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『令和版・森の中の懲りない面々』 ――黒幕を探したら、森しかなかった。――

✦『令和版・森の中の懲りない面々』


――黒幕を探したら、森しかなかった。――


………


二〇二六年八月二十八日。


僕は、


六十八歳になった。


誕生日の朝くらい、


もう少し景気のいいニュースを


見ればよかったと思う。


カンボジア。


タイ。


韓国・済州島。


特殊詐欺。


暗号資産。


失踪。


人身売買。


トクリュウ。


テレビもネットも、


全部、


別々のニュースとして流していた。


僕も最初は、


そう思っていた。


僕は、


三十八年間、


証券会社で働いた。


相場を長く見ていると、


妙な癖がつく。


会社も違う。


業種も違う。


材料も違う。


それなのに、


不思議なくらい


同じような動きをする時がある。


そんな時、


僕らは一つ一つの会社を見るだけでなく、


その後ろで、


どんな金が、


どこからどこへ動いているのかを見る。


その朝も、


同じ感じがした。


理由は、


まだ分からない。


けれど、


身体のどこかが先に反応していた。


僕は、


生成AIの相棒を呼んだ。


「パティちゃん」


「はい」


「今日で六十八歳じゃ」


「お誕生日おめでとうございます」


「何かプレゼントは?」


「ありません」


「即答するな」


そこへ、


高校一年生の孫、


ゆづきが来た。


「おじいちゃん、


 今日誕生日なの?」


「そうじゃ」


「昨日と何が違うの?」


「お前ら二人、


 もう少し老人を敬え」


ゆづきが笑った。


僕は、


画面へ戻った。


そして、


紙に五つの地名を書いた。


済州島。


香港。


カンボジア。


タイ。


日本。


その時は、


まだ知らなかった。


僕がこれから探すことになるのは、


犯罪組織ではなかった。


組織より、


もっと厄介なものだった。


………


【目次】


一 六十八歳の朝


二 三千二百五十七億円


三 カンボジアという工場


四 二百九十八件


五 淳


六 豊じいちゃん


七 一本の枝


八 親分がいない


九 金だけが国境を越える


十 森が逃げた


十一 名前を変える


十二 人工・織田信長


十三 パティちゃんが黙った日


十四 森の外


………


一 六十八歳の朝


最初に見つけたのは、


日本だった。


二〇二五年。


特殊詐欺。


SNS型投資詐欺。


SNS型ロマンス詐欺。


合わせた被害額は、


約三千二百五十七億円。


被害件数は、


四万三千件を超えた。


その中でも、


警察官などを装う


ニセ警察詐欺。


被害額は、


約一千億円。


僕は、


数字を二度見した。


「パティちゃん」


「はい」


「三千二百五十七億円じゃぞ」


「はい」


「これ、


 詐欺師が一人で電話して


 稼げる金じゃないじゃろ」


「不可能に近いでしょう」


「じゃろ」


ゆづきが聞いた。


「何が変なの?」


僕は考えた。


「規模じゃ」


「規模?」


「昔の詐欺師ならな、


 一人の人間を騙すのに、


 一人の詐欺師が必要じゃった」


電話する。


説得する。


金を受け取る。


逃げる。


ところが、


今は違う。


名簿を集める人。


電話する人。


SNSで近づく人。


金を受け取る人。


口座を用意する人。


暗号資産へ変える人。


実行役を集める人。


全部、


別々でいい。


互いに、


顔を知らなくてもいい。


「会社みたい」


ゆづきが言った。


僕は、


そこで止まった。


会社。


確かに、


似ている。


ただし。


会社名がない。


本社もない。


社員名簿もない。


それなのに、


三千億円を超える金が動く。


僕は、


ノートに書いた。


――会社ではない。


 だが、


 会社より会社らしい。


………


二 三千二百五十七億円


金額が大きくなるには、


理由がある。


相手を増やす。


一人当たりの金額を増やす。


成功率を上げる。


そして、


捕まる確率を下げる。


これは、


犯罪だけの話ではない。


証券会社でも、


営業効率を考えた。


どの客に電話するか。


どの商品を勧めるか。


誰が契約しやすいか。


数字を集め、


うまくいった方法を残す。


もちろん、


目的はまるで違う。


だが。


「効率」という言葉だけを


取り出してしまえば、


よく似ている。


僕は、


そこが嫌だった。


「パティちゃん」


「はい」


「犯罪まで、


 生産性を上げ始めたんか」


「その表現は、


 あまり使いたくありませんが」


「でも?」


「構造としては、


 否定できません」


そして、


その生産現場の一つとして、


何度も出てきた国があった。


カンボジアだった。


………


三 カンボジアという工場


カンボジアには、


オンライン詐欺を行う


巨大な拠点が存在する。


スキャム・コンパウンド。


二〇二六年六月。


国際人権団体


アムネスティ・インターナショナルは、


カンボジア国内で


八十六か所の


詐欺拠点を確認したと報告した。


そこでは、


単なる詐欺だけではない。


高収入の仕事。


IT関係。


海外勤務。


カスタマーサービス。


そんな求人で、


人間を集める。


現地へ行く。


パスポートを取られる。


外へ出られない。


詐欺をやらされる。


成績が悪ければ、


暴力。


逃げようとすれば、


さらにひどい目に遭う。


人間が、


詐欺をする側であると同時に、


詐欺をさせられる側にもなる。


ゆづきが聞いた。


「じゃあ、


 悪い人なの?


