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『なぜ、今なんだ。』 ――悪いニュースばかりなのに、お金持ちは株を買い始めた。――

✦『なぜ、今なんだ。』


――悪いニュースばかりなのに、

 お金持ちは株を買い始めた。――


………


 株が下がる理由は、

 いくらでもあった。


 だから僕たちは売った。


 その売りを、

 待っていた人がいた。


………


★目次


■第一章 売る理由なら百個あった


■第二章 三年ぶりの買い


■第三章 百万ドルを二人


■第四章 四十八億ドルの反対側


■第五章 下がったら、私が買います


■第六章 紙を丸めた朝


■第七章 ゴミ箱から拾った紙


■第八章 十億人目の質問


■第九章 木材は下がり、銅は上がった


■第十章 二百万バレルの船


■第十一章 一秒前のニュース


■第十二章 恐怖が買い注文に変わる


■第十三章 四十兆ドルの借金


■第十四章 なぜ、今なんだ


■第十五章 答えは、まだ出さない


❥ Z世代のあなたへ


★あとがき

ホームズとワトソン


………


■第一章 売る理由なら百個あった


二〇二六年、夏。


僕は、


アメリカ株は、


そろそろ終わると思っていた。


いや。


終わって当然だと、


思っていた。


雇用は弱くなった。


情報産業では、


六月だけで六万人を超える


人員削減。


小さな会社では、


再建型の破産申請が増えた。


生活費は高い。


カリフォルニアでは、


ある家庭の月の支出が


七千ドルを超えていた。


家賃。


医療保険。


車。


食費。


株を買う金など、


どこにあるのだろう。


政府の借金は、


四十兆ドル近く。


半導体株も崩れた。


木材まで、


十日続けて下がった。


僕はタブレットを見ながら、


言った。


「ほら見ろよ…」


三十八年間、


証券会社で働いた。


だから分かる。


――つもりだった。


下がる理由なら、


百個でも見つけられた。


問題は、


そこではなかった。


僕が見ていなかったのは、


**誰が、


 その売りを受け取っているか?**


………


■第二章 三年ぶりの買い


最初は、


小さな記事だった。


『バークシャー・ハサウェイ』


約三年ぶりに、


株式の買い越しへ転じた。


「ほう」


それだけだった。


巨大な現金を持つ会社だ。


株くらい買う。


何の不思議もない。


でも、


指が戻った。


三年ぶり。


昨日まで、


売る側だった。


現金を積む側だった。


その会社が、


向きを変えた。


僕は、


紙を一枚出した。


《一個目》


そう書いた。


まだ、


何も疑っていなかった。


………


■第三章 百万ドルを二人


次は、


『ファイザー』だった。


取締役二人が、


それぞれ約百万ドル。


合計約二百万ドルを、


自分の金で


自社株へ入れた。


僕は笑った。


「ファイザーが安いだけじゃ」


役員の株取引など、


珍しくない。


ただ、


僕は三十八年間、


証券会社で


役員の売買を見てきた。


売る理由なら、


いくらでもある。


家を買う。


税金を払う。


資産を分散する。


でも、


買う理由は、


そんなに多くない。


しかも、


一人ではない。


二人。


僕は紙に書いた。


《二個目》


そして、


小さく付け足した。


《なぜ、今?》


………


■第四章 四十八億ドルの反対側


三つ目で、


僕は鉛筆を持ち直した。


『ヘッジファンド』


一週間で、


アメリカ株を


四十八億ドル買い越し。


二〇〇八年以降でも、


最大級の買いだった。


ところが、


同じ週。


機関投資家は、


三十八億ドル売った。


個人も、


小幅ながら売った。


おかしい。


みんなが強気に


なったのではない。


むしろ、


普通の投資家は


怖がっている。


その売りを、


**誰かが、


 四十八億ドル受け取った。**


僕は、


紙に書いた。


《三個目》


三つ目から、


僕の悪い癖が始まる。


「ほんまかいな」


一個なら偶然。


二個なら、


こじつけ。


三個になると、


僕は疑う。


………


■第五章 下がったら、私が買います


『SpaceX』


上場後、


株は大きく下がっていた。


普通なら、


「ほら、やっぱりバブルだった」


で終わる。


ところが、


オプション市場の


空気が変わり始めた。


遠いコールを買う、


宝くじのような取引から、


プットを売る。


リスク・リバーサルを組む。


大口投資家らしい


取引へ。


プットを売る。


