↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
187/218

『世界が燃えても、僕は株価を見ていた』 ――地震よりAI半導体を見ていた朝―― 熊本で道路が割れた朝、僕が最初に開いたのは、被災地のニュースではなかった。AI半導体株のチャートだった。――

✦『世界が燃えても、僕は株価を見ていた』


――地震よりAI半導体を見ていた朝――


――熊本で道路が割れた朝、


 僕が最初に開いたのは、


 被災地のニュースではなかった。


 AI半導体株のチャートだった。――


※十五の短い場面で読めます。

※この回だけでも読めます。


この物語は、


世界の災害を語る話ではない。


災害を語りながら、


株価を見ていた僕の話である。


………


★目次


一 爆発した女


二 地下道を走る火


三 七十二人の名前


四 海の上のガソリンスタンド


五 浜辺の買い物袋


六 消火ヘリが落ちた空


七 雨の高速道路


八 雪の降らない白い山


九 熊本地震より、AI半導体を見た朝


十 予算は徒歩だった


十一 箱のまま届いた冷房


十二 ドイツで踊るセーラームーン


十三 僕の中にいたゾンビ


十四 誰かをかまずに起き上がれ


十五 世界一楽しいゾンビ防災教室


❥Z世代のあなたへ


★あとがき


 ホームズとワトソン

 世界を救う前に、株価アプリを閉じろ


………


一 爆発した女


朝。


ラジオから聞こえてきたのは、


モスクワの爆発事件だった。


爆発物を持っていたとみられる女性が、


店へ入ろうとした。


警備員に止められた。


その直後、


爆発が起きた。


複数の人が巻き込まれた。


詳しい背景は、


まだ分かっていなかった。


それでも、


ニュースの外側では、


すでに犯人が決まり始めていた。


「ウクライナの仕業だ」


「いや、ロシアの自作自演だ」


「外国の情報機関が動いた」


証拠がそろうより早く、


人間の怒りが走り出した。


僕は思った。


爆薬より速いものがある。


人間の想像力だ。


想像力は、


物語を生む。


けれど、


恐怖と結びついた想像力は、


まだ

存在するかどうかも分からない

犯人まで作る。


消防車が到着する前に、


SNSでは裁判が終わっていた。


画面の中には、


怒りがあった。


断定があった。


報復を求める声があった。


けれど、


爆発した店先に落ちた、


片方の靴の持ち主について語る人は、


ほとんどいなかった。


犯人の国籍は気にする。


被害に遭った人の名前は、


すぐ数字になる。


その順番に、


僕は少しだけ寒くなった。


………


二 地下道を走る火


続いて、


フランスの工場火災が伝えられた。


原因は不明。


周辺住民には、


屋内にとどまるよう指示が出た。


僕は、


少し前から続いている

欧州の山火事を思い出した。


フランス。


スペイン。


ポルトガル。


ギリシャ。


地図の上では、


別々の火だった。


だが僕の頭の中では、


いつの間にか一本につながっていた。


モスクワの爆発から、


見えない地下道を通って、


フランスの工場へ。


そこから森へ。


さらにギリシャの山へ。


もちろん、


そんな地下道は存在しない。


火が国境の下を走ったわけでもない。


それでも僕の心には、


事件と事件をつなぐ地下道ができていた。


「これも敵国の工作ではないか」


そう考えた瞬間、


僕は自分の中に生まれた火を見た。


ゾンビ火災とは、


消えたと思った火が、


土の下から再び現れる現象だけではない。


一度生まれた疑いが、


別の事件を見るたびに再燃する。


それも、


ゾンビ火災なのではないか。


実際に欧州では、


外国勢力と関係した破壊工作が疑われる

事件も起きている。


SNSで現地の人間を募集し、


金を渡して、


放火や破壊をさせる手口も

警戒されている。


だから、


疑う人を笑うこともできない。


だが、


疑わしいことと、


犯人だと決めることは違う。


現実の火は、