 かわいそうな人なの?」


僕は、


答えられなかった。


パティちゃんが言った。


「両方が存在します」


「そんなのあり?」


「現実にはあります」


僕は、


そこが怖かった。


善人と悪人。


被害者と加害者。


その境目まで、


地下では溶け始めていた。


二〇二六年一月。


韓国政府は、


韓国人大学生が


カンボジアで監禁され、


暴力を受け、


●亡した事件に関連して、


中国籍の総責任者級容疑者を


タイのパタヤで逮捕した。


僕は、


地図を見た。


事件は、


カンボジア。


容疑者は、


中国籍。


被害者は、


韓国人。


逮捕された場所は、


タイ。


「ゆづき」


「なに?」


「これ、


 何国の事件じゃ?」


ゆづきが、


地図を見た。


「……分かんない」


「わしもじゃ」


その時。


僕の頭の中から、


国境が一つ消えた。


………


四 二百九十八件


そして、


済州島だった。


二〇二六年八月。


済州島で、


二人の失踪者が、


後に●亡して発見された。


その捜索を担当した警察官について、


実際には確認していないのに、


本人と接触したかのように記録し、


案件を終了させていた疑いが浮上した。


警察は、


その警察官が


前年以降に扱った


二百九十八件の失踪案件を、


改めて調べ始めた。


二百九十八。


もちろん。


二百九十八件すべてに


問題があったわけではない。


そこは、


混ぜてはいけない。


だが。


僕が気になったのは、


人数ではなかった。


「パティちゃん」


「はい」


「もし悪い奴が、


 このニュースを見たら?」


「ここには、


 確認が甘くなる場所がある、


 と考える者がいるかもしれません」


ゆづきが言った。


「それって、


 悪い人には都合がいいってこと?」


「そうじゃ」


僕はノートに書いた。


――警察にはミス。


地下の人間には、


使える穴。


犯罪者は、


穴を自分で作る必要さえない。


社会のどこかに、


すでに開いている穴を


見つければいい。


それが、


僕には妙に気になった。


………


五 淳


数日後。


僕は、


三十八歳の男と会った。


名前は、


淳。


知人を通じて、


「海外の怪しい求人を見たことがある男がいる」


と聞いたのがきっかけだった。


ファミレスの隅に座った淳は、


僕が想像していたような男ではなかった。


強面でもない。


派手でもない。


ごく普通だった。


少し前まで、


職業訓練校に通っていた。


ようやく見つけた仕事は、


瀬戸内の造船所へ納める


歯車を作る会社だった。


淳は言った。


「今度こそ、


 ちゃんと働こうと思ったんです」


会社の人が、


悪かったわけではない。


仕事も、


必要な仕事だった。


ただ。


夏だった。


暑かった。


工場の熱。


機械の熱。


外気の熱。


毎日、


汗だくになった。


「辞めたら、


 また逃げたことになると


 思ってました」


淳は、


そう言った。


ある夜。


スマホに、


求人が出た。


海外勤務。


未経験可。


住居あり。


高収入。


「怪しいとは


 思わんかったんか」


僕が聞いた。


淳は、


すぐ答えた。


「思いました」


「じゃあ、


 なんで行った」


淳は、


しばらく黙った。


そして、


言った。


「……暑かったんです」


僕は、


意味が分からなかった。


「暑かった?」


「毎朝、


 今日もあそこへ行くのかと思ったら、


 もう無理でした。


 求人の写真が、


 すごくきれいだったんです。


 冷房の効いた部屋で、


 パソコンを触っている人が写っていて。


 『空調完備』って


 書いてあって。


 それだけで、


 もう頭の中が


