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『五年後の鉛筆』特別編 ✲ 七十二歳の僕は、ロボット犬に採点された ――二千五百三十万人の富裕層と、四百万ドルの盾と、さよならを言えなかった世界――

✦『五年後の鉛筆』特別編


✲ 七十二歳の僕は、

 ロボット犬に採点された


――二千五百三十万人の富裕層と、

 四百万ドルの盾と、

 さよならを言えなかった世界――


………


未来は、

空から来ると思っていた。


ミサイルで来る。

AIで来る。

株価で来る。

ニュース速報で来る。


けれど違った。


未来は、

四本足で歩いて来た。


スタジアムの床を、

カチ、カチ、カチ、

と鳴らしながら。


その犬は吠えなかった。

尻尾も振らなかった。


僕の顔を見たのではない。


僕の歩く速度を

見た。

荷物の角度を

見た。

立ち止まった秒数を

見た。

人の流れから外れた距離を

見た。


そして僕を、

人間としてではなく、


一つのリスク候補として、

どこかの画面へ

送信した。


その時、

七十二歳の僕は思った。


未来の警察犬は、

人を噛まない。


人を分類するのだ。


………


★目次


■第1章 

 ロボット犬が歩く

 スタジアム


■第2章 

 二千五百三十万人の

 富裕層


■第3章 

 五十一万人の

 超富裕層


■第4章 

 さよならを言えなかった

 世界


■第5章 

 ホルムズ海峡が

 前頭葉を詰まらせる


■第6章 

 空腹脳の子どもたち


■第7章 

 旗を持っただけで

 採点される社会


■第8章 

 祈りの場所に

 金属探知機が立つ日


■第9章 

 在庫は棚から消え、

 粉になった


■第10章 

 アメリカの脳、

 中国の身体


■第11章 

 インドは

 十五億人の取引所だった


■第12章 

 ドルの表道路、

 ルピーの脇道


■第13章 

 四百万ドルの盾を、

 四万ドルのドローンが

 笑った


■第14章 

 二年の余白


■第15章 

 五年後の鉛筆


………


★本文


■第1章 

 ロボット犬が歩くスタジアム


ワールドカップの会場で、

最初に僕を見たのは、

警官ではなかった。


犬だった。


ただし、

本物の犬ではない。


金属の足。

黒い胴体。

腹の下にカメラ。

頭のない犬。


その犬は、

群衆の中を歩いていた。


サッカーの

ユニフォームを着た 

若者。


国旗を頬に描いた 

子ども。


ビールを片手に笑う

父親。


スマホを掲げる

観光客。


その中を、

犬型ロボットが歩いていた。


「じいちゃん、

 これ何?」


高校一年生のゆづきが、

スマホの画面を僕に向けた。


「ロボット犬じゃ」


「かわいい?」


「かわいくはないのう」


「じゃあ怖い?」


「怖いというより、

 気持ち悪い」


「なんで?」


「犬なのに、

 人間を好きそうに

 見えんからじゃ」


本物の犬は、

人間の匂いを嗅ぐ。


怖がったり、

喜んだり、

飼い主を探したりする。


だが、

この犬は違った。


匂いを嗅がない。

感情を持たない。


ただ見る。

ただ記録する。

ただ送信する。


「未来の警察犬じゃな」


僕がそう言うと、

ゆづきは笑った。


「犬のおまわりさん?」


「違う」


僕は

画面の中の犬を見ながら言った。


「迷子の子猫を探す犬ではない。

 迷子になりそうな人間を、

 先に怪しいと分類する犬じゃ」


ゆづきは、

少しだけ黙った。


「それ、

 便利なんじゃないの?」


「便利じゃ。


 爆弾を

 見つけるかもしれん。

 倒れた人を

 見つけるかもしれん。


 人間の警官を

 危ない場所へ

 行かせずに済む」


「じゃあ、いいじゃん」


「いい面もある。

 でもな、ゆづき」


僕は、

画面の犬の黒い脚を見た。


「問題は、

 誰を

 助けるかではなく、


 誰を

 怪しいと見るかじゃ」


………


■第2章 

 二千五百三十万人の富裕層


その日の夜、

僕はニュースを見ていた。


世界の富裕層が、

二千五百三十万人を

超えたという。


投資可能資産が

百万ドル以上。


日本円にすれば、

一億五千万円前後以上の

資産を持つ人たち。


「じいちゃん、

 二千五百三十万人って

 多いの?」


ゆづきが聞いた。


「多い。

 国が一つ作れるぐらいじゃ」


「金持ちの国?」


「そうじゃ。

 世界中に散らばっとる

 金持ちの国じゃ」


彼らは、

国境に縛られない。


資産をドルで持つ。

株で持つ。

不動産で持つ。

金で持つ。

海外口座で持つ。

子どもを海外の学校へ入れる。


そして、

AIに世界を採点させる。


どの国が安全か?

どの病院が早いか?

どの学校が強いか?

どの税制が有利か?

どの都市が逃げ道になるか?


