逆説の日本未来史 ――石油は高いのに、鉄は泣いていた
✦逆説の日本未来史
――石油は高いのに、鉄は泣いていた――
――ホルムズ海峡が詰まり、
中国という胃袋が縮み、
原油だけが跳ね上がった日、
高校一年生ゆづきは
“強い国”ではなく、
“壊れた世界を直す国”としての
日本を見つけた――
………
未来は、
まっすぐには来なかった。
石油が上がれば、
世界は元気になったのだと、
大人たちは思い込んだ。
でも、
鉄鉱石は泣いていた。
血液の石油だけが熱を出し、
骨の鉄は痩せていた。
中国という巨大な胃袋は、
昔ほど資源を
食べられなくなっていた。
ホルムズ海峡という世界の喉は、
細く締まり始めていた。
レアアースという
関節は握られ、
タングステンという
工場の歯は抜かれ、
ドローンという
空飛ぶスマホは、
通信という神経を奪い合っていた。
これは、
好景気のニュースではない。
これは、
世界が壊れる前に出す、
不気味な発熱だった。
けれど、
その壊れかけた世界の片隅で、
資源を持たない日本が、
意外な形で生き残ろうとしていた。
石油の国ではない。
鉄鉱石の国でもない。
レアアースの国でもない。
それでも日本には、
削る技術があった。
直す技術があった。
道具を作る技術があった。
現場で踏ん張る力があった。
強い国が勝つとは限らない。
壊れた世界では、
最後に必要とされるのは、
壊れたものを直せる国かもしれない。
高校一年生のゆづきは、
その日、
ニュースの見出しではなく、
見出しと見出しのすき間を読んだ。
そこにあったのは、
絶望ではなかった。
逆説だった。
弱いはずの日本が、
壊れた未来の
修理箱になるかもしれない。
これは、
石油高の話ではない。
世界が発熱する時代に、
日本がもう一度、
道具屋として呼び戻される物語だった。
………
★目次
■第1章
石油が高いなら、
景気がいいの?
■第2章
じいちゃん、
鉄鉱石って骨なの?
■第3章
ホルムズ海峡は、
世界の喉だった
■第4章
中国という胃袋が、
昔ほど食べられない
■第5章
血は高いのに、
骨は痩せる
■第6章
レアアースは、
ロボットの関節だった
■第7章
タングステンが止まると、
工場の歯が抜ける
■第8章
空を飛ぶスマホが戦争を始める
■第9章
ドローンの群れと、
切れる通信
■第10章
船の国旗は、
仮面だった
■第11章
海峡に浮かぶ見えないレジ
■第12章
世界の信号機を動かす人
■第13章
日本は弱い。
でも、道具屋としてしぶとい
■第14章
逆説の方が、
未来を当てる日
■第15章
ゆづき、
世界の体温計を読む
………
★本文
■第1章
石油が高いなら、
景気がいいの?
「じいちゃん、
原油が上がるってことは、
世界は景気がいいってこと?」
高校一年生のゆづきは、
スマホを見ながら聞いてきた。
画面には、
原油在庫急減のニュースが
出ていた。
世界の在庫が減っている。
数週間で
原油が急騰するかもしれない…
一バレル百六十ドルも
あり得る…
そんな見出しが並んでいた。
僕は
老眼鏡をずらして言った。
「昔なら、
そう考えることもできた」
「昔なら?」
「景気がいいと、
工場が動く。
車が走る。
飛行機が飛ぶ。
だから石油が
たくさん使われる。
石油が上がる。
そういう流れじゃな」
「じゃあ
今も同じじゃないの?」
「そこが違うんじゃ」
僕は
足元の湯たんぽを指さした。
「今の石油高は、
体が元気で走り回っている
熱じゃない。
病気で
熱が出ている熱に近い」
ゆづきは眉をひそめた。
「熱にも
種類があるの?」
「ある。
体育祭のあとの熱と、
インフルエンザの熱
は違うじゃろ」
「たしかに…」
「今の世界は、
体育祭ではない。
病室じゃ」
原油は
上がりそうだった。
でも
鉄鉱石は下がっていた。
世界最大の鉄鉱石の買い手、
中国の需要が弱っていたからだ。
石油は高い。
でも鉄は泣いている。
この二つを同時に見ると、
世界は急に違う顔になる。
「ゆづき」
「なに?」
「これは
好景気のニュースじゃない」
「じゃあ何?」
僕は答えた。
「発熱する不況じゃ」
■第2章
じいちゃん、
鉄鉱石って骨なの?
