中国の若者が寝そべった日、日本の就職口が揺れ始めた ――マンションは売れない。EVは安売り。AIは人を減らす。それでも港の灯りは消えない。隣の国の不況は、もうスマホの向こうの話ではない――
✦ 中国の若者が寝そべった日、
日本の就職口が揺れ始めた
――マンションは売れない。
EVは安売り。
AIは人を減らす。
それでも港の灯りは消えない。
隣の国の不況は、
もうスマホの向こうの話ではない――
………
中国が暗い、とテレビは言った。
でも夜の中国の港は、
コンテナで明るかった。
AI工場も、
半導体工場も、
ロボット工場も、
青白い光を出していた。
「おじいちゃん。
中国って景気が悪いんじゃろ?
なのに工場は、
なんでこんなに光っとるん?」
高校一年生のゆづきが、
スマホから顔を上げた。
元証券会社勤務、
六十七歳の祖父は、
湯のみを置いた。
「そこが中国の、
一番ややこしい所じゃ。
家の中は寒い。
でも港と工場だけ、
暖房が効いとる」
「それ、
住みたくないマンションじゃなあ」
「住民も今ごろ、
管理会社に電話しとる」
………
★目次
■第1章
中国の景気は、
家の中と港で別れていた
■第2章
小売売上マイナス
――財布が寝そべった日
■第3章
マンション価格が落ちると、
人生すごろくが止まる
■第4章
中国版・就職氷河期
――履歴書が住宅需要を消す
■第5章
寝そべり族は、
怠け者ではなかった
■第6章
内巻き
――安売りしすぎて、
みんなが薄くなる国
■第7章
EVは速い。
でも値札は後ろへ下がる
■第8章
補助金は、
景気の栄養ドリンクだった
■第9章
AI工場は光る。
でも椅子は増えない
■第10章
原油は上がる。
最終製品は上げられない
■第11章
鬼の衣装を着た仲間
――中国を怖がりすぎる前に
■第12章
輸出は、
中国の外付け心臓になった
■第13章
レアアースは、
地球の喉元にある関所
■第14章
日本は中国の
「床下工具箱」になれるか
■第15章
Z世代は、
暗い夜をどう生きるか
………
■第1章
中国の景気は、
家の中と港で別れていた
「中国って、
もう不況なん?」
ゆづきが聞いた。
祖父は首を横に振った。
「不況じゃ。
でも、
全部が止まった不況ではない」
中国では、
家を買う人が減り、
車も家電も売れにくくなった。
店の中では、
客が値札を見て、
スマホで比較して、
最後は買わずに帰る。
ところが港では、
EV、電池、太陽光パネル、
電力設備、AI関連品が、
世界へ向かって積み込まれている。
「中国は今、
家の中の景気を、
港の外の景気で
支えとるんじゃ」
「家では節約しとるのに、
外では必死に物を売って、
なんとか暮らしとる
みたいな?」
「かなり近い」
祖父は笑った。
「ただし国家規模でやると、
送料が少し高い」
中国の景気は今、
二つに分かれている。
国内では、
不動産不況と雇用不安で、
人がお金を使わない。
海外では、
EVや電池や機械を売って、
外からお金を稼ぐ。
だから中国を見る時は、
一つの数字だけ見てはいけない。
家の中を見る。
港を見る。
両方を見る。
それが、
中国経済の入口だった。
………
■第2章
小売売上マイナス
――財布が寝そべった日
2026年5月。
中国の小売売上は、
前年同月比でマイナスになった。
ゼロコロナ以来の、
かなり久しぶりの弱さだった。
「みんな、
お金がないん?」
「全員がないわけじゃない。
でも、
使う気になれんのじゃ」
住宅価格が下がる。
仕事が安定しない。
給料が上がる気がしない。
将来が読めない。
そうなると人は、
スマホで買い物アプリを開いても、
最後の『購入』を押せなくなる。
「カートに入れて、
人生を保留にするんじゃ」
「それ、私もある。
服をカートに入れたまま、
三か月」
「ゆづき。
それは景気対策ではなく、
衣替えの遅延じゃ」
