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第15話 巨大魚(下)

 一瞬、何が起きたのか理解しかねた。だってそうだろ? 魚の口が、空中にあるはずないじゃないか。

 でもそれはまさしく現実のことで。

 現実から逃げる僕の思考を引き戻すように、巨大魚に追従した水の柱が迫る。


「うわっぷっ!?」


 驚愕から立ち直る暇も無く、柱の様にその巨躯に纏わりついて宙へと立ち上った水流に巻き込まれる形で叩き落されて、再び水中に投げ込まれてしまった。


 アイツ、僕を追いかけるために水を飛び出してきやがった!!


 水中に戻される直前、咄嗟に魚の姿に再度【擬態】して深く潜る。

 上を見上げる事もせず、ただ、空から程なくして帰還するだろうあの化け物魚から生き延びる方法だけを考えて、深く深く湖の底へと向かう。

 震える身体を押さえつけるように水底に貼り付けて、視界を上へと向ける。


 ――遠くから見ていれば美麗な、陽光を受けて煌びやかに色相を変える巨大な鱗を纏った蛇のように長くうねる巨躯が、悠々と頭上を泳いでいる。

 そのしぐさは、やはり僕をあきらめていないと、理解できてしまう。


「どうしよう……」


 ひとつひとつ、確実に僕の手札が噛み砕かれてゆく。丁寧に料理するように、すりつぶすように。存在としての格の違いだけで、僕の今までの努力がすべて、破られてゆく。


 ……もう、ダメなのかな。

 不意に思考に闇が差す。甘美で、退廃的で、自棄的な、諦観が足に絡みつくような、錯覚。


「あはは……もうどうにも成らないなこれ。なんていうんだっけ――」


 落ちてゆく思考の中で、狭窄していく視界の中で、チリッ、と。何かが掠めた気がした。

 同時に聞こえるのは、僕ではない誰かの声。


『あら。そんなのツマラナイわ。こうして自由になったのに、……はまた(・・)手放してしまうの?』


 誰の声だっただろう。

 ひどく懐かしく、それでいて、胸を締め付けられるような痛みを伴った、幼い声。


「ぃ、やだ……」

『なにがイヤなの? すぐ諦めてしまうクセに』

「こわい」

『何が怖いの? また手放そうとしていたクセに』


 笑っているような。啼いている様な。少女の声が問う。

 そんなの、決まってるだろ。判ってるだろ。判ってるくせに!!!


「だって、僕は、まだ――死にたくない!!!」


 吼える様に答える。

 そうだ、僕は。まだ、生きていたい。死にたくないんだ!!


『そう、それでいいのよ。今度は諦めちゃダメよ? 貴方が憧れたモノは、そんなモノじゃあないんだから』


 どこまでも無邪気でありながら静かな、魂を揺るがす痺れを伴った音が幻想のように溶けて行く。

 声が遠くなると同時、ばっと視界が開けてゆくのを感じた。


「……ああ。そうか」


 こぽり。と、身体の中で気泡が生まれて溶ける。

 一気に広がった視界は、先ほどまでの狭さが嘘の様で。

 青く澄み渡った湖の中は線状に差し込んだ陽光に照らされてキラキラと瞬き、そこを泳ぎ回る魚たちは、とても美しかった。

 そして、僕の身体もまた、透き通る薄紫色の色彩の中に、燃えるような命の核があった。


「まだ、死ねない」


 自然と、そう思ってしまった。

 この世界を自由に(・・・)生き抜く(・・・・)

 それは決意だったのか、ただの再確認だったのか。

 ただ、それは僕の思考を劇的に思考をクリアにしてゆく。


「生き残る。……絶対に!」


 広くなった視界の中で、ふと、僕は既に見慣れてしまったあるモノの存在に気づいた。




 ――周囲で揺れる(・・・・・・)赤い水草(・・・・)




 頭上で感じる威圧感に振り向けば、巨大魚が此方へと急速に降下してくる所だった。

 どうやらみつかってしまったらしい。

 落ちてくる影に、僕は腹を括る。


 【毒素生成】


 スキルを使用して体内で猛毒を生成する。赤水草山葵なんて比じゃないほどの猛毒が必要だ。

 【毒素生成】には生成する毒の強さや種類を大まかにだが調節できる能力があるが、僕に毒物の知識はない。だからとにかく強い毒を、どんな巨体でも一撃で死ぬくらい激しい毒をと念じるだけだ。

