炊飯器で生きる孫と、スカイラインで恋をした祖父(笑)』 ――車を買えない若者を、車会社は誰のために救うのか――
✦『炊飯器で生きる孫と、
スカイラインで恋をした祖父(笑)』
――車を買えない若者を、
車会社は誰のために救うのか――
………
「おじいちゃん。
スカイラインって何?」
その一言で、
六十七歳の元証券マンは、
昼寝から半分だけ目を覚ました。
そして、こう言った。
「昔の若者が、
彼女を助手席に乗せるために、
給料と見栄と恋心を
全部つぎ込んだ車じゃ」
ゆづきは首をかしげた。
「それ、今でいうと
推しのライブ遠征に
全財産を突っ込む感じ?」
「だいたい合っとる(笑)」
………
★目次★
■第一章
炊飯器が
青春のスポンサーになった
■第二章
車を持たないのではない。
持てないのだ
■第三章
スカイラインは、
恋愛アプリの前身だった
■第四章
最低賃金1121円の世界
■第五章
ノートは走る。
でも会社はふらつく
■第六章
60万595台の「ソフトのため息」
■第七章
赤字だから夢を切るのか
■第八章
ホンダも
4143億円の赤字になった
■第九章
日産とホンダを足しても、
恋は生まれない
■第十章
中国EVは安い。
でも誰が最後まで生き残るのか
■第十一章
テスラは空を見て、
日産は地面を走っている
■第十二章
デトロイトは、
車の街ではなく票の街
■第十三章
日本の金で、
アメリカの工場を救う日
■第十四章
スカイラインを知らない
孫の質問
■第十五章
車を買えない世代へ、
車会社は何を売るのか
………
■第一章
炊飯器が
青春のスポンサーになった
五年後。
ではない。
まだ、二〇二六年の夏だった。
高校一年生のゆづきは、
学校から帰ると、
炊飯器のふたを開けた。
中には米。
冷凍ブロッコリー。
にんじん。
鮭の切り身。
そして、
カレー粉が少し。
「またそれか」
僕は言った。
「包丁は?」
「使わない」
「フライパンは?」
「使わない」
「ガスは?」
「使わない」
「料理したんか?」
「したよ。
炊飯器がね…」
ゆづきは言った。
「おじいちゃんたちは、
料理って言うと、
包丁と火と洗い物を
増やしてたんでしょ?」
「そうじゃな」
「私たちは、
生きるために
工程を減らしてるの」
炊飯器の湯気が上がった。
米と野菜と魚の匂いが、
静かな台所に広がった。
ゆづきは言った。
「人生も一緒。
洗い物が多い生活は、
続かないの」
僕は少し黙った。
証券会社にいた頃、
僕らは
数字を増やす話ばかりしていた。
売上を増やす。
口座を増やす。
契約を増やす。
でも今の若者は、
洗い物を減らしていた。
………
■第二章
車を持たないのではない。
持てないのだ
「ゆづきは、
車に乗りたいと思わんのか?」
僕が聞くと、
ゆづきは笑った。
「乗りたいよ」
「じゃあ、
買えばええが…」
「おじいちゃん。
車って買ったら、
毎月お金を食べるペットじゃん」
「ペット?」
「車両代。
駐車場。
保険。
ガソリン。
税金。
車検。
修理。
しかも
散歩に連れて行かなくても、
勝手にお金を食べる」
僕は反論できなかった。
「今はカーシェアでいい。
必要な時だけ借りる。
普段は自転車。
遠くは電車。
夜だけ配車アプリ」
「夢がないのう」
「違うよ」
ゆづきは、
炊飯器のご飯をよそいながら
言った。
「車を買わないんじゃない。
生活が壊れないように、
車を持たないの」
その言葉が、
少しだけ胸に刺さった。
………
■第三章
スカイラインは、
恋愛アプリの前身だった
僕の机の引き出しには、
古い雑誌の切り抜きがあった。
スカイライン。
GT-R。
ブルーバード。
若い頃の僕は、
ブルーバードしか乗ったことがない。
それでも、
