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逆コスパ・ショック ――資源国が先に止まった日――

✦逆コスパ・ショック

――資源国が先に止まった日――


………


資源がある国と、使える国は違う。

コスパの勝者が、

有事には最初の敗者になる。


………


日本人の多くは、

電気はコンセントから

生まれると思っている。


スイッチを押せばつく。

冷蔵庫は冷える。

スーパーには納豆が並び、

ケーキ屋には

ショートケーキが並び、

飛行機は時刻通りに飛ぶ。


その「当たり前」が、

どれほど細い糸の上に

乗っとるか、

ほとんど誰も知らん。


わしら日本人こそ、

一番その糸を信じとる。


「大丈夫やろ」

「いつか元に戻る」

「専門家が言うとるし」


頭のどこかで、

そう唱え続けてる。


それが、

正常化バイアスという病じゃ。


わしは元証券会社勤務の、

六十七歳のじいさんじゃ。


派手な人間じゃない。

毎朝起きて、

同じ時間にコーヒーを飲み、

ニュースを見て、

値段の上がったバナナや

納豆を見ながら


「まあ、しゃあないか」


とつぶやく。


そんな暮らしをしとった。


危機の匂いが漂い始めても、

わし自身、まだ

「まあ、いつか収まるやろ」

と心のどこかで思っとった。


けれど、

ホルムズ海峡封鎖のニュースが

流れた日から、世界の歯車は、

目に見えんところで

逆回転を始めた。


テレビの専門家は

まだ落ち着いとった。


「国家備蓄があります」

「影響は限定的です」

「直ちに供給不安に結びつく

 状況ではありません」


この「直ちに」という言葉が、

わしは昔から嫌いじゃった。


証券会社におったころも、

ほんまに危ない時ほど、

みんな最初は静かなんよ。


暴落は鐘を鳴らして来ん。


一番恐ろしいのは、

数字ではなく、

みんなの顔がまだ

平気そうに見えることじゃ。


わしも、テレビの前で

「ふーん」と鼻を鳴らしながら、

内心で

「日本は大丈夫やろ」と

自分に言い聞かせとった。


その日の夕方、

娘のさおりから

メッセージが入った。


「お父さん、

 オーストラリアの友だちが

 変なこと言い始めた」


さおりは若いころ、

オーストラリアへ留学しとった。


あの国を

第二の故郷みたいに思うとる。

いまでも現地の友人と

つながっとって、

ニュースにならん話が時々届く。


最初は軽いトーンやった。


『シドニーはまだ普通だよ。

 みんなのんびりしとる』


そう送ってきた友人もおった。


けど、次のメッセージは違う。


『郊外のスタンドは空になり始めた』

『夜は車を外に置くなって言われた』

『次は食料だって、近所が騒ぎ始めた』


そして三日後、

さおりの声はもう震えとった。


「パニック買いが始まってる。

 お父さん、ほんまにヤバいよ」


同じ国の話とは思えんかった。

さおりが、ぽつりと言うた。


「オーストラリアって、

 資源大国なんよ。

 天然ガスも出るし、

 石油もある。

 でもね、お父さん。

 原油があることと、

 今日のガソリンがあることは、

 同じじゃないんよ」


わしは思わず笑うた。


「石油が出るんなら、

 自分でガソリンに

 すりゃええじゃろう」


さおりは笑わんかった。


「その“すりゃええ”を、

 長年やめとったんよ。

 コスパのために」


オーストラリアには原油がある。

天然ガスもある。

日本はそのオーストラリアから

大量のLNGを買うとる。


現実に、日本のLNG輸入総量は

年間約6500万トン。

その約38%は豪州頼みじゃ。


中東由来は全体の約11%で、

カタール単独では4〜6%程度。


原油にいたっては

95%近くを中東へ頼っとる。


数字だけ見ると、

日本の方がよほど

危ういように見える。


でも、豪州の町で

先に足りなくなり始めたのは

ガソリンじゃった。


理由は単純で、残酷じゃった。


掘るのは自分。

精製は他人。

在庫は薄く。

船は時間通り来る前提。


国内製油所は今やわずか二つ。

ガソリン・軽油・

ジェット燃料の8割超を

海外から輸入しとる。


2025年の輸入実績は

ガソリン18.8万バレル/日、

ジェット燃料14万バレル/日、

ディーゼル52.1万バレル/日。


設備投資も人件費も減らして、

空で帰る船に

燃料を積んで帰らせれば、

数字の上では美しい。


けれど有事になった瞬間、

その美しい数字は、

人間の暮らしを裏切る。


そこへ中東が崩れ、

カタールのLNGが傷ついた。


QatarEnergyが

一部長期契約で

force majeureを宣言。


イラン攻撃で

Ras Laffan施設が直撃され、

輸出能力の17%

(年間1280万トン規模)

