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『住所をなくした世界』 ✲ AIは世界の記憶を増やした。なのに人間は、暑い部屋と高い家賃の中で自分の居場所を失っていった。

✦『住所をなくした世界』


✲ AIは世界の記憶を増やした。

 なのに人間は、

 暑い部屋と高い家賃の中で

 自分の居場所を失っていった。


………


「おじいちゃん」


ゆづきが、

スマホから顔を上げた。


「AIってさ。


 人間を助けるために

 作ったんだよね?」


「そうじゃな」


「じゃあ、

 なんでみんな

 前より困ってるん?」


僕は、

すぐに答えられなかった。


AIは速い。


半導体は賢い。


スマホは、

人間より先に

世界のニュースを知っている。


なのに。


フランスでは、

病院と家庭が

一台のエアコンを奪い合う。


韓国では、

世界一のメモリを作る国で、

若者が家賃を払えず、

引っ越しをあきらめる。


中国では、人口が減る前に、

ロボットが人間の仕事を覚えていく。


ガザでは、

水と薬が、

政治の許可証になっている。


「便利って、みんなが 

 助かることじゃないん?」


ゆづきが言った。


僕は、

机の上の鉛筆を見た。


「便利はな。


 放っておくと、

 強い人から先に

 便利になるんじゃ」


「えっ」


「そして、

 弱い人が困った時だけ、


 みんな急に

 道徳の先生になる(笑)」


………


★目次


■第1章 

 半導体は、世界の記憶だった


■第2章 

 宝石だった記憶が、

 ただの石になる時


■第3章 

 韓国は世界一のメモリを作り、

 若者は引っ越せない


■第4章 

 ソウルの家賃は、

 未来の給料より速く上がる


■第5章 

 フランスのエアコンは、

 命の配給券になった


■第6章 

 地球は火を吹いたのではない


■第7章 

 地中海のドライマウス


■第8章 

 ガザでは水が政治になった


■第9章 

 国家の穴を、バイクが埋めた日


■第10章 

 兵士が「肉」と呼ばれる国


■第11章 

 中国は人口が減る前に、

 人間を減らしても回る国を作る


■第12章 

 寝そべり族は、怠け者ではない


■第13章 

 AI国家実験

 ――最初のモルモットは

  若者だった


■第14章 

 羅生門は、スマホの中にある


■第15章 

 鉛筆は、消えそうな名前を書く


………


■第1章 

 半導体は、世界の記憶だった


五年後。


ゆづきは二十一歳になっていた。


就職活動中なのに、

スマホで動画を見ていた。


「おじいちゃん。


 半導体って、

 結局なにがすごいん?」


「世界が忘れないための、

 小さな脳みそじゃ」


「また、

 大げさ(笑)」


「本当じゃ。


 写真も、

 ゲームも、

 病院の検査も、

 車の自動運転も、


 全部、

 小さな半導体が

 覚えとる」


「じゃあ、

 半導体が増えたら

 世界は良くなるん?」


「そこが、

 ややこしい」


世界中の会社が、

AIのために

半導体を欲しがった。


特に、

AIが考えるための

高性能メモリ。


人間で言えば、

記憶力の部分じゃ。


世界の企業は、

一斉に言い始めた。


「AIの時代だ」


「メモリを作れ」


「工場を建てろ」


「遅れたら負ける」


半導体は、

一時的に宝石になった。


足りない。


高い。


持っている会社は、

神様みたいに見えた。


でも。


僕は、

証券会社にいたから、

少し怖かった。


「ゆづき」


「なに?」


「宝石が一番危ないのは、

 皆が掘り始めた時じゃ」


「えっ」


「足りないと言われたら、

 世界中が工場を建てる。


 工場が完成する頃には、

 宝石は、

 ただの石になる」


「それが、

 コモディティ化?」


「そうじゃ」


「価値がなくなる?」


「価値はなくならん。


 でも、

 高すぎた値段だけが

 消える」


半導体の恐怖は、

壊れることではない。


みんなが同じものを、

作りすぎることじゃ。


………


■第2章 

 宝石だった記憶が、ただの石になる時


「でも、

 工場を作ったら

 仕事は増えるんじゃないん?」


ゆづきが聞いた。


「昔はな」


僕は言った。


昔の工場は、

人間が並んで働いた。


部品を運ぶ。


ネジを締める。


検品する。


電話を取る。


書類を書く。


だが、

AIとロボットの工場は違う。


ロボットが運ぶ。


AIが検査する。


ソフトが在庫を決める。


新人が最初に覚える仕事を、

AIが先に覚えてしまう。


ニュースでは、


「数兆円投資!」


「未来産業!」


「世界首位!」


と拍手される。


でも、

工場の中に入ると、

人間は少ない。


「じゃあ、

 若者は何をするん?」


ゆづきが聞いた。


「それを今、

 世界中が考えとる」


「えっ」


「でもな。


 考えとる間に、

 若者は卒業する(笑)」


中国では、

毎年、

一千万人を超える大学生が卒業する。


AIを学べ。


ロボットを学べ。


英語を学べ。


動画編集を学べ。


プログラムを学べ。


そう言われる。


でも、

AIを使う会社は、

少ない人数で回る。


若者の入口が、

先に細る。


つまり若者には、

こう聞こえる。


«「AIを覚えてね。

 でもAIが君の仕事を

 先に覚えるかもしれないよ」»