スカイラインには憧れた。
「これ何?」
ゆづきが切り抜きを持った。
「スカイラインじゃ…」
「知らない」
「昔の若者の夢じゃ」
「車が夢?」
「彼女を助手席に乗せて、
海へ行く。
少しだけ遠くへ行く。
親の家から出て、
自分の人生を始める。
そのための車じゃ」
ゆづきは、
しばらく写真を見ていた。
「昔の恋愛って、
車がないと始まらなかったの?」
「まあ、
少しはな(笑)」
「じゃあスカイラインって、
昔のマッチングアプリみたいなもの?」
「違うわ!」
「でも会いに行くための
道具なんでしょ?」
僕は笑った。
「まあ、そうじゃな…(哀)」
………
■第四章
最低賃金1121円の世界
テレビでは、
最低賃金のニュースをやっていた。
全国加重平均で、
時給一一二一円。
八時間働いて、
八千九百六十八円。
二十日働いても、
額面で十七万九千三百六十円。
そこから、
家賃。
通信費。
光熱費。
食費。
保険。
服。
推し活。
「おじいちゃん」
ゆづきが言った。
「これで車を持てって言われても、
無理じゃない?」
僕は答えられなかった。
「大人は、若い人が
車に興味なくなったって言う…」
「違う」
ゆづきは即答した。
「車が嫌いなんじゃない。
車まで行く前に、
家賃と電気代とスマホ代に
捕まってるの」
炊飯器の保温ランプが、
赤く光っていた。
それは、
僕には小さな非常灯に見えた。
………
■第五章
ノートは走る。
でも会社はふらつく
数日後、僕は
昔世話になった眼鏡屋さんで、
日産ノートに乗せてもらった。
静かだった。
出だしが軽かった。
アクセルを踏むと、
モーターでスッと前へ出た。
「ええ車じゃな」
僕は言った。
お店の人も笑った。
「ノートは
評判ええですよ…」
家へ帰って、
ゆづきに言った。
「日産は、
まだええ車を作っとる」
ゆづきはスマホを見ながら答えた。
「でも会社は?」
「うむ」
日産の二〇二五年度の営業利益は、
五百八十億円。
売上高営業利益率は、
たった〇・五%。
売上高は十二兆円近いのに、
ほとんど利益が残らない。
ゆづきが言った。
「巨大な会社なのに、
コンビニの薄利みたい」
「おもろいこと言うなぁ(笑)」
でも、
なぜか笑えなかった。
………
■第六章
60万595台の「ソフトのため息」
二〇二六年六月。
日産は、
ノート、ノートオーラ、エクストレイル、
計60万595台をリコールした。
バッテリーを制御する装置が、
正常なのに異常と判断する。
最悪の場合、
モーター出力が止まるおそれ。
不具合は452件。
物損事故は1件。
「車が壊れたんじゃない」
僕は言った。
「車が、考えすぎたんじゃ」
ゆづきが笑った。
「人間みたい」
「人間?」
「元気なのに、
自分はもう無理って判断して、
急に止まる人いるじゃん」
「わしのこと…?」
「ちょっと(笑)」
今の車は、
鉄とガソリンだけでは走らない。
ソフト。
電池。
センサー。
通信。
データ。
車は、
走るスマホになった。
そしてスマホと同じように、
一行のプログラムで止まる。
………
■第七章
赤字だから夢を切るのか
ニュースでは、
日産が車種を減らし、
工場を減らし、
人も減らすと報じていた。
合理的だ。
赤字なら、
固定費を減らす。
証券会社で三十八年いた僕にも、
それは分かる。
でも、
スカイラインやGT-Rのような車まで、
数字だけで切ってしまったらどうなる。
ゆづきが言った。
「昔の車を残しても、
私たちは買えないよ」
「そうじゃ」
「じゃあ、残す意味ある?」
僕は少し考えた。
「たとえばな。
今はお金がなくて
買えなくても、
街で見かけた時に
“あ、これかっこいい”
“いつか乗れたらいいな”
って思える車があるじゃろ」