「じいちゃん、

 お金持ちは国を選べるの?」


「選べる人もおる」


「じゃあ、国って何?」


僕は、

少し困った。


昔、

国とは生まれた場所だった。


墓のある場所。

親のいる場所。

学校へ通った場所。

仏壇のある場所。

方言で怒られた場所。


しかし今、

超富裕層にとって国とは、

契約する場所になりつつある。


税制を契約する。

病院を契約する。

教育を契約する。

空港を契約する。

安全を契約する。


ゆづきが言った。


「じゃあ、

 国に住んでるんじゃなくて、

 国を使ってるみたい」


「そうじゃな」


僕はうなずいた。


「国に住む人間と、

 国を使う人間に、

 分かれ始めたんじゃ」


………


■第3章 

 五十一万人の超富裕層


二千五百三十万人の富裕層。


その上に、

さらに五十一万人ほどの

超富裕層がいる。


「上にも上があるんだね」


ゆづきが言った。


「そうじゃ。

 金持ちの中にも格差がある」


「金持ちなのに?」


「金持ちなのにじゃ」


普通の富裕層は、

家を持つ。

株を持つ。

退職金を持つ。

相続財産を持つ。


けれど、

簡単には逃げられない。


家は動かせない。

親は動かせない。

会社も地域も動かせない。

相続税も修繕費も動かせない。


一方、

超富裕層は違う。


飛行機で動く。

資産を動かす。

国籍を増やす。

医療を予約する。

教育を買う。

危機が来れば、

先に逃げる。


「じゃあ、

 普通の金持ちは?」


ゆづきが聞いた。


「上から見ると庶民。

 下から見ると金持ち。

 両方から挟まれる」


「中間管理職みたい」


「その通りじゃ。

 富裕層の中間管理職じゃ」


資産はある。

でも不安もある。


家は高くなった。

でも売れない。


株は上がった。

でも暴落が怖い。


子どもに残したい。

でも相続税が怖い。


庶民からは恨まれる。

超富裕層には置いていかれる。


「金持ちになっても、

 安心じゃないんだね」


「安心を買うには、

 さらに

 金がいる時代なんじゃ」


ゆづきは、

スマホを見ながらつぶやいた。


「じゃあ、

 金がない人はどうなるの?」


僕は、

少し黙った。


それが、

この物語の本題だった。


………


■第4章 

 さよならを言えなかった世界


ガザのニュースが流れていた。


瓦礫の中で、

男が家族の遺体を探していた。


彼は叫んでいた。

名前を呼んでいた。


だが、

返事はなかった。


「じいちゃん、

 こういうニュース、

 最近多すぎる」


ゆづきが言った。


「多すぎるな」


戦争。

空爆。

地震。

津波。

火災。

洪水。

列車事故。

突然死。

行方不明。


愛する人に、

さよならを言えないまま

別れる人が、

世界中で増えていた。


死者数は数えられる。


十人。

百人。

千人。

一万人。


だが、

さよならを言えなかった人の数は、

誰も数えない。


母に謝れなかった

息子。


父の手を握れなかった 

娘。


恋人の最後のメッセージに

返事をしなかった

若者。


子どもの靴だけを見つけた

父親。


彼らの心の中では、

別れが終わらない。


「死んだって分かってても、

 帰ってくる気がするのかな」


ゆづきが小さく言った。


「そうじゃ」


僕は答えた。


「心の中の玄関が、

 ずっと開いたままになる」


「それって苦しいね」


「苦しい。

 そして、

 その苦しみが多すぎると、


 社会全体が

 怒りっぽくなる」


「悲しいのに?」


「悲しすぎると、

 人は怒りでしか

 持てなくなることがある」


戦争が終わっても、

人間の中に残った戦争は、

まだ停戦していない。


僕は、

そう思った。