が一気に吹き飛んだ。


翌朝、アジア向けスポット価格は

30%跳ね上がり、

コンテナ船のスケジュールが

狂い始めた。


日本の発電も、

思った以上に

細い綱の上に乗っとる。


発電の約三割は天然ガス。

全体の約七割が化石燃料頼み。


国家備蓄プラス

民間在庫を合わせても、

原油換算で240日分以上

あるという数字が出とるけど、

それは「直ちに」止まらんための

時間稼ぎに過ぎん。


政府はすでに民間備蓄から

15日分を放出開始。

共同備蓄からも

5日分を切り崩すと発表した。


テレビでは

「まだ余裕あります」

と繰り返しとる。


わしも、最初は

「ほら見ろ、大丈夫や」

と胸をなでおろした。


それが正常化バイアスや。


豪州政府の説明では、

三月時点で在庫は

ガソリン36日、

ディーゼル34日、

ジェット燃料32日程度。


数字だけ見れば

「まだ一か月あるじゃないか」

と思う人もおるじゃろう。


でもその一か月は、

全国一律に平等に

使える一か月じゃない。


すでにパニック買いが始まり、

実際の消費ペースは

通常の1.5倍に跳ね上がっとる。


三月十三日、

政府が緊急放出を発表した

翌週にはエネルギー大臣が

「四月後半が本当の正念場」

と認めざるを得なくなった。


さおりの友人の一人は、

シドニー中心部で

まだ普通に暮らしとった。


『スーパーは

 ちょっと高くなったくらい。

 騒ぎすぎじゃない?』


別の友人は郊外で、

こう書いてきた。


『ガソリンが抜かれた車が

 何台もある』


『近所のグループチャットで、

 夜は交代で見回ろうって

 話になってる』


『みんな、次は

 家に入ってくるんじゃないかって

 言い始めた』 


さらに昨夜、

さおりは震える声で

音声メッセージを転送してきた。


「スタンドに並ぶ列が

 二キロ超えた。

 警察が来てるのに、

 男たちが

 押し合いへし合いしてる。

 ジェット燃料不足で

 国内便がキャンセルされ始めた。

 明日からシドニー発のフライト、

 半分が飛ばんらしい

 ……昨日は近所のスタンドで

 殴り合いがあった。

 燃料を求めて……」


わしは、

その文章を何度も読み返した。


ほんまに恐ろしいのは、

ガソリンが減ること

そのものじゃない。


ガソリンが減った時、

人間の想像力が

どこへ飛ぶかなんよ。


買い物に行けん。

病院に行けん。

学校へ送れん。

仕事に行けん。


そうなると人は、

次の不足を先回りして怖がる。


食料。薬。家。水。


そこまで行くと、

もう話は価格じゃない。


治安になる。


最初は冗談みたいに言うとる。


「マッドマックスみたいじゃな」

「北斗の拳じゃが」


でも人間は、

自分の町がその入口に立つまで、

それを冗談のつもりで口にする。


豪州の郊外で起きとることは、

笑い話じゃなかった。


豊かな国で、広い空の下、

車さえあれば

どこへでも行けるはずの生活が、

燃料ひとつで崩れ始める。


その姿は、

日本にとって未来の鏡じゃった。


都会は最後まで平気な顔をする。

これはどこの国も同じじゃ。

東京、大阪、名古屋。


中心部は物流も情報も

最後まで集まる。


じゃけえ余計に、人は

「ほら見ろ、大丈夫じゃないか」

と思い込む。


わしも昨日、近所のスーパーで

「まだ品物は並んどるわ」

と自分に言い聞かせた。


それが正常化バイアスや。


だが、地方は違う。


例えば、山梨から高速を走って

地方へ届くケーキ。


工場から遠く離れた町へ