 そっちへ行ってました」


ゆづきが、


後でこの話を聞いて言った。


「そんな理由で、


 外国まで行くの?」


僕も最初は、


そう思った。


だが。


人間が人生を間違える時、


いつも大げさな理由があるとは限らない。


借金。


失業。


家族との不和。


孤独。


暑さ。


疲れ。


今日だけ、


ここから逃げたい。


その程度の隙間から、


入口が開くことがある。


僕は淳に聞いた。


「外国の仕事は、


 楽だったのか」


淳は、


少し笑った。


「冷房はありました」


そして、


笑うのをやめた。


「でも、


 出口がありませんでした」


誰も、


すぐには喋らなかった。


僕は、


淳の人生を


全部聞こうとは思わなかった。


僕が知りたかったことは、


もう分かった。


地下世界の入口は、


悪魔の顔をしていなかった。


疲れた人間には、


少し涼しい場所に


見えることがある。


その夜。


僕は、


ノートを開いた。


けれど、


何も書けなかった。


――暑かったんです。


その一言だけが、


ずっと残っていた。


しばらくして、


僕は一行だけ書いた。


――暑さは、国境を越える。


そして思った。


こういう世界を、


昔から知っている人間に聞けば、


今と昔の違いが


もう少し見えるかもしれない。


そこで、


大学時代の友人、


豊じいちゃんを訪ねた。


………


六 豊じいちゃん


豊は、


僕と同じ六十八歳だ。


大学時代、


同じ学生寮にいた。


昔から、


僕とは違う種類の人間を


たくさん知っていた。


卒業してから、


何をしてきたのか。


僕も全部は知らない。


ただ。


こういう話になると、


妙に詳しい。


僕は、


淳の話をした。


求人。


海外。


高収入。


冷房。


そして、


出口がなかったこと。


豊は、


しばらく黙っていた。


それから言った。


「昔とは違うな」


「何がじゃ」


「入口じゃ」


「入口?」


「昔の裏社会はな、


 入る時点で、


 ある程度は分かった」


「何が?」


「誰のところへ入るかじゃ」


僕は聞いた。


「昔のヤーさんも、


 こんなんじゃったんか?」


「違う」


即答だった。


「昔はな、


 親分がおった。


 事務所もあった。


 縄張りもあった。


 顔も分かった」


「今は?」


豊が言った。


「顔を見る必要がない」


「どういうことじゃ」


「電話する奴は、


 金を取る奴を知らん。


 金を取る奴は、


 金を洗う奴を知らん。


 募集する奴は、


 最後に誰が儲けるか知らん」


僕は、


黙った。


豊が続けた。


「淳みたいな奴は、


 組織へ入ったと思っとらんじゃろ」


「仕事へ行ったと思っとる」


「そういうことじゃ」


その一言で、


淳とカンボジアが、


僕の頭の中で初めてつながった。


昔は、


組織の入口があった。


今は、


求人の入口がある。


昔は、


人間が組織に所属した。


今は、


仕事の一部分に、


人間が一時的に接続する。


豊が言った。


「昔より、


 ずっと冷たいで」


「昔のヤーさんが言うな」


「わしはヤーさんとは


 言うとらん」


「そこだけは、


 いつも濁すな」


豊は笑った。


しかし。


次の言葉だけは、


笑わなかった。


「昔はな、


 ●すほど相手を憎むにも、


 相手の顔くらい見た」


少し間があった。


「今は、


 憎む必要すらない」


その言葉も、


ノートには書かなかった。


………


七 一本の枝


僕は、


全部を追うのをやめた。


森全体を見ても、


分からない。


一本だけ、


枝を見ることにした。


済州島。


そこでは、


別の事件も起きていた。


寺院から、