消防士が消す。


人間の頭の中で燃える火には、


放水車が来ない。


そして厄介なのは、


頭の中の火ほど、


自分では温かい正義だと

思ってしまうことだった。


………


三 七十二人の名前


スペイン領の町では、


海を越えて多くの人々が押し寄せたと、


海外放送が伝えていた。


国境は閉じられた。


町の道路には、


警察や軍の車両が並んだ。


海岸に残された衣類や荷物は、


少しずつ撤去された。


住民は、


日常を取り戻そうとしていた。


だが、


海から引き上げられた人は、


七十二人に達したと報じられていた。


通常の施設では対応しきれず、


別の施設も使いながら、


身元確認が続けられているという。


七十二人。


数字で聞くと、


一つのかたまりに見える。


けれど、


本当は七十二の名前があった。


七十二の誕生日があった。


七十二の家族があった。


途中で履きつぶした靴。


ポケットへ入れた写真。


最後まで消せなかった電話番号。


海岸には、


泥に汚れた

子供用のリュックが残されていた。


その中身を、


僕は知らない。


学校のノートだったのか。


故郷から持ってきた、


小さな玩具だったのか。


僕には分からない。


一部の人は、


森や茂みに身を隠していると

伝えられた。


食料を探す子供もいるという。


僕は最初、


「ゾンビ難民」


という言葉を思いついた。


だが、


すぐに消した。


人がゾンビなのではない。


人を故郷から追い出し、


危険な海へ向かわせ、


到着後も

森へ隠れさせる仕組みのほうが、


何度倒しても生き返るゾンビなのだ。


戦争は、


直接その人の家へ火をつけなくても、


国境警備、


難民支援、


軍事費、


警察、


消防、


福祉の予算を奪い合う。


戦争は火元でなくても、


社会を燃えやすくする。


そして人間は、


行き場を失った人を前にすると、


その人がなぜ来たかより、


自分の町がどうなるかを先に考える。


僕も同じだった。


七十二人の名前より先に、


「これから治安はどうなるのだろう」


と考えていた。


………


四 海の上のガソリンスタンド


次のニュースは、


ポルトガル沖の麻薬密輸だった。


高速艇。


母船。


半潜水艇。


洋上での積み替え。


海上給油。


食料補給。


船の修理工場。


秘密の倉庫。


暗号通信。


僕が昔知っていた

密売人のイメージは、


夜の港で

小さな包みを渡す男だった。


だが、


今の犯罪組織は違う。


船を持っている。


給油所を持っている。


修理工場を持っている。


倉庫を持っている。


資金洗浄を担当する人間もいる。


麻薬組織というより、


闇の総合商社だった。


南米などから運ばれるコカインは、


一隻で数トン単位になることがある。


沖合で待つ母船から、


複数の高速艇へ積み替える。


高速艇は、


人目につきにくい入り江へ向かう。


燃料が足りなくなれば、


海の上で補給する。


食料や水を運ぶ船もいる。


陸には、


エンジンを直す工場がある。


国家には国境がある。


犯罪組織には、


客がいる場所が国境だった。


監視センターでは、


二十四時間体制で

船の動きを分析している。


だが、


すべての海を見張ることはできない。


大西洋は広い。


怪しい船が少し針路を変えただけで、


波の中へ消える。


警察が一隻を捕まえた頃、


犯罪組織の会議では、


次の新型艇の話を

しているかもしれない。


僕は思った。


これは、


警察と悪党の追いかけっこではない。


国家の物流網と、


犯罪組織の物流網の競争なのだ。


昔は、


悪党が国家から逃げていた。


今は、


悪党が国家より速い船を買っている。


………


五 浜辺の買い物袋


イタリアの海岸では、


札束が見つかった。


豪華な金庫ではなかった。


黒いアタッシェケースでもなかった。


普通の買い物袋だった。


防水された袋の中には、


大量の現金が入っていた。


推定では、


