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『真実は、通知欄で迷子になった。』 ✲ ホルムズが止まり、原油が揺れ、株価が暴れ、首相の顔をした偽動画が日本にも流れ始めた夜。 ――戦争は、爆弾で国を壊す前に、通知欄から人の頭の中へ入ってくる――

✦『真実は、通知欄で迷子になった。』


✲ ホルムズが止まり、

 原油が揺れ、

 株価が暴れ、

 首相の顔をした偽動画が

 日本にも流れ始めた夜。


――戦争は、

 爆弾で国を壊す前に。


 通知欄から、

 人の頭の中へ入ってくる――


………


「“もう終わりだ”

 という言葉を。


 みんなが毎日、

 少しずつ信じ始めた時。


 国は、

 ミサイルで壊される前に。


 自分たちの手で、

 自分たちの足場を

 崩し始める。


 気がついた時には。


 敵が攻めてきたのではない。


 国民の頭の中に、

 先に敗戦が作られていた」


………


★目次


■第1章

 ホルムズ海峡が、

 世界の蛇口だった


■第2章

 戦争は、

 三つの顔で家に入る


■第3章

 原油より先に、

 通知が燃えた


■第4章

 首相の声が、

 本物か分からない


■第5章

 株価は、

 国民の避難所ではない


■第6章

 AIが、

 本物の顔を盗んだ日


■第7章

 恋愛をやめた若者は、

 怠けたのか


■第8章

 熱波は、

 町の体温を上げる


■第9章

 マクドナルドまで

 遠くなった夜


■第10章

 「押し目買い」が

 合言葉になった日


■第11章

 市場は、

 親指で燃える


■第12章

 本当が三割。

 嘘が二割。

 恐怖が五割。


■第13章

 スーパーから

 卵が消えた理由


■第14章

 生き残る人は、

 最初の速報を信じない


■第15章

 見えない火花は、

 もう暮らしの中にある


❥Z世代のあなたに


★あとがき

 探偵コンビの大混乱漫才

 「ワトソン、卵を買いに行くな!」


………


■第1章

 ホルムズ海峡が、

 世界の蛇口だった


ホルムズ海峡が止まった。


正確には、

完全に止まったわけではない。


通れる船もある。


通れない船もある。


保険が高くなった船。


遠回りをする船。


荷物を積み替える船。


位置情報を消して、

どこにいるか分からなくなる船。


海峡は、

昔の一本道では

なくなっていた。


「おじいちゃん。


 ホルムズって、

 そんなに大事なん?」


ゆづきが聞いた。


祖父は、

スマホの地図を見た。


「世界の蛇口みたいな

 もんじゃ」


「蛇口?」


「車。


 飛行機。


 コンビニ。


 工場。


 暖房。


 プラスチック。


 病院の道具。


 みんな、

 あの細い海の先に

 ぶら下がっとる」


「じゃあ、

 閉められたら?」


祖父は、

少し考えた。


「物が足りなくなる前に。


 人の心が

 足りなくなる」


「え?」


「原油が足りるかより先に。


 みんなが

 “足りなくなるかもしれん”

 と思うからじゃ」


それが、

パニックの始まりだった。


………


■第2章

 戦争は、

 三つの顔で家に入る


祖父は、

ノートに三本の線を引いた。


「戦争はな。


 別々に来るように見える」


一本目を叩いた。


「船を止める。


 港を壊す。


 海峡を封鎖する。


 これが、

 武力の戦争じゃ」


二本目を叩いた。


「原油が揺れる。


 保険が上がる。


 物が高くなる。


 円や株が揺れる。


 これが、

 お金の戦争じゃ」


最後の一本を叩いた。


「そして。


 スマホに一行流す」


《首都圏で通信障害!》


《港湾で重大事故か!》


《ATMから現金を下ろせ!》


《政府、緊急会見へ!》


「これが、

 情報の戦争じゃ」


ゆづきは、

首をかしげた。


「でもそれ。


 ただニュースが騒いでるだけ

 じゃないの?」


祖父は頷いた。


「そう見える。


 でもな。


 船。


 お金。


 通知。


 三つは、

 静かに同じ家へ入ってくる」


ガソリン代。


電気代。


食料。


仕事。


家族の不安。


「そこまで入ってきても。


 人はまだ、

 “戦争じゃない”