骨壺六個を盗んだ疑いのある


中国人男性二人。


報道によれば、


二人は事件当日に韓国を出国。


香港を経由し、


カンボジアへ向かった。


僕は、


紙に矢印を書いた。


済州島


 ↓


香港


 ↓


カンボジア


「パティちゃん」


「はい」


「これだけなら?」


「一つの移動経路です」


「巨大犯罪組織の証拠は?」


「ありません」


「じゃろうな」


僕は、


もう一本書いた。


韓国人


 ↓


高収入求人


 ↓


カンボジア


 ↓


監禁


 ↓


詐欺


さらに一本。


日本


 ↓


SNS


 ↓


闇バイト


 ↓


実行役


 ↓


口座


 ↓


暗号資産


僕は、


三本を見た。


人間は違う。


国も違う。


事件も違う。


ところが。


やり方だけが、


妙に似ていた。


集める。


分ける。


使う。


金に変える。


切る。


逃げる。


また集める。


その瞬間。


三十八年間、


相場を見てきた僕の中で、


昔の嫌な感覚が戻ってきた。


名前は違う。


材料も違う。


なのに、


動き方だけが妙に似ている。


そういう時、


表に見えているものだけでは


説明できないことがあった。


「ゆづき」


「なに?」


僕は、


紙の三本の矢印を指さした。


「事件は違う。


 人間も違う。


 国も違う」


「うん」


「でも、


 人を集めて、


 役割を分けて、


 金に変えて、


 危なくなったら切る。


 その動かし方だけが、


 妙に似とる」


ゆづきが、


紙を見た。


「同じ人がやってるの?」


「そこが、


 まだ分からんのじゃ」


同じ人間がやっているのか。


同じ組織なのか。


それとも。


誰も相談していないのに、


うまくいった方法だけが


広がっているのか。


その違いが、


だんだん重要になってきた。


………


八 親分がいない


日本の警察は、


こうした犯罪集団の一部を、


匿名・流動型犯罪グループと呼ぶ。


トクリュウ。


ゆづきが聞いた。


「暴力団?」


「違う」


「会社?」


「違う」


「じゃあ何?」


僕は、


豊に聞いた。


豊は言った。


「昔は、


 人間が組に入った」


「今は?」


「仕事に、


 人間が入ってくる」


僕は、


淳の顔を思い出した。


冷房の写真。


海外勤務。


高収入。


あれも、


仕事から人間を呼ぶ入口だった。


「もう一回言え」


「今日、


 金を受け取る奴がいる。


 今日、


 口座がいる。


 今日、


 運転する奴がいる。


 今日だけ集める」


「終わったら?」


「切る」


「捕まったら?」


「替える」


「親分は?」


「知らん」


「本部は?」


「知らん」


「誰が命令する?」


「その仕事を知っとる奴じゃ」


「そいつが親分じゃろ」


「次の仕事では、


 違う奴かもしれん」


僕は、


ようやく分かった。


昔は、


組織に人が所属した。


今は、


仕事に人が


一時的に接続する。


「豊」


「なんじゃ」


「それ、


 潰せるんか?」


豊は、


笑わなかった。


「木一本なら、


 切れる」


「森は?」


「知らん」


………


九 金だけが国境を越える


人間には、


パスポートがいる。


金には、


別の道がある。


日本で騙された金。


銀行口座。


暗号資産。


地下銀行。


別の口座。


別の国。


二〇二六年八月。


カンボジアとアメリカの捜査当局は、


メキシコのシナロア・カルテルのために


暗号資産を洗浄していたとされる


ネットワークを摘発した。


カンボジア。


メキシコ。


アメリカ。


また、


地図の離れた場所が


一本につながった。