難しい言葉だが、


僕にはこう聞こえた。


**「そこまで下がるなら、


  私が買います」**


下がることを


恐れていない人がいる。


いや。


下がった時に、


株を受け取る覚悟を


売買している。


僕は、


紙に一行書いた。


《値段より、覚悟を見る》


………


■第六章 紙を丸めた朝


ところが、


『半導体』はまた下がった。


好決算でも、


売られた。


AI関連株も、


崩れた。


僕は朝、


紙を見て笑った。


「やっぱり、


 わしのこじつけじゃ」


バークシャー。


ファイザー。


ヘッジファンド。


SpaceX。


全部、


別々の事情。


僕は紙を丸め、


ゴミ箱へ投げた。


証券マンを


三十八年やっても、


六十七歳になっても、


人間は、


自分の見たいものを


つなげたがる。


「危ない危ない」


僕は、


ラジオのスイッチを入れた。


………


■第七章 ゴミ箱から拾った紙


その日の午後だった。


『Palantir』


八%高。


抵抗線を抜いた。


『TSMC』


五十日移動平均線を


回復。


『金鉱株ETF』


七%を超える上昇。


『銀鉱株ETF』も、


六%を超えて上がった。


『金』も急騰。


『銅』は、


一トン一万四千ドルを超えた。


僕は、


ゴミ箱を見た。


しばらく見た。


そして、


丸めた紙を拾った。


「……おかしい」


半導体が全部


元に戻ったわけではない。


なのに、


金は動く。


銅は動く。


AIソフトも動く。


大きな金は、


消えていない。


場所を変えている。


その時、


初めて思った。


AI相場が


終わったのではない。


**半導体だけで


 AIを語る相場が、


 終わったのではないか。**


………


■第八章 十億人目の質問


GoogleのGemini。


月間利用者、


十億人。


僕は最初、


「すごいな」


で終わった。


でも、


紙を拾ったあとでは、


違って見えた。


十億人が、


AIに質問する。


一回。


二回。


十回。


答えるたびに、


どこかで計算する。


電気。


半導体。


冷却。


データセンター。


通信。


銅。


送電網。


僕は、


数字の向こうに、


巨大な機械の町を見た。


十億人目の利用者は、


株など買っていない。


でも、


**その人が一回質問しただけで、


 世界のどこかの機械が


 電気を食べる。**


人間景気は、


弱い。


でも、


機械景気は、


猛烈に膨らんでいる。


………


■第九章 木材は下がり、

     銅は上がった


木材は、


十日続けて下がった。


銅は、


一万四千ドルを超えた。


昔なら、


僕は混乱した。


どちらも、


景気を映す商品だからだ。


でも、


二〇二六年では、


同じ景気ではない。


木材。


人間が家を建てる。


銅。


AIが町を建てる。


データセンター。


送電網。


電気自動車。


防衛。


インフラ。


僕は紙に、


二本の線を引いた。


《人間景気》


《機械景気》


そして、


その二本が、


反対方向へ


伸びているように見えた。


………


■第十章 二百万バレルの船


サウジアラビア。


主要石油ターミナルへ、


二百万バレルを積める


巨大タンカーが戻った。


戦争は、


終わっていない。


危険も、


消えていない。


それなのに、


船が戻った。


そこで、


僕はまた疑った。


世界経済は、


**平和になるのを


 待っていないのではないか。**


危険なまま、


運ぶ。


危険なまま、


保険をかける。


危険なまま、


売る。


危険なまま、


買う。


市場にとって


一番怖いのは、


戦争そのものではない。


石油が


来なくなること。


もし、


戦争が続いていても


石油が来るなら。


市場は、


戦争を値段にして、


次へ進む。


人間より、


市場の方が、


立ち直るのが早い。


そんな気がした。


………


■第十一章 一秒前のニュース


そして、


一番気味の悪いニュースが来た。


『Truth Social』


主要アカウントの投稿を、


より速く受け取るため、


高頻度取引業者が、


月に六万ドルから


十万ドルを払っているという。


「数秒じゃろう」


僕は笑った。


でも、


笑いはすぐ止まった。


僕が投稿を見る。


読む。


意味を考える。


「これは関税の話か」


「医薬品か」


「原油か」


その数秒。


機械には、


長すぎる。


投稿が出る。


〇・一秒。


AIが読む。


