『株価 史上最高値の夜、世界は燃料切れだった』 ――M7.5。死者は2,200人突破。 クリミアのガソリンは30%上がり。フランスでは、原発が熱で落ちた。しかしテレビは、「日本は明るい」と言う――
✦『株価 史上最高値の夜、
世界は燃料切れだった』
――M7.5。
死者は32人から、2,200人を超えた。
クリミアのガソリンは
一週間で30%上がり。
フランスでは、
原発4.1GWが熱で落ちた。
それでもテレビは、
「日本経済は明るい」
と言っていた――
………
世界が壊れる時、
最初に消えるのは電気ではない。
「何が本当か」を、
自分の頭で確かめる力だ。
………
★目次
■ 第1章
株価だけが笑っていた夜
■ 第2章
ベネズエラでは、
水より先に動画が届いた
■ 第3章
「支援した」と
「助かっていない」の間
■ 第4章
瓦礫の下では、
国旗は見えない
■ 第5章
橋があるのに、
島になったクリミア
■ 第6章
勝っている国の、
空っぽの給油所
■ 第7章
中国のニュースに映る、
日本という国
■ 第8章
フランスで、
止まれない若者たち
■ 第9章
悪人になる前の、
十秒前
■ 第10章
マンチェスターが欲しかったもの
■ 第11章
日経7万円は、
誰の幸せなのか
■ 第12章
人類の不安は、
誰かの売上になる
■ 第13章
フェイク動画は、
本当の悲鳴を殺す
■ 第14章
AIは答えをくれるが、
目はくれない
■ 第15章
波に飲まれない人の、
最後の質問
………
■ 第1章
株価だけが笑っていた夜
ゆづきは、
高校の授業を終えた帰りだった。
駅前のベンチで、
スマホを見ながら言った。
「日経平均、
また史上最高値だって」
「ほう」
「日本って、
めっちゃ景気いいん?」
テレビの中では、
明るい音楽が鳴っていた。
《AI関連株が市場をけん引》
《半導体需要が拡大》
《日経平均、さらに高値更新!》
画面の赤い矢印は、
勢いよく上へ伸びていた。
半導体。
AI。
データセンター。
防衛。
宇宙。
「景気がいい会社は、
あるじゃろうな」
僕は言った。
「じゃあ、
みんな景気いいん?」
ゆづきは、
別のアプリを開いた。
家計簿だった。
家賃。
八万二千円。
電気代。
一万三千円。
食費。
四万九千円。
通信費。
奨学金。
保険料。
「こっちも、
赤い矢印じゃ」
「こっちは、
上がってほしくないのに」
僕は、
二つの画面を見た。
片方では、
株価が上がる。
片方では、
生活費が上がる。
同じ赤い矢印なのに。
片方には拍手が起きて。
片方には、
ため息が残る。
「株価の史上最高値って、
私の人生には
何円くらい入るん?」
僕は、
すぐに答えられなかった。
「その質問を、
ニュースはあまりせん」
「なんで?」
「株価は、
大きな会社の未来を買う数字じゃ」
「じゃあ、
私の今日の夕食は?」
「そこには入っとらん」
ゆづきは、
画面を下へスクロールした。
株価の速報の下に、
小さな文字が流れていた。
《ベネズエラで連続地震》
《死者数、2,200人超》
《クリミアで燃料販売停止》
《セバストポリ、ガソリン30%高》
《フランス、熱波で原発出力4.1GW低下》
ゆづきが首をかしげた。
「同じ地球の話なん?」
「同じじゃ」
「でも、
株価だけ笑ってる」
僕は言った。
「株価は、
人間の暮らしを
全部は見ておらん」
「何を見てるの?」
「次にお金が集まる場所じゃ」
………
■ 第2章
ベネズエラでは、
水より先に動画が届いた
ゆづきが、
短い動画を見せた。
崩れた建物。
白い粉。
泣いている女の人。
空のペットボトル。
《子どもがいる!》
《水がない!》
《助けて!》
次の動画では、