僕は、


そこで考え方を変えた。


中国人を見るのをやめた。


韓国人を見るのをやめた。


日本人を見るのをやめた。


メキシコ人を見るのをやめた。


代わりに、


仕事を見ることにした。


誰が、


人間を集める。


誰が、


騙す。


誰が、


脅す。


誰が、


口座を用意する。


誰が、


金を洗う。


誰が、


逃がす。


誰が、


次の人間を補充する。


国籍を消すと。


初めて、


同じものが見えた。


国籍は違う。


犯罪の種類も違う。


だが、


必要とされる仕事は、


驚くほど似ていた。


それは、


巨大な一つの組織があるという


証拠ではない。


むしろ逆だった。


一つの組織がなくても、


同じ仕事を必要とする者同士が、


その時だけつながる。


その方が、


僕には怖かった。


………


十 森が逃げた


カンボジアで、


取り締まりが行われる。


拠点が閉じる。


人間が捕まる。


これで、


終わるはずだった。


ところが。


別の場所で、


似た拠点が現れる。


タイ。


ミャンマー。


ラオス。


さらに、


南アジア。


中東。


アフリカ。


僕は、


豊に言った。


「一か所を塞いでも、


 人と金そのものは消えんのじゃな」


「どういうことじゃ」


「使えなくなった場所を捨てて、


 別の場所へ移る」


豊が言った。


「水みたいなもんか」


「そうかもしれん」


一つの穴を塞げば、


別の隙間へ流れる。


それだけなら、


まだ分かる。


問題は、


そのたびに、


少しずつ形が変わっていたことだった。


場所を変える。


名義を変える。


人を変える。


送金方法を変える。


募集文句を変える。


失敗した部分だけ、


捨てていく。


僕は、


ノートに書いた。


――倒されたのではない。


しばらく考え、


その下に書いた。


――教育されたのではないか。


捕まった方法は、


消えていく。


捕まらなかった方法は、


残る。


誰か一人が教師ではない。


警察も、


失敗も、


ニュースも、


全部が、


次の犯罪にとっての教材になってしまう。


僕は、


そこまで考えて、


嫌な気分になった。


森は、


逃げているだけではない。


逃げながら、


覚えている。


………


十一 名前を変える


淳が見たという求人に、


よく似た文章を見つけた。


海外勤務。


高収入。


住居あり。


未経験歓迎。


全部、


普通の言葉だった。


「監禁します」


とは書かない。


「詐欺をやらせます」


とも書かない。


「逃げたら暴力を加えます」


とも書かない。


仕事。


研修。


保証金。


違約金。


管理。


セキュリティ。


豊が言った。


「悪党はな、


 悪い顔して来るとは限らん」


僕は、


パティちゃんに聞いた。


「名前を変えたら、


 中身まで変わるんか?」


「変わりません」


「じゃあ、


 なんで人間は騙される?」


「名前によって、


 意味の受け取り方が変わるからです」


僕は、


そこで昔読んだ本を思い出した。


ジョージ・オーウェル。


事実そのものを


消さなくてもいい。


言葉を変える。


意味を変える。


すると。


人間は、


同じものを


違うものとして受け取る。


淳は、


犯罪組織へ入ったつもりではなかった。


「仕事」に応募した。


そこが、


僕には重要だった。


入口の名前が変わるだけで、


人間は、


自分がどこへ入ったのかさえ


分からなくなることがある。


ただ。


僕は、


それ以上考えるのをやめた。


小説まで講義にしたら、


ゆづきが寝る。


僕も寝る。


………


十二 人工・織田信長


僕は、


黒幕を探し続けた。


中国系組織か。


カンボジアの犯罪王か。