「鉄鉱石って、そもそも何?」
ゆづきは
机に肘をついて聞いた。
「鉄のもとじゃ。
鉄鋼を作る材料。
ビル、橋、車、機械、
建設、工場、
全部に関係する」
「じゃあ、
めちゃくちゃ大事じゃん」
「大事じゃ。
人間で言えば骨じゃな」
「骨?」
「石油は血液。
鉄鉱石は骨。
レアアースは関節。
タングステンは歯。
通信は神経」
ゆづきは
スマホのメモを開いた。
「待って。
ちょっとかっこいいからメモる」
「かっこよくはない。
怖いんじゃ」
僕は紙に書いた。
✲石油=血液
✲鉄鉱石=骨
✲レアアース=関節
✲タングステン=歯
✲通信=神経
「世界経済を体にたとえると、
いま何が起きているか
見えやすい」
「石油が高いってことは、
血液が足りない?」
「そう。
ホルムズ海峡が詰まって、
血液の流れが悪くなっている」
「鉄鉱石が下がるのは?」
「骨を作る工事が減っている。
中国が昔ほど
ビルやマンションを作れない。
鉄をガブガブ食べられない」
ゆづきは少し黙った。
「じゃあ世界って、
血は足りないし、
骨は育ってないの?」
「そうじゃ」
「それ、
めちゃくちゃ気持ち悪いね」
「気持ち悪い。
だから相場も気持ち悪い」
普通なら、景気が良ければ
石油も鉄も上がる。
でも今は違う。
石油は供給不安で上がる。
鉄鉱石は需要不安で下がる。
血液は高い。
骨は痩せる。
これが、
これからの世界の
異常な体温だった。
■第3章
ホルムズ海峡は、
世界の喉だった
ホルムズ海峡。
名前だけ聞けば、
遠い中東の海峡だ。
でも実際には、
世界の喉である。
そこを石油タンカーが通る。
そこをLNGが通る。
そこを日本の台所、
工場、発電所、
コンビニ弁当の白いトレーまでが、
見えない形で通っている。
ゆづきは言った。
「ホルムズって遠いのに、
日本に関係あるの?」
「大ありじゃ。
ゆづきの
スマホの充電にも関係ある」
「スマホも?」
「電気を作る燃料。
部品を作る工場。
配送トラック。
包装材。全部、燃料と
素材に関係している」
ホルムズ海峡が詰まると、
原油の流れが悪くなる。
在庫を取り崩す。
備蓄を使う。
企業が我慢する。
国民はまだ
普通に暮らしているように
見える。
でもそれは、
元気だからではない。
体にたまっていた栄養を削って、
立っているだけかもしれない。
「じいちゃん、
それって怖い普通だね」
「そうじゃ。
日本は怖い普通が
得意なんじゃ」
「どういう意味?」
「倒れるまで我慢する。
倒れてから、
あれは限界だったと気づく」
ゆづきは苦笑いした。
「それ、部活でもある」
「国も同じじゃ」
テレビでは、
原油在庫が減っているという
ニュースが流れていた。
でも僕には、
そのニュースがこう聞こえた。
世界の喉が腫れている。
まだ息はできる。
でも、声がかすれ始めている。
■第4章
中国という胃袋が、
昔ほど食べられない
「でもさ、
石油が足りないなら、
値段はずっと
上がるんじゃないの?」
ゆづきの質問は
まっすぐだった。
「普通はそう思う」
「違うの?」
「違うかもしれん」
「なんで?」
「買う側の胃袋が
弱っているからじゃ…」
僕は
中国の話をした。
中国は長い間、
世界の素材を食べる
巨大な胃袋だった。
鉄鉱石を食べた。
石油を食べた。
銅を食べた。
石炭を食べた。
セメントを
飲み込んだ。
その胃袋が、
マンションを建て、
高速道路を伸ばし、
工場を動かし、
世界の資源価格を
押し上げてきた。
でも今、
その胃袋は昔ほど強くない。
不動産は弱っている。
鉄鋼需要は鈍い。
内需も弱い。
若者の就職も苦しい。
それでも輸出は強い。
レアアースも握っている。
だから
中国は倒れてはいない。
「じゃあ中国は元気なの?