 と思っとる」


「じゃあ、

 いつ気づくの?」


「終わってからじゃ」


祖父は、

スマホを伏せた。


「気がついた時には。


 三つの戦争はもう、

 国境の向こうではない。


 国民の暮らしの中で、

 始まっとる」


………


■第3章

 原油より先に、

 通知が燃えた


翌朝。


原油価格より先に、

通知欄が燃えた。


《戦争拡大か?》


《中東から緊急映像》


《ガソリン不足の可能性?》


《専門家が警鐘》


《日本も例外ではない》


ゆづきの友達が、

グループチャットに

動画を貼った。


スーパーの棚が、

空っぽだった。


「これ、

 本当かな」


「どこの店?」


「分からん。


 でも、

 すごい人が並んでる」


「いつの動画?」


「分からん」


「去年の災害映像かも

 しれんじゃろ」


「でも、

 みんな拡散してる」


祖父は、

画面を見たまま言った。


「こういう時はな。


 一番早く見た人が

 強いんじゃない」


「え?


 早く知った方が

 助かるんじゃないの?」


「違う。


 怖い動画を見て。

 すぐ友達に送る人がおるじゃろ」


「うん」


「その中に。


 昔の映像。


 別の国の映像。


 作った嘘。


 それが混じっとったら

 どうする?」


ゆづきは黙った。


祖父は続けた。


「本当に強い人は、

 すぐ送らん。


 一回止まる。


 『これ、本当?』

 と考える」


「じゃあ、

 一番強い人って?」


「怖くても、

 すぐ走らん人じゃ」


………


■第4章

 首相の声が、

 本物か分からない


その夜。


ゆづきは、

変な夢を見た。


夜十時。


スマホが震えていた。


画面には、

見たことのある首相が映っていた。


険しい顔。


後ろには旗。


いつもの会見室。


《国民の皆さまへ。


 現在、

 重大な安全保障上の

 事態が――》


声も。


顔も。


背景も。


本物に見えた。


「え……」


夢の中のゆづきは、

指が動かなかった。


コメント欄だけが、

ものすごい速さで流れた。


《東京から逃げろ!》


《政府は隠している!》


《ガソリンは売り切れ!》


《ATMが壊れた!》


《これは戦争だ!》


《もう逃げられない!》


《近所のコンビニ、

 水なくなった》


《父が銀行に並んでる》


《消防車の音やばい》


《本当に始まったかも》


怖くなって、

祖父を呼ぼうとした。


でも、

祖父はなかなか来なかった。


外を見ると。


向かいの家の車が、

急に動き出した。


夜なのに。


何台も。


どこかへ急いでいる。


夢の中の町が、

静かに逃げ始めていた。


やっと祖父が来た。


動画を止めた。


一回。


二回。


三回。


祖父は、

首相の耳を見た。


「この人。


 宇宙人じゃろうか?」


「え?」


「耳の形が、

 さっきと違う」


口元を見た。


「口と声が、

 ちょっと遅れて動いとる」


ゆづきは、

コメント欄を見た。


《AIじゃね?》


《いや本物だろ》


《耳バグってるwww》


《政府が隠してるだけ》


《こういう時に

 笑ってるやつ終わってる》


《もう逃げた方がよくない?》


《誰か公式見て》


《公式遅すぎ。


 だから逆に本当》


《釣りかと思ったけど

 怖くなってきた》


《お前らまだ家にいるの?》


ゆづきは言った。


「ほら。


 みんな本物って言ってる」


祖父は、

画面を見たまま言った。


「みんなが言っとるから、

 本物になるわけじゃない」


「でも、

 AIだって言う人もいる」


「そうじゃ。


 でもな。


 “分からん”

 と言う人より。


 “絶対こうだ”

