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バタフライ・チェックメイト ――「本土も」の二文字で、世界の心拍数が上がった日―― 

✦バタフライ・チェックメイト


――「本土も」の二文字で、

  世界の心拍数が上がった日―― 


………


戦争でいちばん先に壊れるんは、

ビルじゃねえ。

“明日も会社へ行ける”いう

思い込みの方なんじゃ。


………


★目次


■第一章 海の底の神経

■第二章 在庫はある、

     けど目の前にはない

■第三章 18社の朝

■第四章 ポーカーを叫ぶ国、

     チェスを打つ国

■第五章 「本土も」

■第六章 株価より先に

     心が崩れる

■第七章 数字は静かに、

     噂はうるさく広がる

■第八章 チェックメイトは

     爆発音の前に来る


★あとがき 

蝶の羽音は、通知音に似とる


………


■第一章 海の底の神経


世界は石油で回っとる。


みんな、そう思うとる。

そりゃ半分は当たりじゃ。

けど、半分は外れなんよ。


ほんまはな、

世界は海の底の線でも

回っとるんじゃ。


紅海。

バブ・エル・マンデブ。


地図で見たら、

ただの細い海峡じゃ。


けどそこには、

欧州とアジアをつなぐ

海底ケーブルが

束になって通っとる。


通信の9割超が、

このへんを通るとも

言われとる。


たった一本切れただけでも

嫌な話なのに、

前に切れた時には、

世界の通信の25%前後が

影響を受けたとも言われた。


25%いうたら、4分の1じゃ。


世界の4分の1が、

少し遅れる。

少しつながりにくうなる。

少し決済が重たくなる。

少しクラウドが遠うなる。

その「少し」が怖いんじゃ。


戦争いうたら、

みんなミサイルの映像を

思い浮かべる。


炎。

煙。

サイレン。

泣き声。


けど今の戦争は、

そねえ分かりやすう始まらん。

まず来るんは通知じゃ。


接続遅延。

経路変更。

保険料見直し。

出港延期。

荷役停止。

到着未定。


昔の戦争は、

号外で始まった。


今の戦争は、

スマホの画面の上で

始まるんじゃ。


■第二章 在庫はある、

     けど目の前にはない


政府は言う。


「在庫はある」

「慌てて買いだめせんでええ」

「供給は確保されとる」 


企業も言う。


「市場は安定しとる」

「一時的な遅れです」

「心配はいりません」


けど、現場は違う。


フランスでは、

ガソリンスタンドの1割弱が

欠品や部分的不足を起こしとる、

いう報道が出た。


1割いうたら

少ないように聞こえる。


けど、人間は統計で慌てん。

目の前の空タンクで慌てるんじゃ。


オーストラリアは、

燃料の8割超を輸入に頼っとる。


それで政府は、企業向けに

最大10億豪ドル規模の

支援まで出し始めた。


10億豪ドル。


日本円にしたら、

とんでもない額じゃ。


ほんまに落ち着いとるなら、

そんな金、

急いで出さんでもええはずじゃろ。

けど出す。


つまり、

口では「大丈夫」と言いながら、

腹の中では

「大丈夫じゃないかもしれん」

と分かっとる。


ここが、人間の心を一番ゆらす。


言葉と行動がズレる時、

噂は一気に強うなる。


南アフリカでは、

農家のほぼ半分が

軽油確保に苦労したという

話も出とる。


半分じゃ。

2人に1人じゃ。


しかも悪いんは、本当に

軽油が足りんことだけやない。


誤情報と買いだめが、

ほんまの不足を

前倒しで作ってしまう。


噂いうんは、

火事が起きてから

燃え広がるんやない。


火が出る前に、世界中へ

乾いた木を配って歩く

ようなもんなんじゃ。


スーパーの棚が 

一段だけ空いとる。

スタンドに車が

十台だけ並んどる。

配達員が

「今日は分からんです」

と言う。


それだけで、人間は

未来を勝手に悪う想像する。


全国で足りとるかどうかなんて、

もう関係ない。

自分の前にない。


その瞬間、

事実は噂に負けるんじゃ。


■第三章 18社の朝


ある朝、

18社の名前が並んだ。


数字としては、たった18じゃ。

けど、これは会社の数やない。


18個の爆弾みたいな名前じゃった。


Apple。

Google。

Microsoft。

Meta。

IBM。

Cisco。

Oracle。

Intel。

Nvidia。

HP。