でも中国の若者にとっては、
笑い話ではない。
昔の中国では、
頑張れば給料が上がる。
給料が上がれば家が買える。
家を買えば結婚できる。
結婚すれば子どもができる。
そんな人生の階段が、
まだ見えていた。
今はその階段の途中に、
「就職できない」
「家が高い」
「家の値段が下がる」
という穴が空いている。
穴があれば、
人は飛び越えられない。
そして、
次の一歩を出さなくなる。
………
■第3章
マンション価格が落ちると、
人生すごろくが止まる
中国では長い間、
家を買うことが、
人生の大きな目標だった。
結婚。
住宅購入。
子ども。
家具。
家電。
車。
みんな、
一本の線でつながっていた。
「家って、
住む所でしょ?」
「本来はな。
でも中国では、
家が資産でもあり、
結婚の信用でもあり、
将来の安心でもあった」
「家がないと、
恋愛もログインできんの?」
「少し言いすぎじゃが、
近い話ではある」
ところが、
マンション価格が下がる。
すると人は、
こう思う。
「今買ったら、
もっと下がるかもしれない」
「ローンだけ残ったら、
どうしよう」
「結婚して、
子どもまで育てられるんかな」
家を買う人が減る。
家具が売れない。
家電が売れない。
車が売れない。
建設会社が困る。
地方政府も困る。
銀行も困る。
つまりマンション不況は、
コンクリートの話ではない。
人生すごろくの、
最初のマスが消える話だった。
………
■第4章
中国版・就職氷河期
――履歴書が住宅需要を消す
中国で特に問題なのは、
若者の就職だ。
二十代前半だけではない。
二十五歳から二十九歳まで、
本来なら働き盛りへ
向かう人たちも、
雇用が不安定になっている。
「そこが一番怖いんじゃ」
祖父は言った。
「二十代後半は、
本来なら仕事を覚えて、
給料を上げて、
結婚や住宅を考える時期じゃ」
「でも仕事がなかったら?」
「頭金が作れん。
ローンも組みにくい。
結婚も後ろへずれる。
子どもも先延ばしになる」
ゆづきは少し黙った。
「就職できん人が増えると、
マンションも売れんの?」
「そうじゃ。
景気は、
別々の箱に入っとらん」
若者の履歴書が、
十年後の住宅需要を削っていく。
それが、
中国版・就職氷河期の怖さだった。
日本も、
バブルがはじけた後に、
似た経験をした。
就職が厳しかった世代は、
その後も給料が伸びにくく、
結婚や住宅購入を遅らせた。
若い時の不安定さは、
その人だけの問題で終わらない。
十年後の消費。
二十年後の年金。
子どもの数。
街の店の売上。
全部につながっていく。
………
■第5章
寝そべり族は、
怠け者ではなかった
中国には、
「寝そべり族」
という言葉がある。
車はいらない。
家も買わない。
結婚も急がない。
最低限で生きる。
激しい競争から、
少し降りる。
「それって、
怠けとるん?」
ゆづきが聞いた。
祖父は少し黙った。
「競争に負けた人を、
簡単に怠け者と言うたらいけん」
「でも頑張らんと、
前へ進めんじゃろ?」
「そうじゃ。
でも、
走っても走っても、
ゴールが遠ざかるなら、
座り込む日もある」
夢がないのではない。
夢の値札が、
あまりにも高くなったのかもしれない。
家を買うには高すぎる。
結婚するには不安すぎる。
子どもを育てるには、
仕事が不安定すぎる。
そういう世界で、
「もっと頑張れ」
だけでは、人は動けない。
寝そべり族は、
中国の問題である前に、
「努力しても人生が良くなると、
本当に信じられるのか」
という問いだった。
それは日本のZ世代にも、
無関係ではない。
………
■第6章
内巻き
――安売りしすぎて、
みんなが薄くなる国
「内巻きって何?」
「客が増えんのに、
店だけ増えた状態じゃ」
企業は売るために、
値段を下げる。
競争相手も下げる。
さらに下げる。
利益が減る。
給料が増えない。
採用も減る。
