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流したあと、どうなるか誰も知らない ――ホルムズ逆封鎖の夏、町の下から日本が壊れ始めた。67歳のおじいちゃんと小6のすみれの、最後の自由研究――

✦流したあと、

 どうなるか誰も知らない


――ホルムズ逆封鎖の夏、

  町の下から

  日本が壊れ始めた。

  67歳のおじいちゃんと

  小6のすみれの、

  最後の自由研究――


………


水が止まるんは、

みんな怖がる。


けどな、

流したあとが 

帰ってくる怖さは、

誰も想像しとらん。


蛇口の先にある地獄は、

だいたい、

三日遅れで

やって来るんじゃ。


………


★目次


■第一章 

 最後の自由研究は、

 トイレの下から始まった


■第二章 

 町はなんで今日も

 臭うてないんか


■第三章 

 下水は

 “見えん高速道路”じゃった


■第四章 

 坂道を上る、

 流したあとの荷物 


■第五章 

 ポンプ場は町の心臓、

 処理場は町の胃袋


■第六章 

 年間234万トンの食べかすは、 

 どこへ行くんか


■第七章 

 月◯ホールディングス

 ――地味で臭い英雄


■第八章 

 清潔大国は、

 エネルギーを

 食うてできとる


■第九章 

 72時間の壁


■第十章  

 「流すな」は最後の合図


■第十一章 

 東京は上へ伸びた。

 けど最後は下で負ける 


■第十二章   

 きれいきれいきれいの国に、

 汚い汚い汚いが帰ってくる 


★あとがき

 シャーロック・ホームズと

 ワトソンの、

 やすきよ漫才風あとがき 


❥Z世代の若いあなたへ 


………


■第一章

 最後の自由研究は、

 トイレの下から始まった


わしは六十七歳、

元証券会社勤務の

おじいちゃんじゃ。


昔は毎日、株価を見よった。


上がる、下がる、利回り、 

為替、景気。

そんなもんばっかり見て、

世の中は数字で回っとる

思うて生きてきた。


けどな。

この歳になって、

ほんまに怖い数字いうんは、

日経平均やのうて、

町の下を流れとる、

見えん数字じゃと

分かってしもうたんよ。


その年の夏。


九州の大都市の

うちの居間では、

昼のワイドショーがまた、

嫌な顔しとった。


✲停電

 →燃料不足

 →異臭

 →使用自粛

 →下水設備トラブル

 →マンホール周辺の

  異変


キャスターは

困った顔で言うた。


「町の下で、

 見えない異変が

 起きています」 


床で寝転んどるのは、

孫のすみれじゃ。 


小学校六年生。


人見知りは激しい。

けど、

汚れてもわりと平気。  

変に神経質やない。

素朴で、

子どもらしい子じゃ。


ベッドの上には、

五年も前から

大事にしとる古い人形が

十五体くらい並んどる。


そのくたびれた人形らに

囲まれて寝るんが、

すみれにとっての

安心なんよ。


最近は少し背が伸びて、

お姉ちゃんの真似をして、

ドライヤーで長い髪を

整えるようにもなった。


けど、まだまだ子どもで、

