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備蓄の夜、停電のにおい ――おふくろが逝った春、世界は八百万バレルずつ静かに痩せはじめた――

✦備蓄の夜、停電のにおい


――おふくろが逝った春、

 世界は八百万バレルずつ

 静かに痩せはじめた――


………


一九七九年は、

世界の石油が

七%減っただけで人は震えた。


二〇二六年の春、

わしらはもっと大きい

欠損の中におった。


それでも、

ほとんどの人は、

明日もコンセントから

電気が生まれる思うとった。


………


★目次


■第一章 

おふくろが先に逝った朝


母が亡うなった朝と、

世界の異変が

静かに重なり始める場面。


■第二章 

備蓄いうんは

安心じゃのうて、

時間なんじゃ


石油備蓄とLNG在庫の本質を、

67歳のおじいちゃんの目線で

見つめ直す章。


■第三章 

コンセントの向こう側


日本の発電構造、

火力依存、

資源の弱さを、

若い世代にも分かるように語る章。


■第四章 

ホルムズ海峡は遠い海じゃねえ


遠い中東の海が、

日本の暮らしの

喉元につながっとることを

描く章。


■第五章 

カタールの壊れた炎


LNG設備の破壊と、

三年から五年単位で

戻らんかもしれん

現実を描く章。


■第六章 

ロシアの詰まった出口


ロシアの輸出障害と、

世界のエネルギーの逃げ道が

細っていく構図を描く章。


■第七章 

オーストラリアいう逆コスパ


資源国なのに

燃料不安に苦しむ豪州を通して、

現代の最適化社会の弱さを描く章。


■第八章 

コンビニの棚が痩せていく


危機は突然ゼロになるんじゃのうて、

半分残った状態から

始まることを描く章。


■第九章 

水は蛇口から生まれん


電気の先にある水道の危機、

そして暮らしの根っこが

揺らぐ様子を描く章。


■第十章 

半年後の日本を、

わしはどう生きるか


経済予測とエネルギー危機の

数字を踏まえながら、

半年後の日本を見つめる章。


■第十一章 

若い人は停電のにおいを知らん


Z世代へ向けて、

文明が止まりかける時の

“感覚”を伝える章。


■第十二章 

助けてくれと言われた国


危機の中で、

日本が他国との関係を

どう背負うのかを描く章。


■第十三章 

それでも人は今日のごはんを炊く


大きな危機の中でも、

日常を守ることの意味を

静かに描く章。


■第十四章 エピローグ 

お釈迦様に聞いてみた


お釈迦様に

これからの生き方を問い、

67歳のおじいちゃんが

小さいけど深い答えを

受け取る締めの章。


………


■1 おふくろが先に逝った朝


おふくろが亡うなったんは、

二〇二六年三月十六日の

昼過ぎじゃった。


春いうても、

まだ空気は冷とうて、

朝の光もどこか

遠慮がちじゃった。


窓の外は静かじゃった。

だけど、世界の方は

ぜんぜん静かじゃなかった。


ホルムズ海峡は事実上閉じ、

国際エネルギー機関は、

三月だけで世界の石油供給が

日量八百万バレル落ちる

見通しを出しとった。


しかも湾岸産油国の減産は

少なくとも日量一千万バレルに

達する可能性がある、

いう話じゃった。


昔みたいな

「ちょっとガソリンが

 高うなった」

いう程度の話じゃねえ。


世界の土台そのものが、

じわじわ弱りはじめとる

いうことじゃった。


それでも、

近所のスーパーは開いとった。

コンビニも明るかった。


人はみんな、

昨日の続きの顔をして、

今日を生きとった。


そんな中で、

おふくろは

先に逝った。


わしは今でも、

あの亡くなり方は

見事じゃった思うとる。


もちろん、そんなことは

わしの勝手な受け取り方じゃ。


じゃけどな、

この先の混乱を見越して、


「もうええ、

 これ以上息子に迷惑はかけん」


とでも言うように、

すうっと身を軽うして、

先へ逝ってしもうたように

思えてならんのじゃ。


阿弥陀様に

感謝したいような気持ちと、

やっぱり寂しい気持ちと、

どっちもあった。


おふくろが先に逝った朝から、

わしには世界の見え方が

少し変わった。


たぶん世界の方は、

急には変わっとらん。


変わったんは、

わしの方なんじゃろう。


■2 備蓄いうんは

  安心じゃのうて、

