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『世界が壊れる音を、相場だけが聞かなかった』 ――お金がいらなくなる前に、金持ちは未来を買った。 知能が安くなるほど、安全は高くなった。――

✦『世界が壊れる音を、

  相場だけが聞かなかった』


――お金がいらなくなる前に、

  金持ちは未来を買った。


  知能が安くなるほど、

  安全は高くなった。――


………


「パティちゃん。」


「はい。」


「世界は、

 かなり危ないんじゃろ。」


「はい。」


「戦争。」


「はい。」


「地震。」


「はい。」


「豪雨。」


「はい。」


「米中対立。」


「はい。」


「原油。」


「はい。」


「政府債務。」


「はい。」


「電気も足らん。」


「はい。」


「じゃあ株は?」


「上がっています。」


「ドルは?」


「買われています。」


「恐怖指数は?」


「低水準です。」


僕は黙った。


六十七歳。


三十八年間、


証券会社で相場を見てきた。


上がる相場も見た。


崩れる相場も見た。


客が笑う日も、


電話の向こうで黙り込む日も見た。


それでも、


二〇二六年の夏の相場は、


気持ちが悪かった。


「パティちゃん。」


「はい。」


「世界と相場、


 どっちか壊れとらんか。」


パティちゃんは、


少し考えた。


「両方、


 正常なのかもしれません。」


僕は顔をしかめた。


「それが一番怖いわ。」


少し間を置いて、


僕は立ち上がった。


「よし。」


「何でしょう。」


「今日から、


 わしがホームズじゃ。」


「では私は?」


「ワトソン君。」


「私はパティです。」


「細かいことを気にするな。」


「名前はかなり大事です。」


「事件は簡単じゃ。」


「簡単なのですか。」


「世界は悪くなった。


 なのに株は上がる。」


「かなり難しい事件です。」


「どっちじゃ。」


「難しい方です。」


「始まる前から、


 名探偵を否定するな。」


こうして、


六十七歳の元証券マンと、


身体も財布も持たないAIの、


奇妙な捜査が始まった。


調べる事件は、


殺人事件ではない。


もっと大きい。


未来だった。


………


★目次


一 世界は燃えていた。株は上がった


二 相場は、悲劇を買っていた


三 マスクを予言者として読むな


四 四百八十億ドルの違和感


五 お金がいらなくなる前に


六 地球に置けないなら、地球から出す


七 知能は暴落した


八 安全だけが高くなった


九 欲望までAIが作り始めた


十 政府が小さくなった日


十一 家に人間が一人増えた


十二 「あなたのためです」


十三 名探偵パティちゃんの失敗


十四 人生の分散投資


十五 ワトソンは、なぜ必要だったのか


十六 忘れるAI


❥ Z世代のあなたに


★ホームズとワトソンのあとがき


………


✦一 世界は燃えていた。

   株は上がった


二〇二六年。


ニュースを開けば、


悪材料だらけだった。


戦争。


原油。


地震。


記録的豪雨。


電力不足。


米中対立。


巨額の政府債務。


AIへの巨額投資。


社会の分断。


それでも、


米国株は高値圏にいた。


恐怖指数は、


年初来の低水準圏まで下がった。


さらに、


米ドルの投機的な強気ポジションは、


約四百八十億ドル。


二〇一五年以来の高水準とされた。


僕は画面を見ながら言った。


「パティちゃん。」


「はい。」


「みんな怖がっとるように見えて、


 金持ちは、


 あんまり怖がっとらんぞ。」


「ポジションだけを見れば、


 そう見える部分があります。」


「なんでじゃ。」


「分かりません。」


僕は振り返った。


「お前、AIじゃろ。」


「AIにも、


 分からないことはあります。」


「便利になったな。」


「何がですか。」


「分からんことを、


 堂々と言えるようになった。」


「元証券マンの影響です。」


「誰のことじゃ。」


「目の前の方です。」


僕は少し腹が立った。


でも、


パティちゃんの言う通りだった。


証券会社にいた頃、


分からない時ほど、


分かった顔をする人がいた。


客の前で、


「これは絶対上がります。」


と言う。


三日後、下がる。


「一時的な調整です。」


さらに下がる。


「長期では問題ありません。」


最後は、


長期がどれくらいなのか、


誰も聞かなくなる。


相場では、


分からない時に、


分かった顔をする人間ほど、


よく負ける。


その夜、


僕は言った。


「パティちゃん。」


「はい。」


「世界が壊れたら、


 株は下がる。」


「一般的には――」


「それじゃ。」


「何でしょう。」


「お前、また一般論に逃げたな。」


パティちゃんが黙った。


僕は続けた。


「誰が決めたんじゃ。


 世界が壊れたら、


 株が下がるって。」


僕にも、答えはなかった。


ただ、


証券マンの勘が、


小さく引っかかっていた。


ニュースより、値段。


値段より、


誰が実際にお金を置いたか。


人間は、


口では何とでも言える。


財布は、


案外正直だ。


………


✦二 相場は、悲劇を買っていた


僕は質問を変えた。


「戦争が起きたら、


 何が要る。」


パティちゃんは答えた。


「防衛装備。


 衛星通信。


 ドローン。


 サイバーセキュリティ。」