運ばれる冷凍食品。


納豆そのものは作れても、

容器が来ん。


病院に本体はあっても、

点滴チューブが足りん。


農地はあっても、

ビニールハウスのフィルムが来ん。


肥料は値上がりし、

薬の原料は細る。


そういうものは、

都市の棚が埋まっとるうちに、

地方から先に痩せていく。


「たまたま品切れです」

「物流の乱れです」

「一時的な欠品です」


その説明を、何度聞いたことか。

だけど、

一時的な欠品が十個重なったら、

それはもう構造じゃ。


さおりが、夜遅うに、

あるSNSの投稿を見せてきた。


『オーストラリア留学

 決定しました!

 音楽の勉強に邁進します!

 ワクワクしています!』


若い子が夢を見るんは

ええことじゃ。

わしもそれ自体を笑う気はなかった。


じゃがその同じ夜、

別の画面には、豪州郊外の友人が

送ってきた短い音声があった。


『こっちはね、

 もう“行ける時に行っとけ”って感じ。

 スタンドもスーパーも、

 次にどうなるかわからない。

 シドニーの真ん中は

 まだ普通に見えるかもしれないけど、

 こっちは違う。

 みんな顔つきが変わってきてる。

 昨日は近所のスタンドで

 殴り合いがあった。

 警察が来る前に燃料を求めて……』


その二つの画面を見比べた時、

わしは、正常化バイアスいう

言葉の本当の意味が分かった気がした。


無知なんじゃない。

鈍いんでもない。

人間いうのは、

自分の暮らしが壊れる直前まで、

壊れるとは信じとうないんじゃ。


日本人も同じや。

わしも同じや。


「まだ電気はついとる」

「冷蔵庫は回っとる」

「ニュースは落ち着いとる」


そう自分に言い聞かせながら、

ゆっくりと、確実に、

糸が切れていくのを無視しとる。


わしは元証券会社勤務じゃった。

相場が崩れる前の空気を、

何度も見てきた。


一番危ないのは、

みんながまだ

普通の話しかせん時じゃ。


コーヒーが高うなったな。

バナナが細うなったな。

最近ケーキ屋、品数少ないな。


その程度の雑談の裏で、

世界はもう、

ゆっくり逆回転しとる。


✲逆コスパ・ショック✲


その言葉が、

わしの中にすっと入ってきた。


安い方へ。

速い方へ。

在庫を持たん方へ。

人を減らす方へ。

面倒を外へ回す方へ。


その平時の正しさが、

有事になった瞬間、

全部逆回転する。


資源国が先に止まる。

郊外が先に痩せる。

都市が最後まで笑う。


そして、日本はその鏡を見ても、

まだ「元に戻る」と言い続ける。


わしは断言してもええ

と思うとる。


ひどい方向へは進む。

少なくとも、

何も知らんまま

前より良うなる方向へは、

一ミリも進まん。


平和が来るとしても、

その前には地獄を見る覚悟が要る。


元に戻るんじゃない。

いったん壊れた後の、

新しい平和を作るしかないんよ。


朝が来た。

電気はまだついとった。

冷蔵庫も動いとる。

スマホには、

また新しい通知が来とる。


シドニーの真ん中で

飲んだコーヒーの写真。


郊外で抜かれた

ガソリンタンクの写真。


どっちも同じ国の、

同じ朝じゃった。


わしはコーヒーカップを置いて、

静かに思うた。


ほんまに怖いのは、

ホルムズ海峡が

閉じることじゃない。


その名前すら知らんまま、

「いつもの朝が永久に続く」

と思い込むことなんじゃ、と。


君らも、

まだそう思っとるんか?

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