大統領が演説していた。
《各国の救助隊が到着》
《政府は全力で対応》
《支援物資を配布開始》
「どっちが本当なん?」
「両方、
本当かもしれん…」
「え?」
「救助隊は来た。
でも、
その人の地区には
まだ水が来ていない」
ベネズエラでは、
大きな地震が二度続いた。
最初の揺れは、
マグニチュード7.2。
その直後。
人が建物から飛び出した頃に、
さらにM7.5が来た。
一度目でひび割れた壁が。
二度目で落ちた。
道路が割れた。
病院へ向かう救急車が、
瓦礫と渋滞で止まった。
最初の速報では。
死者32人。
負傷700人。
だが。
数日後には、
死者は千人を超えた。
さらに一週間で。
2,200人を超えた。
「最初の32人って、
少なかったわけじゃないんだね」
「違う」
僕は言った。
「最初は、
瓦礫の下にいる人を
数えられん」
「じゃあ、
最初の数字は嘘?」
「嘘とは限らん。
ただ、
まだ分かっていない数字じゃ」
「怖いね」
「災害の最初の数字はな。
安心するために見る数字じゃない。
これから増えるかもしれん数字として、
見るんじゃ」
ゆづきは、
もう一度動画を見た。
女性は、
スマホへ向かって叫んでいた。
《水がない!》
その動画は、
世界中へ届いた。
でも。
水は、
まだ届いていなかった。
「動画の方が早い」
ゆづきが言った。
「水より早い」
「それって、
なんか変」
「変じゃ。
人間は映像を見ると、
もう誰かが助けている気になる」
………
■ 第3章
「支援した」と
「助かっていない」の間
《支援物資を配布しました!》
テレビの字幕が、
画面の下を流れた。
その同じ時刻。
ベネズエラの女の人は、
崩れた家の前で
空のペットボトルを握っていた。
《うちの地区には、
まだ水が来ていません!》
コメント欄には、
二つの世界が並んでいた。
《海外から救援隊が到着》
《病院に薬がない》
《避難所を開設》
《トイレが詰まって、
子どもが熱を出した》
「どっちか嘘なん?」
「違う」
僕は言った。
「たぶん、
両方本当じゃ」
空港には、
輸送機が降りた。
水。
薬。
毛布。
救助犬。
発電機。
助ける物は、
国に着いた。
でも。
空港から避難所までの道路が、
壊れていた。
橋が落ちていた。
トラックの燃料が足りない。
病院には電気がない。
「空港に水が一万本あっても」
僕は言った。
「橋が落ちたら。
瓦礫の下の人には、
一滴も届かん」
「一万本あるのに?」
「ある場所と。
必要な場所が違うからじゃ」
電気が止まる。
病院の冷蔵庫が止まる。
インスリンが傷む。
血液が使えなくなる。
水道が止まる。
避難所のトイレが詰まる。
子どもが吐く。
熱が出る。
夜になる。
スマホの充電も切れる。
助けを呼ぶ声まで、
小さくなる。
「救援隊が着いたってニュースは」
ゆづきが聞いた。
「助かった人が増えた、
という意味ではない」
「え?」
「助ける物が、
空港まで来たという意味じゃ」
「じゃあ、
そこから先は?」
「そこから先が、
一番危ない」
………
その頃。
フランスでは、
別の形で
同じものが壊れていた。
地震ではない。
熱波じゃ。
パリは40度を超えた。
人間が苦しいだけではない。
原発を冷やす川の水も、
ぬるくなった。
川の水温が上がる。
水位が下がる。
原発は、
熱い水を川へ返せなくなる。
すると。
冷房が一番必要な日に。
電気を作る原発の出力が落ちる。
フランスでは、
原発出力が4.1GW減った。
国全体の需要の、
およそ7%分。
「7%って、
どれくらい?」
「暑い昼に。
町ひとつ分の冷房が、
消えるようなもんじゃ」
「最悪じゃん」
「最悪じゃ」
地震は。
一分で床下を壊す。