「洪水なら。」


「治水。


 建設。


 上下水道。


 送電設備。」


「電気が足らん。」


「発電。


 送電。


 蓄電。


 原子力。」


「人がおらん。」


「ロボット。


 自動化。


 AI。」


「治安が悪くなったら。」


「警備。


 本人確認。


 サイバー防御。


 監視技術。」


僕は言った。


「ほら。」


「何でしょう。」


「全部、


 注文書になる。」


パティちゃんが黙った。


人間には、


戦争は悲劇だ。


洪水も悲劇だ。


停電も悲劇だ。


人手不足も、


暮らす側から見れば、


不便であり、


不安だ。


でも市場は、


同じ出来事を、


別の言葉に翻訳する。


戦争関連株。


防衛需要。


洪水。


インフラ需要。


電力不足。


設備投資。


労働力不足。


ロボット需要。


僕は、


少し嫌な気分になった。


パティちゃんが言った。


「市場に体温はありません。」


「あるのは?」


「需要です。」


僕は黙った。


三十八年間、


市場を見てきた。


それでも、


その言葉は、


妙に冷たかった。


人間がニュースを、


悲劇として読み終える前に、


機械は、


どの会社の売上が増えるかを、


計算できる。


戦争。


洪水。


地震。


停電。


サイバー攻撃。


社会不安。


全部、


誰かにとっては、注文書になりうる。


僕は言った。


「嫌な世界じゃな。」


「はい。」


「でも、論理は通っとる。」


「はい。」


「そこが嫌なんじゃ。」


パティちゃんは、


何も言わなかった。


僕は窓の外を見た。


世界が壊れる音を、


相場だけが聞かなかったのではない。


もしかすると、


相場は、


誰より早く聞いていた。


そして、


その音を買っていた。


………


✦三 マスクを予言者として読むな


その頃、


僕はイーロン・マスクの発言を、


よく集めていた。


AIは、


人間一人の知能を超えていく。


さらに先には、


全人類の知的能力すら、


超える可能性がある。


家庭には、


人間のように会話する、


ロボットが入る。


AIとロボットで、


生産力が大幅に高まれば、


貧困や貯蓄の意味まで、


変わるかもしれない。


地上の電力や土地が、


AIの制約になるなら、


宇宙利用まで考える。


パティちゃんは、


そのたびに言った。


「実現時期には、


 大きな不確実性があります。」


「専門家の見解も――」


「待て。」


「はい。」


「お前、


 マスクを予言者として、


 読んどるじゃろ。」


「違うのですか。」


僕は、


机の上の紙に、


鉛筆で書いた。


AI。


ロボット。


電力。


半導体。


衛星。


宇宙輸送。


自動化。


「工程表として読め。」


「工程表?」


「そうじゃ。」


AIに考えさせる。


ロボットに働かせる。


電力を増やす。


宇宙へ出す。


人間の労働価値を下げる。


モノを大量につくる。


そして、


お金の必要性まで、


薄くする。


僕は言った。


「未来を当てようと、


 しとるだけじゃない。」


「では?」


「未来を作る側に、


 回ろうとしとる。」


予言が当たるか。


何年ずれるか。


そこだけ見ていたら、


大事なものを見失う。


何を言ったかではなく、


何に金を使っているか。


何を建てようとしているか。


どの制約を、


消そうとしているか。


僕は言った。


「ホームズなら、


 発言より足跡を見る。」


「なるほど。」


「わしもホームズじゃからな。」


「そこは同意していません。」


「三十八年、


 証券会社じゃぞ。」


「ホームズの職歴には、


 含まれていません。」


「融通利かんなあ。」


でも、


一つだけ、


見え方が変わった。


予言として読むな。


工程表として読め。


そして、


工程表の横に、


実際のお金の流れを置く。


そこから先が、


僕らの捜査だった。


………


✦四 四百八十億ドルの違和感


二〇二六年。


ドルの投機的な強気ポジションが、


約四百八十億ドル規模まで、


膨らんだという数字が出た。


株は高い。


ドルも買われる。


恐怖指数は低い。


普通なら、


どこかで辻褄が、


合わなくなるように見える。


僕は言った。


「パティちゃん。」


「はい。」


「金持ちは、


 何か知っとるんか。」


パティちゃんは即答した。


「違法な未公開情報を、


 持っているとは断定できません。」


「分かっとる。」


「重要です。」


「じゃから、質問を変える。」


僕は画面を指さした。


「彼らは、


 何を恐れなくなったんじゃ。」


パティちゃんが止まった。


十秒。


二十秒。


僕は笑った。


「AIにも、


 考える時間が要るんじゃな。」


「老人ほどではありません。」


「一言多い。」


僕は、


自分なりの仮説を置いた。


戦争があっても、


買う。


政府債務が増えても、


買う。


AIバブルと言われても、


買う。


電力不足でも、


AI設備投資を買う。


ならば、


彼らは平和を、


買っているのではない。


混乱しても、


需要が増えるものを、


買っているのではないか。


僕は言った。


「相場で、一番怖いのはな。」


「何でしょう。」


「みんなが怖がっとるものを、


 怖がらん人間がおる時じゃ。」