客の財布が弱る。
客が買わない。
また値段を下げる。
「無限値引き地獄じゃな」
「バーゲン会場で、
全員が泣いとる感じ?」
「そうじゃ」
EV。
家電。
ネット通販。
太陽光。
電池。
中国では、
いろんな分野で、
値下げ競争が激しい。
政府は企業を呼んで、
「値下げをやめろ」
と言う。
でも企業からすれば、
値下げしなければ売れない。
売れなければ工場を止める。
工場を止めれば、
雇用が消える。
だから値段を変えずに、
ポイントを増やす。
クーポンを出す。
性能を上げる。
送料無料にする。
「ステルス値下げじゃ」
「値札は化粧しとるけど、
中身は泣いとるんじゃね」
内巻きとは、
企業が悪いから起きるのではない。
客が弱い。
会社が多い。
工場が多い。
そして誰も、
簡単には降りられない。
そういう時に起きる、
経済の渋滞だった。
………
■第7章
EVは速い。
でも値札は後ろへ下がる
中国のEVは強い。
速い。
安い。
新しい。
スマホみたいに画面が大きい。
ソフトも更新できる。
世界へどんどん出ていく。
でも国内では、
メーカー同士が、
激しい値下げ競争をしている。
「車が進むのに、
値段だけバックする」
「それ、
駐車が苦手な車じゃな」
「おじいちゃんの親父ギャグも、
市場価値が下がっとる」
「それは内巻きではなく、
老巻きじゃ」
企業は売上を守りたい。
地方政府は雇用を守りたい。
銀行は貸した金を守りたい。
だから工場を止めにくい。
その結果、
作りすぎた商品が、
安い値段で世界へ流れていく。
中国のEVは、
中国国内の問題だけではない。
日本の自動車会社。
部品会社。
販売店。
整備士。
ガソリンスタンド。
みんなに、
少しずつ波が来る。
「安いEVが増えると、
日本の車も困るん?」
「困る会社もある。
でも逆に、
電池の材料、
精密部品、
工場の装置を売れる会社もある」
経済は、
いつも一色ではない。
同じ波でも、
沈む舟もあれば、
進む舟もある。
………
■第8章
補助金は
景気の栄養ドリンクだった
中国政府は、
古い家電や車を買い替える人に、
補助金を出した。
一時は売れた。
景気も少し元気に見えた。
「補助金って、
いいことじゃないん?」
「悪くはない。
でも飲み方を間違えると、
栄養ドリンクと同じじゃ」
「飲んだら元気になるじゃろ?」
「その時はな。
でも先に飲みすぎると、
あとで眠くなる」
本来なら来年買う人まで、
今年買った。
すると翌年、
買う人が減る。
補助金は、
景気を育てる肥料にもなる。
でも使い方を間違えると、
未来の需要を前借りする、
カードローンにもなる。
中国の家電や車が、
急に売れなくなった時、
「もう中国は終わりだ」
と決めつける前に、
考えなければならない。
去年、先に買った人が
多かったのではないか。
補助金の効き目が、
切れただけではないか。
数字を見る時は、
一か月だけでは分からない。
昨日の元気と、
明日の反動を、
一緒に見なければならない。
………
■第9章
AI工場は光る。
でも椅子は増えない
中国で明るい分野もある。
AI。
半導体。
ロボット。
データセンター。
FA。
電力設備。
国が重点産業に指定すると、
中央政府も、
地方政府も、
国有企業も、
民営企業も、
地元銀行も動く。
「中国は、
決めたら速いんじゃね」
「速い。
日本なら会議の議事録を
確認しとる間に、
中国では工場の屋根まで
できとるかもしれん」
そこは中国の強さだ。
でも問題もある。
AIやロボットや自動化は、
人をたくさん雇わなくても、
工場を動かせる。
「新産業が伸びたら、
就職も増えるんじゃないん?」
「そこが矛盾なんじゃ。
AI工場は伸びる。
でも人間の椅子は、
ロボットに譲ることがある」
未来の光が強いほど、
人間の影が薄くなることもある。
だからZ世代は、
AIを怖がるだけでは足りない。