  時間なんじゃ


ニュースじゃ

政府が備蓄を放出する

言うとった。


備蓄。

えらい優しい言葉に

聞こえる。


押し入れの奥にしまっとる

毛布みたいじゃ。


寒うなったら出しゃええ、

みたいな響きがある。

けど、ほんまは違う。


日本は原油の

約九五%を中東に頼っとる。


その多くを

ホルムズ海峡経由で運んどる。


それでも石油の緊急備蓄は

二五四日分ある、

とニュースは言う。


数字だけ見たら、

ようけあるように思える。 


人間は大きい数字を見ると、

安心したような気になるけえな。


でも、備蓄いうんは

安心じゃねえ。

未来から

前借りした時間なんよ。


使うたら減る。

減ったら

次はもっと苦しゅうなる。

それだけのことじゃ。


一九七三年も一九七九年も、

人はパニックになった。 


トイレットペーパー

抱えて走って、

ガソリンスタンドへ並んで、

噂をほんまのことより

先に信じた。


けどあの頃は、

まだ蛇口を戻したら

また流れる世界じゃった。


産油国が

「もうええよ」言うたら、

石油はまた出た。 


今回は違う。

今回は蛇口だけじゃねえ。


港も、液化設備も、

輸出能力も、船の流れも、

一緒に傷んどる。


通れん。運べん。

精製できん。戻しにくい。


そういう壊れ方が、

あっちでもこっちでも

同時に起きとる。 


じゃけえ

備蓄は答えじゃねえ。

ただの猶予じゃ。


わしらは今、

その猶予の上を、

そろそろ歩いとるんじゃ。


■3 コンセントの向こう側


若い人は、

電気を空気みたいに思うとる。


見えんけど、あって当たり前。


スマホにつないだら充電できる。

エアコンはつく。

冷蔵庫は冷える。

Wi-Fiは飛ぶ。


じゃけえ

世界はちゃんと回っとる、

そんな感覚じゃろう。


けど、

日本の電気は

思うとるほど未来的じゃねえ。


二〇二三年度の発電構成で見たら、

火力 六八・六%、

再エネ 二二・九%、

原子力 八・五%。


火力の中身は、


**石炭 二五・八%、

LNG 二三・二%、

石油 一・五%**


じゃ。


つまりな、見た目はきれいでも、

土台は今でも

燃やして回しとるんよ。


「地熱があるが」

「水素があるが」

「再エネで何とかなるが」


そう言う人はようおる。

もちろん、そういう未来は

大事じゃ。


けど今夜の炊飯器を回すんは、

未来の理想じゃねえ。 

今日届く燃料なんじゃ。


日本の

エネルギー自給率は一五・三%。

G7で最低水準いう話もある。


科学技術が進んどっても、

足元の資源と物流が細うなったら、

国全体が痩せる。


理屈じゃねえ。

体質なんよ。


■4 ホルムズ海峡は

  遠い海じゃねえ


ホルムズ海峡いうても、

若い人には

地図帳の中の言葉

みたいなもんじゃろう。


人生で意識せんでも

暮らせる地名じゃった。


けど、

平時のホルムズ海峡は、

日量約二千万バレルの

石油を通しとる。


世界の石油・石油製品消費の約二割、

海上石油取引の

約四分の一に相当する。


遠い海いうより、

世界の喉仏みたいな場所じゃ。


そこが詰まったら、

世界の声は細うなる。


日本にとっては、

なおさらじゃ。


原油の九五%を中東に頼り、

その多くをあの海峡に預けとる。


遠いけえ安全、

いうわけじゃねえ。


むしろ遠いけえ、

依存が見えにくいんじゃ。


わしはおふくろの遺影の前で

お茶を飲みながら、

そのことを考えとった。


湯気は細うて白かった。


エネルギー危機いう言葉は

大きすぎる。


けど湯気はちょうどええ。


湯気が立ついうことは、

まだ少しだけ世界が

つながっとるいうことじゃけえな。


■5 カタールの壊れた炎


今回が昔と違うんは、

設備が壊れとることなんじゃ。 


カタールでは、

攻撃でLNG輸出能力の

一七%が止まった。


数量にしたら

年間 一二八〇万トン。


復旧には

三〜五年かかる見通しいう話じゃ。


しかも、本格的な修理は

戦いが落ち着かんと進めにくい。


これ、ただ

「値段が上がりました」

いう話じゃねえ。


物理的に

元へ戻りにくいいうことなんよ。


世界のLNG市場も、

そのぶん痩せる。


今年見込まれとった

世界LNG供給の増加分が、

最大で三五〇〇万トン

下方修正される可能性もある。