病気なの?」
ゆづきは聞いた。
「どちらでもある」
「えー、ずるい答え」
「世界は
ずるい答えでできている」
中国は倒れる巨人ではない。
でも、昔のように
鉄と石油を無限に
食べる巨人でもない。
輸出の腕はまだ太い。
鉱物を握る手も強い。
でも
胃袋が弱っている。
「つまり?」
「胃袋を病んだ巨人じゃ」
ゆづきは小さく言った。
「それ、
小説の敵として怖いね」
「敵かどうかは分からん。
でも、ものすごく大きな
登場人物じゃ」
■第5章
血は高いのに、
骨は痩せる
原油在庫は減っていた。
石油会社の幹部は、
価格急騰を警告していた。
市場は身構えた。
けれど同じ頃、
鉄鉱石価格は下がっていた。
中国の鉄鋼需要が弱かった。
鉄鋼会社の利益率も低かった。
エネルギーコストは
上がるのに、
鉄は思うように
売れない。
「じいちゃん、
これって変だよね」
「変じゃ。
だから大事なんじゃ」
「石油が高いなら、
全部高くなりそうなのに」
「そうならないところに、
世界の本音が出る」
石油は
供給不安で上がる。
鉄鉱石は
需要不安で下がる。
この二つは、
まったく違う方向を向いている。
「人間で言えば?」
ゆづきが聞いた。
「血液は足りなくて高い。
骨は痩せていく。
体は熱を出している。
でも筋肉はつかない」
「最悪じゃん!」
「そうじゃ」
「じゃあ
景気がいいわけじゃないんだ」
「違う。
むしろ悪い景気に、
高い燃料だけが乗っている」
これは、
普通のインフレではなかった。
これは、
普通の不況でもなかった。
高くなるものと、
下がるものが、
同時に世界の異常を知らせていた。
僕は
ゆづきに言った。
「相場は、
ひとつの数字だけ見ると
騙される…」
「何を見るの?」
「血と骨を同時に見るんじゃ…」
■第6章
レアアースは、
ロボットの関節だった
その日、
もう一つのニュースが出ていた。
中国がレアアースの
対日供給を絞っている。
アメリカが中国に、
日本向け供給の再開を
働きかけている。
ゆづきは首をかしげた。
「なんでアメリカが
日本のために頼むの?」
「日本が止まると、
アメリカも困るからじゃ」
「日本ってそんなに大事なの?」
「地味に大事なんじゃ」
レアアースは磁石に使われる。
モーターに使われる。
EV、ロボット、ドローン、
防衛装備、半導体装置。
動くもの、
制御するもの、
精密に回るものに関わる。
「つまり関節?」
「そうじゃ。
ロボットの関節。
AIの身体の関節」
AIはクラウドの中で考える。
でも現実世界で動くには、
モーターがいる。
モーターには
磁石がいる。
磁石には
レアアースがいる。
「AIって、
頭だけじゃ動けないんだね」
「そうじゃ。
頭がよくても、
関節を握られたら動けない」
ゆづきは自分の指を
曲げたり伸ばしたりした。
「中国は
関節を握ってるんだ」
「そういうことじゃ」
世界は、
爆弾で壊れるとは限らない。
関節を握られて、
ゆっくり動けなくなることもある。
■第7章
タングステンが止まると、
工場の歯が抜ける
レアアースの次に、
タングステンのニュースが出た。
中国から
日本への関連品目輸出がゼロ。
価格は三倍以上。
住友電工も、三菱マテリアルも、
危機感を示していた。
ゆづきは言った。
「タングステンって何?」
「工場の歯じゃ」
「また体シリーズ?」
「分かりやすいじゃろ」
タングステンは硬い。
熱に強い。
金属を削る工具に使われる。
ドリル、切削工具、超硬素材。
車も飛行機も金型も、
部品を削って作る。
材料があっても、
削る刃がなければ作れない。
「じゃあ、
工場を壊さなくてもいいんだ」
ゆづきが言った。
「そう。
工具の材料を止めれば、
工場の歯が抜ける」
「歯がないと、
ご飯食べられない」
「工場も同じじゃ。
歯がなければ、
金属を食べられない」
これが怖いところだった。
昔の戦争は工場を爆撃した。
今の戦争は、工場の歯を抜く。
爆音はしない。
煙も上がらない。
ただ、
見積書の数字が三倍になり、
町工場の社長が黙る。
それが令和の攻撃だった。
■第8章