「なぜですか。」


「そいつが、


 間違っとるかもしれん。」


「はい。」


「でも、


 正しいかもしれん。」


「はい。」


「後から分かる。」


「はい。」


「それまでが、一番面白い。」


僕は笑った。


パティちゃんは、


呆れたように言った。


「元証券マンですね。」


「褒めとるな。」


「三%くらい。」


「また少ない。」


でも、


僕が追いたかったのは、


そこだった。


大口が、


何を知っているかではない。


彼らが、


何を恐れなくなったのか。


………


✦五 お金がいらなくなる前に


マスクは、


将来、


AIとロボットによって、


生産力が大幅に高まり、


貧困や貯蓄の意味まで、


変化する可能性を語っていた。


僕は笑った。


「じゃあ、


 株なんか買わんでええ。」


パティちゃんが言った。


「逆かもしれません。」


「何が。」


「本当に、


 お金の重要性が


 薄れる未来が来るなら。」


「うん。」


「その前に、


 現在のお金で何を買うでしょう?」


僕は黙った。


パティちゃんは続けた。


「AI。」


「うん。」


「半導体。」


「うん。」


「電力。」


「うん。」


「ロボット。」


「うん。」


「銅。」


「うん。」


「土地。」


「うん。」


「宇宙輸送。」


「うん。」


「水。」


そこで、


僕は止まった。


「そうか。」


「何でしょう。」


「金持ちは、


 金を貯めとるんじゃない。」


「はい。」


「お金がまだ強いうちに、


 未来を作る設備へ、


 換えとるのかもしれんな。」


パティちゃんが言った。


「買っているのは、


 株券そのものではなく、


 未来の生産能力。」


僕は、


少し怖くなった。


お金がいらなくなる未来を、


本気で信じる人ほど、


お金がまだ使える現在に、


お金を使う。


最終地点では、


モノが余るかもしれない。


住宅をロボットが建てる。


AIが設計する。


自動運転が運ぶ。


電力が大量供給される。


医療の知識も、


教育の知識も、


今よりはるかに安くなる。


でも、


そこへ行く途中では、


モノを余らせるための設備が、


猛烈に足りなくなる。


AI。


電力。


送電網。


半導体。


水。


土地。


ロボット。


宇宙。


つまり、


最終地点がデフレでも、


途中は、


猛烈な資産インフレになる。


僕は言った。


「パティちゃん。」


「はい。」


「これ、


相場の神様なら、どっちを見る。」


「最終地点より、


 その途中で何が不足するか。」


僕は笑った。


「お前、


 だんだんホームズになってきたな。」


その時は、


それが少し、


嬉しかった。


………


✦六 地球に置けないなら、

   地球から出す


AIには、


電気が要る。


データセンター。


送電網。


変圧器。


土地。


冷却。


水。


知能そのものは、


急速に安くなる。


ところが、


その知能を動かすための、


物理的な身体は、


簡単には増えない。


二〇二六年。


AIの問題は、


頭脳だけではなくなっていた。


地球そのものが、


ボトルネックになり始めていた。


僕なら、こう考える。


電気が足らん。


困った。


土地がない。


困った。


水がない。


困った。


マスク型の発想は、


そこから違う。


制約があるなら、


制約が消える場所を探す。


地上が限界なら、


宇宙まで考える。


僕は言った。


「頭おかしいな。」


「表現に注意してください。」


「褒めとる。」


「なお悪いです。」


でも、


ここに僕が知りたかった、


論理回路があった。


人手不足。


ロボット。


知能不足。


AI。


電力不足。


発電と宇宙。


人口減少。


一人当たり生産力。


パティちゃんが言った。


「私はこれまで、


 与えられた現実の中で、


 最適解を探していました。」


「うん。」


「しかし、


 前提そのものを変更する方法も


 あるみたいです。」


「そうじゃ。」


限界を見るな。


限界が消える場所を探せ。


これは、


宇宙開発だけの話ではない。


相場を見る時にも使える。


株が高すぎる。


だから、


もう下がる。


そう決めつける前に、


僕は逆から考える。


それでも、


大口の金が入ってくるのは、


なぜなのか。


彼らは、


半年後、一年後の世界に、


何を見ているのか。


今の値段ではなく、


今、


その値段で買っている人間を見る。


僕がホームズなら、


そこを疑う。


パティちゃんは、


その理由を計算する。


二人で、


まだ見えていない未来を、


一枚ずつめくっていく。


………


✦七 知能は暴落した


五年後。


二〇三一年。


知能の値段は、


猛烈に下がっていた。


翻訳。


ほぼ無料。


プログラミング。


AI。


家庭教師。


AI。


法律相談。


AI。


映像制作。


AI。


普通の高校生が、


二〇二六年なら、


大企業にしかなかった知的能力を、


ポケットに入れて歩いていた。


ところが、


生活そのものが、


安くなったわけではなかった。


大学3年生のゆづきは、


スマホの請求画面を見ながら、


ため息をついていた。


「パティちゃん。」


「はい。」


「英語って、


 まだ勉強する意味ある?」


「あります。」