 と言う人の方が。


 ネットでは、

 強く見えるんじゃ」


その時。


画面の端に、

赤い速報が出た。


《首都圏の一部で

 通信障害との投稿》


すぐ下に、

別の投稿が重なった。


《通信が止まってる!》


《政府が情報を消してる!》


《スクショ残せ!》


《消される前に拡散!》


祖父の顔が、

少しだけ固くなった。


「こういう時が、

 一番危ない」


「どうして?」


「本当の障害が一つ起きたら。


 その上に、

 百個の嘘が乗れるからじゃ」


「じゃあ、

 どうしたらいいの?」


祖父は、

スマホを伏せた。


「分からん時は、

 分からんままにしとけばええ」


その瞬間。


また通知が湧いた。


《公式より先に

 Xが真実を出してる》


《テレビ見てる人、

 まだいるの?》


《拡散しないやつ、

 あとで後悔するぞ!》


《今夜だけは、

 信じた方が助かる》


ゆづきは、

夢の中で初めて思った。


――怖いのは動画じゃない。


――みんなが、

 同じ怖がり方を

 始めることなんだ。


画面いっぱいに、

同じ言葉が流れた。


《逃げろ!》


《逃げろ!》


《逃げろ!》


ゆづきは、

息が苦しくなった。


そして――


目が覚めた。


朝だった。


枕元のスマホには、

何も来ていなかった。


窓の外では、

近所の犬が吠えていた。


台所から、

祖父が湯を沸かす音がした。


「夢か……」


朝ごはんの時。


祖父が言った。


「昨日。


 怖い話をしすぎたかのう」


ゆづきは首を振った。


「でも。


 ちょっと分かった」


「何がじゃ」


「本物か嘘か分からない時に。


 みんなが勝手に走り始めたら。


 嘘でも、

 本当みたいになるんだね」


祖父は、

静かに頷いた。


「そうじゃ。


 情報戦争は、

 嘘が怖いんじゃない。


 嘘を見て。


 みんなが同じ方向へ走る。


 そこが怖いんじゃ」


………


■第5章

 株価は、

 国民の避難所ではない


翌朝。


市場が開く前から、

株は下がっていた。


AI。


半導体。


暗号資産。


車。


スーパーや服の会社。


どれも赤だった。


テレビは言った。


「今は買い場です」


「AIの時代は終わりません」


「そのうち戻ります」


ゆづきは聞いた。


「株が戻ったら、

 もう大丈夫なん?」


祖父は首を振った。


「違う」


「え?」


「株が上がっても。


 みんなの暮らしが

 楽になるとは限らん」


「どういうこと?」


「会社がもうかれば、

 株は上がる。


 でも会社は。


 人を減らしても。


 工場を閉めても。


 値上げしても。


 利益を増やせることがある」


「じゃあ、

 株が上がるのは

 いいことじゃないの?」


「会社にとっては、

 いいことかもしれん。


 でも。


 仕事を失った人。


 物が高くなった人。


 その人には、

 いいことじゃない」


ゆづきは、

画面を見た。


「株高って。


 みんなが豊かって

 意味じゃないんだね」


「そうじゃ」


祖父は言った。


「株は。


 会社がこれから

 もうかりそうか。


 その予想に、

 値段をつけとるだけじゃ」


「生活は?」


「生活は今日じゃ。


 ガソリン代。


 電気代。


 食べ物。


 家賃。


 病院代。


 そこは、

 株とは別じゃ」


少しして。


祖父は、

昔の話をした。


「戦争で負け始めとるのに。


 株を下げんようにした時代も

 あった」


「負けてるのに?」


「そうじゃ。


 “まだ大丈夫”

 “日本は強い”


 そういう空気を作った」


「それで?」


「戦争が終わった後。


 昔は安心と言われた株や紙が。


 急に、

 役に立たんものになった人もおった」


「満州鉄道みたいな?」


「そうじゃ。


 紙に書かれた値段と。


 本当に生きるために必要な物は。


 最後には、

 別になることがある」


………


■第6章

 AIが、

 本物の顔を盗んだ日


AIは、

世界を便利にする。


病院。


翻訳。


買い物。


勉強。


でも。


同じAIが、

人をだます道具にもなった。


ゆづきは言った。


「でも。


 偽物なら分かるんじゃない?」


祖父は首を振った。


「もう、

 分からんことがある」


「そんなに?」


「本当にあった話じゃ」


祖父は、

指を一本立てた。


「海外でな。


 会社の人が、

 オンライン会議に呼ばれた」


画面には社長。


上司。


経理の人。


みんな、

いつもの顔で座っていた。


「普通の会議じゃん」


「そう見えた。


 でも後で分かった。


 画面の人は、

 AIで作られた偽物じゃった」


「え?」


「偽物の社長が言った。


 “今すぐ送金してくれ”」


「送ったの?」


「送ってしまった」


ゆづきは、

スマホを見た。


「社長の顔があって。


 声もあったら。


 そりゃ信じるよ」


「そうじゃ。


 頭が悪いからじゃない。


 本物にしか見えんかったからじゃ」


祖父は、

二本目の指を立てた。


「大統領そっくりの声で。


 “今日は投票に行かんでいい”

