第14話 巨大魚(上)
どうやらあの巨大魚。こちらを餌と認識しているらしく、既に口をカパッと開けて食事の準備は万端のようだ。本当にやめてほしい。
「ただで食われてやるほど僕は優しくないぞ」
そのサイズじゃ僕程度食べた所で小腹も膨れないだろう。知性がないんだからわかるはずもないか。
というか普段はどうやってその巨体を維持してるのだろうか。
「っと、思考の横道禁止だ禁止!」
現実逃避は甘美だが、僕も戦うと決めた以上潔く現実を見よう。目をそらす行為は逃避には適していても、生存には不利でしかないのだから。
巨大魚へと向き直り、身を撓めて体を刀剣へと変える。
今の僕は額に一角を生やし、鰭や鱗の一枚までもが刃を纏った刃物の魚だ。
「さぁ、食うならその口ズタボロにしてやる」
尤も、食われてやるつもりなんて毛頭ない。スライムだけにね。
突撃してくる巨大魚の脇をすり抜けて【加速】によるカウンターで横腹を切り裂いてやろう。
下手に逃げ回っても振り切れないならば、勝てないまでも手を出すと痛い目をみる割に合わない餌だと認識させることができれば良い。さすがに食べ物ひとつに命を張るほどバカじゃないことを祈るばかりだ。
「――ふっ!」
撓めた身を開放するように、一本の矢の如く水中を疾駆する。始動に【加速】を使い、速度が最高潮に達した瞬間、再度【加速】を発動することで自分自身ですら動体視力が追いつかない程の速度を手に入れ……
「っ!?」
――ヒュゴオオオオオ!!
何が起きた!?
あいつはどこに――
『シャアアアアアアアアアアアアアア!!!!』
すり潰す様な巨大な圧力が四方八方から押し寄せ、平衡感覚が狂わされた為にあらぬ方向へと攻撃をそらされた。僕が瞬時に理解できたのはそれだけだ。
視覚は言うに及ばず、聴覚までもが荒れ狂う水流の中で攪拌され、現在位置や進行方向など、世界そのものがかき混ぜられるような感覚。
体の制動が取れない――!
「う、っわあああああ!?」
流れの中で無我夢中に声を張り上げる。
思わず叫んだ声が【索敵反響】となって周囲状況を知らせてくれたのは幸いだった。
激しい流れの中に正常な音の反射を発見し、慌ててそちらへ【加速】で飛ぶ。
押しつぶすような圧力が途切れ、浮遊感。直後、とんだ先が湖底だったらしく、地面に頭からぶっ刺さった。
相手はこちらを見失ったようだ。このまま水底に身体を貼り付けるようにして身を潜め、様子を見る。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ。あぶ、あぶなかった……」
距離を改めて、ひとまず思考を、先ほどの以上に対する検分を。何が起きたかを知らなければ、僕に勝ち目どころか、生存すら、危うい。
「思い出せ、なにが起きた……?」
直前の行動、起こった現象を、記憶から引っ張り出して整理する。【哲学する軟体生物】の効果か、比較的冷静に状況を検分できるのが救いだ。
「……あの流れが加速したのか」
てっきり、あの水流はあの巨体の移動の補助や音波探知の妨害目的のものだと思っていた。
けれど、それは思い違いだったのかもしれない。
あの瞬間、僕があいつの水流領域に踏み込んだ刹那。規則的だった水流が荒れ狂うように各藩をはじめ、周囲の水もろとも僕をひっくり返していた。
本体を守るための防衛機構。【加速】した僕の一撃すら寄せ付けない絶対の防御か……。
「はは……やべぇ……」
どうにかして突破しない限り、僕は今日、生きて帰れない。
幸い、あいつは僕を見失ったまま。
だがあきらめるという選択肢はないようで、僕のことをしきりに探し回っているようだ。
このままではまともに出歩けないし、とっさに身を潜めたのはいいが、時間の問題だろう。
ここで隠れていれば大丈夫、なんて楽観思考はしたくない。バレると考えて動くべきだ。
「問題は、あの流水の盾が、全自動なのか、手動なのか」
それを確かめるにはもう一度、今度はあいつの死角から突っ込まねばならない。
……虎穴に入らずんば虎子を得ずの精神だ。
覚悟さえ出来れいれば、何だって乗り越えられる。そうだろう? 前世の僕よ。
再度、全身の刃物を研ぎ澄ますイメージ。水を蹴る。
【加速】し、さらに体の向きを直角に変更。再度【加速】する。
変則的なジグザグ移動で生物としての挙動を超え、再度、水流に吶喊する。
――ゴオオォォォォォ……
「ぐ、ぅ!!!」
突入した途端に渦を巻いた水が加速で得た突進力をそぎ落とされて止められてしまった。
慌てて再度水を弾いて領域から離脱し、距離をとろうと音を飛ばす。
「あーっ、くそっ! フルオートかよちくしょう!!」
奔流から飛び出せば、探知し得なかった自身の位置や向きなどが正常さを取り戻し、即座に自身の位置を把握する。
そして、僕のすぐ後方で渦を巻いた水流に混ざり、僅かに返ってくる反応――巨大な魚影がこちらへと向きを変えて――
「――まっ、ずいぃっ!?」
無我夢中で投げ出された体に制動をかけ、【加速】を使ってその場を急速に離脱する。
再度始まった鬼ごっこ。だが、さっきよりも圧倒的に距離が近い。しかも、相手はこっちの動きにだんだんと適応し始めている気配すらある。
どうする、逃げ道を、どこか、どこか……ッ
混乱する思考の中で、水面から差し込んだ陽光が瞬いた。
「っ!!!」
身体を上方へと向け、再度加速する事で水上へと飛ぶ。
僅かに感じる抵抗。水面を破り、空気に触れる感覚。水圧が空気圧に変わり、ふわっと浮かぶような感覚が消失する。
直後、入れ替わる様に巨大魚が待ち構える水中へと引き込むかのような重力圧が全身を包み込んだ。
「【擬態】!【加速】!!」
陸や空で生活する以上は当たり前の、重力という名の拘束。本来ならば気にかける事すらないその不可視の圧は、今だけは地の底で待ち構える圧倒的な死が放つ魔手のようにすら思えた。
しかし、そのまま水中に戻ってしまったら意味がないのだ。素早く【擬態】で鷹の姿に変わり、胸鰭の変わりに生えた翼を大きく打つ。
翼が空気を捉え、羽ばたく毎に浮力を得る。宙に浮く事にはまだ慣れていないが、それでもあの水中に戻るよりは幾分かマシだと、一端の危機を乗り越えた事で深く溜息をついて、先ほどの生物について思考をめぐらせる。
「あー、もう。あんなモノ、どうしろっていうんだよ」
ただの盾でしかないだろうはずの物にすら、僕はその身を裂かれかけるほどのダメージを受けた。
普通に考えて、勝てるわけがない。基より生物としての格が違いすぎる。
あんな生物がいると知っていたら湖に住もうだなんて考えたりはしなかったのにな。と、既に愛着を持ってしまった湖に視線を落とせば溜息が再びこぼれる。
すぐ下にあの化け物がいると知っていても、それが届かないと、僕は安堵していた。
こうして命があるだけ運がよかったと、僕は心臓があれば跳ね上がっているだろう心を落ち着かせる為に大きく羽ばたく。
「……っ!?」
――直感だった。
嫌な感覚がして、瞬間的に【加速】を使って横へと旋回する。
「――!!!!」
その直後、僕が飛んでいた場所に、巨大魚の口があった。