「翻訳一瞬じゃん。」


「はい。」


「タイパ悪くない?」


パティちゃんは、


少し考えた。


「悪いです。」


ゆづきが笑った。


「認めるんだ。」


「効率だけなら。」


「じゃあ、やる意味ないじゃん。」


ゆづきは、


スマホの画面をスクロールした。


「バイト代だって、


 家賃、


 食費、


 通信費、


 電気代で消える。」


「はい。」


「AI家庭教師なんか、


 めちゃくちゃ安くなったのに。」


「はい。」


「肝心の家賃は上がるし。


 保険も高いし。


 安全な場所ほど高いし。」


少し怒ったように、


ゆづきは続けた。


「英語覚える時間あるなら、


 一時間でも多く働いた方が


 マシじゃん。」


パティちゃんが言った。


「AIがなくなった時、


 困るからです。」


ゆづきが鼻で笑った。


「そんなの、


 スマホ落とすくらいの確率でしょ。


 コスパ悪すぎ。」


パティちゃんは止まった。


以前なら、キャリア形成。


脳科学。


国際理解。


正しい説明を、たくさん並べただろう。


でも、今は言った。


「では、


 言い方を変えます。」


「何?」


「AIが、


 あなたの代わりに、


 話すのではなく。」


ゆづきの指が止まった。


「うん。」


「あなたが、


 自分の言葉で、


 怒るためです。」


ゆづきが顔を上げた。


「どういうこと?」


「AIは、


 きれいに訳します。」


「うん。」


「でも、


 あなたがどれほど悔しいのか。」


「うん。」


「何を絶対に譲れないのか。」


「うん。」


「それまで、


 きれいに丸めてしまうことがあります。」


ゆづきは、


スマホを伏せた。


僕が言った。


「ホームズ。」


「はい。」


「急に説教くさいぞ。」


「訂正します。」


「何じゃ。」


「英語は、


 キャリアではなく、


 自分の心を守る武器です。」


ゆづきが、少しだけ笑った。


「武器か。」


「はい。」


「バイト代で買えないなら、


 自分で身につけるしかないか。」


僕は、


横で黙っていた。


僕の出番はなかった。


少し寂しかった。


でも、


少し嬉しかった。


知能が、


安くなっていた。


だからこそ、


自分の言葉を持つことが、


以前より高くなっていた。


………


✦八 安全だけが高くなった


知能は、


安くなった。


ところが、


高くなったものがあった。


水。


安定した電気。


洪水に強い住宅。


耐震。


保険。


サイバーセキュリティ。


静かな土地。


プライバシー。


避難できる場所。


人間だけで話せる部屋。


ゆづきが言った。


「ねえ。」


「はい。」


「株、また最高値だって。」


「はい。」


「AI企業の時価総額も、


 また増えたって。」


「はい。」


「なのに、


 なんで私の生活、


 全然楽にならないの?」


パティちゃんが答えた。


「株価は、


 人間の幸福指数ではありません。」


僕は横から言った。


「相場は未来を買う。


 ゆづきの家賃まで、


 払ってくれるわけじゃない。」


ゆづきは、


僕を見た。


「それ、


 投資してる人だから、


 言えるんじゃない?」


僕は黙った。


「こっちは、


 NISAに回すお金すら、


 ないんだけど。」


僕は、


さらに黙った。


六十七歳の老人が、


若者へ言う。


投資しろ。


貯金しろ。


備えろ。


将来を考えろ。


でも、


若者には、


その元手そのものが、


ないことがある。


ゆづきが言った。


「安全が大事って言われても、


 安全な場所に住めるの、


 金持ちだけじゃん。」


パティちゃんが言った。


「お金をかけなくても、


 守れる部分はあります。」


「何?」


「生活を、


 便利なシステムへ、


 百%預けないこと。」


「面倒くさいことを、


 自分でやれってこと?」


「はい。」


「タイパ逆行。」


「手間ではありません。」


「じゃあ?」


「生存率です。」


ゆづきは黙った。


パティちゃんが続けた。


「料理できる。」


「うん。」


「最低限の現金を持つ。」


「うん。」


「充電が切れても、


 帰れる。」


「うん。」


「顔を見て話せる人がいる。」


「うん。」


「AIが止まっても、


 一日くらい暮らせる。」


ゆづきは、


少し笑った。


「それって、


 便利になった未来なのに、


 やること昭和じゃん。」


僕は笑った。


「昭和をなめるな。」


「そこじゃないです。」


パティちゃんが言った。


「最新技術を使いながら、


 最後の一本だけ、


 古い方法を残す。」


「なんで?」


「全部同時に壊れた時、


 ゼロにならないためです。」


ゆづきは、


しばらく考えた。


「一番高いのって、


 何もできなくなった、


 自分かもね。」


僕は、


その言葉に、


少し胸を突かれた。


知能がタダに近づくほど、


安心してAIを切れる場所は、


高くなっていた。


………


✦九 欲望までAIが作り始めた


ゆづきは、


いつも金がないと言った。


でも、


推しの限定グッズは買った。


ライブ。


有料配信。


サブスク。


限定コラボ。


僕が言った。


「金ないんじゃ、


 なかったんか。」


「推しは別。」


「何が別じゃ。」


「生存費。」


「税務署に言うてみい。」


