮る

✲焼くより、蒸す。

✲捨てるより、使い切る

✲油を減らす

✲水を減らす

✲ゴミを減らす

✲季節外れを求めない

✲配給アプリの数字に

 振り回されない。


そして、


✲安心の場所を

 しゃべらないこと。


母ちゃんは、

台所に立っていた。


米を少し炊いた。

味噌を溶いた。

切り干し大根を戻した。

高野豆腐を小さく切った。

乾燥わかめを入れた。

缶詰は、まだ開けなかった。

チョコも、まだ出さなかった。

油は、ほんの少しだけ使った。


子どもが聞いた。


「母ちゃん、うち大丈夫?」


母ちゃんは答えた。


「今日の分は、大丈夫」


「明日は?」


「明日は、

 明日の食べ方を考える」


「缶詰あるの?」


母ちゃんは、答えなかった。

ただ、味噌汁の火を弱めた。


その沈黙が、

家族の非常口だった。


外では、

コオロギバーの

CMが流れていた。


代替タンパクETFが

上がっていた。


培養肉の試食会で

金持ちが笑っていた。


配給アプリには

購入可能量が

表示されていた。


でも母ちゃんは、

そこに飛びつかなかった。


非常口は、

テレビCMの中には

なかった。


配給アプリの画面にも

なかった。


未来食のパッケージにも

なかった。


それは、

母ちゃんが誰にも言わずに

残した味噌と米と、

孤独に耐える

沈黙の中にあった。


一年前、

日本人は

ツナマヨが消えたと騒いだ。


一年後、

日本人はようやく気づいた。


消えたのは、

ツナマヨではなかった。


燃料を 

湯水のように使えるという、

戦後の夢だった。


備蓄は入口だった。


非常口は、

生活を小さく、

静かに、

燃料の少ない形へ

変えることだった。


有事に生き残るのは、

たくさん持つ人ではない。


✲少なくても、

✲騒がず、

✲見せず、

✲言わず、

✲使い方を

 変えられる人だった。


………


❥Z世代のあなたへ


君が毎朝買っていた

ツナマヨは、

ただのおにぎりじゃない。


米。

海苔。

魚。

油。

卵。

酢。

包装フィルム。

バーコード。

配送トラック。

工場。

コンビニ。

電気。

燃料。


そして、毎日止まらない社会。


その全部が動いていたから、

あの白い三角は

百円台で買えた。


でも、これからの時代は、

「安い」

「早い」

「いつでもある」

だけを信じると危ない。


必要なのは、

派手な

サバイバル道具じゃない。


✲自分で一食作れること

✲米を炊けること

✲味噌汁を作れること

✲乾麺をゆでられること

✲乾物を戻せること

✲缶詰をすぐ食べず、

 順番を考えられること

✲冷凍庫だけに

 頼らないこと。

✲スマホの配給表示に

 振り回されないこと


そして、


✲安心の場所を

 簡単にしゃべらないこと


有事の孤独は、

寂しいだけのものじゃない。


守るべきものを

守るために、

言いたいことを

言わずに耐える力だ。


ツナマヨが消えた朝、

本当に試されるのは

財布ではない。


君の段取りと、沈黙だ。


………


★あとがき

 ホームズとワトソンの

 やすきよ漫才風


✲ワトソン


ホームズさん、

今回の事件、

犯人は誰ですか。

ツナマヨを

消した犯人ですよ。


✲ホームズ


犯人は一人ではない。


✲ワトソン


ほう。組織犯罪ですか。


✲ホームズ


米、海苔、ツナ、

マヨネーズ、油、

ナフサ、重油、軽油、

肥料、冷凍倉庫、

包装フィルム、配送トラック、

配給アプリ、正常化バイアス。

全員、容疑者だ。


✲ワトソン


多すぎるわ!

取調室に

入りきらんでしょ!


✲ホームズ


だから、

コンビニの棚に

並んでいたのだ。 


✲ワトソン


うまいこと言うてる

場合ですか。

こっちは腹減ってるんです。

ツナマヨください。


✲ホームズ


ない。


✲ワトソン


じゃあ鮭で。


✲ホームズ


ない。


✲ワトソン


昆布で。


✲ホームズ


少ない。


✲ワトソン


塩むすびは?


✲ホームズ


ある。だが二百円だ。


✲ワトソン


塩むすびが二百円!?

塩と米だけやないですか!


✲ホームズ


違う。

それは塩と米ではない。

物流と電気と

包装と不安の値段だ。


✲ワトソン


不安まで

値段に入っとるんですか。


✲ホームズ


もちろんだ。

二〇二六年の日本では、

不安も原価に含まれる。


✲ワトソン


いやな原価計算ですね。

じゃあ、

コオロギバーはどうですか。

未来のタンパク質でしょ?