熱波は。
何日もかけて、
水と電気の血管を焼く。
でも。
最後に困るのは、
同じ人たちじゃ。
冷房のない部屋で、
眠れない老人。
停電した病院で、
薬を待つ子ども。
道路の向こうで、
水を待つ母親。
「ニュースには、
大統領ばっかり映るね」
ゆづきが言った。
「救援隊も。
輸送機も」
「映る」
「でも、
本当に命をつないでるのは?」
僕は答えた。
「夜中に発電機へ
燃料を入れる人。
壊れた道路を越えて、
給水車を走らせる人。
冷蔵庫のコンセントを直す人。
避難所のトイレを
掃除する人じゃ」
………
■ 第4章
瓦礫の下では、
国旗は見えない
《ロシア、支援を表明》
《イラン、医療物資を準備》
《アメリカ、人道支援を発表》
《日本、深い哀悼を表明》
スマホの画面には、
国の名前が並んでいた。
ゆづきは言った。
「いっぱい助けに来るんだね」
僕は、
すぐには答えなかった。
「どうしたの?」
「“助けると言った”ことと。
“助けが届いた”ことは、
同じではないんじゃ」
「え?」
「国には、
二つの顔がある」
一つは。
本当に助けたい顔。
もう一つは。
助けたと、
世界に見せたい顔じゃ。
輸送機が一機飛ぶ。
毛布が十箱届く。
医療班が十人入る。
それで助かる人は、
確かにいる。
でも。
死者2,200人。
負傷者は一万人を超え。
家を失った人が何万人もいるなら。
毛布十箱と医療班十人だけで。
「国を救った」とは、
言えない。
「じゃあ、
何を見ればいい?」
「国旗より数字じゃ」
《何を送ったか》
《どれだけ送ったか》
《誰の手元まで届いたか》
「会見は大きいのに。
数字が小さい時は?」
「少し疑う」
「疑っていいの?」
「疑うのと、
決めつけるのは違う」
僕は、
ゆづきのスマホへ指を伸ばした。
「国旗の後ろにある。
トラックの台数を見るんじゃ」
瓦礫の下にいる人にとって。
ロシアも。
イランも。
アメリカも。
日本も。
同じように遠い。
聞こえるのは。
ショベルカーの音。
救助犬の足音。
そして。
誰かが自分の名前を呼ぶ声だけじゃ。
………
■ 第5章
橋があるのに、
島になったクリミア
フランスのF 2取材班は、
厳重な検問を抜けて、
クリミア橋を渡った。
ロシア本土と半島を結ぶ、
十九キロの橋。
橋は、
まだ壊れていなかった。
海には警備艇。
道路には軍の車。
カメラを向ければ、
すぐ制止される。
「橋を守ってるんだね」
ゆづきが言った。
「橋は、
ただの道路じゃない」
「じゃあ何?」
「クリミアが、
ロシアにつながっていると
見せる命綱じゃ」
取材班の車は、
橋を渡った。
行きの車線は、
思ったより空いていた。
でも。
反対車線だけが、
動かなかった。
赤いブレーキランプが、
何キロも続いていた。
クリミアから、
本土側へ出ようとする車の列。
車の後部座席には、
子ども。
水。
毛布。
犬のケージ。
スーツケース。
そして。
ガソリン携行缶。
「観光帰り?」
ゆづきが聞いた。
「そう言う人も、
おるじゃろう」
「でも?」
「観光帰りなら。
水と毛布と犬を積んで。
夜の橋を何キロも渋滞してまで、
渡ろうとはせん」
ガソリンを探す。
荷物を減らす。
子どもを先に帰す。
予約を消す。
冷凍庫を空にする。
誰も、
「逃げます」とは言わない。
でも。
生活の一つ一つが、
ここを出る方向へ動き始める。
「橋は残ってるのに」
「安心が先に壊れたんじゃ」
………
■ 第6章
勝っている国の、
空っぽの給油所
ロシアのテレビでは、
戦況図が赤く塗られていた。
《作戦は予定通り進んでいます》
同じ週。
クリミアでは、
民間向けの燃料販売が止まった。
セバストポリでは、
ガソリン価格が