数十万ユーロ規模とも報じられた。


小型艇に乗っていた男たちは、


沿岸警備隊の姿を見て、


袋を海へ投げたとされていた。


船が故障しなければ、


その金は見つからなかったかもしれない。


麻薬は、


海を渡ってヨーロッパへ入る。


現金は、


別の方向へ運ばれる。


白い粉と札束は、


同じ海を反対方向へ動いていた。


波の上には、


濡れた買い物袋が浮いていた。


昨日まで、


誰かが

野菜や牛乳を入れていたかもしれない

形の袋だ。


その中に、


人の人生を

何度も変えられる金額が入っていた。


犯罪は、


派手な服を着なくなった。


普通の袋に入り、


普通の船に乗り、


普通の修理工場を使う。


海岸へ流れ着いたのは、


札束だけではなかった。


普段は見えない地下経済が、


袋ごと浜へ流れ着いたのだ。


一隻の小型艇は、


巨大な地下都市の玄関だった。


………


六 消火ヘリが落ちた空


ギリシャでは、


アテネ近郊まで山火事が迫っていた。


強い風。


乾いた森。


変わり続ける風向き。


避難指示。


焼けた住宅。


逃げる住民。


火は、


消防隊が追いつくより早く進んだ。


消火活動中のヘリコプター二機が、


空中で接触したという放送もあった。


人を助けるために飛んでいた機体が、


炎の上でぶつかった。


地上では火。


空では事故。


避難所では不安。


SNSでは犯人探し。


誰かが言う。


「放火だ」


別の誰かが言う。


「外国の工作だ」


さらに別の誰かが言う。


「森林管理の失敗だ」


原因が一つとは限らない。


高温。


乾燥。


強風。


過失。


放火。


開発。


予算不足。


いくつもの原因が、


一本の火に集まる。


それでも人間は、


一人の犯人を欲しがる。


犯人が一人なら、


怒りを向ける方向が決まるからだ。


だが、


気候、


制度、


予算、


欲望、


無関心が少しずつ重なった火災には、


手錠をかけられる一人の犯人がいない。


だから人間は、


代わりの顔を探す。


不安は、


誰かの顔を借りて怒りになる。


その時、


孫から短いメッセージが届いた。


《おじいちゃん。


 世界が終わりそうって言いながら、


 また株見てるでしょ》


僕は、


返信しなかった。


画面の上には火災の映像。


画面の下には、


半導体株の値動きが表示されていた。


………


七 雨の高速道路


中国の四川省などでは、


大雨と洪水が報じられていた。


川が増水し、


道路が水に飲まれ、


斜面が崩れる。


僕は、


「人間が山を切り崩したからだ」


と思った。


だが、


それだけでは正確ではない。


人間が雨を降らせたわけではない。


豪雨そのものは、


気象現象だ。


それでも、


森林を減らす。


山腹を削る。


川沿いに建物を造る。


地面をコンクリートで覆う。


湿地を埋める。


すると、


雨水は土へ染み込まず、


一気に低い場所へ向かう。


人間は雨を降らせていない。


しかし、


雨が町を襲うための高速道路を、


山に造った。


一つの開発は、


一つの会社に利益を生む。


洪水が起きた時の費用は、


町全体が払う。


利益は先に受け取る。


請求書は未来へ送る。


それもまた、


何度壊れても戻ってくる、


ゾンビのような仕組みだった。


………


八 雪の降らない白い山


インドのラジャスタン州には、


雪のように白い巨大な丘がある。


観光客は、


喜んで写真を撮る。


結婚写真を撮る人もいる。


映画や音楽映像の撮影にも使われる。


だが、


その白い丘は雪ではない。


大理石を切断し、


磨いた時に出る、


細かな廃棄物だった。


大理石の町では、


毎日大量の白い泥が生まれる。


乾けば粉になる。


風が吹けば、


家や畑へ飛ぶ。


住民はマスクを着ける。


地下水の硬度や、


フッ化物などの問題も指摘される。


配管には、


白いものが付着する。


畑の水にも影響が出る。


観光客には絶景。


住民には、