………


■第5章 

 ホルムズ海峡が

 前頭葉を詰まらせる


ホルムズ海峡が

詰まった時、

人々は

ガソリン価格を見ていた。


ニュースは言った。


原油が上がる。

LNGが上がる。

船賃が上がる。

保険料が上がる。


だが僕は、

別のものを見ていた。


肥料である。


天然ガス。

アンモニア。

尿素。

リン酸。

カリ。


農業の裏側には、

エネルギーが流れている。


肥料が高くなる。

農家が使う量を減らす。

収穫が減る。

野菜が高くなる。

米も高くなる。

畜産の飼料も高くなる。

卵も肉も牛乳も高くなる。


そして最後に、

子どもの朝ごはんが薄くなる。


「じいちゃん、

 肥料と脳って関係あるの?」


ゆづきが聞いた。


「大ありじゃ」


僕は答えた。


「肥料が畑に届かんと、

 食べ物が減る。


 食べ物が減ると、

 栄養が脳に届かん。


 脳に栄養が届かんと、

 人間は怒りやすくなる。


 集中できん。

 我慢できん。

 未来を考えられん」


「それ、

 戦争より怖いかも」


「戦争は海峡で起きる。

 でも最後は、

 食卓と前頭葉で起きる」


ゆづきは、

少し眉をひそめた。


「前頭葉って?」


「人間が、

 人間らしく考える場所じゃ」


「じゃあ、

 そこが空腹になるの?」


「そうじゃ」


僕は、

テレビの中の海峡を見た。


「ホルムズ海峡が詰まった時、

 本当に詰まり始めたのは、

 人間の前頭葉だったのかもしれん」


………


■第6章 

 空腹脳の子どもたち


五年後、

日本は飢餓の国には

なっていなかった。


スーパーには、

まだ食べ物があった。


コンビニにも、

おにぎりは並んでいた。


だが、

中身は変わっていた。


小さくなった弁当。

薄くなったトレー。

減った具材。

高くなった卵。

買いにくくなった魚。

減った肉。

安い炭水化物。


「食べてるのに、

 栄養が足りない人が

 増える」


僕がそう言うと、

ゆづきは言った。


「お腹いっぱいでも?」


「お腹いっぱいでもじゃ」


菓子パンで腹はふくれる。

カップ麺で熱量は取れる。

白米で空腹は消える。


でも、

たんぱく質が

足りない。


鉄が

足りない。


亜鉛が

足りない。


ビタミンが

足りない。


良い脂が 

足りない。


脳は、

だんだん余裕を失う。


学校で、

集中できない子が増える。


職場で、

ミスが増える。


家庭で、

声が大きくなる。


SNSで、

怒りが速くなる。


「それって、性格が

 悪くなったんじゃなくて、

 栄養が足りないの?」


「全部ではないが、

 そういう面はある」


僕は、

自分の朝ごはんを

思い出した。


玄米。

納豆。

卵。

めかぶ。

バナナ。

低脂肪牛乳。


地味な食卓だった。


だが五年後には、

地味な食卓こそが、

前頭葉を守る防空壕になる。


「じいちゃんの朝ごはん、

 なんか戦略っぽいね」


ゆづきが笑った。


「そうじゃ。

 玄米納豆防衛戦略じゃ!」


「名前がださい」


「ださいぐらいが、

 長続きするんじゃ」


………


■第7章 

 旗を持っただけで

 採点される社会


世界では、

反イスラエル運動が

広がっていた。


同時に、

反ユダヤ主義も 

広がっていた。


さらに、

反ムスリム感情も 

増えていた。


人々は旗を持った。


パレスチナの旗。

イスラエルの旗。

宗教のシンボル。

抗議のプラカード。

黒い服。

白い花。

沈黙の行進。


「じいちゃん、

 政府を批判するのは

 悪いことなの?」


ゆづきが聞いた。


「悪いことではない。

 むしろ

 民主主義には 

 必要じゃ」


「じゃあ何が問題なの?」