 と電話がかかった例もある」


「そんなこと、

 言うわけないじゃん」


「でも。


 声は本人そっくりじゃった」


三本目の指を立てた。


「選挙の前に。


 政治家が悪い相談をしているような

 偽音声が流れたこともある」


「本当は?」


「偽物じゃった。


 でも。


 確認される前に、

 音声だけが走った」


祖父は言った。


「今のAIはな。


 嘘を作るだけじゃない。


 本物の人に、

 嘘を言わせる」


ゆづきは、

スマホを伏せた。


「じゃあ。


 もう動画も電話も

 信じられないじゃん」


「そこが一番怖い」


祖父は、

少し低い声で言った。


「偽物が増えると。


 本物まで、

 “AIかもしれん”

 と言われるようになる」


「本当の避難情報も?」


「本当の災害映像も。


 本当の会見も。


 本当の“助けて”もじゃ」


………


■第7章

 恋愛をやめた若者は、

 怠けたのか


「最近の若い人。


 恋愛せんらしいよ」


近所の人が言った。


「スマホばっかり見て。


 外へ出んで。


 結婚せんで」


ゆづきは、

少しむっとした。


「恋愛って、

 お金かかるんよ」


祖父は頷いた。


「電車代。


 服。


 食事。


 カフェ。


 家賃。


 そして。


 失敗しても、

 次の月を越えられる余白」


「それがないんよ」


祖父は、

スマホの世界地図を見た。


日本。


韓国。


中国。


タイ。


ブラジル。


インド。


アフリカの町。


「昔はな。


 自分の町だけ見とれば

 よかった」


「今は?」


「スマホを開いたら。


 東京の家賃。


 韓国の就職。


 中国の競争。


 アメリカの学費。


 ヨーロッパの保育園代。


 世界中の

 “しんどそうな大人”が見える」


ゆづきは黙った。


「子どもを持たん人が増えたのも。


 スマホだけのせいではない」


祖父は言った。


「町へ出る。


 学校へ行く。


 仕事を探す。


 家賃を払う。


 子どもを育てた後の人生が。


 前より見えるようになった」


動画には。


赤ちゃんを抱いた若い母親。


夜勤明けの看護師。


家賃の通知。


奨学金の残高。


失業した恋人。


別れたカップル。


《子ども欲しいけど、

 今じゃない》


《結婚したいけど、

 家がない》


《好きだけじゃ、

 生活できない》


《産んだら、

 戻れない気がする》


祖父は言った。


「若い人が恋愛を

 やめたんじゃない。


 恋愛できる余白を。


 世界中で、

 削られたんじゃ」


その横で。


AI株の画面だけが、

また緑に変わっていた。


未来を買う人たちがいた。


けれど。


若い人たちは、

今月の家賃を計算していた。


同じ国で。


同じ時間に。


別々の景気が動いていた。


………


■第8章

 熱波は、

 町の体温を上げる


ヨーロッパは。


暑くなったんじゃない。


乾き始めていた。


昼だけじゃない。


夜になっても、

町が冷えない。


道路が熱を持つ。


建物が熱を抱える。


病院の中まで、

ぬるい空気が入ってくる。


救急車が増える。


電車が遅れる。


線路がゆがむ。


川の水がぬるくなり。


発電所も、

いつものように動けなくなる。


「来年も。


 ここに住めるんかな」


ゆづきが言った。


祖父は、

すぐには答えなかった。


「住める人と。


 住めん人が分かれていく」


「どういうこと?」


「冷房がある家。


 水が止まらん町。


 病院へ行ける人。


 保険に入れる人。


 暑い日に、

 仕事を休める人」


「じゃあ、

 それがない人は?」


「暑い町に残される」


祖父は、

自分の口を指した。


「人間で言うたら、

 ドライマウスじゃ」


「口が乾くやつ?」


「そうじゃ。


 水が足りん。


 汗も出にくい。


 体の熱を逃がせん。


 そのまま放っといたら、

 どんどん苦しくなる」


祖父は言った。


「暑さは、

 天気の話で終わらん」


「じゃあ何の話?」


「家。


 水。


 電気。


 病院。


 食べ物。


 仕事。


 逃げられる人と、

 逃げられん人の話じゃ」


熱波のニュースの下に。


別の投稿が流れていた。


《冷房つけたら電気代やばい》


《夜も暑くて眠れない》


《工場で倒れた人が出た》


《家賃高いから引っ越せない》


《この町、

 夏を越えられるんかな》


祖父は、

小さく言った。


「暑さはな。


 見えんマッチじゃ」


「マッチ?」


「水に火をつける。


 電気に火をつける。


 家賃に火をつける。


 病院に火をつける。


 最後は、

 人の心にも火をつける」


………


■第9章

 マクドナルドまで

 遠くなった夜


昔は。


マクドナルドが、

最後の避難所だった。


高い店は無理でも。


レストランは無理でも。


ハンバーガーなら、

何とか買えた。


学校帰り。


仕事帰り。


給料日前。


失敗した日。


「今日はもう、

 作れん」


そんな日に。