肺へ入る産業廃棄物。


同じ白なのに、


立つ場所によって意味が違った。


業界は言う。


「深刻な健康被害の報告はない」


住民は言う。


「毎日、この粉を吸っている」


当局は言う。


「新しいガイドラインを

 検討中です」


大理石は毎日売れる。


廃棄物は毎日増える。


観光客は毎日写真を撮る。


ガイドラインだけが、


何年も作成中だった。


孫が映像を見て言った。


「雪みたいだね」


「雪なら、溶けたら水になる」


「これは?」


僕は答えた。


「溶けても、

 責任にはならんらしい」


孫は笑わなかった。


僕も、


自分の言葉の重さに気づいた。


利益は新幹線。


規制は徒歩。


人間は、


大理石を建物に変えた。


残った粉を観光地に変えた。


病気だけは、


名前を変えてくれなかった。


………


九 熊本地震より、AI半導体を見た朝


日本では、


大きな地震が起きていた。


道路が割れた。


水道が止まった。


工場が休止した。


避難所へ人が集まった。


僕は心配した。


被災した人のことを。


水のことを。


暑い体育館のことを。


少なくとも、


自分ではそう思っていた。


朝、


僕はスマホを開いた。


最初に見たのは、


被災地の情報ではなかった。


AI関連株。


半導体関連株。


日経平均。


僕は、


持ち株の値下がりを確認した。


それから、


地震の記事を開いた。


順番が逆だった。


熊本で道路が割れた朝、


僕が最初に心配したのは、


道路ではなかった。


自分の持ち株だった。


世界が壊れているのに、


自分の財布だけは

燃えないでくれと願っていた。


地震が起きても、


建設株や復興関連株の反応は

鈍かった。


昔なら、


地震。


復興需要。


建設株上昇。


そんな単純な連想が動いた。


今の市場は違う。


復旧工事が増えても、


作業員が足りない。


資材が高い。


燃料が高い。


入札まで時間がかかる。


受注しても、


利益が残るとは限らない。


一方、


半導体企業の決算は、


翌朝すぐに株価へ反映される。


避難所の暑さは、


日経平均に入っていない。


壊れた地方道も、


断水した高齢者住宅も、


指数の計算対象ではない。


日経平均が上がれば、


日本全体が豊かになったように見える。


だが実際には、


少数の値がさ株が、


指数を強く引っ張ることがある。


AIという数本のロケットが、


日経平均という看板だけを、


空へ引っ張っていた。


地上では、


水道管が割れていた。


僕は、


株式市場が

地震を無視していると思った。


だが違った。


市場は、


地震を計算していた。


企業利益がどれほど減るか。


政府がどれほど負担するか。


工場が何日で動くか。


復旧工事で、


どの会社が儲かるか。


そして、


被災した人間だけを、


計算から外した。


だが、


市場を批判していた僕も、


同じ画面を見ていた。


投資家を責めながら、


自分も投資家の目で地震を見ていた。


道路のひび割れが、


建設株の材料に見えた。


工場の停止が、


半導体株の材料に見えた。


避難所の暑ささえ、


電力会社や空調会社の需要に見えかけた。


その瞬間、


僕は自分が怖くなった。


人間が苦しんでいるのに、


頭の中で、


買い銘柄を探していた。


ゾンビは、


画面の向こうにいるのではなかった。


もう、


僕の指先にいた。


………


十 予算は徒歩だった


政府は、


防災予算を出していないわけではない。


公共事業には、


年間で数兆円規模のお金が使われる。


国土強靱化にも、


複数年度で

大きな事業規模が示されている。


数字だけなら、


十分に見える。


だが、


資材価格が上がる。


人件費が上がる。


燃料費が上がる。


技術者が減る。


建設作業員が減る。


橋は古くなる。


水道管も古くなる。


災害は増える。


予算が少し増えても、


直せる量が増えるとは限らない。


去年、