一週間で30%上がった。
ロシア全体の平均は、
一リットル約72ルーブル。
ところが。
燃料不足の地域では、
189ルーブルまで上がった。
ほぼ三倍。
「ロシアって、
石油を出す国じゃろ?」
「油田があっても」
僕は言った。
「給油所まで届かなければ。
運転手には、
油田なんか見えん」
公共交通は短縮。
店も。
カフェも。
街灯も。
営業時間を縮めた。
家庭向けの電気まで、
制限された。
「勝ってるのに?」
「地図の上ではな」
「住民は?」
「ガソリンメーターを見る」
燃料がない。
車が止まる。
バスが減る。
観光客が減る。
ホテルが空く。
レストランが仕入れを減らす。
魚屋が困る。
港の漁師も困る。
町の金が回らなくなる。
「ドミノみたい」
「生活は、
次に倒れる一枚が
見えんから怖い」
将軍は地図を見る。
住民は冷蔵庫を見る。
戦争は。
その二つが離れた時に、
一番残酷になる。
………
■ 第7章
中国のニュースに映る、
日本という国
「中国って、
日本に意地悪してるよね」
ゆづきが言った。
スマホには、
輸出規制のニュースが出ていた。
二〇二六年六月。
中国は、
日本の二十の企業や組織を、
輸出管理リストへ加えた。
さらに二十を、
厳しい監視対象にした。
防衛研究所。
三菱重工系。
三菱電機系。
川崎重工系。
「中国は、
日本を困らせられる」
「じゃあ、
日本は弱いん…?」
僕は紙に、
小さな円を描いた。
シリコンウエハー。
半導体を作る、
薄い円盤。
次に。
フォトレジスト。
光で回路を描くための、
特殊な材料。
小さすぎて、
ニュースには映らない。
でも。
これが止まれば。
スマホ。
AIサーバー。
自動車。
病院の機械。
中国の工場も、
作りにくくなる。
「日本も、
中国の工場を困らせられる?」
「できる」
「じゃあ、
止めればいいじゃん」
「日本の会社も困る」
中国は。
怖い相手でもある。
巨大な客でもある。
世界の工場でもある。
中国のニュースでは。
日本は、
アメリカと一緒に。
半導体。
海。
空。
台湾周辺。
全部で中国を囲い込む国に見える。
日本では。
中国が、
資源と輸出規制で
脅してくる国に見える。
「同じニュースなのに」
ゆづきが言った。
「日本では中国が怖い。
中国では日本が怖い」
「そうじゃ」
「輸出規制って、
相手を殴るパンチ?」
「違う」
「何?」
「同じ船の床に穴を開ける、
ドリルじゃ」
怖がったまま。
相手の工場と暮らしを、
止め始めた時。
戦争は。
爆弾より先に。
港と税関から始まる。
………
■ 第8章
フランスで、
止まれない若者たち
フランスの夜。
赤と青の光が、
濡れた道路を切った。
警察官が手を上げる。
「止まれ!」
黒い車は、
一度だけ減速した。
運転手は、
前を見た。
左に警官。
右に縁石。
後ろに、
戻りたくない人生。
アクセルを踏んだ。
ニュースは、
ここから始まる。
《停止命令を無視》
《危険な逃走》
《通行人を巻き込みかけた》
「これは悪いでしょ」
「悪い」
僕はすぐ答えた。
「車で逃げるのは危ない。
歩いている人も。
警察官も。
何も関係ない人まで
殺しかねん」
フランスでは。
停止命令を無視して逃げる事件が、
一年で二万八千件を超えた。
一日で七十件以上。
二十分に一件近い。
「そんなに?」
「ニュースだけ見れば。
危険運転をする若者が
増えた話じゃ」
「でも?」
「“止まれ”の十秒前に。
何があったかは映らん」
無免許。
前科。
借金。
失業。
在留資格。
刑務所へ戻る恐怖。
子どもと離れる恐怖。
「じゃあ、
逃げてもいいの?」
「違う」
「じゃあ何を見るの?」
「二つじゃ」
なぜ、
止まれなかったのか。