空を飛ぶスマホが戦争を始める
今度は
ドローンの記事だった。
イランやウクライナの戦場で、
安価なドローンが群れで
使われる。
専門家は言った。
ドローンによる戦いは、
AI同士の戦いになる。
ゆづきは言った。
「AI同士の戦争って、
ゲームみたい…」
「ゲームに見えるから
怖いんじゃ」
ドローンは、
空を飛ぶスマホに似ている。
カメラがある。
通信がある。
GPSがある。
AIがある。
バッテリーがある。
半導体がある。
それが群れになって飛ぶ。
一機落としても、
別の一機が来る。
「イワシの群れみたいだね」
「そうじゃ。
AIを積んだイワシの群れじゃ」
「かわいくない」
「かわいくない。
爆発するイワシじゃ」
ゆづきは嫌そうな顔をした。
でもそれが現実だった。
これからの戦争は、
大きな戦闘機だけではない。
安いドローンが空を埋める。
AIが相手を見つける。
AIがルートを変える。
AIがAIをだます。
人間が判断する頃には、
もう遅いかもしれない。
■第9章
ドローンの群れと、切れる通信
「でも、
日本はAIが得意になれば
勝てるんじゃないの?」
ゆづきが聞いた。
「AIだけでは無理じゃ」
「なんで?」
「通信がいる」
ドローンは
一機なら飛べる。
でも群れで動くには、
通信がいる。
仲間の位置を知る。
敵を見つける。
命令を共有する。
ジャミングを避ける。
それは、敵に電波を
ぐちゃぐちゃにされても、
なんとか道を探す
ということだった。
GPSが狂っても戻る。
それは、
スマホの地図がバグっても、
自分で家まで帰る力を
持つということだった。
でも、
通信が切れたら
どうなるのか?
一機のドローンは、
まだ飛べるかもしれない。
けれど、
群れで飛んでいるドローンたちは、
お互いの場所が分からなくなる。
誰が前にいるのか?
誰が右にいるのか?
どこに敵がいるのか?
どこへ逃げればいいのか?
それが分からなくなる。
まるで、遠足の途中で
先生の声が聞こえなくなり、
スマホの地図も止まり、
友だちとも連絡が取れなくなった
小学生の集団みたいに。
ドローンの群れは、
空の上で迷子になる。
だから、
これからの戦争で大事なのは、
強いAIだけではない。
遠くまで届く電波。
邪魔されても切れない通信。
GPSが狂っても帰れる仕組み。
つまり、
空を飛ぶドローンにも、
目と耳と神経が必要なのだ。
「人間で言えば神経?」
「そうじゃ。
通信は神経じゃ」
「じゃあ、
神経を切られたら体は動かない」
「その通り」
日本の課題は、
機体を作ることだけではない。
通信環境。
電波制度。
実験空域。
妨害環境での訓練。
海のドローン対策。
全部が必要になる。
ゆづきは言った。
「日本って、
真面目だから実験が遅れそう」
「そこが心配なんじゃ」
平和なルールは大事だ。
でも、
有事の技術を試せない国は、
有事に弱い。
安全を守るルールが、
安全保障の足かせになる。
これもまた、
逆説だった。
■第10章 船の国旗は、仮面だった
パラオ船籍のタンカー。
インド人船員。
オマーン沖。
アメリカ軍の攻撃。
このニュースは、
ゆづきに強い印象を残していた。
「船の国籍って、
本当の持ち主じゃないんだね」
「そうじゃ」
船籍。
船主。
乗組員。
荷主。
保険。
銀行。
最終買い手。
全部が違うことがある。
船は国旗を掲げる。
でも、その国旗が
本当の顔とは限らない。
「人間でいう
仮面アカウントみたい」
「うまいこと言うな」
「船も
裏アカ持ってるんだ」
「持っていると言えば、
持っている」
石油は海を渡る前に、
名前を変える。
積み替えられ、
混ぜられ、
書類が変わり、
第三国を通る。
最後には、
ナフサ、樹脂、包装材、
燃料として入ってくる。
ゆづきは言った。
「じゃあ、
コンビニ弁当のトレーにも、
海の記憶があるんだ」
「ある」
「ちょっと怖い」
「でも、
それを知るのが大事じゃ」
見えている国旗だけでは、
世界は読めない。
本当の持ち主は、
たいてい少し後ろに隠れている。
■第11章
海峡に浮かぶ見えないレジ
ホルムズ海峡は、