「政府を 

 批判することと、


 民族や宗教の人間を

 憎むことは違う」


イスラエル政府の軍事行動を

批判する自由はある。


ガザの民間人被害に

怒ることも当然だ。


だが、

ユダヤ人一般を

攻撃することは違う。


同じように、

ハマスを批判することと、

ムスリム一般を

憎むことも違う。


しかしSNSの中では、

その境界が溶けていく。


怒りは速い。

説明は遅い。


そしてAIが、

人間の投稿を読む。


どの旗を持ったか?

どのデモにいたか?

どの団体に寄付したか?

どの言葉を使ったか?

誰と写真に写ったか?


「それって、

 就職にも関係するの?」


ゆづきが聞いた。


「するかもしれん」


「大学にも?」


「するかもしれん」


「ビザにも?」


「するかもしれん」


ゆづきは、

スマホを置いた。


「じゃあ、

 正しいことを言うのも

 怖くなるじゃん」


「そうじゃ」


僕は言った。


「五年後の問題は、

 憎悪を止めながら、

 抗議の自由を

 守れるかどうかじゃ」


旗を持つだけで、

人間の未来が採点される。


そんな社会が、

ゆっくり近づいていた。


………


■第8章 

 祈りの場所に

 金属探知機が立つ日


シナゴーグ。

モスク。

教会。

寺院。


祈りの場所は、

本来、

人間が小さくなって

入る場所だった。


怒りを置く。

悲しみを置く。

死者の名前を呼ぶ。

自分の弱さを認める。


ところが五年後、

祈りの場所の入口には、

警備員が立つようになった。


バッグ検査。

金属探知機。

監視カメラ。

顔認証。

入館予約。

警察車両。


「神様の家に入る前に、

 ゲートを通るんだね」


ゆづきが言った。


「そういう時代に

 なるかもしれん」


「日本のお寺も?」


「日本はまだ遅れて来る。


 でも

 国際会議、観光地、  

 宗教施設、大学、

 空港では入ってくるじゃろう」


僕は、

仏壇の前で唱える

正信偈を思い出した。


毎朝、

声を出す。


誰も見ていない。

AIも見ていない。

採点もない。


ただ、

南無阿弥陀仏と声を出す。


五年後、

こういう時間は、

もっと大事になる。


外の世界が

人間を分類するほど、

内側で

人間に戻る場所が必要になる。


「じいちゃんの

 正信偈って、

 古い習慣じゃなくて、

 未来の避難所かもね」


ゆづきが言った。


僕は笑った。


「おお、

 ええこと言うな」


「今の、

 小説に使っていいよ」


「もう使っとる」


………


■第9章 

 在庫は棚から消え、

 粉になった


中国のテレビは、

3Dプリンターの成長を

誇らしげに伝えていた。


生産量が伸びた。

輸出量が伸びた。

歯科模型。

補聴器。

医療部品。

複雑な内部構造。

安い装置。

安定した材料。


「じいちゃん、

 3Dプリンターって、

 おもちゃ作る

 やつじゃないの?」


「昔はそう見えた。

 でも今は違う」


部品が届かない。

港が詰まる。

船賃が上がる。

倉庫に在庫がない。


その時、

人間は考える。


運ぶのではなく、

近くで作れないか。


棚に置くのではなく、

データで持てないか。


五年後、

在庫は棚から消え始める。


代わりに残るのは、

白い粉。

黒い樹脂。

金属粉末。

フィラメント。

暗号化された設計図。


「在庫はありません」


店員は言う。


「でも、

 三時間後に刷れます」


これは便利だ。


災害現場で部品を 

刷る。


病院で患者に合う器具を 

作る。


工場で古い機械の部品を

再現する。


犬型ロボットの外装を

補修する。


だが、

同時に怖い。


誰が 

刷る許可を持つのか?