わしが風呂に入りよったら、

「おじいちゃん、

 一緒にお風呂入ろう」

言うて平気で入ってくる。


そのすみれが、

テレビの映像を見て言うた。


「またこの話?」


「またこの話じゃ」


「そんなに大ごとなん?」


「大ごとじゃ」 


すみれは 

ポテチを一枚つまんで、

あきれた顔をした。


「ただの下水じゃろ」


わしはそこで、

湯のみを置いた。


「すみれ。

 今年の自由研究、

 まだ決まっとらん

 かったのう」


「うん」 


「ほんなら決まりじゃ」


「何が?」 


「東京の町の下を

 見に行くんよ」 


すみれは半分笑って、

半分あきれた。


「はあ?」 


「トイレの下じゃ」 


「うわ、やだ」 


「やだ、いうところに、

 本当のことは 

 隠れとるんじゃ」


テレビのテロップは、

前より少し

強うなっとった。


『流したあと、

 どうなるか 

 知っていますか?』


その時、

わしは思うた。 


遠い海の話は、

もう遠い海の話やない。 


ホルムズ海峡の逆封鎖いう、

誰も聞きとうない話が、

やがてこの国の

トイレの下まで届く。


しかもほとんどの人間は、

それが届いたあとでも、

「うちは大丈夫」

「そんなこと起きるわけない」

言うて笑うんじゃろう、と。 


■第二章

 町はなんで今日も 

 臭うてないんか


次の日の朝、

すみれが

牛乳を飲みながら聞いた。


「おじいちゃん。

 町ってなんで

 今日も臭うてないん?」 


ええ質問じゃ。

ほんまに、

ええ質問なんよ。 


人間はな、

町が臭うてない理由を、

ほとんど知らん。


トイレの水。

お風呂の水。

洗濯の水。

台所の水。

歯を磨いた水。

カレー皿を洗うた水。 


そういう

使い終わった汚れた水は、

外へ出て、

下水道の管に入って、

地下をずーっと流れていく。


「下水いうんはな、

 水の高速道路みたいな

 もんじゃ」


「高速道路?」 


「そうじゃ。

 ただし車が走るんやない。

 お前らが流したあとの

 水が走るんじゃ」 


すみれは、ちょっと笑うた。


「なんか気持ちわる」 


「気持ち悪い言うても、

 毎日お前が使うとる

 仕組みじゃ」


下水いうんは、

トイレだけの話やない。 


お風呂も入る。

髪も洗う。

台所も使う。

洗濯もする。


人間が

「もういらん」

思うた水は、

全部まとめて

町の下へ送られる。


それが処理場へ行って、

沈めたり、

微生物に食わせたり、

消毒したりして、

ようやく川や海へ返される。


「じゃあ、

 きれいな町いうんは、

 誰かが地下でずっと

 片づけとるってこと?」


「そういうことじゃ」


「それ、学校で習わんよ」 


「習わんじゃろうな。

 みんな、

 表ばっかり習うからのう」


わしは、そこが怖い思う。


日本人は、

清潔な国に

住んどる思うとる。 


けど本当は違う。 


清潔に見えるように、

地下で毎日、

誰かが汚れを 

飲み込んどるだけなんじゃ。 


■第三章

 下水は

 “見えん高速道路”