これは、

あまりにも冷たい。


………


■第3章 

 韓国は世界一のメモリを作り、

 若者は引っ越せない


韓国では、

AI用メモリが売れていた。


世界中が、

韓国の半導体を欲しがった。


サムスン。


SKハイニックス。


ニュースは華やかじゃ。


大統領は外国へ行き、

韓国の技術を誇った。


首脳会談。


拍手。


記念写真。


「韓国は、

 世界の記憶を作っています」


だが。


ソウルの若者は、

明るくなかった。


家賃が上がる。


保証金が上がる。


引っ越したくても、

部屋がない。


結婚したくても、

二人で住む家が高い。


子どもを作りたくても、

まず屋根がない。


「おじいちゃん」


ゆづきが言った。


「世界一の半導体を作ってるのに、

 なんで部屋がないん?」


「半導体は、

 世界中に売れる」


僕は言った。


「でも家は、

 ソウルにしか建たん」


「うわ」


「工場の利益は、

 株主へ行く。


 家賃の請求書は、

 若者へ行く」


「最悪じゃん」


「最悪じゃ」


ソウルの賃貸市場では、

物件が減り、

新しい契約ほど

高い家賃にぶつかる。


住み続ける人は、

まだ少し守られる。


でも。


就職。


転職。


結婚。


離婚。


地方から上京。


人生が動く人だけが、

新しい高い家賃を払わされる。


これは、

不思議な羅生門じゃ。


大家は言う。


「市場価格に合わせただけ」


不動産屋は言う。


「物件がないんです」


住み続ける人は言う。


「私は更新できた」


若者は言う。


「人生を始めるだけで、

 罰金なんですか」


全員、

少しずつ正しい。


だから、

いちばん弱い人だけが

負ける。


………


■第4章 

 ソウルの家賃は、

 未来の給料より速く上がる


ゆづきは、

就職サイトを見ながら言った。


「給料って、

 家賃より遅いよね」


「そうじゃな」


「家賃って、

 なんであんなに偉そうなん?」


「屋根を持っとるからじゃ」


「ずるい!」


「ずるい…」


韓国には、

チョンセという仕組みがある。


大きな保証金を預けて、

毎月の家賃を抑える。


昔は、

若者にとって

助けになる制度だった。


でも、

住宅価格が揺れた。


大家が返せない。


詐欺も起きた。


若者は、

大金を預けるのが怖くなった。


すると、

毎月払う家賃の部屋へ流れる。


家賃は、

給料から毎月、

静かに血を吸う。


「おじいちゃん」


「なんじゃ」


「半導体がコモディティ化したら、

 韓国はどうなるん?」


僕は少し黙った。


「半導体が下がった時。


 企業は採用を減らす。


 株は下がる。


 ウォンも弱くなる。


 輸入の牛肉も、

 飲み物も高くなる」


「家賃は?」


「家賃は、

 すぐには下がらん」


「地獄じゃん」


「そうじゃ。


 不況は先に株価へ来る。


 でも生活には、

 あとから長く居座る」


………


■第5章 

 フランスのエアコンは、

 命の配給券になった


フランスでは、

猛暑が来た。


昔のヨーロッパでは、

エアコンは贅沢品だった。


石造りの建物は涼しい。


夏は短い。


冷房を増やしすぎれば、

環境に悪い。


そう思われていた。


でも、

暑さは変わった。


夜でも暑い。


病院が暑い。


学校が暑い。


老人ホームが暑い。


扇風機だけでは足りない。


移動式エアコンが、

店から消えた。


ネット注文は、

キャンセルされた。


病院は、

患者のために欲しい。


家庭は、

赤ん坊と高齢者のために欲しい。


国は、

病院へ先に回したい。


店は、

在庫がない。


「おじいちゃん」


ゆづきが言った。


「一台しかないエアコン、

 誰に渡すん?」


僕は答えられなかった。


病院の患者か。


赤ん坊のいる家庭か。


一人暮らしの高齢者か。


暑い屋根裏に住む貧しい人か。


誰かを助けることは、

誰かに待ってもらうことになる。


これは戦争ではない。


でも。


配給の始まりかもしれん。


冷房は、

家電ではなくなった。


生存インフラになった。


………


■第6章 

 地球は火を吹いたのではない


「地球温暖化って、

 暑くなるだけじゃないん?」


ゆづきが聞いた。


「違う」


僕は言った。


「人間が熱を持った時、

 汗をかくじゃろ」


「うん」


「汗が出れば、

 少し体は冷える」


「うん」


「でも、

 水分がなくなったら?」


「汗が出ない」


「そうじゃ」


地球も同じじゃ。


土が乾く。


森が乾く。


川が細る。


草が乾く。


風が吹く。


火が走る。


地球は火を吹いたのではない。


汗をかけなくなったんじゃ。


………


■第7章 

 地中海のドライマウス


僕は、

夜中に口が乾いて起きることがある。


年を取ると、

体は水を持てなくなる。