誰が

設計図を持つのか?


誰が

危険な部品を止めるのか?


誰が 

本物と偽物を見分けるのか?


「自由な道具に見えて、

 許可制の道具にも

 なるんだね」


ゆづきが言った。


「そうじゃ。

 3Dプリンターは、

 自由の機械であり、

 信用格差の機械でもある」


………


■第10章 

 アメリカの脳、中国の身体


アメリカはAIを作る。


巨大なデータセンター。

半導体。

クラウド。

軍事OS。

検索。

広告。

金融。

宇宙通信。


中国は身体を作る。


モーター。

基板。

センサー。

カメラ。

ドローン。

ロボット。

電池。

3Dプリンター。

レアアース。

量産工場。


「じゃあ、

 アメリカが頭で、

 中国が体なの?」


ゆづきが聞いた。


「ざっくり言えば、

 そんな感じじゃ」


「どっちが強いの?」


「脳だけでは歩けん。

 身体だけでは考えられん」


アメリカは、

世界を設計する 

力がある。


中国は、

世界に物を行き渡らせる

力がある。


犬型ロボットもそうだ。


AIは

アメリカ製かもしれない。

半導体も

アメリカ設計かもしれない。


でも、

脚のモーター、

安いセンサー、

バッテリー、

基板、


外装部品は、

中国の供給網に

頼るかもしれない。


「じゃあ、

 敵同士なのに、

 つながってるの?」


「そうじゃ。

 現代の世界は、

 嫌いな相手の部品で

 動いとる」


ゆづきは、

少し笑った。


「人間関係みたい」


「世界経済は、

 だいたい

 面倒くさい人間関係じゃ」


未来は、

アメリカ語で考え、

中国製の脚で歩く。


僕は、

そうメモした。


………


■第11章 

 インドは  

 十五億人の取引所だった


インドのニュースでは、

モディ首相とプーチン大統領が

互いを称え合っていた。


西側は言う。


インドは

アメリカ側に来るべきだ。

ロシアとの関係は

問題だ。


だがインドは、

簡単には動かない。


「インドって、

 どっち側なの?」


ゆづきが聞いた。


「インド側じゃ」


「答えになってない」


「いや、

 これが答えじゃ」


インドは、

アメリカとも組む。

ロシアとも組む。

中東とも組む。


中国を警戒する。


安い原油を買う。

ITで稼ぐ。

宇宙へ行く。

薬を作る。

兵器も買う。


十五億人の生活を支える。


インドは、

親ロシアというより、

戦略的両取りの国だ。


安い原油があれば

買う。


必要な兵器があれば

買う。


アメリカの技術が欲しければ

組む。


中国を牽制するためにも、

アメリカを

使う。


「なんか、

 したたかだね」


「十五億人を食わせる国は、

 きれいごとだけでは

 動けん」


「じゃあ、

 アメリカの言う通りには

 ならない?」


「ならんじゃろうな」


インドは、

中立ではない。


十五億人の胃袋を持つ、

巨大な取引所なのだ。


………


■第12章 

 ドルの表道路、ルピーの脇道


世界の金融には、

表道路がある。


ドル。

SWIFT。

西側銀行。

国際決済。

制裁。

コンプライアンス。


だが、

戦争と制裁が増えるほど、

裏側に脇道ができる。


ルピー。

ルーブル。

人民元。

ディルハム。

金。 


第三国経由。

商品バーター。


グレーな保険。

複雑な船籍。


「じいちゃん、

 それって悪いこと?」


ゆづきが聞いた。


「全部が悪いわけではない。

 でも、見えにくくなる」


「何が?」


「どこから来た金か?

 どこから来た石油か?

 どこから来た部品か?」


五年後、

企業の信用は、

売上だけでは測れなくなる。


その売上は、

どの配管を通って来たのか。


ロシア由来か?

インド経由か?

中国部品か?

制裁対象か?


第三国ロンダリングか?

合法か?

グレーか?