 じゃった


東京へ行く理由は、

ちゃんとあった。


練馬区に住む次女の

さおりを訪ねるんじゃ。


さおりは三十七歳。

ゲームソフト会社の翻訳家。

頭の回転が速うて、

気も強い。

理性で物事を考える女じゃ。


その旦那のひろしは四十歳。

東京の理工系大学を出とる。

頭も切れるし、物知りじゃ。

そのくせ、人間関係に弱い。


優しすぎて、

職場のお局にやられて、

今は就職活動中じゃった。


わしは、この男が好きじゃ。  


とにかく優しい。

文句を言わん。

限界まで頑張る。

止まりかけて、

初めて周りが困る。


よう似とるんよ。

下水道に。 


練馬のマンションに 

着いた夜、

ひろしはノートを 

持ってきた。


「すみれちゃん、

 下水ってね、

 ただ流れてるわけじゃ

 ないんだ」


そう言うて、

管や坂道や

ポンプ場の図を描く。 


「ここで一回集めて、

 ここで押し上げて、

 また向こうへ送る。

 言ってみれば、

 町の中でずっと

 バケツリレーしとる

 ようなもんかな」 


「そんなめんどくさいこと、

 毎日やっとるん?」 


「毎日。

 しかも誰にも

 褒められずにね」


さおりが台所から言うた。


「家でも同じよ。

 見えないところほど、

 手間がかかるんよ」


その言い方が、

なんともさおりらしかった。


■第四章

 坂道を上る、

 流したあとの荷物


「ねえ、おじいちゃん」


練馬の

マンションの風呂場で、

すみれが

排水口を見ながら聞いた。 

「水って、

 上には行かんじゃろ?」 


「自然にはの」 


「じゃあなんで、

 坂の途中の家でも、

 みんな流れるん?」


「そこが文明の

 意地悪い所なんよ」


下水は

全部が下り坂ではない。


町には高い所も、低い所も、

坂道も、くぼ地もある。


自然に任せたら、

途中で止まる。 


じゃけえ人間は、

途中途中で

ポンプ場を置いた。


「ポンプ場いうんはな、

 お前が流したあとの水を、

 電気で吸い上げる

 場所なんじゃ」 


「うわ……」 


「うわ、じゃろ。

 お前が何気なく

 流したもんを、

 誰かが毎日、

 坂の上まで

 押し上げとるんよ」 


ひろしが静かに言うた。


「電気が止まると、

 一番先に困るのは

 “流したあとの行き先”

 なんだ。

 入力は続くのに、

 出力だけ止まる 

 システムは、

 壊れるしかないから」


すみれは排水口を見たまま、

しばらく黙っとった。


「町って、

 上より下の方が、

 働いとるんじゃな」 


「そうじゃ」 


「なんでみんな、

 上ばっかり見とるん?」


「見えんからじゃ」


■第五章

 ポンプ場は町の心臓、

 処理場は町の胃袋


「心臓が止まったら

 どうなる?」


わしが聞くと、

すみれはすぐ言うた。 


「困る」 


「胃袋が止まったら?」


「困る」


「町も同じなんよ」


国は、そのことを知っとる。


下水道のBCPでは、

下水処理場や

汚水ポンプ場について


✲72時間の停電を

 重要ライン


として想定し、

燃料や電源車、

どのマンホールから

先に溢れるかまで、

あらかじめ考えとけと 

言うとる。


「72時間って、三日じゃろ」 


「そうじゃ」


「三日なら、まだいけそう」


「そこが正常化バイアス

 いうやつじゃ」 


さおりが笑うた。


「“三日もある”じゃなくて、

 “たった三日しかない”