百億円で十本の橋を直せたとする。


今年、


工事費が一割上がった。


予算は一%しか増えなかった。


帳簿では増額。


現場では実質減額。


国は言う。


「今後五年間で

 大規模な対策を行います」


住民は聞く。


「今夜、

 この蛇口から水は出ますか」


数字は巨大なのに、


蛇口から水が出ない。


新しい道路には、


開通式がある。


新しい建物には、


テープカットがある。


古い水道管を交換しても、


テレビ中継は来ない。


新しい町には、


赤いテープ。


古い橋には、


黄色い立入禁止のテープ。


壊れたものを直す仕事は、


必要である。


だが、


拍手されにくい。


世界に金がないのではない。


壊れたものを直す順番が、


利益の出るものより後ろになった。


予算は歩いて追いかける。


災害だけが、


電動自転車に乗っていた。


………


十一 箱のまま届いた冷房


被災地へ、


冷房設備が送られたという話を聞いた。


だが、


電気が止まっている。


電源容量が足りない。


設置する人がいない。


燃料が届かない。


箱のまま積まれているものもある

という話が流れた。


その話がどこまで事実か、


僕には確認できなかった。


だから、


本当の出来事として断定はできない。


それでも、


災害支援では、


似たようなことが起きる。


エアコンを送る。


電源がない。


水を送る。


荷降ろしする人がいない。


ボランティアが向かう。


道路が通れない。


善意は届く。


しかし、


善意を働かせる仕組みが届かない。


行政は慎重になる。


余震。


道路。


宿泊場所。


安全管理。


助けに来た人まで、


助けなければ

ならなくなるかもしれない。


だから、


ボランティアの受け入れを制限する。


そこにも理由はある。


だが、


避難所にいる人から見れば、


理由より先に暑さが来る。


新品の冷房機器が入った箱。


その横で、


老人がうちわを動かしている。


支援したという数字は増える。


室温は下がらない。


現代社会では、


物がないのではない。


物を役立たせる、


最後の一メートルが抜けている。


僕は、


避難所の写真を閉じた。


その直後、


スマホに半導体株の通知が出た。


僕の指は、


迷わず通知を開いた。


………


十二 ドイツで踊るセーラームーン


重いニュースのあと、


ドイツのコスプレ文化が紹介された。


若者たちが、


日本のアニメやゲームの衣装を着ていた。


セーラームーンのような服。


ゲームの主人公。


きらきらした髪。


大きな武器の模型。


仲間とダンスを練習する。


ステージへ上がる。


観客が歓声を上げる。


参加者は言った。


子供の頃から、


日本のアニメを見ていた。


いつか、


自分も

あのキャラクターになりたかった。


衣装を着ると、


少し勇気が出る。


同じ作品が好きな人と、


友達になれる。


僕は、


朝から聞いていた

ニュースを思い出した。


国境を越える難民。


国境を越える麻薬。


国境を越える戦争。


国境を越える偽情報。


その同じヨーロッパで、


日本の物語も国境を越えていた。


こちらは、


人を撃たなかった。


人を燃やさなかった。


人を友達にした。


ドイツでコスプレをすると、


京都の任天堂が少し笑う。


写真がSNSに載る。


日本文化へ興味を持つ人が増える。


ゲームを買う。


映画を見る。


グッズを買う。


テーマパークへ行く。


親が子供へ、


自分が好きだったゲームを教える。


半導体は、


四半期で株価を動かす。


文化は、


十年かけて企業価値を動かす。


半導体は、


コンピューターを動かす。


物語は、


人間を動かす。


僕が朝から

株価ばかり見ていた任天堂にも、


画面には表示されない価値がある。


今日の利益。


次の決算。


部品価格。


為替。


それだけでは測れないものがある。


ドイツの会場では、


一人の少女が、


日本のキャラクターの衣装を着て