 もちろん、生成するのは体内で、体外に射出する能力を僕は持ってない。

 しかし、過去に一度。これを有効活用した経験があるではないか。

 あの時とはサイズも脅威度も比較にならないが、それでも、やらなければ結局はいずれ死ぬのだ。


 ならば僕は最後の瞬間まであがいてみせる。


「――ぐ、ぅ……ッ」


 体の内側がジクジクと痛んだ。中心にある核が、痛い。【猛毒耐性】がある僕ですら身に危険を感じるほどの劇毒へと変貌してしまったらしい。

 しかし、そんな事に構っているほどの余裕は僕に残されていない。

 痛みは生の証明だ。生きていればこそ、感じられる感触なのだから、甘んじて受けるべきだ。

 その先にある生を、掴み取るために!


「なんていうんだっけ、欲は身を失う? まぁいいや。僕を食おうとしたことを後悔させてやるだけだ」


 あのバカ魚が大口をあけてこちらへと突っ込んでくる、ギリギリの瞬間まで【毒素生成】に【加速】を併用し、生成速度を跳ね上げて毒を創る。

 そして出来上がった毒素にさらに【毒素生成】を重ね掛けて、濃度を、威力を、高められるだけ高めてゆく。


 迫り来る大きな口を直視し、タイミングを見計らう。

 理想は【加速】で一気に巨大魚の口の中に飛び込むことだ。あの鋭い牙に掛かれば僕の【鋭利化】した表皮なんて軽々と噛み砕かれてそのまま核までばっさりだろう。


「……まだ、まだだ。……ひきつけ――今!!」


 僕のすぐ後ろで、バツン。と口が閉じられる音が響き、ゾッとする。

 あれに噛まれていたら絶対助からなかった。


 喉元を通り過ぎる際、小型の魚を水とより分けるためにあるだろう出っ張りに引っかからないように形状を魚から原型であるゼリー状の不定形へと戻し、異物を丸呑みしたことで体内で調整しようとする巨大魚が作り出す流れに抵抗して内部を進む。


 覚悟を持って飛び込んだおかげか、少しばかり余裕が出来た所為だろう。視界全てを薄紅色の肉壁に覆われている状況でありながらも、不思議と平静を保つことができた。

 単純にスケールが違いすぎて感覚が麻痺してしまったのかもしれないが、これからのことを思えばいっそこのまま麻痺したままになってくれればいいなと思ってしまう。


「……ここが消化器官かな?」


 何はともあれ、狭い食道を通り抜けて開けた空間に出る。無事に胃袋まで到着したようだったが、それと同時に感じるのは、僕の身体が徐々に体積を減らしているという事だ。

 大量の胃液が捻出され、僕の体がじんわりと溶かされ始めているが、少なくともすぐすぐに消化されるという事はなさそうだった。

 ここから先は、巨大魚が死ぬか、僕が消化されるのが先かのチキンレースだ。吸収効率を早める為にもと、極力壁側に近い場所に位置取りをしてひたすらに耐える。


 じゅくじゅくと減らされる僕の体積であったが、程なくして巨躯に毒が回ったのだろう。胃壁がビクンと一度大きく跳ねたかと思うと、しばらくすると体積の減少速度が著しく低下した。

 消化液の捻出が止まったようだ。


「……ふー。なんとか、なったか」


 恐らくは全身が麻痺したのだろう。まだ死んではいないだろうが、それも時間の問題だ。

 じりじりと迫ってくる恐怖から解放され、どっと疲れが押し寄せてくるのを感じる。

 僕自身の身体へと視界を向ければ、サメイルカほどもあった体積は黒鯛モドキよりも小さく、コアと思しき核の表面にギリギリ紫色の粘液が残るばかりであった。


「あっぶねー……相打ちとか誰も得しないってば」


 後は脱出するだけなのだが、気力も体力も精神力も使い果たしてしまった。壮絶に、眠い。


「ふわぁ……眠……つか、れた……」


 胃袋の中とはいえ、もう死んでいるし。

 中にまで入ってきて襲ってくるようなものは、いないと、思いたい。


 考えるのも億劫だ。

 少し寝て……元気になったら……また――

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