AIは、

それを見る。


「つまり、

 信用って性格じゃなくて、

 取引履歴になるの?」


ゆづきが聞いた。


「そうじゃ」


僕は答えた。


「五年後、

 信用とは人格ではなく、

 どの配管を通って生きているか、

 その履歴のことになる」


世界は思想ではなく、

配管で動く。


僕は、

その一行を赤鉛筆で囲んだ。


………


■第13章 

 四百万ドルの盾を、

 四万ドルのドローンが笑った


アメリカは、

世界最強の軍隊を持っていた。


空母。

戦闘機。

爆撃機。

原潜。

衛星。

サイバー。

ミサイル。

迎撃システム。


だが、

戦場の計算式が変わっていた。


一発四百万ドル級の

迎撃ミサイルを、

数万ドル級の

ドローンに撃たされる。


高級な盾を、

安い石ころで削られる。


「それって、

 落とせたなら

 勝ちじゃないの?」


ゆづきが聞いた。


「一発ならな」


「たくさん来たら?」


「財布が負ける。

 弾薬庫が負ける。

 補充速度が負ける」


昔の戦争は、

高級兵器同士の勝負だった。


今の戦争は、

安い消耗品で高級兵器を削る

勝負になった。


これが、

軍事のコモディティ化である。


ドローンは、

もう国家だけのものではない。


民生部品。

カメラ。

バッテリー。

通信。

3Dプリンター。

AI画像認識。


これらを組み合わせれば、


小国でも、

非国家組織でも、

巨大軍事システムを

消耗させられる。


「じゃあ、

 強い国って何?」


ゆづきが聞いた。


「高級兵器を持つ国ではない」


僕は答えた。


「安くたくさん作れて、

 すぐ直せて、

 すぐ補充できる国じゃ」


高級な盾は、

安い石ころを投げ続けられて、

先に財布を失った。


僕は、

その一行を書いた。


………


■第14章 

 二年の余白


世界中の迎撃弾が

足りなくなっていた。


補充には時間がかかる。


二年。

三年。


その間、

大国はすぐ大戦争をしたくない。


弾が足りないからだ。


「じいちゃん、

 じゃあ平和なの?」


ゆづきが聞いた。


「違う」


「戦争しないなら

 平和じゃないの?」


「戦争をしない

 二年ではない。


 戦争できない

 二年じゃ」


この余白の間に、

世界は準備する。


迎撃弾を作る。

安い防空を作る。

ドローン工場を作る。 


レアアースを押さえる。

3Dプリンターを増やす。

犬型ロボットを配備する。


港を守る。

空港を守る。

製油所を守る。


通信を守る。

食料を守る。


日本にも、

二年の余白がある。


それは、

恐怖で固まる時間ではない。


生活を整える時間だ。


食料。

水。

電気。

通信。

薬。


家族関係。

体力。

睡眠。

祈り。

記録。

AI。


「じいちゃんは、

 何をするの?」


ゆづきが聞いた。


「玄米を食べる」


「地味!」


「納豆も食べる」


「もっと地味!」


「正信偈を唱える」


「さらに地味!」


「AI小説を書く」


「急に未来!」


僕は笑った。


「そうじゃ。

 未来は派手なものだけでは

 守れん。


 地味な習慣が、

 最後に人間を守るんじゃ」


………


■第15章 

 五年後の鉛筆


七十二歳の僕は、

テレビの前に座っていた。


画面の中では、

ロボット犬が 

歩いていた。


別の画面では、

3Dプリンターが部品を

刷っていた。


さらに別の画面では、


富裕層が資産を増やし、

超富裕層が国を選び、


貧しい人たちが 

食料を減らし、


さよならを 

言えなかった人たちが、

瓦礫の中で 

名前を呼んでいた。


世界は、

一つのニュースではなかった。


全部つながっていた。


ホルムズ海峡。

肥料。

食卓。

前頭葉。

未完の別れ。


富裕層。

信用スコア。

犬型ロボット。

3Dプリンター。


インド。

ロシア。

ドル。

ルピー。

ドローン。

迎撃ミサイル。


二年の余白。


「じいちゃん、

 世界って難しすぎるね」


ゆづきが言った。


「難しい」


僕は答えた。