踊っていた。


その子が、


任天堂の株価を

一円動かすかどうかは分からない。


けれど、


その子の心は、


確かに日本の物語に動かされていた。


株価より先に動くものがある。


僕は、


ようやく思い出した。


………


十三 僕の中にいたゾンビ


高校生の孫が、


僕のスマホを見た。


「おじいちゃん、また株?」


「経済の勉強じゃ」


「さっきまで、

 世界が大変だって言ってたよね」


「大変じゃ」


「でも、

 一番長く見てるの、

 半導体株のチャートだよ」


僕は、


画面を伏せた。


「これは、その……

 日本経済の健康診断じゃ」


「おじいちゃんの持ち株の

 健康診断でしょ」


「わしの持ち株も、

 日本経済の一部じゃ」


「顕微鏡で探すぐらい

 小さい一部ね」


痛いところを突かれた。


「おじいちゃんが言ってた

 ゾンビマインドって、

 何だっけ?」


「危機を見すぎて、

 反応せんようになった心じゃ」


「ふうん」


孫は、


僕のスマホを指さした。


「それ、

 もうおじいちゃんの中に

 いるんじゃない?」


僕は、


笑えなかった。


世界の火災を批判した。


政府の予算を批判した。


投資家の無関心を批判した。


観光客の無知を批判した。


麻薬組織の金儲けを批判した。


だが、


僕も同じだった。


世界が燃えている画面の横で、


自分の資産だけは燃えないでくれと

願っていた。


僕は悪人ではない。


投資家も悪人ではない。


政府職員も、


企業も、


観光客も、


多くは悪人ではない。


みんな、


自分の暮らしを守ろうとしている。


その小さな合理性が重なると、


誰も望んでいない

大きな無関心ができる。


一人ひとりは、


誰も人を襲っていない。


それでも社会全体は、


ゆっくりゾンビのように歩き始める。


ゾンビマインドは、


噛みつかなくても感染する。


そして、


感染した本人ほど、


自分は正常だと思っている。


僕は孫に聞いた。


「わしは、

 どうすればええと思う?」


孫は少し考えた。


「株を全部売る」


「それは極端じゃ」


「じゃあ、

 株を見る前にニュースを見る」


「それならできる」


「被災地の記事を一つ読んでから、

 株を見る」


「うむ」


「あと、

 ニュースを見て怒った時、

 すぐ投稿しない」


「うむ」


「一晩寝る」


「それは、

 わしがいつも

 小説で言っとることじゃ」


「言うだけで、

 自分はやってなかったんだね」


僕は、


また痛いところを突かれた。


………


十四 誰かをかまずに起き上がれ


僕は、


吉本新喜劇で活動する

女性が語っていた、


「ゾンビメンタル」


の話を思い出した。


怒られても、


失敗しても、


へこんでも、


また起き上がる。


ただし、


怒りを次の人へ渡さない。


自分を傷つけた言葉を、


別の誰かへ投げない。


それは、


僕が考えていたゾンビとは反対だった。


悪いゾンビマインドは、


不安を怒りへ変える。


「あの国が悪い」


「あの民族が悪い」


「あの世代が悪い」


「あの政治家が悪い」


「あの投資家が悪い」


犯人を作り、


次々とかみつく。


良いゾンビメンタルは、


倒れても起き上がる。


だが、


誰かをかまない。


世界を救うのは、


一度も倒れない人ではない。


倒れても、


誰かをかまずに起き上がる人だ。


僕は孫に言った。


「わしは、

 悪いゾンビになりかけとった」


「まだ、なりかけ?」


「完全にはなっとらん」


「じゃあ、

 そのスマホ貸して」


「何をするんじゃ」


「半導体株のアプリ、

 消す…」


「それは

 世界平和とは別問題じゃ!」


僕は、


スマホを胸に抱えた。


孫は笑った。


僕も笑った。


笑えるうちは、


まだ戻れる気がした。


怒りだけでは、


人は立ち上がれない。


恐怖だけでも、


長く歩けない。


恥ずかしさを認め、


少し笑い、


自分の失敗を見つめる。


それも、