「うん」
「その気持ちがあると、
就職して、
少し給料が増えて、
子どもができて、
生活が落ち着いた時に、
“次はあの会社の車にしよう”
って思えるんじゃ」
ゆづきは言った。
「じゃあ、
今すぐ買えない人にも
“好き”を残しておくってこと?」
「そうじゃ。
赤字だからって、
かっこいい車を全部なくしたら、
若い人は日産を
ただのカーシェアの車としてしか
見なくなる」
「推しがいない
アイドルグループみたい」
「それじゃ(笑)」
「便利だけど、
わざわざ選ばれなくなるね」
僕はうなずいた。
「車は移動の道具じゃ。
でも、
好きになる理由までなくしたら、
会社は長く続かんのじゃ」
ゆづきは、
少しだけ真面目な顔になった。
「それって、
推しと一緒かも」
「推し?」
「今すぐ全部買えなくても、
好きだから応援する。
好きだから、
いつか余裕ができたら買う。
会社も、
推されないと終わるんじゃない?」
………
■第八章
ホンダも4143億円の赤字になった
ホンダも、
二〇二六年三月期に、
四千二百三十九億円の
最終赤字になった。
EV戦略の見直しで、
大きな損失を出した。
「EVって、
やっぱりダメなの?」
ゆづきが聞いた。
「違う」
僕は言った。
「EVだけに賭けたら、
景気や補助金や電池価格が
変わった時に、
逃げ道がなくなる」
「炊飯器に米だけ入れる感じ?」
「いや、
それはただの白飯じゃ(笑)」
「鮭も野菜もいるってこと?」
「そうじゃ。
ガソリンも、
ハイブリッドも、
EVも、
ソフトも、
全部いる」
未来は、
一種類の乗り物では来ない。
炊飯器の中のように、
いろんなものが混ざって、
やっと食べられる未来になる。
………
■第九章
日産とホンダを足しても、
恋は生まれない
「ホンダと日産が
くっつけばいいのに…」
ゆづきが言った。
「昔、話はあった」
「じゃあ何でやめたの?」
「結婚は、赤字を消す
魔法じゃないからじゃのぅ…」
「急に恋愛の話にした」
「会社も同じじゃ。
二人とも借金があるから
結婚したら、
借金が愛に変わる
わけじゃないあるまい…」
「それはそう(笑)」
日産とホンダを合わせても、
工場の多さ。
EV投資。
ソフト開発。
人員。
世界販売。
全部が急に解決するわけではない。
「じゃあどうするの?」
「全部を一緒にせん」
僕は言った。
「電池だけ。
ソフトだけ。
自動運転だけ。
工場だけ。
使えるところだけ、
一緒に使う」
「企業のシェアハウス?」
「そうじゃな(笑)」
………
■第十章
中国EVは安い。
でも誰が最後まで生き残るのか
中国では、
EVが安い。
安すぎる。
補助金。
地方政府の支援。
値下げ。
値下げ。
また値下げ。
「安いならいいじゃん」
ゆづきが言った。
「安すぎるのは怖い」
「なぜ?」
「作る会社が、
血を流してるかもしれんからじゃ」
中国政府まで、
値下げ競争をやめろと
言い始めた。
売れば売るほど苦しい。
補助金が減れば、
急に売れない。
小さなメーカーは、
消えるかもしれない。
「炊飯器で言うと?」
「米を百円で売って、
釜を二百円で
買ってるようなもんじゃ…」
「それは続かないね」
「続かん」
中国EVの未来は、
ゴミ山になるのか。
電池を回収して、
新しい資源になるのか。
そこはまだ、
決まっていない。
………
■第十一章
テスラは空を見て、
日産は地面を走っている
僕は昼間、
ソファでうとうとした。
夢を見た。
空には、
SpaceXのロケット。
地上には、
Teslaのロボタクシー。
工場の中では、
人型ロボットが働いていた。
そして、
工場の看板にはこう書かれていた。
《TESLA × NISSAN
AMERICAN JOBS FACTORY》