そして。
誰を危険にさらしたのか。
この二つを、
同時に見なければならない。
事情だけを見れば、
罪が消える。
罪だけを見れば、
人間が怪物になる。
芥川龍之介の『羅生門』は、
悪人の話ではない。
腹が減り、
逃げ場を失い、
追いつめられた人間が。
生きるために、
どこまで壊れるかを描いた。
フランスの夜道で、
アクセルを踏んだ若者も。
止めなければ、
次の交差点で
誰かが死ぬと知りながら、
手を上げる警官も。
画面の外から、
「全部あいつが悪い」
と叫ぶ僕らも。
みんな、
同じ羅生門の下に立っている。
雨は、
もう降っていない。
代わりに。
赤と青のパトランプと。
スマホのコメント欄が。
人間の顔を、
白く照らしている。
フランスは、
遠い国の治安ニュースではない。
追いつめられた人間が。
自分を守るために、
もっと弱い誰かを踏む。
その一瞬が、
毎晩どこかで起きている。
現代の羅生門である。
………
■ 第9章
悪人になる前の、
十秒前
SNSでは。
十秒の動画で、
人が裁かれる。
怒鳴る男。
逃げる女。
泣く子ども。
燃える建物。
空の給油所。
瓦礫の前の母親。
コメント欄は、
すぐ裁判所になる。
《最低》
《逮捕しろ》
《国へ帰れ》
《政府が悪い》
《全部ウソだ》
人間の脳は、
疲れるのが嫌いじゃ。
だから。
すぐ箱を作る。
正義。
悪。
味方。
敵。
ゼロ。
一。
ベネズエラなら。
《死者32人なら、
大したことない》
《死者2,200人なら、
政府は全部嘘をついた》
どちらも。
短すぎる。
最初の数字は、
まだ瓦礫の下を
数えられなかった数字。
後の数字は、
救助が遅れた理由まで
説明してくれない数字。
「じゃあ、
何を見ればいい?」
「数字が、
いつの数字かじゃ」
《初報か》
《三日後か》
《一週間後か》
《誰が数えたか》
《まだ数えられていない人は、
どこにいるか》
「数字も、
切り取られるんだね」
「そうじゃ」
ニュースの怖さは。
嘘を流すことだけではない。
本当の一部だけを。
大きく映すことじゃ。
「じゃあ、
どうすればいい?」
「決める前に、
一回止まる」
《誰が言っている?》
《誰が得をする?》
《何が映っていない?》
《この人が明日生きるには、
何が必要?》
その四つを聞く。
それだけで。
世界は少し、
立体になる。
………
■ 第10章
マンチェスターが欲しかったもの
英国では。
ロンドンから北部へ、
政府の仕事を移す話が出ている。
ロンドンは言う。
《国の中枢を分けるな》
マンチェスターは言う。
《金も決定も、
ずっとロンドンだった》
「大阪に、
首相官邸の支店を作る感じ?」
「かなり近い」
ロンドンは強い。
金融。
保険。
法律。
広告。
IT。
大学。
世界の金が集まる。
でも。
金が集まる場所は。
家賃も上がる。
店の家賃も上がる。
若者は、
同じ部屋を何人かで借りる。
移民も。
難民も。
地方から来た若者も。
みんな。
仕事があると言われた町で。
住む場所を奪い合う。
「ロンドンが儲かると…」
ゆづきが言った。
「英国全体が
豊かになるんじゃないの?」
「なる部分もある」
「でも?」
「ロンドンの会社の利益が。
マンチェスターの若者の家賃を
払ってくれるわけではない」
政府機能を北へ動かせば。
駅ができる。
会社が来る。
地価が上がる。
でも。
昔から住む人が。
家賃で追い出されるかもしれん。
「またゼロと一だね」
「地方再生か。
ロンドン破壊か。
その二つだけで語ると。
一番弱い人が見えん」
………
■ 第11章
日経7万円は、
誰の幸せなのか
《日経平均、
史上最高値更新!》
テレビの中で、
キャスターが笑っていた。
画面の後ろでは、