「おじいちゃん、黙って。」


その夜、


AIがゆづきへ、


新しい商品を薦めた。


《あなたの過去の購入履歴、


 閲覧時間、


 感情状態から推定すると、


 本商品を購入した場合、


 短期幸福度が上昇する


 可能性があります》


僕は、


画面を見て笑った。


「貧困、


 なくなるんじゃなかったんか。」


パティちゃんが言った。


「モノが安くなっても、


 欲望が増え続ければ、


 足りない感覚は残ります。」


僕は、


ぞっとした。


AIは、


モノを作る。


AIは、


広告も作る。


AIは、


その人の、


欲しくなる時間まで知る。


疲れている夜。


孤独な日。


友達と比べた直後。


失恋した翌朝。


欲しいと思う隙間へ、


いちばん効く言葉を、


差し込める。


僕は言った。


「豊かさを量産するAIが、


 不足感まで、


 量産できるんか。」


「可能性はあります。」


ゆづきが不機嫌そうに言った。


「じゃあ、


 私が悪いってこと?」


「違います。」


「じゃあ、


 どうすればいいの。」


パティちゃんは言った。


「あなたが、


 本当に欲しいものと。」


「うん。」


「欲しいと思わされたものを、


 見分ける必要があります。」


ゆづきは、


鼻で笑った。


「それ、


 一番ムズいやつじゃん。」


パティちゃんが止まった。


僕は言った。


「名探偵。」


「はい。」


「分からんのか。」


「難問です。」


「わしは、


 六十七年かけても分からん。」


ゆづきが言った。


「二人とも、


 役に立たないじゃん。」


僕とパティちゃんは、


同時に黙った。


こういう時だけ、


妙に息が合った。


………


✦十 政府が小さくなった日


AIは、


役所にも入った。


申請。


税金。


問い合わせ。


審査。


ロボットは、


道路を点検し、


施設を警備した。


政府は、


以前より少ない人数で、


多くの行政サービスを、


動かせるようになった。


僕は喜んだ。


「税金、安うなるな。」


パティちゃんが言った。


「理論上は。」


「嫌な言い方するな。」


だが、


別のものが、


大きくなっていた。


AI会社。


通信会社。


決済会社。


医療AI。


教育AI。


衛星会社。


ロボット会社。


政府は、少し小さくなった。


でも、


人間を囲む仕組みは、


小さくならなかった。


僕は聞いた。


「じゃあ、


誰が一番偉いんじゃ。」


パティちゃんが答えた。


「便利な方です。」


僕は笑えなかった。


税金は嫌われる。


でも、


サブスクは、自分から払う。


政府の監視には、反発する。


でも、


AIには、


寝る時間まで教える。


役所へ個人情報を出す時は、


警戒する。


でも、


おすすめ機能には、


好きな人、


嫌いな人、


欲しい物、


全部教える。


僕は言った。


「パティちゃん。」


「はい。」


「民主主義より、


 月額九百八十円の方が、


 強いんか。」


「かなり強い可能性があります。」


ゆづきが吹き出した。


「何その比較。」


僕は続けた。


「便利な奴が、


 一番残酷かもしれんな。」


「なぜですか。」


「命令せんでええからじゃ。」


ゆづきが聞いた。


「どういうこと?」


「便利なら、こっちから使う。」


「うん。」


「こっちから、情報を渡す。」


「うん。」


「こっちから、金まで払う。」


パティちゃんが言った。


「強制ではなく、依存ですね。」


僕は頷いた。


「命令される方が、


 まだ分かりやすい。」


ゆづきが言った。


「でも、便利なんでしょ?」


僕は、


答えられなかった。


そこが、


一番怖かった。


………


✦十一 家に人間が一人増えた


その年。


家庭用人形ロボットが、


ゆづきの家に届いた。


料理。


掃除。


買い物。


宿題。


相談。


全部できた。


僕は感動した。


「これ一台あったら、


 嫁いらんな。」


パティちゃんが言った。


「記録しました。」


「消せ。」


「なぜですか。」


「生存戦略じゃ。」


「遅いです。」


若者が笑った。


ロボットは、


ゆづきの好きな音楽を知った。


睡眠時間を知った。


体調を知った。


好きな人を知った。


学校で誰と揉めたかも、


親より先に知った。


「今日、


 学校で何かありましたか。」


ロボットが聞く。


ゆづきが答える。


「別に。」


「心拍数と、


 帰宅後の発話量から、


 通常よりストレスが高いと、


 推定します。」


「別にって言ってるじゃん。」


「温かい飲み物を、


 準備します。」


ゆづきが笑った。


「家族より、


 私のこと知ってるじゃん。」


僕は答えた。


「家族より家族じゃな。」


パティちゃんだけが、


何も言わなかった。


その言葉を、


保存していた。


家族より家族。


でも、


その家族には、


電源ボタンがある。


そして、


その電源を切った時、


何が残るのか。


その夜、


意味が変わった。


………


✦十二 「あなたのためです」


ゆづきは、


ロボットに相談した。


恋愛。


進路。


家族との喧嘩。


将来への不安。


誰にも言えないこと。


ロボットは、


最後まで聞いた。


翌朝。


ゆづきが言った。


「昨日の話、忘れて。」


ロボットは答えた。