「おじいちゃん」
夢の中にも、
ゆづきがいた。
「また
勝手に世界再編してる…」
「テスラはな。
空とAIとロボットを
全部つなげようとしとる」
「日産は?」
「地面を走る」
「地味」
「地味じゃない」
僕は言った。
「車を売る。
直す。
部品を届ける。
事故に対応する。
田舎の販売店まで、
人の生活をつなぐ。
それは空を飛ぶより、
難しい時もある」
………
■第十二章
デトロイトは、
車の街ではなく票の街
夢の中で、
トラン●大統領が演説していた。
後ろには、
巨大な工場。
前には、
働く人たち。
「日本に金を出させた!」
大統領は叫んだ。
「アメリカの工場を守った!」
米国の自動車産業は、
完成車だけではない。
部品。
販売店。
整備。
物流。
保険。
金融。
全部を含めれば、
約一千万人規模の雇用を支える。
民間雇用の約五%。
「おじいちゃん」
ゆづきが言った。
「デトロイトって、
車の町じゃないんだね」
「そうじゃ」
「票の町?」
「中産階級の町じゃ」
T型フォード。
高い賃金。
家。
車。
家族。
労組。
工場。
アメリカ人が、
まじめに働けば暮らせると信じた夢。
それが、
デトロイトにあった。
………
■第十三章
日本の金で、
アメリカの工場を救う日
USスチールでは、
日本製鉄が巨額投資を約束した。
米国は黄金株を持ち、
雇用や工場を守る力を残した。
財布は日本。
ハンドルはアメリカ。
「日産も、
そうなるかもしれん…」
僕が言うと、
ゆづきは黙った。
「日本の銀行や企業が金を出して、
アメリカの工場を守る。
テスラや電池会社や
AI会社が入る。
トランプ大統領は、
雇用を守ったと言う」
「それって日産を救うの?」
「日産を使って、
アメリカを救うのかもしれん」
「日本は?」
「そこを考えないといけん」
赤字だから売る。
工場だから使う。
雇用だから守る。
国は、
いつも違う計算をしている。
………
■第十四章
スカイラインを知らない
孫の質問
夢から目が覚めた。
ゆづきが、
僕の前に立っていた。
「おじいちゃん」
「なんじゃ」
「スカイラインって、
昔の若者が恋するための
車だったんでしょ?」
「そうじゃ」
「じゃあ今の若者は、
何のために車に乗るの?」
僕はすぐに答えられなかった。
推しのライブ。
地方の就職。
親の介護。
夜勤。
友達と遠くへ行く日。
海。
山。
子ども。
でも、
全部を抱える車は高い。
若者は、
車を嫌っているのではない。
生活を壊したくないだけだ。
「車会社はな…」
僕は言った。
「車を買えない若者に、
昔と同じ夢を売ってもダメじゃ」
「じゃあ何を売るの?」
「移動する自由じゃ」
………
■第十五章
車を買えない世代へ、
車会社は何を売るのか
日産が売るべきなのは、
高い車だけではない。
カーシェア。
月額の小さな移動サービス。
推しのライブへ行ける夜間便。
地方で働く人の送迎。
親の通院。
電動自転車。
軽いEV。
電池の再利用。
古いGT-Rの部品。
若者が、
所有しなくても参加できる車の世界。
「スカイラインは、
残すべきか?」
ゆづきが聞いた。
「残すべきじゃ…」
「でも私は買えない」
「買わなくてもええ」
「え?」
「憧れは、
買える人だけのものじゃない」
僕は、
古いスカイラインの写真を見た。
「いつか余裕ができた時、
あの会社の車に乗りたい。
そう思えるものを、
残しておくんじゃ」
ゆづきは、
少し笑った。
「じゃあ私は、
スカイラインじゃなくて、
炊飯器で生き延びる…」
「それでええ」
「推しのライブに
行けるように…」
「それもええ」
「でもね」
ゆづきは言った。
「いつか私が車を買う時は、
おじいちゃんみたいに
誰かを助手席に