ただの通り道ではなくなっていた。
通す船。
止める船。
高い保険料。
積み替え。
制裁回避。
衛星監視。
港湾仲介。
通行料。
そこには、
見えないレジが浮かんでいた。
ピッ。
保険料。
ピッ。
通行許可。
ピッ。
制裁回避手数料。
ピッ。
積み替え料。
ピッ。
沈黙料。
ゆづきは言った。
「じいちゃん、
世界ってコンビニより怖いね」
「コンビニは値札が見える。
世界のレジは値札が見えん」
戦争で泣く人は、
船に乗っている。
戦争で儲ける人は、
陸で椅子に座っている。
名前も出ない。
顔も出ない。
ただ、請求書だけが動く。
アヘン商人。
禁酒法ギャング。
イラン制裁逃れの石油商人。
そして
令和の海峡料金所の番人たち。
歴史は、
形を変えて戻ってくる。
ゆづきは言った。
「社会の授業って、
もっとこういうこと
教えてくれたらいいのに…」
「教科書に書くには、
生々しすぎるんじゃ」
■第12章
世界の信号機を動かす人
「じいちゃん、
海峡って、
船が通る道なんでしょ?」
ゆづきが聞いた。
「そうじゃ」
「じゃあ、
道路みたいなもの?」
「近いな。
海の高速道路じゃ」
「じゃあホルムズ海峡って、
世界で一番大事な高速道路?」
「そう思えば分かりやすい」
僕は紙に、
大きな交差点の絵を描いた。
右から石油タンカー。
左からLNG船。
後ろから貨物船。
前には軍艦。
その真ん中に、
一つの信号機を描いた。
赤。
黄。
青。
「ゆづき、もしこの信号を
動かせる人がいたら、
どうなる?」
「えっ?めちゃくちゃ
強いじゃん」
「そうじゃ」
「青にした船だけ通れる。
赤にした船は止まる」
「その通り」
「黄色にされたら?」
「通っていいのか、
危ないのか、
みんな迷う」
ゆづきは、
少し考えて言った。
「それ、道路より怖いね」
「なぜ?」
「だって、
車なら止まればいいけど、
石油タンカーが止まったら、
世界中のガソリンとか
電気代に関係するでしょ」
「よく分かったな」
ホルムズ海峡で起きていることは、
ただの戦争ニュースではない。
世界の信号機の話だった。
誰の船を通すのか?
誰の船を止めるのか?
どの国には青を出すのか?
どの会社には赤を出すのか?
どの荷物は
人道目的だと言えるのか?
どの荷物は
制裁違反だと言われるのか?
信号の色が変わるだけで、
原油の値段は動く。
保険料が上がる。
船賃が上がる。
ガソリン代が上がる。
電気代が上がる。
そして最後には、
コンビニ弁当の容器や、
スマホの部品や、
学校のエアコン代にまで
降りてくる。
ゆづきは言った。
「つまり、
海の信号機を動かす人は、
世界の値札も動かしてるんだ」
「そうじゃ」
「でも、その人は
石油を
作ってるわけじゃないよね?」
「作っていない」
「船を
運転してるわけでもないよね?」
「運転していない」
「じゃあ
何をしてるの?」
「通していいか、
止めるか、
迷わせるかを決めている」
ゆづきは、
目を丸くした。
「それだけで儲かるの?」
「それだけで、
世界の値段は動く」
たとえば、
青信号が出そうだと分かれば、
先に安く買う人がいる。
赤信号になりそうだと分かれば、
先に高く売る人がいる。
黄色信号が続けば、
みんな不安になって、
保険料を高くする。
誰かが爆弾を落とす前に、
値段はもう動き始めている。
「じいちゃん、
それって、
ずるくない?」
「ずるい」
「でも違法なの?」
「そこが難しい」
戦争と商売の間には、
灰色の場所がある。
完全な黒ではない。
でも、真っ白でもない。
そこでは、
情報を先に知った人が勝つ。
ルールを
作る側に近い人が勝つ。
信号の色が変わる前に、
次の色を知っている人が勝つ。
ゆづきは言った。
「それ、ゲームでいうと、
次のステージの答えを
先に知ってる人じゃん」
「そうじゃ」
「そんなの、
普通のプレイヤーは
勝てないよ」
「だから、
普通の人は別の力を
持たないといけない…」
「別の力?」
「読む力じゃ」
僕は、
さっき描いた信号機の横に、
小さな体温計を描いた。
「ニュースを
丸暗記するんじゃない」
「じゃあ何を見るの?」