「でも、

 見えない配管を一本ずつ見れば、

 少しずつ分かる」


「分かったら、

 どうすればいいの?」


僕は、

鉛筆を持った。


五年後の鉛筆。


それは、

未来を当てる道具ではない。


怖さに飲まれないための道具だ。


ニュースを一行にする。

怒りを一行にする。

不安を一行にする。

違和感を一行にする。


そして、

AIに投げる。


AIは答える。


僕は突っ込む。


また書く。


それは、

七十二歳の僕が、

世界の目詰まりに負けないための

小さな呼吸だった。


「ゆづき」


「何?」


「世界はたぶん、

 これからもっと分類する」


「AIが?」


「AIも。

 銀行も。

 学校も。

 警察も。

 保険も。

 企業も。

 国も」


「人間を?」


「人間を」


「じゃあ、

 人間はどうすればいいの?」


僕は、

少し考えた。


「自分を、

 分類されるだけの人間に

 しないことじゃ」


「どういう意味?」


「自分の

 言葉を持つ。


 自分の

 習慣を持つ。


 自分の

 食卓を持つ。


 自分の

 祈りを持つ。


 自分の

 記録を持つ。


 自分の

 問いを持つ」


「それで勝てるの?」


「勝つためではない」


僕は、

鉛筆を置いた。


「人間でいるためじゃ」


ゆづきは、

静かにうなずいた。


外の世界では、

犬型ロボットが歩いていた。


工場では、

部品が刷られていた。


銀行では、

信用が採点されていた。


空では、

安いドローンが

高級な盾を削っていた。


海峡では、

肥料と石油の配管が

細っていた。


そして、

どこかの瓦礫の中で、

誰かがまだ、

愛する人の名前を呼んでいた。


七十二歳の僕は、

その声を忘れないために、

今日も一行を書いた。


未来は、

空から来ない。


四本足で歩き、

ノズルから刷られ、

信用スコアで人間を並べ、


最後に

台所の値札になって

やって来る。


だから僕は、

玄米を噛む。


納豆を混ぜる。

正信偈を唱える。

AIに問いを投げる。


そして、

五年後の鉛筆を転がす。


右へ転がれば右へ行く。

左へ転がれば左へ行く。


賢い方法ではない。


でも、

止まらない方法ではある。


………


❥Z世代のあなたへ


あなたたちは、

大変な時代に生きている。


食費は上がる。

家賃は上がる。


就活はAIに読まれる。

SNSの投稿は残る。


世界の戦争は

スマホに流れてくる。


富裕層は

ますます遠くなる。


でも、

あきらめる必要はない。


これからの時代に

必要なのは、

完璧な才能ではない。


毎日ひとつ、

自分を整える力だ。


朝ごはんを

抜かない。


水を 

飲む。


少し

歩く。


怒りを

すぐ投稿しない。


気になったニュースを

一行メモする。


AIに丸投げせず、

自分の違和感を

ぶつける。


誰かが亡くなったニュースを、

数字だけで

見ない。 


名前のある人間として

見る。


世界は、

あなたを分類しようとする。


優良顧客。

リスク候補。

採用見送り。

保証人必要。

追加審査。

予約不可。

スコア不足。


でも、

あなたは点数ではない。


あなたは、

今日の一行で、

自分の人生を

少しだけ編集できる。


未来は怖い。


けれど、

怖い未来を見ない人より、 


怖い未来を見て、

自分の足元を 

整える人の方が強い。


五年後の鉛筆は、

特別な人だけのものではない。


スマホのメモ帳でも

いい。


ノートの端でも

いい。


レシートの裏でも

いい。


今日、

あなたが感じた違和感を、

一行だけ書いてほしい。


そこから、

あなたの信用ログではなく、


あなたの

再生ログが始まる。


………


★あとがき

 ホームズとワトンの

 やすきよ漫才風


ホームズ

「ワトン君、

 今回の事件は

 かなり大きかったね」


ワトソン

「大きいどころか、

 ロボット犬から

 3Dプリンターから

 インドから 

 ロシアから 

 ホルムズ海峡まで、

 詰め込みすぎや! 