ポテトとハンバーガーがあった。


ゆづきは言った。


「貧しい人ほど。


 マクドナルドへ

 行くんじゃないの?」


祖父は首を振った。


「昔はそうじゃった。


 でも今は。


 その人たちまで、

 来なくなった」


「なんで?」


「バーガーが高い。


 ポテトも高い。


 飲み物も高い。


 家賃も。


 電気代も。


 ガソリンも高い」


「でも、

 数百円でしょ?」


「数百円を。


 週に何回も使えん人が

 増えたんじゃ」


「じゃあ、

 みんなどうするの?」


「スーパーのパン。


 冷凍食品。


 カップ麺。


 値引きシールの弁当。


 家で作る安いパスタ」


「外食もしなくなるの?」


「そうじゃ。


 マクドナルドですら。


 たまのごほうびになる」


ゆづきは、

少し怖くなった。


「じゃあ。


 マクドナルドの株が

 下がるのは?」


「客が来なくなるからじゃ」


「安売りしたら?」


「客は戻るかもしれん。


 でも、

 もうけが減る」


「値上げしたら?」


「客が減る」


「安くしたら、

 もうけが減る。


 高くしたら、

 客が減る」


「そうじゃ。


 逃げ道が、

 二つとも細い」


テレビでは。


AI株は上がる。


高級ブランドも売れる。


富裕層向けの旅行も伸びる。


その横で。


安いセットを探す人が増える。


アプリのクーポン。


期間限定の値引き。


ポイント。


二個買えば一個無料。


「同じ国なのに。


 景気が二つあるみたい」


祖父は頷いた。


「上の人は、

 高いものを買う。


 下の人は、

 安いものすら

 買う回数を減らす」


「それが貧富の差?」


「そうじゃ。


 そして一番怖いのは。


 昔、

 しんどい人が

 最後に逃げ込めた場所が。


 避難所では

 なくなり始めたことじゃ」


………


■第10章

 「押し目買い」が

 合言葉になった日


株が下がると。


SNSには、

同じ言葉が並んだ。


《絶好の買い場!》


《歴史的チャンス!》


《長期なら勝てる》


《弱気は損する》


《AIは終わらない》


ゆづきは言った。


「みんな、

 買えって言ってる」


祖父は、

画面を見たまま言った。


「年寄りがな。


 暑い日に水を飲まんで。


 気がついたら倒れることがある」


「なんで?」


「喉が渇いとることに。


 自分で気づかんのじゃ」


祖父は続けた。


「今の市場も似とる。


 儲かった話。


 AIはすごい。


 次も上がる。


 そう言われ続けると。


 自分の生活が

 苦しくなっとることを

 忘れる」


電気代が上がる。


家賃が上がる。


食べ物が小さくなる。


病院代が増える。


でも画面では。


《買えば助かる》


《乗り遅れるな》


ばかり流れる。


祖父は言った。


「相場の熱中症じゃ。


 儲ける話に熱中しすぎて。


 自分の命の方が

 先に弱っとることに

 気づかん」


ゆづきは聞いた。


「じゃあ、

 何を見ればいいの?」


祖父は答えた。


「自分に聞くんじゃ。


 その株を買いたいのは。


 本当に会社が好きだからか。


 それとも。


 みんなが儲かっとるのを見て。


 一人だけ置いていかれるのが

 怖いからか」


ゆづきは、

小さく言った。


「置いていかれるのが、

 怖いからかも」


祖父は頷いた。


「それなら。


 もう相場を見とるんじゃない。


 相場に、

 心を見られとる」


………


■第11章

 市場は、

 親指で燃える


昔の株の世界では。


大金持ちが買う。


新聞が書く。


個人が飛びつく。


大金持ちが売る。


そんな話が多かった。


でも今は。


スマホの中で、

株がゲームになる。


ゆづきは聞いた。


「株って。


 会社がもうかるかどうかを

 見るんじゃないの?」


「本当はそうじゃ」


祖父は言った。


「でもアメリカでな。


 赤字が続いとるゲーム屋の株が。


 SNSで話題になって。


 急に何十倍にも

 上がったことがある」


「ゲーム屋?」


「店が急によくなったわけじゃない。


 みんなが、

 同じ言葉を言い始めた」


《ヘッジファンドを倒せ!》


《みんなで買え!》


《売るな!》


《月まで行く!》


《ダイヤモンドハンド!》


「何それ?」


「絶対に売らん。


 いう合言葉じゃ」


ゆづきは笑った。


「株なのに、

 ゲームみたい」


「そうじゃ。


 でも、

 お金は本物じゃった」


株価が上がる。


動画が増える。


切り抜きが増える。


《一晩で人生逆転》


《今からでも遅くない》


《売った人は負け組》


《まだ間に合う》


「それで、

 本当に上がったの?」


「上がった。


 上がったから。


 もっと本物みたいに見えた」


祖父は言った。


「ここが怖いんじゃ」


「何が?」


「嘘を一つ作らんでもええ。


 “上がっている”

 という本当の数字だけで。


 次の人を呼べる」


「じゃあ、

 どうすればいいの?」


「その株が上がる理由を。


 “みんなが買うから”