赤い矢印が伸びていた。
半導体。
AI。
データセンター。
防衛。
宇宙。
「日本経済、
復活だって」
ゆづきの家計簿には、
別の赤い数字が並んでいた。
電気代。
食費。
家賃。
通信費。
奨学金。
税金。
保険料。
「日経7万円って、
私には何円入るん?」
「その質問を、
ニュースはあまりしない」
株価は。
大きな会社の未来を買う。
生活は。
今日の夕食を買う。
日経が上がれば。
年金基金。
投資信託。
半導体工場。
設備会社。
助かる人もいる。
それも本当じゃ。
でも。
卵が安くなるわけではない。
家賃が下がるわけでもない。
介護の時間が増えるわけでもない。
「ゼロは。
日経最高値だから日本は幸せ」
「一は。
物価高だから日本は終わり」
「どっちも違う?」
「どっちも少し本当じゃ」
そして。
半導体には、
もう一つの顔がある。
作りすぎた時の顔じゃ。
昔も。
メモリーが足りないと言われた。
値段が上がった。
工場が増えた。
みんなが儲かると思った。
その後。
在庫が積み上がった。
値段が落ちた。
昨日まで宝石だった物が。
急に普通の部品になった。
「コモディティ化?」
「そうじゃ」
「今のAIも?」
「全部ではない。
でも。
一部はそうなるかもしれん」
市場は上がる時。
未来を買いすぎる。
下がる時。
未来まで壊れたように売る。
「日経7万円って」
ゆづきが言った。
「日本が勝った数字じゃないんだね」
「まだ試されている数字じゃ」
………
■ 第12章
人類の不安は、
誰かの売上になる
M7.5の地震。
水処理。
発電機。
衛星通信。
仮設住宅。
クリミアの燃料不足。
製油所。
タンク。
物流。
非常用電源。
フランスの熱波。
空調。
蓄電池。
送電網。
水冷却。
中国との輸出規制。
代替材料。
国内生産。
在庫。
防衛。
ゆづきが言った。
「全部。
誰かの困りごとが。
別の会社の売上になるんだね」
「そうじゃ」
「嫌だなあ」
「嫌じゃ」
「でも。
困った人を助ける会社まで
悪いわけじゃない」
「じゃあ、
何が怖いの?」
僕は言った。
「不安が増えるほど。
株価が上がる世界を。
当たり前だと思ってしまうことじゃ」
人類の不安が。
誰かの来期売上になる。
それを知っているだけで。
ニュースの見え方は、
変わる。
………
■ 第13章
フェイク動画は、
本当の悲鳴を殺す
地震のあと。
古い津波映像。
別の国の崩壊映像。
AIで作った泣き声。
本物の救助映像。
全部が同じタイムラインに流れる。
「どれが本物?」
ゆづきが聞いた。
「すぐには、
分からん」
「じゃあ、
どうしたらいい?」
「一つの動画で決めんことじゃ」
別の角度。
別の記者。
現地の地図。
撮影日時。
自治体の発表。
複数の情報が。
同じ場所を指しているか。
それを見る。
フェイクの目的は。
嘘を信じさせることだけではない。
本当の悲鳴を見ても。
《どうせAIだろ》
と。
誰にも言わせることじゃ。
………
■ 第14章
AIは答えをくれるが、
目はくれない
「AIって、
結局どう使えばいいの?」
「AIは地図じゃ」
「地図?」
「便利じゃ。
でも。
地図が崖から落ちた時。
代わりに痛がってはくれん」
「急に怖い(笑)」
AIは。
答えをくれる。
要約もする。
数字も並べる。
でも。
何を信じるか。
誰の話を聞くか。
どこで止まるか。
それは。
人間が決める。
「じゃあ、
AIに何を聞けばいい?」
《その数字は、
初報か。
最新か》
《反対側は、
何を数字にしている?》
《現地で困っている人は、
何人なのか》
《空港まで届いたのか。
家の前まで届いたのか》
《この話で、
いちばん得をするのは誰か》