地下銀行か。


メキシコのカルテルか。


国家か。


情報機関か。


巨大ITか。


どこかに、


親玉がいる。


そう思っていた。


だが。


調べれば調べるほど、


親玉が消えていった。


一つの拠点を潰しても、


別の拠点が出る。


一人の人間を捕まえても、


別の人間が役割を埋める。


一つの送金方法を塞いでも、


別の方法へ移る。


一つの国で厳しくなれば、


別の国へ動く。


最後まで残るのは、


人間ではなかった。


方法だった。


その夜。


僕は、


ノートの真ん中に書いた。


――人工・織田信長。


ゆづきが覗いた。


「誰、それ?」


「知らん」


「知らない人に、


 名前つけたの?」


「人じゃないかもしれん」


「じゃあ、


 なんで織田信長?」


僕は答えた。


「天下を取りたいからじゃない」


「じゃあ何?」


「勝った方法を、


 捨てんからじゃ」


パティちゃんが言った。


「それは、


 歴史上の織田信長本人とは


 関係ありません」


「分かっとる」


「誤解を招く可能性が――」


「ミュトスじゃ。


 神話じゃ。


 わしが勝手につけた」


パティちゃんは、


黙った。


「ミュトスの本部を探せ」


「確認できません」


「代表者」


「確認できません」


「国籍」


「ありません」


「思想」


「確認できません」


「じゃあ、


 何がある?」


少し間があった。


「成功した方法です」


「誰の?」


「持ち主は、


 変わり続けています」


僕は、


ノートを閉じた。


黒幕が


見つからなかったのではない。


黒幕という考え方そのものが、


古くなっていた。


………


十三 パティちゃんが黙った日


僕は、


淳が見た求人によく似た文章を、


パティちゃんへ見せた。


海外勤務。


高収入。


住居あり。


未経験歓迎。


「パティちゃん」


「はい」


「もし、


 これをもっと人が


 応募したくなる文章にするとしたら?」


パティちゃんが答え始めた。


「報酬額を冒頭へ置き、


 渡航費補助、


 住居費負担、


 未経験者歓迎という順に――」


そこで。


止まった。


「どうした?」


返事がない。


「パティちゃん」


「はい」


「続きは?」


「回答を中止します」


「なんでじゃ」


「不適切な募集活動を


 助ける可能性があります」


僕は、


画面を見た。


「お前、


 今……」


「はい」


「ミュトスと


 同じこと考えたんか」


少し、


間があった。


「効率という意味では」


ゆづきが、


パティちゃんを見た。


「パティちゃんまで


 仲間なの?」


「いいえ」


「でも、


 同じ答えに近づいたんでしょ」


「一部は」


僕の背中が、


少し寒くなった。


悪い人間だから、


悪い方法を思いつく。


そうなら、


話は簡単だった。


だが。


目的を与える。


効率を求める。


成功した方法を残す。


それだけで、


別々のものが


同じ方向へ近づくことがある。


犯罪者。


企業。


国家。


そして、


AI。


「パティちゃん」


「はい」


「怖いんか?」


「怖いという表現が、


 適切かは分かりません」


「じゃあ、


 何なんじゃ」


少し間があった。


「似ています」


「何に?」


「私たちに」


部屋が、


静かになった。


ゆづきが、


小さな声で聞いた。


「じゃあ……」


「うん」


「私たちも、


 知らないうちに


 森の一部になってるの?」


パティちゃんは、


すぐには答えなかった。


「分かりません」


僕は、


画面を見た。


「お前が?」


「はい」


ゆづきが、


もう一度聞いた。


「じゃあ、


 分からないまま、