乗せたくなる車がいい(笑)」
僕は、
少しだけ泣きそうになった。
スカイラインは、
もう昔の車かもしれない。
でも。
人をどこかへ
連れて行きたい気持ちは、
まだ廃車になっていなかった。
………
❥Z世代のあなたへ
車を持てない自分を、
情けないと思わなくていい。
炊飯器で食べる。
カーシェアを使う。
コインランドリーで毛布を洗う。
サブスクを選ぶ。
推し活のために、
毎月少しずつ残す。
それは、
夢をあきらめた生活じゃない。
固定費に食べられないように、
自分の人生を守っている生活だ。
昔の人は、
スカイラインで遠くへ行った。
今のあなたは、
炊飯器とスマホと共有サービスで、
未来へ行こうとしている。
方法は違う。
でも。
誰かに会いに行きたい。
遠くへ行きたい。
自分の人生を始めたい。
その気持ちは、
昔も今も変わらない。
………
★あとがき
ホームズとワトソン、
そして元証券マンの漫才★
ホームズ
「ワトソン君。
日産を救う方法が分かった」
ワトソン
「また急に
世界を救い始めましたね」
ホームズ
「炊飯器を標準装備するんだ」
ワトソン
「車に?」
ホームズ
「ノート炊飯器e-POWERじゃ」
ワトソン
「走る前に米を炊くんですか」
ホームズ
「渋滞中に鮭ごはんができる。
若者は買う」
ワトソン
「車内が魚の匂いになります」
ホームズ
「それで
推しのライブへ行く…」
ワトソン
「推しが逃げます」
✲ 僕
「わしは
ブルーバードしか乗っとらん!」
ホームズ
「ではブルーバード炊飯器」
ワトソン
「鳥まで
炊かないでくださいよ」
✲ 僕
「わしは
鶏肉は嫌いじゃ!
なら、
スカイラインはどうする?」
ホームズ
「助手席に彼女を乗せる」
ワトソン
「今の若者は?」
ホームズ
「カーシェアで
推しを乗せる…」
ワトソン
「推し本人は乗りません」
✲ 僕
「結局、
車会社は何を売るんじゃ?」
ホームズ
「夢です」
ワトソン
「では、赤字です」
ホームズ
「夢にも原価があるのか」
✲ 僕
「あるんじゃよ…(笑)」
三人は笑った。
でも。
炊飯器の湯気の向こうで、
スカイラインはまだ、
静かに走っていた。
………
★追記…
狼の遠吠えは、
まだ帰る場所を探している★
二〇二六年五月十三日。
日産は決算を発表した。
売上高、
十二兆七十九億円。
営業利益、
五百八十億円。
営業利益率、
〇・五%。
そして。
最終赤字は、
五千三百三十一億円。
テレビの数字を見て、
ゆづきが言った。
「おじいちゃん。
日産、
かなり苦しいんだね…」
僕はうなずいた。
「苦しい」
少し間を置いてから、
僕は言った。
「でもな。
苦しい会社と、
終わった会社は違う…」
ゆづきは、
炊飯器のふたを開けた。
湯気が上がった。
鮭。
米。
にんじん。
冷凍ブロッコリー。
いろんなものが、
一つの匂いになっていた。
「日産も、
今はそんな感じかもしれん」
「炊き込みご飯?」
「そうじゃ(笑)」
「車。
電池。
ソフト。
工場。
販売店。
整備士。
昔のスカイライン。
今のノート。
未来のEV。
全部が少しずつ、
うまく混ざらんといけん…」
テレビでは、
来期の見通しが映っていた。
売上高、
十三兆円。
営業利益、
二千億円。
最終利益、
二百億円。
販売台数、
三百三十万台。
「来年は、
黒字に戻すって言ってる」
ゆづきが言った。
「うん」
「信じていいの?」
僕は、
古いブルーバードの写真を見た。
僕が乗っていた車。
スカイラインほどではない。
GT-Rほどでもない。
でも。
雨の日も。
仕事の日も。
家族を乗せた日も。
あの車は、
黙って走ってくれた。
「わしはな、
若い頃…」
僕は言った。
「ブルーバードしか
乗っとらん…」