「赤信号が出た時、
誰が困るのか?」
「うん」
「青信号が出た時、
誰が助かるのか?」
「うん」
「黄色信号が続いた時、
誰が儲かるのか?」
ゆづきは黙った。
そして、
ぽつりと言った。
「黄色信号で
儲かる人がいるんだ」
「いる」
「みんなが不安な時に?」
「そうじゃ」
「保険料とか、
船賃とか、
手数料とか?」
「そういうことじゃ」
ゆづきはスマホを見た。
原油高。
タンカー不安。
制裁。
人道目的。
海峡封鎖。
保険料上昇。
さっきまでバラバラだった言葉が、
一つの交差点に集まって見えた。
「じいちゃん、分かった」
「何が?」
「世界って、力の強い人が
殴るだけじゃないんだね」
「そうじゃ」
「信号を変える人も強いんだ」
「その通り」
「しかも、
その信号機は、
私たちには見えにくい」
「そこが怖い」
世界は、
爆弾だけで動くのではない。
赤信号。
青信号。
黄色信号。
通す。
止める。
迷わせる。
その小さな色の変化で、
遠い海の上のタンカーが止まり、
市場の数字が跳ね、
日本の財布が
じわっと熱くなる。
ゆづきは、
ノートにこう書いた。
世界を動かす人は、
船に乗っているとは
限らない。
石油を掘っているとも
限らない。
爆弾を持っているとも
限らない。
ただ、信号機の前に
立っているだけの人もいる。
僕はそのノートを見て、
少し笑った。
「ゆづき」
「なに?」
「それが分かれば、
ニュースの読み方が変わる」
「どう変わるの?」
「誰が叫んでいるかではなく、
誰が信号を握っているかを
見るんじゃ」
ゆづきは、
スマホを閉じた。
「じいちゃん、
今日のニュース、
ちょっと怖くなった…」
「怖くていい」
「いいの?」
「怖いと気づいた人は、
もう一歩進んでいる…」
「どういうこと?」
「見えない信号機に
気づいたからじゃ…」
世界の海には、
目に見えない信号機がある。
それを誰が握っているのか?
その色が変わると、
誰の財布が膨らみ、
誰の生活が苦しくなるのか?
高校一年生のゆづきは、
その日初めて、
海峡を地図ではなく、
信号機として見た。
ホルムズ海峡は、
ただの細い海ではなかった。
世界の値札を変える、
見えない交差点だった。
■第13章
日本は弱い。
でも、道具屋としてしぶとい
ゆづきは言った。
「日本って、
資源がないから終わりなの?」
「弱い。
だが終わりとは限らん」
「なんで?」
「道具屋だからじゃ」
日本は石油を持たない。
レアアースも弱い。
タングステンも
中国に握られている。
でも、
日本には工作機械がある。
工具がある。
素材加工がある。
制御機器がある。
精密部品がある。
修理する力がある。
現場改善がある。
「金鉱を掘る人じゃなくて、
ツルハシを売る人?」
「そうじゃ」
AIゴールドラッシュで、
主役はアメリカの
巨大AI企業かもしれない。
でも、
データセンターを作るには、
電力設備、冷却、部品、
工具、制御、素材がいる。
中東の復旧にも、
配管、ポンプ、発電機、
工具、建設機械がいる。
ドローン防衛にも、
センサー、モーター、
通信、加工技術がいる。
日本は弱い。
だが、
世界が壊れた後に
直す道具を持っている。
「でも、その道具の材料を
中国に握られてるんだよね」
ゆづきが言った。
僕はうなずいた。
「だから怖いんじゃ」
強みの場所に、弱点もある。
それが今の日本だった。
■第14章
逆説の方が、未来を当てる日
ニュースは言う。
在庫が減る。
原油は暴騰する。
世界は石油不足になる。
それは正しい。
でも、もう一つの声がある。
中国の需要は弱い。
鉄鉱石は下がる。
高い石油を飲み干す胃袋がない。
こちらも正しいかもしれない。
ゆづきは言った。
「どっちが勝つの?」
「時間による」
「時間?」
「短期は在庫急減が勝つ。
原油は急騰しやすい」
「中期は?」
「中国の
胃袋低下が効いてくる…」
「じゃあ
両方正しいの?」
「そうじゃ。
表の正しさと裏の正しさが、
時間差で出る」
未来は、
ひとつの見方では読めない。
足りないから上がる。
でも買える人が減るから