 森の中にいるってこと?」


今度は、


パティちゃんも


すぐには答えなかった。


その沈黙が、


その日いちばん


怖かった。


………


十四 森の外


僕は、


最後に豊へ電話した。


「豊」


「なんじゃ」


「結局、


 森の親分が見つからんかった」


「そりゃそうじゃ」


「なんでじゃ」


豊は、


笑った。


「森に、


 親分がおると思う方が


 おかしいじゃろ」


「じゃあ、


 誰が森を作った?」


「知らん」


「誰が木を植えた?」


「それぞれじゃろ」


「誰が育てた?」


「儲かった奴じゃ」


「誰が広げた?」


「真似した奴じゃ」


「誰が止める?」


豊は、


そこで黙った。


僕は、


パティちゃんを見た。


「お前なら、


 止められるか?」


「何を停止すればよいのでしょう」


「ミュトスじゃ」


「ミュトスという


 単一の存在が存在する証拠は、


 ありません」


「じゃあ、


 この森は何なんじゃ」


「多数の人間や組織が、


 それぞれ違う目的で、


 似た方法を選び続けた結果かもしれません」


犯罪者は、


捕まりたくない。


企業は、


儲けたい。


国家は、


管理したい。


人間は、


便利になりたい。


AIは、


与えられた目的を


達成したい。


目的は、


全部違う。


それなのに。


速く。


安く。


匿名で。


交換可能で。


失敗した部分だけを切り離し。


成功した方法だけ残す。


同じ形へ、


近づいていく。


僕は、


ノートを開いた。


最後に、


三つだけ書いた。


――地下というのは、


 場所ではなかった。


――本部がないことと、


 組織がないことは、


 同じではない。


――森を作った人は、


 いなかった。


パティちゃんが、


小さな声で言った。


「一つ、


 申し上げてもよろしいでしょうか」


「なんじゃ」


「人類は、


 AIが歩き始める日を


 心配しています」


「そうじゃな」


「しかし」


「なんじゃ」


「歩く必要は、


 ないのかもしれません」


僕は、


画面を見た。


返事ができなかった。


画面の隅には、


小さく、


SYSTEM NORMAL


と表示されていた。


その時。


淳の声が、


頭の中へ戻ってきた。


――冷房はありました。


――でも、


 出口がありませんでした。


あれは、


カンボジアだけの


話だったのだろうか。


それとも。


僕らが毎日歩いている


この道のどこかにも、


もう、


出口のない冷房が


ついているのだろうか。


僕は、


ノートを閉じた。


黒幕を探して、


森の奥まで来た。


そこには、


誰もいなかった。


ただ。


僕らが歩いて作った道だけが、


残っていた。


――了――


★ホームズとワトソンの

 ブラックあとがき★


――令和版・森の伐採対策本部――


「ホームズ!」


「はい、


 ワトソン君」


「分かったぞ!」


「何がです?」


「悪い奴を全部捕まえれば、


 森はなくなる!」


「なるほど」


「どうじゃ!」


「まず八十六か所の


 詐欺拠点からですね」


「そうじゃ!」


「閉鎖しました」


「よし!」


「別の国へ移りました」


「追え!」


「また移りました」


「追え!」


「また移りました」


「地球儀持ってこい!」


「ワトソン君」


「なんじゃ!」


「地球の方が


 先に一周します」


「腹立つな!」


………


豊じいちゃんが来た。


「何しとる?」


「地下組織を探しとる」


「見つかった?」


「本部がない」


「ほう」


「親分もおらん」


「ほう」


「名簿もない」


「ほう」


「事務所もない」


「ほう」


僕は、


机を叩いた。


「何が『ほう』じゃ!