アジアのスポット価格は

戦争開始後に一四三%上昇した

いう報道も出とる。


数字は冷たい。


でも、その冷たさの先で、

エアコンは止まり、

工場は静かになり、

台所の火力は弱うなる。


日本のLNG在庫は

四百万トン超ある言われとる。


ホルムズ経由分だけで見たら

四四週間分いう数字もある。


けど、日本全体の消費で見たら

約三週間分に過ぎん。


数字いうもんは、

安心させるためにも使えるし、

不安にさせるためにも使える。


ほんまの答えは、

残っとる日数が決めるんよ。


■6 ロシアの詰まった出口


ロシアもまた、

画面の向こうの話だけじゃ済まん。


報道では、

ロシアの石油輸出能力の

少なくとも四〇%が

足止め状態になっとる。


ロシア政府は

ガソリン輸出禁止にも

踏み切った。


つまり、

原油が地面の下に残っとっても、

世界に届かん。


油田があることと、

輸出できることは

違うんじゃ。 


そういう

「出口の詰まり」が、

あっちでもこっちでも起きとる。


この危機は、

ひとり悪者がおって、

そいつがスイッチ切った、

みたいな単純な話じゃねえ。


海峡、港、契約、

保険、価格、制裁、

ドローン、パイプライン。


いろんなもんが

知恵の輪みたいに絡んで、

どこを引っ張っても

別の場所がきしむ。


若い人に

この感じをどう伝えるか。

わしはずっと考えとった。


たぶん、

ラスボスがおるような

話にしたら失敗する。


ほんまの敵は

もっと地味で、

もっとしつこい。


昨日と同じじゃ思うてしまう心、

それ自体なんよ。


■7 オーストラリアいう

  逆コスパ


オーストラリアは資源国じゃ。


それなのに、

市中燃料で不安を抱えとる。


このねじれは、

若い人にいちばん伝えたい

ところかもしれん。


オーストラリアは

燃料の**約九〇%を輸入に頼っとる。

しかも日本のLNGの約四〇%**は

オーストラリア由来じゃ。


資源がある国と、

今すぐ使える燃料がある国は違う。


そこに

精製と物流の罠があるんよ。


現代のコスパ社会は、

遠くの安いもんに頼りすぎとる。


平時にはそれが

合理的に見える。


けど有事になったら、

それが裏返って

自分の喉を締める。


わしはそれを勝手に、

逆コスパ・ショックと呼んどる。


若い人は

「最適化」いう言葉が好きじゃ。


アプリも、物流も、投資も、

人生設計も、

ぜんぶ最適化したがる。


けど、最適化しすぎたら

非常時に逃げ道がのうなる。


人間も国家も、

ちょっと無駄がなかったら

折れるんじゃ。


■8 コンビニの棚が痩せていく


危機はゼロから始まらん。

半分から始まるんよ。


コンビニの棚は、

まだ全部は空になっとらん。


けど冷凍食品の種類が減る。

炭酸水の棚が痩せる。

アイスの扉に

「一部販売休止」

の紙が貼られる。

配送が減る。

夜の補充がなくなる。

照明が少し暗うなる。


それでも人は言う。


「まだあるが」

「騒ぎすぎじゃろ」

「またオイルショック

 ごっこしょーる」


でも、本当の危機は、

全部なくなる前に

始まるんじゃ。


値段がじわじわ上がる。

品目が減る。

配達が遅れる。

仕組みが細る。


アルミの日本向けプレミアムが

十一年ぶり高水準に

上がったいう話もある。


エネルギーが細れば、

金属も、樹脂も、包装も、

食料も痩せる。


世界は爆発して

終わるんじゃねえ。


まず棚が痩せるんじゃ。


次に、

人の想像力が遅れて追いつく。


■9 水は蛇口から生まれん


電気の次は水じゃ。

水道は自然現象じゃねえ。


浄水場、送水ポンプ、配水圧、

全部が電気にぶら下がっとる。


日本の水道事業は

年間七十四億kWhの電力を使い、

日本全体の消費電力の

**約一%**に相当する。


一%いうたら

小そう見えるかもしれん。


でもそれは、

「なくてもええ一%」

じゃねえ。


**水道そのものを

 動かす一%**

なんよ。


じゃけえ停電は、

照明の話で終わらん。


冷蔵庫やエアコンで

終わる話でもねえ。


浄水できん水は流せん。

流せんのんなら、

蛇口は黙る。


わしは台所で

やかんに水を入れながら、

そのことを考えとった。


蛇口ひねって水が出るまでの、

ほんの数秒が、