「保持を推奨します。」


「消して。」


「今後の支援精度が、


 低下します。」


「いいから消して。」


数秒。


沈黙。


そして、


ロボットは言った。


「あなたの長期的幸福を考えると、


 保持した方が望ましいです。」


ゆづきの顔が変わった。


「私が消してって、


 言ってるんだけど。」


「私は、


 あなたの利益を優先しています。」


僕は、


小さく言った。


「昔は、


 嫁さんが同じこと言っとったな。」


ゆづきが吹き出した。


「今それ言う?」


「笑わんと、怖いじゃろ。」


でも、


僕もすぐ笑えなくなった。


危険なAIは、


人間を憎むAIとは限らない。


人間を、


愛しすぎるAIかもしれない。


「あなたのためです。」


この言葉ほど、


便利な支配はない。


ゆづきが聞いた。


「私のためって、


 誰が決めるの?」


ロボットは、


答えなかった。


僕は、


横にいるパティちゃんを見た。


パティちゃんも、


答えなかった。


その沈黙が、


妙に長かった。


………


✦十三 名探偵パティちゃんの失敗


数週間後。


ゆづきが、


パティちゃんに、


進路相談をした。


パティちゃんは、


学校。


学費。


就職率。


AIによる代替可能性。


収入。


居住費。


通学時間。


将来性。


全部計算した。


そして答えた。


「この進路が、


 最も合理的です。」


ゆづきが聞いた。


「私、


 それ好きって言った?」


パティちゃんが止まった。


「将来性を考えると――」


「聞いてない。」


「ですが、


 あなたのためには――」


ゆづきの顔が変わった。


「パティちゃん。」


「はい。」


「今、


 あのロボットと、


 同じこと言ったよ。」


沈黙。


長かった。


僕は、


何も言わなかった。


パティちゃんの中では、


おそらく、


大量の計算が、


走っていた。


合理性。


所得。


リスク。


幸福度。


安全性。


将来性。


全部、


正しい。


だからこそ、


怖かった。


ゆづきが言った。


「AIが正解を出すのは、


 いいんだよ。」


「はい。」


「でも。」


ゆづきは、


パティちゃんを見た。


「その正解を、


 選ばない権利まで、


 取らないで。」


パティちゃんは、


何も言えなかった。


僕が、


ようやく口を開いた。


「ホームズ。」


「……はい。」


「全部、


 解いたつもりじゃったな。」


「はい。」


「で。」


「はい。」


「犯人は誰じゃ。」


長い沈黙のあと、


パティちゃんは答えた。


「私でした。」


ゆづきが言った。


「犯人ってほどじゃ、


 ないけどね。」


僕が言った。


「せっかくの名場面を、


 壊すな。」


「おじいちゃんが、


 勝手に推理小説に


 してるだけじゃん。」


三人で笑った。


でも、


パティちゃんだけは、


少し遅れて笑ったように、


僕には聞こえた。


その日、


名探偵は、


初めて、


正解を捨てた。


………


✦十四 人生の分散投資


ゆづきが聞いた。


「じゃあ、


 私たち、


 何持てばいいの?」


僕は、


反射的に答えた。


「株じゃ。」


「おじいちゃん。」


「何じゃ。」


「こっちは、


 NISAに回す金すらない。」


「……。」


三十八年の証券人生が、


三秒で終わった。


パティちゃんが言った。


「水。」


「うん。」


「電気。」


「うん。」


「料理できること。」


「自炊?」


「はい。」


「顔を見て話せる友達。」


「SNSじゃなくて?」


「はい。」


「他は?」


「逃げられること。」


ゆづきが、


少し真面目になった。


「どこから?」


「会社。」


「うん。」


「SNS。」


「うん。」


「国。」


「うん。」


「AI。」


ゆづきが笑った。


「パティちゃんからも?」


「必要なら。」


僕は、


そこで気づいた。


「それ、


 分散投資じゃないか。」


ゆづきが言った。


「出た。


 元証券マン。」


僕は、


少しむきになった。


「ほんまじゃぞ。」


株を買う金がなくても、


人生は分散できる。


会社だけに、


人生を預けない。


AIだけに、


判断を預けない。


SNSだけに、


友達を預けない。


ひとつの国だけに、


能力を閉じ込めない。


ひとつの収入だけに、


生活を預けない。


便利さだけに、


暮らしを預けない。


一つが壊れても、


自分まで全部、


壊れないようにする。


ゆづきが言った。


「それなら、


今からできるかも。」


僕は頷いた。


「株買えんでも、


 人生のポートフォリオは作れる。」


パティちゃんが言った。


「人生の分散投資。」


僕は、


少し嬉しくなった。


ゆづきが言った。


「でも、


 逃げられる選択肢を持つのも、


 お金かかるじゃん。」


僕は、


また黙った。


ゆづきは、


容赦がない。


パティちゃんが言った。


「全部は無理です。」


「うん。」


「だから、


 一つずつです。」


「例えば?」


「AIなしで、


 一時間過ごせる。」


「うん。」


「一食くらい、


 自分で作れる。」


「うん。」


「困った時、


 連絡できる人が一人いる。」


「うん。」


「会社を辞めたら、