「おじいちゃん、

 またドライマウス?」


「そうじゃ」


「地球も?」


「地球もじゃ…」


地中海の周りでは、

熱波と乾燥が重なる。


農地が乾く。


山火事が増える。


水が足りない。


人はエアコンを増やす。


エアコンは電気を食う。


電気を作るために、

また熱が出る。


都市はさらに暑くなる。


「止まらんじゃん」


ゆづきが言った。


「止めるには、

 先に日陰を作るしかない」


「日陰?」


「木。


 断熱。


 水。


 屋根。


 風の通り道。


 そして、

 暑い人を一人にせんこと」


火災が毎年化すると、

先に逃げるのは人間ではない。


保険会社じゃ。


銀行じゃ。


住宅ローンじゃ。


観光客じゃ。


人は故郷を捨てない。


でも、

数字は先に逃げる。


………


■第8章 

 ガザでは水が政治になった


ガザでは、

水も薬も、

ただの物ではなかった。


誰が通すか。


誰が止めるか。


誰が検査するか。


誰が運ぶか。


誰が燃料を持つか。


誰が倉庫を開けるか。


全部が、

政治になった。


「水を配るだけなのに、

 なんでそんなに難しいん?」


ゆづきが聞いた。


「水を配る人が、

 誰かの味方に見えるからじゃ」


「えっ」


「助けることまで、

 敵と味方に分かれてしまう」


被災者は言う。


「子どもに水をくれ」


軍は言う。


「武装勢力に渡るな」


援助団体は言う。


「検査は受ける。

 でも通してくれ」


外から見る人間は、


「どっちが悪い」


と決めたくなる。


でも。


瓦礫の下にいる子どもには、

政治は関係ない。


水がいる。


薬がいる。


寝る場所がいる。


羅生門は、

真実が一つではない話ではない。


人間が自分の恐怖を守るために、

他人の苦しみを見えなくする話じゃ。


………


■第9章 

 国家の穴を、バイクが埋めた日


地震のあと。


道路は壊れた。


建物は崩れた。


水が足りない。


薬が足りない。


重機が足りない。


国の救援は、

すぐには届かない。


その時。


バイクに乗った人たちが、

水を運んだ。


薬を運んだ。


包帯を運んだ。


瓦礫の下から、

声が聞こえる。


バイクのエンジンを止める。


静かにする。


声を聞く。


その声のために、

歩いて水を運ぶ。


「国家より、

 バイクが早いんだ」


ゆづきが言った。


「国家は大きいからな」


僕は言った。


「大きいものほど、

 細い道に入れん」


バイクの青年は、

ヒーローじゃ。


でも。


ヒーローにさせてはいけない。


国がやるべきことを、

普通の人が

自分のガソリン代でやっとるからじゃ。


………


■第10章 

 兵士が「肉」と呼ばれる国


戦争では、

言葉が先に壊れる。


人を人と呼ばなくなる。


兵士を、

肉と呼ぶ。


消耗品と呼ぶ。


補充と呼ぶ。


数字と呼ぶ。


ロシア兵の訴えには、

怖い言葉が並ぶ。


穴。


独房。


身代金。


上官への支払い。


危険任務。


行方不明。


「兵士が上官に、

 お金を払うの?」


ゆづきが聞いた。


「生き残るために、

 払わされると訴える人がおる」


「何それ」


「戦場で、

 命が商品になったんじゃ」


国家は言う。


「祖国のためだ」


上官は言う。


「命令だ」


兵士は言う。


「俺は肉か」


誰かが嘘をついている。


でももっと怖いのは、

全員が少しずつ

本当のことを言っている時じゃ。


………


■第11章 

 中国は人口が減る前に、

 人間を減らしても回る国を作る


中国は、

人口が減っている。


子どもが減る。


働く人が減る。


高齢者が増える。


介護する人が足りなくなる。


工場を回す人が足りなくなる。


物流も足りなくなる。


だから中国は、

AIとロボットを急ぐ。


「人口が減るなら、

 機械を人口にすればいい」


そんな発想じゃ。


工場へAI。


病院へAI。


学校へAI。


役所へAI。


物流へAI。


介護へAI。


都市管理へAI。


「すごいじゃん」


ゆづきが言った。


「すごい」


「じゃあ、

 いいことじゃん」


「でもな」


僕は言った。


「人口が減るのは、

 未来の話じゃ」


「うん」


「若者の仕事が減るのは、

 今日の話じゃ」


………


■第12章 

 寝そべり族は、怠け者ではない


寝そべり族。


中国で生まれた、

少し悲しい言葉じゃ。


働かない。


競争しない。


結婚しない。


子どもを作らない。


最低限で生きる。


昔の大人は言う。


「怠けるな」


「努力しろ」


「根性がない」


でも。


若者は、

こう思っているかもしれん。


«頑張っても家が買えない。

 頑張っても結婚できない。

 頑張っても仕事が消える。

 ならば、なぜ走るのか。»