AIに使われる人になるのか。
AIを使って、
誰かを助ける人になるのか。
そこが分かれ道になる。
………
■第10章
原油は上がる。
最終製品は上げられない
中東情勢が緊迫すると、
原油や資源の価格が上がる。
中国の工場では、
原材料が高くなる。
鉄。
銅。
石油。
ガス。
化学原料。
でも家電や車や日用品は、
簡単に値上げできない。
客が買わなくなるからだ。
「川上は熱い。
川下は冷たい」
「お風呂で言ったら?」
「蛇口の近くは熱湯。
湯船の端は水」
「危ない風呂じゃな」
企業は原材料高を、
自分で飲み込む。
利益が減る。
利益が減ると、
賃上げができない。
賃上げがないと、
消費も伸びない。
物価が安定して見えても、
企業の中では、
静かな火傷が起きている。
そして、
ここで少し立ち止まりたい。
「中国は自分たちで、
安売りして苦しんどる」
そう言うのは簡単だ。
でも日本も、
バブルがはじけた後、
似たような夜を歩いた。
仕事を失った人。
家のローンに苦しんだ人。
会社を守るために、
人を切った人。
人は苦しくなると、
つい思う。
「俺がこうなったのは、
あいつのせいだ!」
「せっかく守った金を、
誰にも渡すか!」
自分の苦しさは見えにくい。
でも、
他人の畑の枯れ方は、
よく見える。
………
■第11章
鬼の衣装を着た仲間
――中国を怖がりすぎる前に
レアアース。
台湾。
安いEV。
輸出攻勢。
不動産不況。
中国に怖い材料は、
確かにある。
だから警戒する。
備える。
調達先を増やす。
それは必要だ。
でも、
中国を全部「鬼」と決めつけると、
日本も夜の山道で迷う。
昔、小さな劇団があった。
人気が出ず、
隣の国へ移ろうとして、
山道を歩いていた。
夜になった。
寒くなった。
みんなで火をたいた。
その中の一人が、
寒さをしのぐため、
鬼の衣装を着て眠った。
夜中、
仲間の一人が目を覚ました。
暗がりに、
鬼がいた。
そう見えた。
「逃げろ!
鬼が出た!」
みんな飛び起きて、
山道を走った。
鬼の衣装を着た仲間も、
あわてて追いかけた。
「おーい!
俺だよ!」
でも恐怖でいっぱいの仲間には、
声が届かなかった。
朝になった。
明るくなった。
みんなは振り返った。
そこにいたのは、
人食い鬼ではなかった。
寒さに震えていた、
仲間だった。
「鬼の衣装だけ見て、
中の人を忘れたらいけんね」
ゆづきが言った。
祖父はうなずいた。
「国も人間も同じじゃ。
怖い顔だけ見とったら、
困っとる人の顔まで、
見えんようになる」
中国の政府には、
強い部分がある。
危ない部分もある。
日本に圧力をかける部分もある。
でもその中には、
家を買えない若者がいる。
就職に困る若者がいる。
親の期待と、
自分の未来の間で、
眠れない人がいる。
鬼の衣装を見て、
備えることは必要だ。
でも、
衣装の中の人間まで、
憎んではいけない。
………
■第12章
輸出は
中国の外付け心臓になった
中国の内需が弱い分、
輸出が経済を支える。
港から出ていくのは、
EVだけではない。
電池。
太陽光。
電力設備。
工作機械。
AI関連機器。
安い日用品。
「中国は、
外に売って生き延びようと
しとるんじゃね」
「そうじゃ。
自分の国の消費だけでは、
血が回らんから、
世界市場につないどる」
輸出は、
中国の外付け心臓になった。
ただし、
外付け心臓には弱点がある。
世界が買わなくなれば、
止まる。
関税をかけられれば、
苦しくなる。
「安すぎる中国製品で、
うちの工場が苦しい」
そういう声が、
アメリカやヨーロッパで強くなる。
中国が輸出で強くなるほど、
世界との摩擦も強くなる。
輸出は命綱。
でも、
世界から切られそうになる、
命綱でもある。
………
■第13章
レアアースは、
地球の喉元にある関所
EVにも、
スマホにも、
防衛装備にも、