 って考えんとね」


ひろしはもっと

現実的じゃった。


「しかも全部の施設が

 きれいに72時間

 持つわけじゃない。

 燃料の量も違うし、

 設備の古さも違うし、

 故障もあるし、

 補給が間に合わない

 こともある」


わしはうなずいた。


「町の下の危機いうんはな、

 火事みたいに

 一気には来ん。

 まだ大丈夫な顔をして

 近づいてくるんじゃ」 


それが一番怖いんよ。


■第六章

 年間234万トンの

 食べかすは、

 どこへ行くんか


水は、まあええ。

処理して流す。


じゃあ、

そのあとに残るもんは

どうなるんか。


それが汚泥じゃ。


都市の食べかす。

町の胃袋に残る、

重たい現実じゃ。


日本で発生する下水汚泥は、

年間約234万トン。


しかもそのうち

約76%は何らかの形で

リサイクルされとる。

肥料利用も**約15%**ある。


「そんなに出るん?」

と、

すみれが目を丸うした。 


「出る」


ひろしがノートに

図を描きながら答えた。


「しぼる。

 乾かす。

 燃やす。

 資材にする。

 肥料にする。

 ガスにする。

 いろんな出口がある」


「全部燃やしとるんじゃ

 ないん?」


「全部じゃない。

 でも、どの道を選んでも、

 設備と技術と

 エネルギーが要る。

 ここが大事なんよ」


わしはゆっくり言うた。


「日本は、ただ

 “きれいな国”なんやない。

 流したあとの汚泥を

 何とかするために、

 外国から来る

 燃料やエネルギーを、

 地下で毎日たくさん

 使うとる国なんじゃ。

 きれいな町を保つために、

 見えん所で

 『汚いもの』を

 処理する力が、

 実はいちばん

 要るんじゃよ」


すみれは少し黙って、

ノートにペンを走らせた。


「……流したあとって、

 勝手には消えんのじゃな」


「そうじゃ。

 消えたように見せるために、

 人間が毎日必死なんじゃ」


■第七章

 月◯ホールディングス

 ――地味で臭い英雄


「そういう会社って、

 どこがやっとるん?」


すみれが聞いた時、

ひろしは少しだけ笑うた。


「地味すぎて、

 たぶん誰も知らない

 会社だよ」


「えー」

「でも、町の下では 

 めちゃくちゃ大事」


月◯ホールディングス。

昔の月◯機械。


画面の上で儲ける会社やない。


町の胃袋に手を突っ込み、


✲しぼる。

✲焼く。

✲ガスにする。

✲発電に回す。

✲補修する。

✲止まりかけた処理場を、

止めんようにする。


元ネタ企業は、

全国で約160施設の

上下水道運転管理を受託しとる。


しかも汚泥焼却や発電でも、

創エネルギー型の技術を

持っとる。


「うん●専門の会社なん?」


「ちょっと違う」 


と、ひろし。


「うん●を、

 水と熱とガスと電気の問題に

 変える会社」


わしはそこで、

ようやく腹に落ちたんよ。 


AIはキラキラしとる。

金融もかっこええ。

データセンターも未来っぽい。


けど、

町の品位を守っとるんは、

たいてい臭い仕事の

方なんじゃ。


月◯みたいな会社は、

2倍速経済の正反対におる。


毎日汗をかく。

臭いもんを引き受ける。

地味。

くさい。

虫もおる。

誰も褒めん。

でも止まったら、

町そのものが終わる。


■第八章

 清潔大国は、

 エネルギーを食うて

 できとる


ここで、

一発で分からせんといけん

数字がある。


日本のエネルギー自給率は、

15%台しかない。


しかも日本は、

世界有数のLNG輸入国じゃ。


つまりこの国は、

きれいな顔して

暮らしとるけど、

その足元の清潔は、

かなり外から来る

エネルギーに頼っとる。


すみれが

牛乳のコップを置いた。


「え、そんなに

 自分で持ってないん?」


「持ってない」


わしはうなずいた。


「特に、

 下水の汚泥をしぼる、

 乾かす、焼く、運ぶ、

 そういう見えん工程は、

 全部エネルギーを

 食うんよ。

 ホルムズ海峡いう

 遠い海の道を通って来る

 原油や燃料が細ったら、

 町の下の処理の力も

 じわじわ痩せていく」


さおりが静かに言うた。


「清潔って、

 性格の問題じゃないのね。

 コストの問題なのね」


「そうじゃ」


と、わし。


「しかも、

 止まった時に初めて 

 分かるコストなんよ」 


ひろしが、

少し低い声で足した。 


「表では経済が