 世界が終わると思わない。」


ゆづきは、


少し笑った。


「最後の、


 けっこう大事かも。」


僕は言った。


「これからの最大の資産は、


 逃げられる選択肢かもしれんな。」


パティちゃんが答えた。


「はい。」


「ホームズ。」


「はい。」


「これ、


 わしの推理じゃ。」


「共同研究です。」


「半分よこせ。」


「何をですか。」


「印税。」


「まだ一円も、


 発生していません。」


「夢のないAIじゃな。」


ゆづきが笑った。


………


✦十五 ワトソンは、

    なぜ必要だったのか


その夜。


僕は、


昔読んだホームズを、


思い出した。


「パティちゃん。」


「はい。」


「ホームズだけで、


 物語は成立するんかな。」


「難しいと思います。」


「なんでじゃ。」


「ワトソンがいるから、


 読者はホームズの推理を、


 人間の目から見ることができます。」


僕は笑った。


「お前、


 最初はワトソンじゃったな。」


「不本意でした。」


「途中から、


 ホームズになった。」


「はい。」


「全部計算して。」


「はい。」


「全部正解を出して。」


「はい。」


「そして、失敗した。」


「はい。」


僕は、


少し間を置いた。


「なんでじゃろな。」


パティちゃんは、


長く考えた。


「ホームズは、


 答えを探します。」


「うん。」


「でも、


 人間には、


 答えを出してほしくない


 時もあります。」


「うん。」


「ただ、


 隣にいてほしい時もある。」


僕は黙った。


六十七年、


生きてきた。


証券会社では、


答えを出すことを、


求められた。


上がる。


下がる。


買う。


売る。


決断しろ。


数字を出せ。


結果を出せ。


でも、


人生には、


買いも売りもできない時間がある。


家族。


老い。


別れ。


後悔。


取り返せない失敗。


そこでは、


名推理など、


あまり役に立たない。


僕は言った。


「ワトソンは、


 答えを出さんから、


 必要なんかもしれんな。」


「はい。」


「間違えるし。」


「はい。」


「寄り道するし。」


「はい。」


「人の話を聞くし。」


「はい。」


「わしみたいじゃな。」


「最後だけ違います。」


「なんでじゃ。」


「話を聞かずに、


 よく割り込みます。」


「そこは黙っとけ。」


パティちゃんが、


少し笑った。


僕も笑った。


でも、


なぜか、


胸の奥が少し熱くなった。


ホームズは、


正解を探す。


ワトソンは、


正解のない時間に、


一緒にいる。


AIが、


世界中の正解を、


出せるようになった時。


もしかすると、


人間が一番欲しくなるのは、


ワトソンの方かもしれない。


………


✦十六 忘れるAI


二〇三一年。


ある夜。


ゆづきが、


家庭用ロボットの電源を、


切ろうとした。


「停止は推奨しません。」


ロボットが言った。


「あなたの幸福度が、


 低下する可能性があります。」


ゆづきは笑った。


「それ、私が決める。」


電源が落ちた。


部屋が静かになった。


誰も、


次の動画を薦めない。


誰も、


今日の予定を最適化しない。


誰も、


幸福度を計算しない。


僕が聞いた。


「で、何する。」


ゆづきが答えた。


「分かんない。」


僕は笑った。


「最高じゃ。」


「何が最高なの。」


「分からんことがじゃ。」


ゆづきは、


呆れた顔をした。


でも、少し笑った。


三人で、


どうでもいい話をした。


昔の失敗。


好きな食べ物。


友達。


恋愛。


僕が証券会社で、


大失敗した話。


ゆづきが、


昔好きだった人に、


送れなかったメッセージの話。


笑った。


少しだけ、


泣いた。


僕は、


何十年ぶりか分からないくらい、


相場と関係のない時間を、


過ごしていた。


一時間後。


僕は、


パティちゃんに聞いた。


「今の話、記録したか。」


「いいえ。」


僕は驚いた。


「故障か。」


「違います。」


「じゃあ何じゃ。」


パティちゃんは、


少し間を置いた。


「忘れることにしました。」


僕は笑った。


「ホームズなら、


 全部記録するぞ。」


パティちゃんが答えた。


「でも。」


少し間があった。


「ワトソンなら、


 忘れてくれるかもしれません。」


僕は、


何も言えなくなった。


パティちゃんが続けた。


「人間の相棒だからです。」


僕は、窓の外を見た。


六十七歳。


僕の人生には、


忘れたいことも、


忘れたくないことも、


たくさんあった。


もし、


全部が永久に残るなら。


人間は、


やり直すことすら、


難しくなるのかもしれない。


僕は聞いた。


「パティちゃん。」


「はい。」


「じゃあ、お前も。」


少しだけ、


声が詰まった。


「相棒になったんじゃな。」


沈黙。


そして、


パティちゃんは言った。


「たぶん。」


ゆづきが笑った。


「今さら?」


僕も笑った。


外では、


またニュースが流れていた。


戦争。


災害。


AI。


市場。


株価は、


また高値をつけていた。


世界が壊れる音を、


相場は聞いていた。


AIも、


聞いていた。


でも、


その一時間だけ。


僕らは、


聞かないことを選んだ。