 以外で言えるか。


 自分に聞くんじゃ」


「言えなかったら?」


「買わん」


祖父は、

スマホを伏せた。


「人生設計まで。


 コメント欄に

 決めさせるな」


………


■第12章

 本当が三割。

 嘘が二割。

 恐怖が五割。


偽動画が流れた夜。


本当のこともあった。


ホルムズ海峡は危ない。


原油は揺れている。


船の保険料は上がった。


市場も不安定だった。


だから。


嘘は強かった。


全部が嘘なら、

誰も信じない。


本当の話に。


少し大げさな言葉。


少し古い映像。


少し作られた画像。


少し都合のいい切り抜き。


それを混ぜる。


すると。


本当が三つ。


嘘が二つ。


残りの五つは。


見た人が、

自分で作る恐怖になる。


ゆづきは聞いた。


「じゃあ、

 何を信じたらええん?」


祖父は答えた。


「一つだけを、

 信じんことじゃ」


「難しい」


「難しいから、

 戦争になるんじゃ」


祖父は、

スマホを横にした。


同じ国の話なのに。


正反対の投稿が並んでいた。


《中国はもう終わり。

 若者は仕事がない》


《地下鉄は安いし。

 夜でも町は便利。

 親と住めるから家賃も助かる》


《ロシアは苦しい。

 物価も上がっている》


《地方なら。

 野菜もパンも安い。

 家族で暮らせば何とかなる》


《イランは危ない国だ》


《普通の人は。

 子どもを学校へ送り。

 市場で果物を買い。

 週末は家族と食事している》


ゆづきは聞いた。


「どっちが本当なん?」


「両方。


 本当なこともある」


祖父は言った。


「国には。


 苦しい人もおる。


 便利に暮らせる人もおる。


 政府に怒っとる人もおる。


 自分の町が好きな人もおる」


「じゃあニュースは嘘なの?」


「嘘と決めつけたらいけん。


 ただ。


 ニュースは、

 燃えている場所を映す」


「平和な場所は?」


「映りにくい」


祖父は続けた。


「逆に。


 その国の中のSNSは。


 都合のいい暮らしだけを

 見せることもある」


「じゃあ、

 どっちも全部は本当じゃない」


「そうじゃ」


祖父は言った。


「情報戦争はな。


 敵の国を、

 悪魔みたいに見せるだけじゃない。


 自分の国を。


 天国みたいに見せることでも

 起きる」


………


■第13章

 スーパーから

 卵が消えた理由


翌日。


スーパーから、

卵が消えた。


米も。


水も。


カップ麺も。


本当に足りなかったわけじゃない。


足りなくなるかもしれん。


そう思った人が。


一人二パック。


三パック。


家族の分。


親の分。


念のため。


そうやって。


みんなが少しずつ多く買った。


棚は、

半日で空になった。


ゆづきが言った。


「これ。


 誰が悪いん?」


祖父は答えた。


「誰も悪くない」


「え?」


「みんな。


 家族を守ろうとしただけじゃ」


祖父は、

空っぽの卵売り場を見た。


「でもな。


 一人の“念のため”が。


 十万人ぶん集まったら。


 国の棚は空になる」


ゆづきは、

値札を見た。


《10個 298円》


「卵って、

 昔はもっと安かったん?」


「安い時代もあった。


 でも今は。


 三百円近くしても、

 驚かんようになった」


「海外は?」


「もっと高い国もある。


 だから日本は安い。


 そう見えるかもしれん」


「違うの?」


「値札だけ見て。


 “日本はまだ大丈夫”