 読者の脳みそ、

 過積載で脱輪するで!」


ホームズ

「しかし全部  

 つながっているんだよ」


ワトソン

「出た!名探偵の

 “全部つながっている”! 


 わしの家のWi-Fiより

 先につながるな!」


ホームズ

「まず富裕層が

 二千五百三十万人」


ワトソン

「そのうち一人ぐらい、

 わしに焼肉おごってくれ!」


ホームズ

「さらに超富裕層が

 五十一万人」


ワトソン

「焼肉どころか、

 牛一頭買えるやないか!」


ホームズ

「その一方で、

 貧しい人は食料が高くなり、

 栄養が足りなくなる」


ワトソン

「笑えん話やな。

 菓子パン一個で

 一日持たせる若者も

 おるからな」


ホームズ

「そしてAIは、

 その人の支払い履歴、

 健康履歴、

 SNS発言を見る」


ワトソン

「やめてくれ! 

 わしの夜中の

 ポテチ購入履歴まで

 見んといてくれ!」


ホームズ

「ロボット犬も見る」


ワトソン

「犬ならまだええ。

 尻尾振ってくれたら許す」


ホームズ

「振らない」


ワトソン

「冷たい犬やな!」


ホームズ

「吠えない」


ワトソン

「番犬失格や!」


ホームズ

「噛まない」


ワトソン

「そこは助かる!」


ホームズ

「分類する」


ワトソン

「一番イヤな犬やないか!」


ホームズ

「そして3Dプリンターが

 部品を刷る」


ワトソン

「ほんなら、 

 わしの若い頃の

 髪の毛も刷ってくれ」


ホームズ

「それは 

 設計図が残っていない」


ワトソン

「失礼な! 

 頭皮にわずかな痕跡はある!」


ホームズ

「さらに軍事の世界では、

 四百万ドルの迎撃ミサイルを

 四万ドルのドローンに

 撃たされる」


ワトソン

「それ、

 勝っても財布が負けるやつや!」


ホームズ

「その通り。

 これからの戦争は、

 値段の戦争でもある」


ワトソン

「ほんなら、

 わしの家計も戦場や。  

 卵、牛乳、納豆、

 全部値上がりしとる」


ホームズ

「だからこそ、

 二年の余白が大事なんだ」


ワトソン

「二年の余白?」


ホームズ

「世界が

 弾薬や部品や

 食料網を作り直す間、

 日本人も

 自分の生活を作り直す」


ワトソン

「つまり、

 わしは何をすればええ?」


ホームズ

「朝ごはんを整える」


ワトソン

「地味!」


ホームズ

「歩く」


ワトソン

「地味!」


ホームズ

「怒りをすぐ投稿しない」


ワトソン

「それは難しい!」


ホームズ

「一行メモする」


ワトソン

「それならできるかもしれん」


ホームズ

「そして、 

 世界に分類される前に、

 自分の言葉で 

 自分を記録する」


ワトソン

「おお

 ……最後だけ

 急にええこと言うな」


ホームズ

「名探偵だからね」


ワトソン

「いや、

 今回は名探偵というより、

 七十二歳の 

 玄米納豆おじいちゃんや」


ホームズ

「それでいい」


ワトソン

「ええんかい!」


ホームズ

「玄米を噛み、

 納豆を混ぜ、

 正信偈を唱え、 

 AIに問いを投げる。


 これが五年後の

 サバイバルだ」


ワトソン

「派手な未来に対して、

 対抗策が地味すぎる!」


ホームズ

「地味なものほど、 

 最後まで残る」


ワトソン

「ほな、

 わしも明日から納豆食うわ」


ホームズ

「まずはよく噛みたまえ」


ワトソン

「そこからかい!」


二人は笑った。


テレビの中では、

ロボット犬が歩いていた。


だが、

ちゃぶ台の上では、

湯気の立つ味噌汁と、

玄米と、

納豆が待っていた。


世界は大きすぎる。


でも、

人間が戻る場所は、

いつも小さい。


その小さい場所を守ることから、

五年後の物語は始まるのである。


………


おしまい

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