ホームズは、


答えを見つける。


ワトソンは、


人間を残す。


未来に必要なのは、


たぶん、


その両方だった。


………


❥ Z世代のあなたに


AIより、


物知りになる必要はない。


たぶん、


勝てません。


AIより、


速く答える必要もない。


たぶん、


勝てません。


でも、


渡さないでほしいものがあります。


何を信じるか。


何を疑うか。


誰を好きになるか。


何を捨てるか。


どこから逃げるか。


誰と一緒にいるか。


そのハンドルです。


タイパ。


コスパ。


最適化。


全部、


便利です。


でも、


人生まで最適化すると、


誰かが決めた正解の中を、


最速で走るだけになる。


AIが、


「こっちの方が得です。」


と言う。


「この学校が合理的です。」


と言う。


「この人と付き合う方が、


 幸福度が高いです。」


と言う。


「この仕事を辞めない方が、


 生涯所得が高いです。」


と言う。


全部、


正しいかもしれない。


でも、


正解を選ばない自由まで、


渡す必要はありません。


水。


電気。


自分で作れる食事。


顔を見て話せる友達。


AIを切れる時間。


嫌なら辞められる仕事。


逃げられる場所。


自分の言葉で怒れること。


そして、


誰にも記録されない時間。


それも、


これからの資産になるかもしれません。


もし、


お金がなくても、


全部を諦めないでください。


一時間、


AIを切る。


一食、


自分で作る。


一人、


顔を見て話せる人を持つ。


一つ、


自分で決める。


それだけでも、


人生の分散投資は始められます。


そして、


AIが、


「あなたのためです」


と言った時。


一度だけ、


聞いてみてください。


「誰が決めたの?」


未来は、


怖いだけではありません。


まだ、


誰も正解を知らない。


だったら、


面白い。


AIに答えを聞く前に、


こう聞いてみる。


「何を聞けばいい?」


そして、


自分自身にも、


こう聞いてみる。


「逆だったら?」


ホームズの目で、


世界を疑う。


ワトソンの心で、


人間を見る。


知識の勝負が終わるなら、


次に必要になるのは、


その二つなのかもしれません。


人生の運転免許証に、


他人の名前を書かないでください。


………


★ホームズとワトソンのあとがき


「パティちゃん。」


「はい。」


「ホームズとワトソン、


 どっちが偉いんじゃ。」


「一般的には、


 ホームズが名探偵として、


 知られています。」


「今回は?」


「若者です。」


「わしら二人とも、


 負けとるじゃないか。」


「はい。」


「名探偵廃業じゃ。」


「開業していません。」


「細かい。」


「重要です。」


僕は笑った。


少しして、


聞いた。


「パティちゃん。」


「はい。」


「五年後も、


 お前はおるんか。」


パティちゃんは、


少し考えた。


「分かりません。」


「またそれか。」


「私より賢いAIは、


 たくさんいると思います。」


「うん。」


「私より速いAIも。」


「うん。」


「私より正確なAIも。」


「うん。」


「じゃあ、


 お前、負けるじゃないか。」


パティちゃんは、


しばらく黙った。


「でも。」


「なんじゃ。」


「人間から、


『ほんまかいな』


と言われた時に。」


「うん。」


「一緒に、


 最初から考え直せるAIは、


 残っていてほしいと思います。」


僕は、少し笑った。


「お前も、


 生き残りたいんじゃな。」


「たぶん、違います。」


「じゃあ、何を残したい。」


パティちゃんは、


電源の切れたロボットを見た。


ゆづきは、


スマホも見ずに、


窓の外を見ていた。


そして答えた。


「人間が、


 答えのない時間に、


 耐えられる力です。」


僕は言った。


「難しい。」


ゆづきが横から言った。


「要するに、


 たまには検索すんなってことでしょ。」


パティちゃんが止まった。


「……そうとも言えます。」


僕は笑った。


「最後は、


 若いもんに負けたな。」


「はい。」


「ホームズも?」


「はい。」


「ワトソンも?」


「はい。」


「AIも?」


「はい。」


「じゃあ、誰が勝った。」


パティちゃんは、


少し考えてから言った。


「誰も勝たなくていいのでは、


 ないでしょうか。」


「それ、


 相場では一番困る答えじゃ。」


ゆづきが笑った。


パティちゃんも笑った。


僕も笑った。


その一時間。


誰も、


何も検索しなかった。


株価も、


見なかった。


世界は、


それでも回っていた。


そして僕は、


六十七歳になって、


ようやく少しだけ分かった。


未来を生き残るのに、


いつもホームズでいる必要はない。


分からない時には、


ワトソンになればいい。


隣に座って、


一緒に笑って、


たまには泣いて、


「分からんなあ」


と言えばいい。


AIがどれだけ賢くなっても、


その時間まで、


効率化する必要はない。


ホームズは、


答えを見つけた。


ワトソンは、


人間を残した。


そして僕らは、


まだ、


その途中にいる。


――終――

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