Tesla。

JPMorgan。

Goldman Sachs。

Palantir。

Boeing。

Dell。


ほかにも、

世界の通信、金融、AI、物流、

軍事、広告をつなぐ

神経みたいな会社が並んどった。


報道で出とる内容は、

中東の拠点や

関連施設を念頭に、

従業員や周辺住民に

職場や半径1キロ圏から離れろ

という趣旨の警告じゃ。


1キロ。

たった1キロ。


けど1キロいうんは、

地図の上では小さい円でも、


その中にはオフィスも、

カフェも、

コンビニも、

警備会社も、

取引先も、

通勤路も、

社員寮も、

バス停も、

子どもの迎えの導線まで入っとる。


18社というんは、

18個の建物を狙う話やない。


18本の神経を

同時に触る話なんじゃ。


社員。

家族。

株主。

保険会社。

周辺住民。

配送業者。

警備員。

ビル管理会社。

清掃スタッフ。

食堂の人。

タクシー運転手。

通勤電車の乗客。


名前を出すだけで、

世界は一斉に想像を始める。


「ほんまにやるんか?」

「関連会社だけか?」

「本社は大丈夫なんか?」

「会社へ行ってええんか?」


まだ何も起きとらん。


けど、

何も起きていないのに

想像が始まること、

それが一番恐ろしいんじゃ。


■第四章 ポーカーを叫ぶ国、

     チェスを打つ国


一方の国は、

ポーカーをしとるように見えた。


強い言葉を机に叩きつける。

撤退する。

いや、まだ撤退せん。

数週間で終わる。

いや、条件つきじゃ。

停戦を求めてきた。

いや、そんな話はない。

NATOも見直す。

いや、同盟は大事じゃ。

言葉は派手じゃ。

札も大きい。

見栄えもする。


けど、派手な札は、

次の札で打ち消される。


昨日の発言を今日の発言が食う。

今日の発言を明日の発言が食う。

そうなると人間は、

中身より回数で判断し始める。


「あ、また言うとる」

「どうせ明日変わるんじゃろ」

「ほんまなんか?」


もう一方は、

チェスを打っとるように見えた。


派手さはない。

声も大きゅうない。

けど、一手ずつ盤面を狭うしていく。


一手目で、退避を促す。

二手目で、社員の足を止める。

三手目で、保険料を上げる。

四手目で、物流会社を迷わせる。

五手目で、株主の心拍数を上げる。

六手目で、近隣住民の平常心を崩す。


チェスの怖さは、

王を取ることやない。


まだ王が立っとるのに、

もう逃げ道がないと

気づかせることなんじゃ。


ポーカーは、

札で脅す。


チェスは、

盤面そのものを変える。


■第五章 「本土も」


そして、その日。

誰が最初に言うたんか

分からん一言が、

海底ケーブルより速う広がった。


「本土も」


それだけで、十分じゃった。

たった三文字。

けど、その三文字が、


シリコンバレーの

机の上へ落ちた。

ニューヨークの

高層ビルへ落ちた。

テキサスの

会議室へ落ちた。

シアトルの

サーバールームへ落ちた。

金融街の

ターミナルの

光る画面の上へ落ちた。


ほんまに来るんか。

来んのか。


そんなことは、

もう二の次じゃった。


来るかもしれん。


その一言で十分なんじゃ。


机が、

机に見えんようになる。

窓が、

景色に見えんようになる。

受付が、

受付に見えんようになる。

本社が、

本社やのうて、

標的候補に見えてくる。


現代のバタフライエフェクトは、

蝶が羽ばたいて

竜巻を起こす話やない。


通知が一つ鳴って、

遠く離れた本社の出勤率が

下がることなんじゃ。


そして、まだ

本当の攻撃は来とらんのに、

人間の中では

もう攻撃が始まっとる。


■第六章 株価より先に

     心が崩れる


JPMorganの社員は、

寄り付きの数字より先に、

ビルの上空を

見るようになった。


Goldman Sachsの社員は、

会議資料より先に、

避難経路を

確認するようになった。


Googleの社員は、

サーバーの冗長化より先に、

自分の心の冗長化が

足りとらんことに気づいた。


Metaの社員は、

広告のCTRより先に、

警備会社の

契約更新を心配した。


Appleの社員は、

朝、家を出る前に考える。


今日は行くべきか。

在宅にするべきか。

家族になんて言うか。

笑い話で済ませるべきか。

本気で怖がるべきか。


まだ何も起きとらん。

そこが一番不気味なんじゃ。