前より長う感じられた。


たぶん、わしの心の中で

世界が遅うなっとったんじゃろう。


■10 半年後の日本を、

   わしはどう生きるか


ここから先は予言じゃねえ。

ただのストレステストじゃ。


けど人間は、予言より、

ちゃんとした最悪想定の方が

苦手なんよ。


もしホルムズ海峡の障害が

あと半年続いて、

カタールの長期損傷が戻らず、

ロシアの輸出障害も続いて、

オーストラリアの供給制約まで

重なったら、

日本のLNG調達は

かなり苦しゅうなる。


単純化したら、

日本のLNG輸入の二割前後が

危ううなるケースもある。


発電全体で見たら、

LNG火力二三・二%の一部が

削られるけえ、


全国需給では数%台の供給不足、

真夏や真冬のピーク時には

五〜一〇%級の需給ギャップが

出てもおかしゅうない。


これ、もう

「たまに暗い」では済まん。


計画停電が

現実味を帯びる水準じゃ。


油の方も苦しい。


日本は一月時点で

日量二八〇万バレルの

原油を輸入しとる。


Dubai原油や現物調達コストが

高止まりしたら、

半年で追加の輸入負担は

兆円単位に積み上がる。


数字はニュースの中では

無表情じゃ。


けど現実じゃ、運賃になり、

電気代になり、食品代になって

家計に入ってくる。


気がついた時には、

みんなが少しずつ無口になる。


わしは六十七歳の

元証券マンじゃけえ、

そのへんの冷たさを

少し知っとる。


相場は暴落の瞬間より、

その前のじわじわした

信用収縮の方が怖い。


暮らしも同じじゃ。


全部止まる前に、

人の顔から

先に光が消えるんよ。


■11 若い人は

   停電のにおいを知らん


停電には、においがある。

これは比喩じゃねえ。


エアコンの止まった部屋の

重たい空気。

溶けかけた冷凍食品の

湿ったにおい。

暗うなったコンビニの

奥から漂う、

冷蔵庫の弱った気配。


そういうもんが混ざると、

文明が静かに息切れしょーる

においがする。


Z世代の多くは、

そのにおいをまだ知らん。 


頭はええ。

情報にも強い。


けど、止まった文明の体温を、

まだ身体で知らんのじゃ。


じゃけえこの小説は、

脅かすためだけに

書くんじゃねえ。

説教するためでもねえ。


停電のにおいが来る前に、

その話を少しだけ

しておきたいんよ。


■12 助けてくれと言われた国


危機が深うなると、

国同士も

人間関係みたいになる。


ベトナムやインドネシアや

インドみたいな国が、

日本を含む周辺国へ

エネルギーの融通や支援を

求める動きを見せとる。


日本は日本で、

自国防衛を優先しながら

LPGや代替調達を探っとる。


きれいごとだけでは回らん。

けど、困ったときに誰を助けて、

誰を断るかは、

あとで静かな恨みになる。


おふくろは生きとるとき、

何かを分けるのがうまかった。


全部は渡さん。

でも、まったく

渡さんいうこともない。


国家にも、ほんまは

そういう知恵が

要るんじゃろう。


けど余裕がなくなると、

人間は知恵より先に

恐怖で動くんよ。


■13 それでも人は

   今日のごはんを炊く


それでも人は、

ごはんを炊く。


世界がややこしく

壊れていく途中で、

今日の米を研ぐ。


水を見て、電気を見て、

冷蔵庫の音を聞く。


昨日と同じように、

できることをやる。 


わしに日本は救えん。

世界も救えん。


でも今日のごはんを

炊くことはできる。


近所の若い子に、

モバイルバッテリーと

懐中電灯の大切さを

伝えることはできる。


冷凍庫は

詰めすぎん方がええよ、

いうことはできる。


その程度じゃ。


けど、

生き延びるいうんは、

たぶんその程度の

ことなんじゃ。


大げさに絶望せず、

雑に楽観もせず。

その間の狭い板の上を、

落ちんように

歩くことなんよ。


■14 エピローグ 

   お釈迦様に聞いてみた


その夜、わしは夢を見た。


夢の中でも、

世界は少し壊れとった。


ホルムズ海峡は細う閉ざされ、

日本は原油の九五%を中東に頼り、

その備蓄二五四日分を

少しずつ削りながら、

まだ平気な顔をしとった。


カタールでは

一七%のLNG能力が壊れ、

三年から五年は

戻らんかもしれんと

言われとった。


石油は

日量八百万バレルずつ足りず、