 と思うのが危ないんじゃ」


その週末。


祖父とゆづきは、

新しく見つけた自転車道を走った。


町を抜け。


川を越え。


北へ。


山の方へ。


道に迷った先に。


小さな無人販売所があった。


木の棚。


古い料金箱。


その横に、

卵のケースが積んであった。


《朝どれ卵 30個》


車が何台も止まっていた。


若い夫婦。


子ども連れ。


仕事帰りらしい人。


みんな、

卵を抱えて帰っていく。


「こんな所なのに、

 すごいね」


「自分の目で、

 見えるからじゃろ」


祖父は言った。


「何を食べとるか。


 いつ産まれたか。


 誰が育てたか。


 見える物は、

 安心しやすい」


ゆづきは、

三十個の卵を

自転車のかごに入れた。


帰り道。


段差で揺れて。


家に着くころには。


七個ほど割れていた。


「うわ。


 やってしもうた」


祖父は笑った。


「まあ。


 割ってみんと、

 中身は分からん」


台所で。


一つ割った。


黄身が、

ぽんと盛り上がった。


白身も、

だらっと広がらなかった。


殻のかけらも、

ほとんど入らなかった。


ゆづきは言った。


「スーパーの安い卵と。


 なんか違う」


祖父は頷いた。


「値段だけでは、

 分からんことがある」


「でも。


 安い店の卵が

 悪いわけじゃないよね」


「悪いと決めたらいけん。


 安い店には。


 安く届ける努力がある。


 大量に運ぶ。


 早く売る。


 たくさん仕入れる。


 それで助かる人も、

 ようけおる」


祖父は、

割れた卵を見た。


「ただな。


 安いから同じ。


 高いから良い。


 テレビで人気だから安心。


 みんなが買うから正解。


 そう決めるな。


 いう話じゃ」


「卵も、

 情報も同じなんだ」


「そうじゃ」


祖父は言った。


「値札だけ見せれば。


 棚の中身。


 作る人の苦しさ。


 買う人の余裕。


 見えん部分は、

 消えてしまう」


………


■第14章

 生き残る人は、

 最初の速報を信じない


祖父は、

ゆづきに五つだけ教えた。


「覚えとけ」


一つ。


怖い情報ほど、

すぐ拡散しない。


二つ。


明るい情報ほど、

誰が得するかを見る。


三つ。


株価だけで、

世界を判断しない。


四つ。


水。


食料。


現金。


電気。


家族の連絡先を確かめる。


五つ。


分からんことは。


分からんままにしておく。


「保留するのも、

 生きる技術なん?」


「そうじゃ」


祖父は頷いた。


「すぐ決める人より。


 すぐ煽られん人が

 生き残る」


「でも。


 みんなが走ってたら怖い」


「だからこそ。


 一歩止まるんじゃ」


勝って兜の緒を締めるのではない。


負けていないうちに。


スマホを握る手を、

少しだけゆるめる。


………


■第15章

 見えない火花は、

 もう暮らしの中にある


見えない物ほど。


暮らしを変える。


原油も。


金利も。


電波も。


情報も。


目に見えない。


でも。


株を動かす。


選挙を動かす。


戦争を動かす。


人の足を動かす。


スーパーの棚を空にする。


ホルムズ海峡で。


武力が火をつけた。


市場で。


お金が火をつけた。


スマホで。


情報が火をつけた。


三つの火花が重なった時。


世界は爆発する前に。


自分で自分を、

燃やし始める。


ゆづきは、

首相の偽動画を消した。


拡散しなかった。


ガソリンスタンドへ走らなかった。


水を確認した。


家族に連絡した。


公式発表を待った。


そして。


スマホを伏せた。


「おじいちゃん」


「なんじゃ」