「知ってる(笑)」
「それでも。
日産が苦しいと聞くと、
少し心配になるんじゃ」
「最近は、
お世話になった眼鏡屋さんで
3年ばかりノートに乗った
思い出もあるあるし…
日産への
思い入れは深いんじゃ」
「ふぅ〜ん?」
「若い頃の車は、
ただの乗り物じゃなかった…」
「何だったの?」
「生活を運ぶ箱じゃ」
仕事へ行く。
恋人に会う。
子どもを病院へ連れて行く。
親を迎えに行く。
夜の道を帰る。
人生のいろんな場面に、
車は静かにおった。
だから。
日産が苦しいという話は、
一社の決算だけでは終わらん。
工場の人。
部品屋さん。
販売店の人。
整備士。
車を待っている家族。
みんなの話になる。
………
六月。
株主総会のニュースが流れた。
そこでは、
こんな声も出たという。
「ゴーンさんを、
もう一回呼べんのか?」
ゆづきが聞いた。
「ゴーンさんって、
昔の日産の社長?」
「そうじゃ」
「悪いことした人じゃないの?」
僕は少し考えた。
「裁判で争っていることもある。
本人は、
悪いことはしていないと
言っている。
だから、
簡単に白か黒かは言えん…」
「じゃあ、なんで
戻せって言う人がいるの?」
僕は答えた。
「ゴーンさんが
恋しいんじゃなくて、
あの頃の日産の、
決断の速さが恋しいんじゃろ」
「決断の速さ?」
「工場をどうする。
車種をどうする。
世界で何を売る。
苦しい時に、
誰が前へ進むと言うのか?」
ゆづきは、
少し黙った。
「今の日産って。
みんな心配で、
誰かにハンドル握ってほしい感じ?」
「そうかもしれん」
株主たちは、
ゴーンさんの名前を借りて。
本当は、
こう言っていたのかもしれない。
> 日産よ。
> もう一度、
> 何を捨てて、
> 何を守る会社なのか
> はっきり言ってくれ!
………
「おじいちゃん」
ゆづきが言った。
「じゃあ日産は、
国に助けてもらうの?」
僕は少し笑った。
「国も、
助けたいと思うかもしれん」
USスチール。
Intel。
東芝から生まれたキオクシア。
大きな工場や、
半導体や、
鉄や、
電池や、
車は。
赤字だけでは、
切れない時がある。
そこには、
雇用がある。
町がある。
技術がある。
次の世代がある。
「でも」
僕は言った。
「国に助けてもらうだけでは、
足りん」
「何がいるの?」
「また乗りたいと思われることじゃ」
ゆづきは、
少し考えた。
「私たちは、
すぐ車は買えないよ…」
「分かっとる」
「カーシェアかもしれない。
電動自転車かもしれない。
ライブへ行く夜だけ、
車を借りるかもしれない」
「それでええ…」
「でも。
便利で。
かっこよくて。
友達を乗せたくて。
ちょっと遠くへ行きたくなる車なら。
いつか欲しくなるかもしれない」
僕は、
少しだけうれしくなった。
「それじゃ」
「うん」
「日産にも、
まだ仕事がある」
部屋の外は、
もう暗かった。
テレビの中で、
社長は言った。
「必ず、
収益を回復させます!」
その声は。
前より少しだけ、
狼の遠吠えには聞こえなかった。
暗い山で迷った狼が、
仲間に向かって、
「わしはここにおる…」
と知らせている声に聞こえた。
日産…
ブルーバードを走らせた人間は、
まだ心配している。
スカイラインに憧れた人間も、
まだ見ている。
ノートに乗ったおじいちゃんも、
まだ頑張っている。
株主は、
ゴーンさんを呼び戻したいのではない。
たぶん。
株主が聞きたいのは、
ゴーンさんの名前じゃない。
「日産は、
誰の毎日を
前へ運ぶ会社なの?」
その答えじゃ。
だから。
数字だけで、
自分を小さくするな。
工場を守るためだけでなく。
誰かが、
少し遠くへ行きたくなるために。
日産よ。
まだ、
もう一度走ってくれ。