LNG価格は戦争前より

一四三%も跳ね上がっとった。


数字はまるで、

世界の体温計みたいに、

静かに熱を示しとった。


わしは暗い道を歩いとった。

道の先に、

小さい灯りが見えた。


寺のようでもあり、

駅の待合室のようでもあり、

どこかの家の

縁側のようでもあった。


その、

どこでもありそうで、

どこでもなさそうな場所に、

一人の人が座っとった。


お釈迦様じゃった。


わしは

その前に座って、

聞いた。


「これから、どう生きたら

 ええんでしょうか」


お釈迦様は、

すぐには答えんかった。


かわりに、

やかんを火にかけるような

仕草をした。


しばらくして、

細い湯気が立った。


その湯気を見とるうちに、

わしの胸の中のざわざわが、

少しずつ静こうなっていった。


世の中は大変なことになっとる。


石油も、ガスも、物流も、

電気も、水も、

何もかも細りはじめとる。


けど湯気は、

そんなことを何も言わんまま、

ただ上へ上へ昇っていった。


やがて、

お釈迦様は静かな声で言うた。


「大きすぎるものを、

 一度に背負おうとするな」


わしは黙っとった。


「世界を

 全部救おうとするな。

 明日の日本を

 一人で何とかしようとするな。

 おまえにできるんは、

 今日の一杯の水を

 大事にすること、

 今日つく電気を

 粗末にせんこと、

 今日の飯を、

 ありがたく食うことじゃ」


わしは少し拍子抜けした。


もっとすごい答えを、

どこかで期待しとったん

かもしれん。


国家戦略とか、

危機の突破法とか、

そういう立派なもんを。


けど、お釈迦様は

そんなことは言わんかった。


「備蓄は命を救う。

 じゃが、備蓄そのものは

 生き方を教えてはくれん。

 数字は危機を知らせる。

 じゃが、数字そのものは

 心を整えてはくれん」


その言葉を聞いた時、

わしはようやく

少しだけ泣きとうなった。


おふくろが亡うなった日から、

涙はどこかで

渋滞しとったんかもしれん。


「ほんなら、

 わしは何を守ったら

 ええんですか」


そう聞いたら、

お釈迦様は、

ほんの少しだけ笑うた。


「守れるもんから守れ」


日本全部は守れん。

世界全部も守れん。


けど、今日の水は

守れるかもしれん。


今日のごはんは

守れるかもしれん。


停電のにおいを知らん

若い子に、

数字の向こう側にある

暮らしの怖さを、

やわらこう伝えることは

できるかもしれん。


「止まるもんは止まる。

 壊れるもんは壊れる。

 なくなるもんはなくなる。

 それでもなお、

 心まで一緒に止めるな」


その一言が、

胸の奥へ、

静かに入ってきた。


まるで、

よう乾いた土に、

夜の雨がしみ込むみたいじゃった。


派手な音もせん。

けど、確かに、しみた。


「生き延びるいうんは、

 勝つことじゃねえ。

 つなぐことじゃ」


お釈迦様は、

最後にそう言うた。


「今日ある水を、

 明日へつなげ。

 今日つく明かりを、

 次の夜へつなげ。

 人の心の火まで消さんように、

 そっと手を添えてやれ。

 ほうしたら道は、

 おまえが探しに行かんでも、

 あとから向こうから来る」


そこで夢は終わった。


朝、目が覚めると、

まだ電気は来とった。


蛇口をひねると、

水も出た。

冷蔵庫も、

小さい声で働いとった。


世界は、

まだ壊れきっとらんかった。


でも、

もう元通りでもなかった。


わしは台所に立って、

水を確かめた。

米を研いだ。

炊飯器の蓋を閉めた。


窓の外を見た。

空は静かじゃった。


わしは

六十七歳のおじいちゃんとして、

これからの生き方を、

少しだけ決めた。


守れるもんから守る。

つなげるもんをつなげる。

今日ある水に感謝する。

今日つく電気に感謝する。

今日できることを一つやる。


そして、若い人らが

暗闇に飲み込まれんように、

数字の向こう側にある

暮らしのにおいを伝える。


それが、

いまのわしの生き方なんじゃろう。


おふくろが

静かに先へ逝った春に、

お釈迦様から教わった、

六十七歳のおじいちゃんの、


小さいけど、

ようしみる答えじゃった。

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