特殊な鉱物がいる。
レアアース。
磁石。
電池の材料。
中国は、
その加工で強い。
「レアアースって、
名前からして偉そうじゃな」
「希少じゃからな」
「おじいちゃんの髪も、
希少じゃけど」
「それは
レアヘアじゃ」
祖父は少し胸を張った。
「中国が輸出を止めたり、
厳しくしたりすれば、
日本の工場も困る」
車が作れない。
モーターが作れない。
家電が作れない。
防衛装備も困る。
だから日本は、
中国を嫌うだけでは足りない。
中国なしでも
止まらない仕組みを、
少しずつ作る必要がある。
調達先を増やす。
国内でも加工する。
リサイクルする。
代わりの材料を探す。
これは、
戦争の準備ではない。
生活を止めないための、
防災訓練だ。
………
■第14章
日本は中国の
「床下工具箱」になれるか
中国の一般消費者向け商売は、
当面厳しいかもしれない。
でも中国が
世界へ物を出す工場には、
日本の出番がある。
半導体製造装置。
精密部品。
工作機械。
センサー。
変圧器。
電線。
化学材料。
水処理。
非常用電源。
「日本は、
完成品の主役じゃなくても、
床下で強いんじゃ」
「床下?」
「家が揺れた時、
最後に役に立つのは、
工具箱じゃろ」
中国が輸出工場を増やす。
世界が電力網を作り直す。
AIが電気を食う。
そのたびに日本は、
ネジ、部品、水、電線、
装置を出せる。
派手ではない。
でも、停電した時に
一番ありがたいのは、
光る看板ではない。
ちゃんと動く発電機だ。
日本の強みは、
世界を驚かせる大声より、
止まりそうな世界を、
静かに動かす部品かもしれない。
………
■第15章
Z世代は、
暗い夜をどう生きるか
「じゃあ、ゆづきたちは
何をしたらええん?」
祖父は、
すぐには答えなかった。
「一つの会社。
一つの国。
一つの資格。
一つの収入。
それだけに人生を
乗せんことじゃ」
中国の若者が苦しむのは、
一本道の人生が
詰まったからでもある。
いい大学。
いい会社。
結婚。
マンション。
一本道が止まると、
後ろの人も全部止まる。
Z世代は、もっと細い道を
何本も持った方がいい。
英語。
中国語。
AI。
動画編集。
電気。
水道。
介護。
修理。
地域の仕事。
人の相談を聞く力。
機械を直す力。
何かをつなぐ力。
「大企業に入るより、
工具箱を持つってこと?」
「そうじゃ。
未来は、
一発逆転のロケットより、
故障した時に、
直せる人の方が強い」
中国が暗いとしても、
日本まで暗くなる必要はない。
エネルギーを分ける。
部品の仕入れ先を増やす。
水、電気、通信を守る。
AIに仕事を奪われる前に、
AIと一緒に誰かを助ける。
「中国が暗いからって、
中国の若者まで
悪者にしたらいけんね」
ゆづきが言った。
祖父はうなずいた。
「そうじゃ。
家を買えん人。
仕事が不安な人。
未来を待っとる人。
そこは僕らも同じじゃ」
中国の巨大マンションには、
まだ灯りがついていた。
その窓の向こうにも、
履歴書を閉じる若者がいる。
日本の窓のこちら側にも、
進路希望票の前で
迷う若者がいる。
だから僕らは、
怖がるだけではいけない。
隣の暗さを見て、
自分の足元に灯りをつける。
鬼を探し回るより、
火を守る。
それが、
五年後を生きる、
最初の防災訓練だった。
………
❥Z世代のあなたと
中国の話は、
遠い国の巨大なニュースに見える。
GDP。
失業率。
不動産。
レアアース。
関税。
でも中身を開けると、
案外、僕らの近くにある。
家が高くて買えない。
仕事が不安で、
結婚や子どもを迷う。
AIが便利になるほど、
自分の席が減る気もする。
安い商品は増えても、
給料は増えない。
中国の若者が、
「寝そべる」ことと、
日本の若者が、
「もう無理せんでええかな」
と思うことは、
遠いようで、
少し似ている。
だから、
中国を笑わない。