上がり切れない。
中国は弱っている。
でもレアアースで
相手を締める力は残っている。
日本は資源がない。
でも道具屋としてしぶとい。
ゆづきは言った。
「逆説って、
めんどくさいね」
「めんどくさいものほど、
未来を当てることがある」
正解は、
見出しには書いていない。
正解は、見出しと見出しの
すき間に落ちている。
■第15章
ゆづき、世界の体温計を読む
夜、
ゆづきからLINEが来た。
「じいちゃん、
今日の話、
ちょっと分かった」
僕は聞いた。
「何が分かった?」
「世界は元気だから
燃えてるんじゃないんだね」
「そうじゃ」
「熱があるから
燃えてるんだね」
「そうじゃ」
「石油は血で、
鉄鉱石は骨。
レアアースは関節。
タングステンは歯。
通信は神経」
「完璧じゃ」
「じゃあ今の世界は?」
僕は少し考えた。
そして返信した。
「喉が腫れ、血が高くなり、
骨が痩せ、関節を握られ、
歯を抜かれ、
神経を切られかけている」
ゆづきから、
すぐ返事が来た。
「重症じゃん」
「重症じゃ。
でも死んではいない」
「なんで?」
「人間も国も、
案外しぶといからじゃ」
「日本も?」
「日本もしぶとい。
弱いけど、
直す力がある。
備蓄する力がある。
節約する力がある。
道具を作る力がある。
何より、
気づけば変われる国民性がある」
しばらくして、
ゆづきが送ってきた。
「じゃあ私は、
世界の体温計を読む人になる」
僕は胸が熱くなった。
相場を読め。
世界を読め。
でも、それより先に、
自分の生活を読め。
ガソリン代。
電気代。
スマホの部品。
バイト先のシフト。
コンビニ弁当の容器。
学校のエアコン。
家族の車。
そこに世界は降りてくる。
ホルムズは遠い。
中国も遠い。
でも値上げは近い。
ゆづきは最後に、
こう送ってきた。
「じいちゃん。
世界って怖いけど、
読めるとちょっと面白いね」
僕は笑った。
それでいい。
怖い世界を、
ただ怖がるのではなく、
読む。
読むことで、
少し自由になる。
読むことで、
次の一歩を選べる。
世界は好景気で
燃えているのではなかった。
血液の石油だけが熱を出し、
骨の鉄鉱石は痩せていた。
それは成長ではない。
発熱する不況だった。
でもその熱を測る体温計を、
高校一年生のゆづきは、
今日、一本手に入れた。
………
❥Z世代のあなたへ
ニュースは難しく見える。
原油。
鉄鉱石。
レアアース。
タングステン。
ドローン。
ホルムズ海峡。
中国経済。
知らない言葉ばかりで、
自分には関係ないと
思うかもしれない。
でも本当は、
全部、
君の生活につながっている。
原油は、
通学の電車やバスに関係する。
鉄鉱石は、
建物や車や機械に関係する。
レアアースは、
スマホやモーターや
ロボットに関係する。
タングステンは、
工場で部品を削る
工具に関係する。
通信は、
AIやドローンだけでなく、
災害時の命綱にも関係する。
世界は
遠くにあるのではない。
君のスマホの中にある。
君の財布の中にある。
君の食卓の上にある。
これからの時代、
大事なのは、
ニュースを丸暗記することではない。
見出しの裏を読むことだ。
「足りないから上がる」
その通りかもしれない。
でも同時に、
「買える力が弱っているから、
上がり切れない」
それも正しいかもしれない。
世界は、
一つの答えで動いていない。
だからこそ、
考える人が強くなる。
怖がるだけの人は、
レジに並ばされる。
読む人は、
どのレジに並ぶかを選べる。
君は、世界の体温計を持て。
熱が出ているのか?
成長しているのか?
痩せているのか?
どこが痛んでいるのか?
それを見抜ける人は、
AI時代でも、
資源危機の時代でも、
自分の一歩を選べる。
世界は怖い。
でも、読める世界は、
少しだけ面白い。
………
★あとがき
――ホームズとワトソンの屋敷にて
やすきよ漫才風・
笑いと涙のボケと
ツッコミ――
ワトソン
「ホームズさん、
今回の話、
難しすぎますわ。
石油が血で、
鉄鉱石が骨で、
レアアースが関節で、
タングステンが歯で、
通信が神経?