寝そべりは、

怠けではない。


競争のルールが壊れた時の、

静かなストライキじゃ。


ゆづきが、

スマホを伏せた。


「おじいちゃん」


「なんじゃ」


「私も、

 いつか寝そべるかも」


「寝そべってもええ」


「えっ」


「ただし、

 寝そべったまま

 世界を見失うな」


「なにそれ(笑)」


「横になっても、

 鉛筆は持てる」


………


■第13章 

 AI国家実験

 ――最初のモルモットは

  若者だった


中国のAI政策には、

二つの顔がある。


一つは、

人を助ける顔。


介護。


診断。


物流。


災害対応。


教育。


高齢者が増える国には、

本当に必要な技術じゃ。


だが。


もう一つの顔がある。


人を選別する顔。


求人をふるいにかける。


配達員を点数化する。


顔を認識する。


発言を監視する。


ローンを判定する。


行政サービスの順番を決める。


「便利と監視って、

 同じAIなん?」


ゆづきが聞いた。


「同じ箱に入っとる」


「怖っ」


「病院の受付を早くするAIと、

 反対意見を見つけるAIは、

 親戚みたいなもんじゃ」


国は言う。


「人口減少に備える」


企業は言う。


「効率化する」


地方政府は言う。


「実証実験をする」


若者は言う。


「俺の人生で、

 実験するな」


ここが、

中国版・羅生門じゃ。


誰も、

完全な悪人ではない。


でも、

失敗した時の損を払うのは、

だいたい若者じゃ。


企業が失敗すれば、

採用が減る。


地方政府が失敗すれば、

公共サービスが減る。


AIが間違えれば、

点数の低い人が落ちる。


そして、

落ちた人は言う。


「機械が決めたんだから、

 仕方ないんですか」


これほど冷たい言葉はない。


………


■第14章 

 羅生門は、スマホの中にある


芥川龍之介の『羅生門』では、

老婆が死体の髪を抜く。


生きるためだと言う。


下人は、

老婆の着物を奪う。


老婆も悪いことをしたから、

仕方がないと言う。


みんな、

自分が生きる理屈を作る。


今の羅生門は、

屋根裏にはない。


スマホの中にある。


誰かが言う。


「病院が

 エアコンを取るのは仕方ない」


誰かが言う。


「貧しい家庭は

 後回しで仕方ない」


誰かが言う。


「支援物資を止めるのは

 安全のためだ」


誰かが言う。


「AIで新人を採らないのは

 効率化だ」


誰かが言う。


「家賃が上がるのは

 市場だから仕方ない」


全部、

少しずつ正しい。


だから、

いちばん危ない。


悪人がいる世界より、


みんなが正しい顔をして、

弱い人を置いていく世界


の方が怖い。


ゆづきが言った。


「じゃあ、

 どうしたらいいの?」


僕は言った。


「仕方ないと言う前に、

 一回だけ聞くんじゃ」


「なにを?」


「その仕方ないで、

 誰が一番困るんか」


………


■第15章 

 鉛筆は、

 消えそうな名前を書く


世界は、

乾いている。


地球が乾く。


土が乾く。


川が乾く。


人の口が乾く。


財布が乾く。


心が乾く。


そして、

人間は余裕を失う。


余裕を失うと、

他人を待てなくなる。


他人を待てなくなると、

自分だけ助かる理屈を作る。


それが、

羅生門化じゃ。


半導体が安くなる。


工場が余る。


採用が減る。


家賃は残る。


若者が寝そべる。


国はAIを急ぐ。


地球は暑くなる。


エアコンが足りなくなる。


水が政治になる。


全部、

別々のニュースに見える。


でも。


本当は同じ話かもしれん。


«便利さを急ぎすぎた世界が、

余裕をなくしている。»


「おじいちゃん」


ゆづきが言った。


「じゃあ、