 豊かに見えても、

 地下ではずっと

 負担を積み上げてる。

 その負の連鎖が切れる時、

 人は初めて

 “便利の値段”を

 知るんだと思う」  


■第九章

 72時間の壁 


最初の一日目。

町はまだ平気な顔をしとる。 


二日目。

テレビは騒ぐ。

けど住民はまだ笑う。


「また大げさな」

「一回ぐらい流しても

 ええじゃろ」

「水は出とるし」 


三日目。

ここから音が変わる。

便器の水面が、

流したあとに一回だけ

妙な間を置く。 


風呂場の排水口が、

ごぼ、ごぼ、と空気を吐く。


台所の流しから、

ぬるい匂いが返ってくる。 


廊下に、一匹だけ

ハエが飛ぶ。


それでも人は、

まだ自分のこととは思わん。


「これ、

 なんかおかしくない?」 


その言葉が出た時には、

もう町の下は相当苦しい。 


72時間いうんは、

安心の数字やない。

見えん崖なんじゃ。 


しかも 

ホルムズ逆封鎖で、

燃料の届き方が

悪うなったら、

この崖は

もっと早う迫ってくる。  


■第十章

「流すな」は最後の合図


掲示板に紙が貼られた。


✲下水使用を控えてください。

✲流さないでください。 


すみれが言うた。


「これ、 

 ほんまに本気なん?」 


「本気じゃ」


「でも、

 ちょっとぐらい流しても

 分からんじゃろ」


「そこが一番危ない」

 市役所や上下水道局が

 「流すな」と言う時、

 それはケチな

 お願いではない。

 町の下の胃袋が、

 もう限界に近いいう

 最後の合図なんよ」 


そして、ついにその日が来た。

テレビでアナウンサーが、

硬い声で読んだ。 


「本日より、

 当該地域において

 下水処理の継続が

 困難となりました。

 使用自粛をお願いします」


すみれは 

画面を見つめたまま、

小さくつぶやいた。


「……これって、

 どうしようもないって

 こと?」 


わしは静かにうなずいた。


「そうじゃ。

 流したあとを、

 もう今まで通りには

 片づけられん

 いうことじゃ」


人はその時になって、

初めて知るんよ。


下水いうんは、

ただ流しとるんやない。 


町が毎日、

なんとか飲み込んどる

だけじゃった、と。 


■第十一章

 東京は上へ伸びた。

 けど最後は下で負ける


東京は便利じゃ。


速い。

高い。

美しい。


経済的なアイテムがあふれ、

きれいな生活が

当たり前になっとる。 


高い家。

駅近。

タワマン。

眺望。

資産価値。


そういうもんは全部、

流したあとが 

永遠に処理される前提で

値段がついとる。


一億円の部屋を買うても、

流した後の行き先までは

買えんかった。


さおりが

窓の外を見ながら言うた。


「東京って、

 便利を買う町なのよね」


ひろしが続ける。  


「逆に言えば、

 自分で何とかする能力には

 お金を払ってない」


古い便所の方が強い夜がある。

ローテクの方が、

最後にしぶとい夜がある。


高層ほど、

下の現実に弱い。 


便利を買うた人ほど、

不便に弱い。 


土から離れた人間ほど、

土の匂いに負ける。


この国の、

いちばん笑えん風刺じゃ。 


そして

ホルムズ逆封鎖の夏、

経済がどんなに豊かでも、

きれいなアイテムが

どれだけあっても、

下から来る

負の連鎖には勝てんかった。 


流したあとが、

ゆっくりと、

町の表面に帰ってきたんじゃ。 


■第十二章

 きれいきれいきれいの国に、

 汚い汚い汚いが帰ってくる


旅の帰り、

すみれは言うた。


「おじいちゃん」


「なんじゃ」 


「町って、

 上じゃなくて

 下で生きとるんじゃな」 


「そうじゃ」 


「じゃあ、なんでみんな

 上ばっかり見とるん?」


「見えんからじゃ」


「見えんのに、

 一番大事なん?」 


「そういうもんが、

 世の中には一番多いんよ」


すみれはしばらく黙って、

窓の外を見とった。 


それから、

古い人形を抱く時みたいな

顔で言うた。


「わたし、自由研究、 

 ちゃんと書く」


「なんて書くんじゃ」 


少し考えて、

すみれは笑うた。 


「流したあと、どうなるか

 誰も知らない、って書く」


ええ題じゃと思うた。


この国は、

きれいな国なんじゃない。


きれいに見えるよう、

地下で膨大な汚れを

毎日飲み込んどる国なんじゃ。 


そしてその清潔は、

電気、燃料、ポンプ、処理場、