心の消火活動なのかもしれない。


………


十五 世界一楽しいゾンビ防災教室


僕は、


世界一楽しい

ゾンビ防災教室を考えた。


第一時間目。


火災のニュースを見ても、


すぐ敵国のせいにしない。


分かっている事実と、


分かっていないことを分ける。


第二時間目。


難民や移民を、


怪物のように呼ばない。


人を海へ追いやった仕組みを見る。


第三時間目。


政府の大きな予算数字を聞いたら、


「それで、

 蛇口からいつ水が出ますか?」


と聞く。


第四時間目。


株価や観光写真だけを見ない。


その画面の外で暮らす人を見る。


第五時間目。


災害を毎日見すぎて疲れたら、


全部を背負おうとしない。


今日できる一つを決める。


募金でもいい。


防災用品の確認でもいい。


家族との連絡方法を決めてもいい。


近所の高齢者へ声をかけてもいい。


第六時間目。


怖くなっても、


すぐ誰かを敵にしない。


怒りを投稿する前に、


一晩寝る。


第七時間目。


倒れてもいい。


怖がってもいい。


逃げてもいい。


休んでもいい。


ただし、


恐怖を誰かへの憎しみに変えない。


僕は、


ラジオの電源を切った。


部屋が静かになった。


世界では、


今も火が燃えている。


海では、


誰かが助けを待っている。


どこかの町では、


水道管が壊れている。


どこかの若者は、


日本のキャラクターの衣装を着て、


友達と踊っている。


僕一人に、


世界を救うことはできない。


それでも、


知ったあとに、


何も知らなかった顔へ

戻らないことはできる。


株価を見る前に、


被災地の記事を

一つ読むことはできる。


怒る前に、


原因が確認されたか

調べることはできる。


怖くなった時、


誰かを敵にせず、


自分の恐怖を見ることはできる。


世界が燃えた日、


僕は株価を見ていた。


その事実を、


僕は消さないことにした。


恥ずかしさも、


失敗も、


自分の中に残す。


それが、


次に同じ朝を迎えた時の、


小さな消火器になるかも

しれないからだ。


………


❥Z世代のあなたへ


あなたのスマホには、


世界中の悲鳴が届きます。


戦争。


火災。


洪水。


地震。


猛暑。


差別。


貧困。


昨日まで知らなかった国の出来事が、


朝ご飯を食べる前に表示されます。


全部に心を動かしていたら、


疲れてしまいます。


だから、


ニュースを閉じる。


動画を見る。


ゲームを始める。


推しの投稿を開く。


それは、


悪いことではありません。


心にも、


避難する場所が必要です。


ただ、


一つだけ覚えていてください。


見ないことと、


なかったことにすることは違います。


世界の全部を背負わなくていい。


けれど、


目の前に届いた誰かの苦しみを、


数字だけにしないでください。


七十二人ではなく、


七十二の人生だったと、


一秒だけ考えてください。


一万ヘクタールではなく、


そこで暮らしていた人や動物がいたと、


少しだけ想像してください。


株価が最高値でも、


蛇口から水が出ない家があることを、


忘れないでください。


ニュースを見た直後、


別の動画へ移ってしまってもいい。


僕も同じです。


人間は、


一日中悲しみ続けることはできません。


ただ、


次に同じニュースが流れた時、


「またか」


だけで終わらないでください。


自分の町なら、


どうするか。


自分の家族なら、


何が必要か。


自分に一つだけできることはないか。


そこまで考えられたら、


十分です。


あなたには、


世界を救う義務はありません。


でも、


恐怖に負けて、


誰かをかむ必要もありません。


倒れてもいい。


逃げてもいい。


休んでもいい。


そして、


立ち上がれる日に、


誰かをかまずに立ち上がってください。


その姿を見た人が、


また一人、


起き上がるかもしれません。


それが、


良いゾンビメンタルです。


………