 私たちはどうするん?」


僕は、

鉛筆を持った。


「世界を救う前に、

 誰が置いていかれるかを

 書くんじゃ」


「それだけ?」


「それが一番難しい」


「なんで?」


「みんな、

 勝った人の話は書きたがる。


 でも、

 負けた人の住所は

 すぐ消えるからじゃ」


ゆづきは、

しばらく黙った。


それから言った。


「私、

 消えそうな人の名前、

 覚えとく」


僕は笑った。


「それが、

 人間の記憶じゃ」


………


❥Z世代のあなたへ


AIは便利じゃ。


半導体も必要じゃ。


ロボットも、

地球を救うかもしれん。


でも。


新しい技術が来た時、

最初に見るべきは

株価ではない。


「誰が便利になるか」でもない。


«その便利さのために、

誰が待たされるのか。

誰が切られるのか。

誰が暑い部屋に残されるのか。

誰が高い家賃を払うのか。»


そこを見る目を、

持ってほしい。


世界は、

これからもっと賢くなる。


でも、

賢くなることと、

優しくなることは別の努力がいる。


AIに答えを聞く前に、

一回だけ自分に聞いてみてほしい。


«「この答えで、

  一番困る人は誰だろう」»


その問いを持てる人は、

もう羅生門の屋根裏から、

外へ出始めている。


………


★あとがき


✲ ホームズとワトソンの屋敷で、

エアコンが一台しかない夜(笑)


「ワトソン君!」


「はい、ホームズ」


「大変だ!」


「また殺人事件ですか?」


「違う!」


「では、

 密室ですか?」


「違う!」


「半導体工場の陰謀?」


「違う!」


「では何です?」


「屋敷のエアコンが、

 一台しかない!」


「……それ、

 事件ですか?」


「大事件だ!」


「誰が使うんです?」


「当然、

 名探偵の私だ!」


「なんでですか!」


「探偵は頭を使う。


 頭は熱を持つ」


「私は?」


「君は汗をかいて、

 働きたまえ」


「令和の羅生門ですよ!」


「では、

 公平に決めよう」


「おお。

 さすが名探偵」


「暑さに強い者は、

 エアコンなし」


「誰です?」


「君だ」


「なんでですか!」


「君はいつも、

 現場を走り回っている。


 運動能力が高い」


「論理が雑すぎる!」


「では、

 AIに決めさせよう」


「もっとダメです!」


「AIよ。


 この屋敷で最も重要な人間は誰か」


《回答。

 電気代を払う者です》


「……」


「……」


「ワトソン君」


「はい」


「大家を呼びたまえ」


「そこに気づくまで、

 十五章かかりましたね!」


「世界の問題はな」


ホームズは言った。


「だいたい、

 家賃と電気代が

 最後に解決する」


「名言っぽく言わないでください!」


その夜。


ホームズは、

エアコンの下で寝た。


ワトソンは、

窓を開けて寝た。


そして翌朝。


ホームズが叫んだ。


「ワトソン君!」


「なんですか!」


「冷えすぎて、

 風邪をひいた!」


ワトソンは言った。


「それでは診断します」


「何だね」


「病名は――」


「病名は?」


「冷房・独占症候群です(笑)」


ホームズは、

毛布にくるまりながら言った。


「ワトソン君」


「はい」


「次の夏は、

 二台買おう」


「それが正解です」


「半導体より先に?」


「半導体より先にです」


「世界を救う前に?」


「まず屋敷を救ってください(笑)」


………


✲ 世界の記憶が増えても、

 人の痛みを忘れたら、

 それはただの巨大な記憶装置になる。


 鉛筆は遅い。


 でも、

 遅いからこそ、

 置いていかれる人の名前を書ける。

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