《逆に、
黙らされているのは誰か》
「恋愛にも使える?」
「一番使える」
「どういうこと?」
「相手の話だけで。
人生を決めるなということじゃ」
………
■ 第15章
波に飲まれない人の、
最後の質問
その夜。
ゆづきは、
スマホを伏せた。
「情報って、
多すぎるね」
「多い」
「西側のニュース。
東側のニュース。
政府の発表。
SNS。
AIの要約」
「全部、
役には立つ」
「でも、
全部そのまま信じたら危ない」
「そうじゃ」
日本が沈む時。
最初に沈むのは。
港でも。
銀行でも。
国債でもない。
誰かが言った言葉を。
自分で確かめず。
みんなで一斉に信じ始めた時じゃ。
戦争で怖いのは。
爆弾だけではない。
輸出規制。
燃料不足。
情報操作。
株価の熱狂。
生活が苦しい人を。
見えなくする空気。
そういうものが。
静かに国を弱らせる。
「じゃあ。
私はニュースを見たら、
何をすればいい?」
ゆづきが聞いた。
僕は答えた。
「まず。
すぐに怒らんこと」
「次は?」
「すぐに拡散せんこと」
「次は?」
「数字を見ること」
「数字だけ?」
「数字だけでも足りん。
でも。
数字のない大きな言葉は、
人を動かしやすい」
《大規模支援》
なら。
何トンか。
何人か。
何日で届いたか。
《大勝利》
なら。
水は出るか。
燃料はあるか。
病院は動くか。
《日本経済復活》
なら。
給料は上がったか。
家賃は払えるか。
子どもは進学を諦めていないか。
「最後の質問は?」
ゆづきが聞いた。
僕は言った。
「この情報で。
いちばん困る人は、
誰なんだろう」
………
❥Z世代のあなたに
君たちは。
世界中の悲鳴と。
世界中の株価と。
世界中の嘘を。
同じスマホで見ている。
だから。
何かを信じる前に。
数字を見る。
数字の後ろにいる人を見る。
そして。
一枚の動画で。
一つの国を。
一人の人間を。
全部分かったと思わない。
それが。
戦争にも。
株価にも。
AIにも。
飲み込まれずに生きるための。
本当の防災訓練じゃ。
………
★あとがき
ホームズとワトソンと、
やすきよ漫才(笑)
ホームズ:
「ワトソン君。
この世界で、
一番危険な武器は何だね?」
ワトソン:
「核兵器ですか?」
ホームズ:
「違う」
ワトソン:
「AIですか?」
ホームズ:
「違う」
そこへ、
やすしが走ってきた。
✲やすし:
「分かった!
日経7万円じゃ!」
✲きよし:
「ただの数字です!」
ホームズ:
「一番危険な武器は。
一枚の映像だけで。
全部分かったと思う心だ」
ワトソン:
「コメント欄ですね」
✲やすし:
「わしは違うぞ!
ちゃんと考えとる!」
✲きよし:
「何を?」
✲やすし:
「半導体株を。
今から全力買いするかどうか!」
✲きよし:
「一番あぶない(笑)」
ホームズ:
「上がった株は、
未来を買う」
✲やすし:
「じゃあ。
わしも未来を買う!」
✲きよし:
「何を買うんですか」
✲やすし:
「炊飯器じゃ!」
✲きよし:
「現実に着地するな(笑)」
✲やすし:
「米と魚と野菜を炊く!
株価が上がっても。
株価が下がっても。
腹が減るのは、
今日じゃ!」
ホームズは笑った。
ワトソンも笑った。
ゆづきも笑った。
そして僕は思った。
世界を全部救うことはできない。
でも。
目の前の人の話を。
最後まで聞くことはできる。
画面の向こうの悲鳴を。
すぐにフェイクと決めつけず。
すぐに正義の道具にもせず。
少しだけ。
立ち止まって見る。
その小さな目が。
戦争にも。
株価にも。
AIにも。
飲み込まれないための。
最後の防波堤になるのかもしれない。
――人生は、ニュースではない。
誰かの今日の暮らしである。