★あとがき


ホームズとワトソン


世界を救う前に、株価アプリを閉じろ


………


「ホームズ先生」


「何だね、ワトソン君」


「世界が大変です」


「知っている」


「山火事、洪水、地震、

 麻薬、難民、猛暑です…」


「実に深刻だ」


「どうすればいいでしょう」


「まず、テレビをつけよう」


「リモコンがありません」


「世界を救う前に、

 リモコンが行方不明か?」


「昨日、先生が持っていました」


「私は持っていない」


「ソファの下では?」


「名探偵を疑うのか」


「名探偵が昨日、

 エアコンのリモコンを

 冷蔵庫へ入れていました」


「あれは冷却性能の検証だ」


「牛乳の横で?」


「科学とは、常識を疑うことだ」


「家族は

 先生の記憶力を疑っています」


「失礼な」


「先生。

 リモコン、手に持っています」


「これはスマートフォンだ」


「テレビのリモコンです」


「最近のスマートフォンは細長いな」


「ボタンに

 『音量』と書いてあります」


「新型だ」


「赤い電源ボタンもあります」


「緊急停止用だ」


「押しますよ」


「待て、ワトソン君」


「何です?」


「世界を救う前に、

 録画予約を確認したまえ」


「何を録画したんです」


「半導体株の特集だ」


「結局、それですか!」


「経済を知らずして、

 世界は救えん」


「被災地のニュースより先に?」


「先に株価を見てから、

 落ち着いて被災地を心配する」


「順番が逆です!」


「株価が下がっていたら、

 落ち着いて心配できん」


「最低です!」


「ワトソン君」


「何です」


「人は誰でも、

 自分の財布が燃えた時が一番熱い」


「いいことを言ったような顔を

 しないでください」


「だがな」


「まだあるんですか」


「財布だけ見ていたら、

 家が燃えていることに気づかん」


「急にまともになりましたね」


「私は名探偵だぞ」


「さっき

 リモコンをスマホと言った人が?」


「あれは君を試した」


「毎回それで逃げますね」


「倒れても、また立ち上がる。

 それがゾンビメンタルだ」


「先生の場合は、

 言い逃れメンタルです」


「うまい!」


「褒めないでください」


「では、

 世界一楽しい防災訓練を始めよう」


「何をするんです?」


「非常食の味見だ」


「昨日も食べましたよ」


「賞味期限の継続的な点検だ」


「三年後まで大丈夫です」


「油断は禁物だ」


「先生が食べたいだけでしょう!」


「ワトソン君」


「はい」


「災害は、忘れた頃にやって来る」


「それは本当です」


「空腹は、三時間ごとにやって来る」


「それは先生だけです!」


「では、缶詰を開けたまえ」


「嫌です!」


「世界を救うには、

 まず腹ごしらえだ」


「その前に、

 株価アプリを閉じてください」


「それは世界平和とは別問題だ」


「さっきと同じ逃げ方です!」


「では、一度だけ閉じよう」


「本当ですか?」


「被災地の記事を一つ読んでから、

 また開く」


「それなら少し進歩しました」


「ワトソン君」


「何です?」


「人間は急には変われん」


「知っています」


「だから、一センチずつ変わる」


「いい言葉ですね」


「では、非常食を

 一センチだけ開けてくれ」


「結局、食べるんですか!」


………


世界は、


笑っている間にも壊れていく。


けれど、


笑える人間は、


もう一度考え直すことができる。


怒りだけでは、


人は立ち上がれない。


恐怖だけでも、


長くは歩けない。


だから僕は、


次のニュースを聞く前に、


一度だけ笑うことにした。


そして、


株価を見る前に、


被災地の記事を一つ開く。


それだけで、


世界は救えない。


それでも、


僕の中のゾンビを、


一歩だけ止めることはできる。


倒れても、


誰かをかまずに、


もう一度立ち上がる。


………


★終わり

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。