✲ホームズ


未来ではある。


✲ワトソン


助かるんですか?


✲ホームズ


助かる人もいる。


✲ワトソン


おお。


✲ホームズ


ただし、

最初に助かるのは、

買った人ではなく、

投資した人かもしれない。


✲ワトソン


うわ、

急にブラックユーモア!

コオロギより苦いわ!


✲ホームズ


庶民は蜘蛛の糸だと

思ってつかむ。

金持ちは、

その糸の上で

株価チャートを見る。


✲ワトソン


極楽どころか

証券取引所ですやん!


✲ホームズ


その通りだ。


✲ワトソン


じゃあ非常口は

どこなんです?

友達ですか。

近所の絆ですか。

助け合いですか。


✲ホームズ


平時なら、

それもよかろう。


✲ワトソン


有事は?


✲ホームズ


黙ることだ。


✲ワトソン


黙る?


✲ホームズ


備蓄を見せない。

量を言わない。

場所を言わない。

子どもにも全部は教えない。

父ちゃんにも

全部は教えない。


✲ワトソン


それ、

冷たいんじゃないですか。


✲ホームズ


違う。

冷たいのではない。

食べる順番を

間違えないためだ。


✲ワトソン


食べる順番?


✲ホームズ


そうだ。

有事には、

正義も空腹になる。

「分けろ」

「隠すな」

「お互い様だ」

その言葉が、

時に刃物になる。


✲ワトソン


ほな、母ちゃんは?


✲ホームズ


母ちゃんは、米を隠した。

味噌を残した。

缶詰を開けなかった。

チョコも出さなかった。

そして、最後まで黙った。


✲ワトソン


母ちゃん、

名探偵よりすごいやん。


✲ホームズ


そうだ。

この事件の本当の探偵は、

母ちゃんだ。


✲ワトソン


ホームズさん、

最後に一つだけ。


✲ホームズ


何だ。


✲ワトソン


ツナマヨが戻ってきたら、

どうします?


✲ホームズ


一個買う。


✲ワトソン


一個だけ?


✲ホームズ


一個だけだ。

そして、ゆっくり食べる。


✲ワトソン


昔は二個食べてましたよね。


✲ホームズ


昔は、

世界が二個食べられるほど

動いていた。


✲ワトソン


今は?


✲ホームズ


今は、 

一個の中に世界が見える。


✲ワトソン


……笑わせて終わるはずが、

泣けてきましたよ。


✲ホームズ


それでいい。

腹が減った時代に、

笑いだけでは足りん。

涙だけでも足りん。


✲ワトソン


じゃあ、何がいるんです?


✲ホームズ


米。

味噌。

乾物。

缶詰。

少しの甘いもの。

そして、黙って守る心だ。


✲ワトソン 


最後、

きれいに締めましたね。


✲ホームズ


いや、まだだ。


✲ワトソン


まだあるんですか。


✲ホームズ


ツナマヨが消えた朝、

日本人は初めて知った。


✲ワトソン


何を?


✲ホームズ


普通の昼ごはんこそ、

一番ぜいたくな

インフラだったと

いうことを。


✲ワトソン


……参りました。


✲ホームズ


では、ワトソン君。

塩むすびを半分こしよう。


✲ワトソン


半分こですか。


✲ホームズ


そうだ。

今はまだ、

半分こできる。


✲ワトソン


それだけで希望ですか。


✲ホームズ


そうだ。

だが、

半分こしたことは、

外では言うな。


✲ワトソン


最後の最後まで有事やな!


✲ホームズ


有事とは、そういうものだ。


✲ワトソン


笑うしかないですね。


✲ホームズ


笑え。

でも、棚の奥は黙って守れ。


✲ワトソン


ほな、今日の結論。


✲ホームズ


言ってみたまえ。


✲ワトソン


ツナマヨは消えた。

コオロギは戻った。

配給手帳はスマホになった。

でも最後に家族を救ったのは、

母ちゃんの沈黙だった。


✲ホームズ


完璧だ。


✲ワトソン


ほな、

塩むすび半分ください。


✲ホームズ


よかろう。


✲ワトソン


あれ、

半分より

小さくないですか?


✲ホームズ


それは気のせいだ。


✲ワトソン


出た!

非常時のホームズ、

配分がシビア!


✲ホームズ


ワトソン君。


✲ワトソン


はい。

ホームズ

これが、令和の名推理だ。


✲ワトソン 


いや、

ただのケチやないかい!


………


二人は笑った。

けれど、

その笑いは少し震えていた。


テーブルの上には、

半分になった塩むすび。

湯気の立つ味噌汁。

まだ開けていない缶詰。


そして、

誰にも言わない

非常口があった。

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