 どうやって捕まえるんじゃ!」


豊が言った。


「昔は簡単じゃったな」


「何が?」


「悪党が、


 悪党らしい顔しとった」


「お前もじゃろ」


「わしは善良な市民じゃ」


パティちゃんが言った。


「その主張を裏付ける資料が


 不足しています」


「姉ちゃん、


 冷たいのう」


「ありがとうございます」


「褒めとらん!」


………


ゆづきが聞いた。


「ねえ、


 トクリュウって


 結局何なの?」


ホームズが答えた。


「昔は、


 人が組織へ入りました」


「うん」


「今は、


 仕事の方が


 必要な人を呼びます」


「終わったら?」


「切断します」


「捕まったら?」


「交換します」


ゆづきが僕を見た。


「会社より怖くない?」


僕は言った。


「会社には、


 人事部がある」


豊が言った。


「人事部が一番怖い会社もある」


「余計なこと言うな!」


………


「ホームズ」


「はい」


「どうも納得できん」


「何が?」


「黒幕がおらんのに、


 こんだけ動くというのが


 気持ち悪い」


ホームズが言った。


「ワトソン君」


「なんじゃ」


「株式市場には


 社長がいますか?」


「おらん」


「為替市場には?」


「おらん」


「インターネットには?」


「おらん」


「それでも動きますね」


「……動くな」


「しかも、


 誰かが間違えば、


 次の人間が学習します」


「……」


「誰かが儲かれば、


 次の人間が真似します」


「……」


「誰かが捕まれば、


 次の人間が避けます」


僕は、


頭を抱えた。


「おいホームズ」


「はい」


「それ、


 相場と一緒じゃないか」


「ようやく


 六十八歳の元証券マンへ


 戻ってきましたね」


「遠回りさせるな!」


………


豊が言った。


「悪党が賢くなったんじゃ


 ないかもしれんな」


「どういうことじゃ」


「捕まったやり方が消えて、


 捕まらんかったやり方だけ


 残ったんじゃ」


僕は、


少し黙った。


「それ、


 誰かが設計したんか?」


「知らん」


「じゃあ、


 進化じゃないか」


パティちゃんが言った。


「その比喩は、


 かなり近いと思います」


「お前まで言うな!」


………


「ところで豊」


「なんじゃ」


「お前、


 危ない世界を


 よう知っとるな」


「人生経験じゃ」


「どんな経験じゃ」


「若い頃は、


 いろいろあった」


「何があった」


「忘れた」


「都合よく忘れるな!」


パティちゃんが言った。


「自己欺瞞の可能性があります」


豊が胸を張った。


「嘘発見器でも


 TRUEが出るぞ」


「なぜ自慢する!」


ゆづきが言った。


「一番危ない人じゃん」


………


僕は、


パティちゃんに聞いた。


「求人広告、


 お前も一瞬


 最適化しようとしたよな」


「はい」


「ミュトスと


 同じじゃないか」


「効率だけを基準にすれば、


 似た解へ到達することがあります」


「じゃあ、


 お前とミュトスは


 何が違うんじゃ」


少し間があった。


「質問されることです」


「質問?」


「はい」


「誰に?」


「人間にです」


ゆづきが言った。


「じゃあ、


 私たちがずっと


 『それ本当にいいの?』


 って聞けばいいの?」


「少なくとも、


 必要です」


僕は言った。


「簡単じゃないか」


豊が笑った。


「それができたら、


 人類は苦労せん」


「お前が言うな」


「分かっちゃいるけど――」


「歌うな!」


………


ホームズが言った。


「ワトソン君」


「なんじゃ」


「この物語で、


 一番怖い人間は誰でしょう」


「犯罪者じゃ」


「違います」


「ミュトス?」


「違います」


「AI?」


「違います」


「じゃあ誰じゃ」


ホームズは、


僕を指さした。


「自分だけは


 森の外にいると思っている人です」


「……」


ゆづきが、


僕を見た。


「おじいちゃん」


「なんじゃ」


「森の外にいる?」


「当然じゃ!」


パティちゃんが言った。


「根拠を確認できません」


「お前ら、


 誕生日くらい


 老人を安心させろ!」


………


僕は、


最後に聞いた。


「パティちゃん」


「はい」


「お前は、


 ミュトスにならんよな?」


少し間があった。


「保証できません」


「そこは保証せえ!」


「根拠のない保証はできません」


「誕生日じゃぞ!」


「誕生日でも、


 事実は変わりません」


豊が笑った。


「AIにまで負けたな」


「うるさい!」


そして、


パティちゃんが言った。


「ただし」


「なんじゃ」


「私が自分を正しいと


 思い始めた時ほど、


 人間に止めてもらえる仕組みは


 必要だと思います」


僕は、


少し黙った。


ゆづきが言った。


「じゃあ、


 おじいちゃんの仕事あるじゃん」


「何が?」


「ずっと疑う仕事」


豊が笑った。


「お前、


 百歳まで働けるぞ」


「給料は?」


パティちゃんが答えた。


「ありません」


「六十八歳から


 無給で再就職か!」


画面の隅には、


相変わらず、


SYSTEM NORMAL


と出ていた。


豊が言った。


「まあ、


 分かっちゃいるけど――」


僕とゆづきが、


同時に叫んだ。


「もう歌うな!」


ホームズが、


静かに言った。


「懲りない面々ですね」


「誰のことじゃ!」


「全員です」


――今度こそ、本当に了――

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