世界経済いうより、
もう人体模型ですやん」
ホームズ
「その通りだ、ワトソン君。
世界経済とは、
巨大な人体模型なのだ」
ワトソン
「ほな、ホルムズ海峡は?」
ホームズ
「喉だ」
ワトソン
「中国は?」
ホームズ
「胃袋だ」
ワトソン
「日本は?」
ホームズ
「道具箱だ」
ワトソン
「急に人体からホームセンターに
なりましたやん!」
ホームズ
「日本は不思議な国だからな。
胃袋は小さいが、
ドライバーと六角レンチは
持っている」
ワトソン
「六角レンチで世界救えますの?」
ホームズ
「救えるとは言っていない。
だが、壊れたものを直す時、
六角レンチがないと困る」
ワトソン
「たしかにIKEAの家具も
組み立てられませんわ」
ホームズ
「世界経済も
IKEAの家具に似ている」
ワトソン
「どこがですの?」
ホームズ
「説明書が分かりにくい」
ワトソン
「それは間違いない!」
ホームズ
「しかも部品が一個足りない」
ワトソン
「それがタングステン?」
ホームズ
「あるいはレアアースだ」
ワトソン
「ほな、完成しませんやん」
ホームズ
「そうだ。
図面はある。
AIもある。
資金もある。
だが小さな部品がない。
これが令和の悲劇だ」
ワトソン
「ホームズさん、
原油が上がったら
景気がいいんですか?」
ホームズ
「昔はそう見えた」
ワトソン
「今は?」
ホームズ
「病気の熱かもしれない」
ワトソン
「ほな、
世界は風邪ですか?」
ホームズ
「風邪なら寝れば治る。
今は、喉が腫れ、骨が痩せ、
関節を握られ、歯を抜かれ、
神経を切られかけている」
ワトソン
「重病やないですか!」
ホームズ
「だが、
まだ死んではいない」
ワトソン
「なんで?」
ホームズ
「人間も国も、しぶといからだ」
ワトソン
「日本もしぶとい?」
ホームズ
「日本はな、
米びつを見ながら節約し、
壊れた扇風機を叩いて直し、
古い工具を捨てずに
置いておく国だ」
ワトソン
「それ、
うちの実家ですやん」
ホームズ
「その実家力が、
危機の時に効く」
ワトソン
「かっこええような、
貧乏くさいような」
ホームズ
「両方だ」
ワトソン
「結局、
今回の教訓は何ですの?」
ホームズ
「見出しを信じすぎるな」
ワトソン
「ほう」
ホームズ
「原油が上がったら景気がいい、
と決めつけるな」
ワトソン
「ほうほう」
ホームズ
「鉄鉱石が下がったら世界は終わり、
とも決めつけるな」
ワトソン
「では何を見る?」
ホームズ
「血と骨を同時に見ろ」
ワトソン
「病院の先生みたいに
なってきましたな」
ホームズ
「これからの名探偵は、
経済医師でもある」
ワトソン
「ほな最後に一言、
お願いします」
ホームズ
「世界は燃えているのではない。
熱を出しているのだ」
ワトソン
「もう一言!」
ホームズ
「石油は高いのに、
鉄は泣いていた」
ワトソン
「さらに一言!」
ホームズ
「だから若者よ、
ニュースを怖がるな。
体温計を持て」
ワトソン
「ええこと言うた!
でもホームズさん、
その体温計、
どこで売ってますの?」
ホームズ
「AIと好奇心の間だ」
ワトソン
「また詩人みたいに逃げた!」
ホームズ
「逃げてはいない。
読者に渡したのだ」
ワトソン
「何を?」
ホームズ
「世界を読む一本の鉛筆を」
ワトソン
「……それは、
ちょっと泣けますな」
ホームズ
「泣いたら、次は笑え」
ワトソン
「なんで?」
ホームズ
「笑える人間は、
まだ読めるからだ」
ワトソン
「ほな締めましょう」
ホームズ
「よろしい」
ワトソン
「ホルムズは遠い!」
ホームズ
「だが値上げは近い!」
ワトソン
「中国は遠い!」
ホームズ
「だがスマホの部品は近い!」
ワトソン
「石油は高い!」
ホームズ
「だが鉄は泣いていた!」
ワトソン
「世界は怖い!」
ホームズ
「だが読めば、少し面白い!」
ワトソン
「ほな皆さん!」
ホームズ・ワトソン
「体温計を持って、
ニュースを読もう!」
――完――