夜勤、臭い、虫、補修、薬品、


そういう地味で嫌なもんの

上に立っとる。 


しかも、

その地味な仕事の多くは、

外から来るエネルギーに

支えられとった。


ホルムズ海峡が揺れた時、

日本はようやく思い知る。


経済がどんなに 

華やかでも、

きれいなアイテムが 

どれだけあふれても、

地下の負の連鎖が

逆流したら、

全部止まるんじゃと。


AIが止まっても困る。

金融が転んでも困る。 


けど、

下水が止まったら

人は住めん。


文明の最後の勝負は、

画面の上じゃなくて、

トイレの下で決まる。


その夜。

帰ってきたわしは、

黙ってパソコンを開いた。


証券口座へログインして、

月◯ホールディングスの

株を、

ぽち、ぽち、と買うた。 


後ろから、

すみれの声がした。


「おじいちゃん」 


「なんじゃ」

「日本の幸せを願って

 買うたん?」


「そうじゃ」


「……なんだやっぱり 

 おじいちゃん、

 銭儲けしか考えてないの?」


わしは少しだけ黙って、

それから言うた。


「違う」


「ほんまに?」 


「半分はの」


すみれは

呆れた顔をしたあと、

とうとう吹き出した。


わしも笑うた。

人間いうんは、

最後まで業が深い。 


けど、その業の深さもまた、

人間らしさなんじゃろう。


………


★あとがき

 シャーロック・ホームズと

 ワトソンの、

 やすきよ漫才風あとがき 


✲ホームズ


「ワトソン君、

 今回の事件はついに来たね。

 犯人はモリアーティ教授

 ではない。

 まさかの“流した後”じゃ」


✲ワトソン


「誰がうまいこと

 言え言うたんですか。

 それに先生、

 今回は茶色すぎますよ。

 全編が」 


✲ホームズ


「だがねワトソン君、

 人類は月へ行った。

 AIも作った。

 けれど、

 自分の出したものの

 行き先だけは、

 いまだに

 “誰かが何とかしてるはず”

 で済ませてきた」


✲ワトソン


「急に真面目になるん

 やめてください。

 さっきまで

 “町の胃袋じゃ”言うて

 喜んどったやないですか」


✲ホームズ


「喜んではいない。

 ただ、

 文明の最後の弱点が

 トイレの下にあった

 いうんは、

 なかなか詩的じゃないか」


✲ワトソン


「どこが詩的なんですか。

 便器の水が

 戻ってくるんですよ。

 こっちはホラーですよ」


✲ホームズ


「ホラーの本質はね、

 見えないものが、

 ある日ゆっくり

 見えるようになる 

 ことなんだよ」


✲ワトソン


「今回の犯人、

 正常化バイアスですか」


✲ホームズ


「半分はね。

 もう半分は、

 便利を買うて、

 見えない努力を

 なかったことにした

 われわれ全員じゃ」


✲ワトソン


「最後、刺すなあ……」


✲ホームズ


「刺さるとも。

 だってこの話は、

 うん●の話に見えて、

 ほんとは

 傲慢の話だからね」


✲ワトソン


「うわ、最後だけ文学っぽい」


✲ホームズ


「これでいいのだ」


✲ワトソン


「先生、

 それ他作品なんよ!」


………


❥Z世代の若いあなたへ


若いあなたは、

便利で、速くて、

きれいなものに

囲まれて生きとる。


それは悪いことじゃない。


けれど、

ほんまに大事なんは、

手に入れたものの

値段やなくて、

捨てたものの行き先を

想像できるかどうかじゃ。


いいものばかり

集める人間と、

人が捨てるものを

「もったいない」

「誰かが支えとる」

と知って、

大事に使う人間と、

最後にどっちが

深く幸せになるか。


わしは、

もう答えが出とる思う。


人は、

手に入れたもので

大きくなるんじゃない。


見たくないものから

目をそらさん時に、

ほんまに大きくなる。


ホルムズ逆封鎖の夏に、

日本はそれを思い知った。


経済が豊かで、

きれいなアイテムだらけの

町でも、

地下の負の連鎖が逆流したら、

すべてが止まる。


じゃけえ、

ちょっとだけでええ。


自分の頭で考えてみてほしい。


「流したあと、

 どうなるんやろう?」


周りの人の意見を聞く前に、

自分の目で、

自分の想像で、

町の下を見てみてほしい。 


それが、

すみれが自由研究で学んだ、

いちばん大事なことじゃった。

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