〇・二秒。


単語を分類する。


関税。


防衛。


医薬品。


石油。


〇・三秒。


アルゴリズムが


注文を出す。


〇・五秒。


価格が動く。


一秒。


別の機械が、


その値動きを読む。


二秒。


空売りが、


異変を検知する。


三秒。


買い戻し。


五秒。


人間はまだ、


投稿を読み終えていない。


僕は、


背中が寒くなった。


昔のインサイダーは、


会議室の中にいた。


二〇二六年。


違法な秘密など


知らなくてもいい。


**公開情報の、


 一秒前にいればいい。**


………


■第十二章 恐怖が買い注文に変わる


僕は、


証券会社時代を思い出した。


株が下がる。


怖くなる。


売る。


もっと下がると思い、


空売りする。


ところが、


下がらない。


少し上がる。


空売りした人は、


まだ耐える。


さらに上がる。


損失が増える。


買い戻す。


その買いで、


さらに上がる。


今度は、


株を持っていない人が、


焦る。


「乗り遅れる」


買う。


また上がる。


売った人間の恐怖が、


空売りした人間の恐怖が、


乗り遅れた人間の恐怖が、


最後には全部、


買い注文へ変わる。


僕は、


そこに気づいた。


市場は、


恐怖を嫌っているのではない。


時々、


**恐怖を食べて、


 大きくなる。**


しかも、


二〇二六年には、


その恐怖を


AIが測っている。


投稿。


検索。


オプション。


注文。


価格。


一秒ごとに。


僕は、


紙に大きく書いた。


《人間の恐怖が、


 機械の燃料になる》


………


■第十三章 四十兆ドルの借金


米国政府の債務。


約四十兆ドル。


僕は最初、


これを見て言った。


「終わりじゃ」


でも、


もう一度だけ


逆から見た。


四十兆ドルの借金は、


誰かが持つ


四十兆ドルの資産でもある。


日本。


サウジ。


欧州。


年金。


銀行。


ファンド。


世界中の金が、


アメリカへ向かう。


AI。


エネルギー。


防衛。


工場。


データセンター。


借金が大きいから、


沈む。


それも一つの未来。


でも、


もう一つある。


借金が大きいからこそ、


**世界中の金を、


 さらに吸い込まなければならない。**


そして、


それができる間は、


資産価格が


膨らみ続ける可能性もある。


僕は、


ぞっとした。


暴落する未来より、


**生活が苦しいまま、


 株だけが上がり続ける未来の方が **


もっと怖いのではないか。


………


■第十四章 なぜ、今なんだ


机の上に、


紙を広げた。


バークシャー。


ファイザー。


SpaceX。


ヘッジファンド。


TSMC。


Palantir。


金。


銀。


銅。


Gemini。


サウジのタンカー。


Truth Social。


全部、


説明できる。


バークシャーは、


バークシャーの事情。


ファイザーは、


ファイザーの事情。


SpaceXは、


SpaceXの事情。


金は、


金の事情。


銅は、


銅の事情。


その通りだ。


僕は、


鉛筆を置いた。


そして、


もう一度、


紙を見た。


全部違う。


理由も違う。


なのに、


**大きなお金の向きだけが、


 妙に似ている。**


僕は、


大きく書いた。


《なぜ、今なんだ。》


彼らは、


何か秘密を知っているのだろうか。


分からない。


でも、


僕は問いを変えた。


彼らは、


何を知っているのではない。


**何を、


 恐れなくなったのだろう。**


景気後退。


戦争。


借金。


半導体暴落。


インフレ。


僕たちが


売る理由にしているものを、


彼らは、


もう売る理由にしていない。


もしそうなら。


僕たちは、


同じニュースを見ながら、


**別の未来を


 売買している。**


………


■第十五章 答えは、まだ出さない


この話には、


犯人はいない。


少なくとも、


僕には見つけられなかった。


トランプ大統領が、


株価を上げるために


秘密のボタンを押している。


そんな証拠はない。


ヘッジファンドが、


全員で相談している。


そんな証拠もない。


だが、


もっと怖い可能性がある。


誰も相談していない。


誰も命令していない。


それでも、


AIが読む。


アルゴリズムが買う。


オプションが動く。


空売りが買い戻す。


高値を抜く。


別の機械が追いかける。


人間が焦る。


また買う。