金融市場は数字の世界じゃ。

そう言われる。


けど、人間は数字より先に、

心拍数で動く。


1日で株価が3%下がることより、

朝の通勤電車で

「今日は休んだら?」

と家族に言われる方が効く。


1週間で時価総額が

数兆円動くことより、

会社の玄関を前にして

足が止まる方が効く。


1カ月いう時間は

短いようで長い。

1週間なら我慢できる。

3日なら冗談で済ませられる。

けど1カ月は、

人間の心をじわじわ削る。


もし

「1カ月以内」と言われたら、

その1カ月で社員の頭の中には、

攻撃より先に不安が常駐する。


その状態こそが、

すでに攻撃なんじゃ。


■第七章 数字は静かに、

     噂はうるさく広がる


ここで一番おもろいんは、

数字の広がり方と、

噂の広がり方が

全然違うことじゃ。


数字は静かに広がる。 


通信の9割超。

影響25%。

燃料輸入8割超。

支援10億豪ドル。

農家の半分。

対象18社。

半径1キロ。 


どれも冷たい数字じゃ。

感情がない。

騒がん。

静かじゃ。 


けど、噂はうるさい。


「本社もやるらしい」

「本土も危ないらしい」

「もう出社したら

 いけんらしい」

「空港も閉まるらしい」

「データセンター

 止まるらしい」

「送金できんように

 なるらしい」


噂には単位がない。

分母もない。

出典もあいまい。


けど、人の心へ届く速度は、

たいてい数字より速い。


海底ケーブルが一本切れたら、

通信の遅延が出る。


燃料船が一日遅れたら、

在庫が目減りする。


保険料が一段上がったら、

物流会社がためらう。


その全部は、

まだ「少し」なんじゃ。


けど「少し」が

何層も重なったら、

最後には文明全体が

なんとなく不安定になる。


この「なんとなく」が、

一番危ない。


人間は、

明確な停止には備える。


けど、なんとなく

揺れとる状態には弱い。


■第八章 チェックメイトは

     爆発音の前に来る


ホルムズ海峡は、

世界の首筋みたいなもんじゃ。


そこを通るのは、

原油だけやない。


燃料が動けば物流が動く。

物流が動けば食品が動く。

食品が動けば都市が回る。

燃料が細れば、

肥料が遅れる。

薬の包装材が遅れる。

冷凍倉庫の電気代が重たくなる。

トラックの運賃が上がる。

航空便が高くなる。

送金コストも、保険も、在庫も、

全部じわじわ重うなる。


先に悲鳴を上げるんは、

たいてい大国やない。


小さな島国。

買い負けする国。

輸入依存の国。

停電が長引く国。

軽油が取れん農家。

薬の届く順番が遅い町。


そこから始まったひびが、

最後には

アメリカ本土の会議室へ届く。


誰も命令しとらんのに、

欠勤者が増える。

誰も爆破しとらんのに、

警備が重たくなる。

誰も市場閉鎖しとらんのに、

株主がざわつく。

誰も「逃げろ」と

言い切っとらんのに、

家族が止める。


これが

チェックメイトなんじゃ。


王が倒れることやない。

王の周りの駒が、

自分から持ち場を

離れ始めることなんじゃ。


その日、

まだビルは立っとった。

まだ空は青かった。

まだスマホはつながっとった。

まだ市場も開いとった。

まだ冷房も効いとった。


けど、盤面の上では、

もう決まりかけとった。


爆発音がしてから負けるんやない。

爆発音がまだせんのに、

もうみんなが負けを感じ始めた時、

そこで勝負はついとる。


★あとがき 蝶の羽音は、

      通知音に似とる


この話で一番書きたかったんは、

どっちが正しいとか、

どっちが悪いとか、

そこだけやない。


ほんまに怖いんは、

噂が不足を先に作り、

言葉の信用が世界の中で

ひっくり返ることなんじゃ。


海底ケーブル。

燃料輸入8割超。

10億豪ドル。

18社。

半径1キロ。

25%。


数字は、静かじゃ。

けど、

その静かな数字の上に

一つだけうるさい言葉が落ちる。


「本土も」


その三文字が、

海を越え、

ケーブルを渡り、

金融端末を渡り、

社内チャットを渡り、

家族のLINEを渡り、

最後には一人の社員の足を止める。


蝶の羽音みたいに小さいのに、

気がついた時には、

竜巻みたいに

会社の空気を変えてしまう。


それが、この小説の怖さじゃ。

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