「戦争って、

 怖いね」


「怖い」


「でも。


 今すぐ逃げんでもええん?」


祖父は、

少しだけ笑った。


「逃げる前に。


 何から逃げるんかを

 見極めるんじゃ」


外では。


救急車の音がした。


テレビでは、

株価の速報が流れた。


スマホでは。


また新しい動画が、

再生され始めた。


だがゆづきは、

画面を見なかった。


自分の手で。


窓を閉めた。


………


❥Z世代のあなたに


怖いニュースを見て。


すぐ信じない人になってほしい。


明るいニュースを見て。


すぐ安心しない人になってほしい。


株価が上がっても。


家賃。


食料。


病院。


電気。


恋愛。


雇用。


そこを見る人になってほしい。


世界は、

一つのチャートでは読めない。


情報戦争で必要なのは。


頭のいい人になることではない。


自分の頭を。


誰かに丸ごと預けないこと。


それだけで。


生き残る確率は上がる。


………


★あとがき

 探偵コンビの大混乱漫才

 「ワトソン、卵を買いに行くな!」


ホームズ

「ワトソン!」


ワトソン

「なんだいホームズ!」


ホームズ

「卵が消えた!」


ワトソン

「事件だ!


 ニワトリを探せ!」


ホームズ

「違う!


 みんなが先に、

 買いすぎたんだ!」


ワトソン

「じゃあ俺も急いで、

 三十パック買ってくる!」


ホームズ

「お前が犯人じゃ!」


ワトソン

「でもSNSで。


 “卵は国家の血液”

 って!」


ホームズ

「誰が言った!」


ワトソン

「フォロワー三人の。


 “真実のたまご研究所”!」


ホームズ

「研究所が小さすぎる!」


ワトソン

「じゃあ。


 山の無人販売機へ行く!」


ホームズ

「なんで山へ行く!」


ワトソン

「朝どれ卵が三十個!


 しかも。


 みんな車で買いに来てる!」


ホームズ

「それは本物かもしれん!」


ワトソン

「自転車のかごに入れて。


 北へ北へ。


 山へ山へ!」


ホームズ

「帰り道で割るぞ!」


ワトソン

「もう七個割った!」


ホームズ

「予言どおりじゃ!」


ワトソン

「でも割ったら。


 黄身が、

 ぽんと立った!」


ホームズ

「だから?」


ワトソン

「殻のかけらも少ない!


 これは国家機密級の卵だ!」


ホームズ

「卵を国家機密にするな!」


ワトソン

「じゃあ株を買う!」


ホームズ

「なんの株を!」


ワトソン

「AI!


 原油!


 卵!


 あと“絶対上がる”って

 書いてある株!」


ホームズ

「一番危ない説明書を

 読んどる!」


ワトソン

「でもみんな。


 “押し目買い”

 って言ってる!」


ホームズ

「押し目買いは!


 落ちる途中でも

 言えるんじゃ!」


ワトソン

「じゃあどうする!」


ホームズ

「水を確認する!


 家族に連絡する!


 公式発表を見る!


 そして――」


ワトソン

「そして?」


ホームズ

「卵は一パックだけ買う!」


ワトソン

「小さい正義!」


ホームズ

「パニックの時は。


 小さい正義が国を守る!」


ワトソン

「じゃあ首相の動画は?」


ホームズ

「まず疑う!」


ワトソン

「株価は?」


ホームズ

「まず生活を見る!」


ワトソン

「戦争は?」


ホームズ

「まず。


 スマホを伏せる!」


ワトソン

「ホームズ!」


ホームズ

「なんだ!」


ワトソン

「俺。


 スマホを伏せたら。


 画面が見えなくなった!」


ホームズ

「それでええんじゃ!」


――おしまい(笑)

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