中国を全部、
鬼にしない。
日本だけが正しいと、
決めつけない。
百喩経の話では、
夜の山道で、
仲間が鬼の衣装を着ていた。
みんなは恐れて逃げた。
でも朝になれば、
鬼ではなく、
寒さをしのいでいた仲間だと
分かった。
世界経済も似ている。
「中国が悪い」
「AIが悪い」
「政治が悪い」
そう叫ぶ前に、
一度だけ立ち止まりたい。
怖いものを見た時、
僕らは本当に鬼を見ているのか。
それとも、
不安という夜の中で、
味方まで鬼に見えているのか。
Z世代のあなたと、
僕は一緒に考えたい。
どんな仕事なら、
人を置いていかないのか。
AIを、
人を切るハサミではなく、
困った人を助ける手にできるのか。
一つの会社だけに、
人生を預けず。
一つの国だけを、
悪者にせず。
一つの答えだけに、
自分を閉じ込めず。
細い糸でもいい。
好きなこと。
人の話を聞く力。
手で直す力。
AIを使う力。
地域で支え合う力。
そういう糸を、
何本も持とう。
夜の山道で大切なのは、
鬼を探し回ることではない。
火を消さないこと。
温かいご飯を食べること。
眠ること。
そして、
隣で震えている人に、
「寒くないか」
と聞くことだ。
それがたぶん、
五年後の世界で、
いちばん強い生き方になる。
………
★あとがき
――ホームズとワトソンの、
やすきよ風・鬼の衣装経済学――
ホームズ:
「ワトソン君。
中国は五年間、
暗いらしい」
ワトソン:
「ほな懐中電灯を
送りましょ」
ホームズ:
「そんな単純な話ではない」
ワトソン:
「LEDならどうです?」
ホームズ:
「港とAI工場は、
明るいんだ」
ワトソン:
「ほな中国、
暗いんか、
明るいんか、
どっちです?」
ホームズ:
「家の中は寒い。
工場だけ、
暖房が効いとる」
ワトソン:
「それ、
家族会議で揉めるやつですな」
ホームズ:
「若者は就職に困り、
マンションも売れず、
企業は安売り競争だ」
ワトソン:
「EVが安いなら、
一台ください」
ホームズ:
「免許はあるのか」
ワトソン:
「ありません」
ホームズ:
「それでは、
値下げ以前の問題だ」
ワトソン:
「AI工場が伸びたら、
若者の就職も増えるんと
違います?」
ホームズ:
「AIは人を助ける。
同時に、
人を減らすこともある」
ワトソン:
「便利なやつほど、
話がややこしいですな」
ホームズ:
「中国を怖がる人も多い」
ワトソン:
「レアアースを止められたら、
日本は困りますしな」
ホームズ:
「困る。
でも中国を全部、
鬼と思うのも危ない」
ワトソン:
「百喩経ですな。
鬼の衣装を着た仲間を、
本物の鬼と思って逃げた」
ホームズ:
「そうだ」
ワトソン:
「ほな中国も、
鬼の衣装を着とるだけ?」
ホームズ:
「鬼の衣装の部分もある。
困っている若者の部分もある。
両方を見るんだ」
ワトソン:
「わしも鬼の衣装、
着た方がええですか?」
ホームズ:
「君は着なくていい」
ワトソン:
「なぜです?」
ホームズ:
「何も着なくても、
話がだいぶ紛らわしい」
ワトソン:
「ほな日本は、
どう生きたらええんです?」
ホームズ:
「床下工具箱になることだ」
ワトソン:
「地味ですなあ」
ホームズ:
「地味でいい。
停電の夜、
金ピカの看板は、
水をくまない。
工具箱と発電機が、
人を助ける」
ワトソン:
「ほな、
まず温かい飯を食べて、
頭を冷やして、
隣の人に声をかけますわ」
ホームズ:
「それが一番いい」
ワトソン:
「世界経済より先に、
わしの晩ごはんを
立て直します」
ホームズ:
「それも、
立派な経済対策だ」
ワトソン:
「なんでです?」
ホームズ:
「腹が減った人間ほど、
味方を鬼に見間違えるからだ」
ワトソン:
「ほな今夜は、
鬼探しより味噌汁ですな」
ホームズ:
「それでいい。
朝まで火を守れる人が、
最後にいちばん遠くへ行く」