**仕掛け人がいないのに、


 仕掛けたような相場ができる。**


それが、


僕には一番怖かった。


僕は、


紙を折った。


日付を書いた。


二〇二六年八月。


そして、


引き出しへ入れた。


株が暴落するのか。


史上最高値を


さらに更新するのか。


僕には分からない。


だから、


予言はしない。


でも、


みんなが


同じ方向を向いた時だけ、


僕は、


反対側を見る。


そして、


小さく言う。


「……ほんまかいな」


答えは、


あとでいい。


相場で一番怖いのは、


外すことではない。


**疑うことを、


 やめることなのだから **


………


❥ Z世代のあなたへ


「絶対に上がる」


「絶対に暴落する」


SNSには、


毎日そんな言葉が流れます。


でも、


僕が今回いちばん怖いと思ったのは、


間違った予想ではありません。


みんなが同じ気持ちになることです。


怖い。


売ろう。


乗り遅れる。


買おう。


その感情は、


昔なら、


人間だけのものでした。


今は違います。


検索されます。


数えられます。


AIに読まれます。


取引に変換されます。


だから、


ニュースを見た時、


一つだけ問いを足してください。


「本当かな」


そして、


もう一つ。


**「反対側では、


誰が何をしているんだろう」**


大勢と違うことを


考えろという意味ではありません。


大勢と同じことを


考えている自分を、


一度だけ、


疑ってみてください。


その一秒が、


AIより遅くても、


人間にしかできない


一秒になるかもしれません。


………


★あとがき


ホームズとワトソン


ホームズ

「ワトソン君。事件じゃ。」


ワトソン

「また相場ですか。」


ホームズ

「バークシャーが買った。」


ワトソン

「ほう。」


ホームズ

「ファイザーも買った。」


ワトソン

「ほう。」


ホームズ

「ヘッジファンドも買った。」


ワトソン

「先生。

 これは何かありますね。」


ホームズ

「ある。」


ワトソン

「何です?」


ホームズ

「金じゃ。」


ワトソン

「そら買うには要るわ!」


ホームズ

「わしも参戦する。」


ワトソン

「いくら持ってるんです?」


ホームズ

「三千円。」


ワトソン

「ヘッジファンドの話を

 三千円で受けるな!」


ホームズ

「では、

 プットを売る。」


ワトソン

「意味分かってます?」


ホームズ

「下がったら買う。」


ワトソン

「いくら?」


ホームズ

「一円。」


ワトソン

「踏み上げにも

 踏まれへんわ!」


ホームズ

「ワトソン君。

 今の相場は怖いぞ。」


ワトソン

「何がです?」


ホームズ

「人間がニュースを読む前に、

 AIが読む。」


ワトソン

「ほう。」


ホームズ

「AIが買う。」


ワトソン

「はい。」


ホームズ

「人間が焦る。」


ワトソン

「はい。」


ホームズ

「人間も買う。」


ワトソン

「なるほど。」


ホームズ

「わしも焦る。」


ワトソン

「そこは焦るな!」


ホームズ

「買う。」


ワトソン

「何を?」


ホームズ

「たこ焼き。」


ワトソン

「相場から降りた!」


ホームズ

「八個入り。」


ワトソン

「具体的やな!」


ホームズ

「株は上がるか下がるか

 分からん。」


ワトソン

「はい。」


ホームズ

「たこ焼きは、

 食えば減る。」


ワトソン

「そこだけ確実や!」


ホームズ

「だから、

 わしは確実なものを買う。」


ワトソン

「六十七年かかって

 そこへ着地したんか!」


ホームズ

「でもな、

 ワトソン君。」


ワトソン

「何です?」


ホームズ

「相場で一番高い授業料は、

 損した金じゃない。」


ワトソン

「ほう。」


ホームズ

「自分だけは正しいと

 思い込んだ時じゃ。」


ワトソン

「……それは、

 ちょっとええこと言いましたね。」


ホームズ

「じゃろ。」


ワトソン

「で、

 たこ焼き一個ください。」


ホームズ

「八個しかない。」


ワトソン

「一個くらいええやろ!」


ホームズ

「これは、

 長期保有じゃ。」


ワトソン

「食え!」


二人

「どうも、

 ありがとうございました。」


………


二〇二六年夏。


僕は、


株が上がるかどうかを


知りたかった。


でも、


調べれば調べるほど、


別のことが


気になり始めた。


**人間の恐怖は、


 いつから商品になったのだろう。**

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