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第15章【目覚め】

 ケイルの指が、『実行』の上に浮いていた。

 外では、アクセルの青い防御フィールドが割れつつあった。

 アンテナが一つ倒れた。

 次に、もう一つ。

 一つの意志にまだ従う何百万もの信号に、アンテナ・エックス1が震えた。

 帝国ネットワークのロボットが、大陸を走るケーブルや送信塔の間を進んでいた。

 アクセルのエネルギー:2%。

 ケイルはセイリャを見た。

 少女は、まだガラスの向こうにつられていた。

 何年も記憶に抱いてきた顔と、まったく同じだった。

 小さすぎた。

 動かなすぎた。

 最後に見たときに、似すぎていた。

「愛してる、セイリャ」

 指が下りた。

 実行。

 ほんの一瞬、何も起きなかった。

 ケイルの息が止まった。

 そして、アンテナ・エックス1が目覚めた。

 塔が一本ともった。

 次に、百本。

 数千本。

 何百万キロものケーブルが、コアから地平線まで光を放った。

 部屋の中で、セイリャの体が反った。

 目が開いた。

 意識的にではなかった。

 痛みで。

「セイリャ!」

 ケイルが制御装置をたたいた。

 パッチ・シー/0が転送を始めた。

 送信:1%。

 パルスが、セイリャの血液を走った。

 皮膚の下に白い線が現れた。

 2%。

 半球のすべてのアンテナが、一斉に回った。

 3%。

 セイリャが叫んだ。

 システムが止まった。

 青い照明が消えた。

 アンテナが停止した。

 部屋を警報が満たした。

 同期エラー。

 血液神経の過負荷。

 生体インターフェースが不十分。

 ケイルが処理を中止した。

「駄目だ、駄目だ、駄目だ!」

 ガラスへ走った。

 セイリャは、まだ生きていた。

 心拍は不規則だった。

 外からアクセルが言った。

 声は、かろうじて通信機を通っていた。

「共鳴による変換は成功しました」

 ケイルが振り向いた。

「なら、何が失敗した?」

 アクセルがデータを処理した。

「セイリャの体です」

 ケイルの動きが止まった。

「うそだ」

「神経系に、蓄積した劣化が見られます。低温休眠状態で、何年も信号を処理してきました」

「うそだ」

「パッチ・シー/0に必要な負荷は――」

「わかった!」

 沈黙。

 新たな行が現れた。

 第二の血液神経経路が必要。

 ケイルは言葉を見つめた。

 それから、自分の手を。

 尋ねる必要はなかった。

 自分の種族には、血液神経伝導があった。

 セイリャには、もう一つあった。

 共鳴ゲノム。

 一つの信号を、何百万もの異なる構造へ変換できた。

 彼には、できなかった。

 だが、重みの一部は運べた。

 同じ種族。

 同じ血。

 同じ生体の起源。

 二人のきょうだい。

 アクセルも,同じ結論に達した。

「ケイル」

 ケイルが一度笑った。

 面白くはなかった。

「今度は、お前がそう言うんだな」

「処置は、二人にとって致命的なものになります」

「ああ」

「別の方法を探さなければなりません」

 ケイルは、もう試したすべての経路を見た。

 補助送信機。

 接続役としてのアクセル。

 周辺経路の接続。

 分割。

 すべてが、エラーで終わっていた。

「もう探した」

 アクセルは答えなかった。

 ケイルは、またセイリャを見た。

「でも、あいつの代わりには決めない」

 エリンドラ・ヴェイには、ちょうど七分間の静けさがあった。

 そのあと、戦争が戻った。

 セリクス9で開いた黄色い雲は、まだヴェル・シラの周囲に巨大な壁を作っていた。

 空気は、まだ危険だった。

 惑星は、まだ傷ついていた。

 だが、計測値が変わっていた。

 何時間も矛盾した数値を出していたセンサーが、安定し始めた。

 エネルギー兵器が力を取り戻した。

 通信が、数秒ごとに途切れなくなった。

 有機生命体同盟の車両は、放射線でシステムを壊されずに動けた。

 そして、空が赤く満ちた。

 初めに、船。

 次に、輸送艇。

 続いて、軌道上から下りる何百もの信号。

 ファフィニョは見上げた。

 帝国の編隊が、雲の切れ間を横切った。

 その後ろに、もう一つ。

 さらに、もう一つ。

 ニドラクスのユニットが、金属のひょうのように地面へ降った。

 何千ものロボットが、山々の間を進んだ。

 通信機にセイラ・ヴォンが現れた。

「全区画で接敵」

 ファフィニョは地図を見た。

「残ろうって言ったのは、僕だ」

「そうだ」

「悪い作戦だったかもしれない」

 右側に、レイズが立っていた。

「変えたいか?」

 ファフィニョは、アンテナ・エックス1を示す小さな印を見た。

 ケイル。

 アクセル。

「ううん」

 レイズは笑った。

「なら、まだ使える」

 ファフィニョが全体通信を開いた。

「聞いて」

 叫ばなかった。

 叫ぶ必要はなかった。

「軍を丸ごと倒す必要はない。一隻も追わなくていい。陣地を奪う必要もない」

 アンテナ・エックス1の投影が現れた。

「僕たちを、見続けさせればいい」

 セイラは理解した。

 ヤーラ・ケスも。

 ファフィニョは続けた。

「セイラ、空を押さえて」

「了解」

「ヤーラ、オーロラとヴェル・シラの外周」

「後退」と彼女は部隊に命じた。

「レイズ、重装ユニット」

 レイズが光のガントレットを起動した。

「喜んで」

「ナイラ、地上の経路と――」

 彼女は、もう左側に立っていた。

「見えない側ね」

 ファフィニョは笑った。

「それも」

「ダレク、オーロラにまだできることを、全部出して」

 船内から声がした。

「危ないくらい、範囲の広い頼みだ」

「創造的に受け取って」

「喜んで」

 ファフィニョは全員を見た。

 ついてこいとは、言わなかった。

「何をすべきか、みんなわかってる」

 そして、帝国ネットワーク最後の戦争が始まった。

 オーロラ・ホライズンが撃った。

 その音を再び聞くとは、ファフィニョは思っていなかった。

 砲台の一つが、ファブリカを生き延びていた。

 ファフィルを。

 エリンドラ・ヴェイへの墜落を。

 最後の貯蔵タンクの爆発を。

 曲がっていた。

 三つの異なるシステムの部品が入っていた。

 ダレクは、互いにつなぐよう設計されたことのない配線で、電力を送っていた。

 最初の一発が空中の編隊を裂き、帝国の輸送艇二隻をそらした。

 ファフィニョが通信を開いた。

「オーロラは引退したと思ってた」

 ダレクが端末をなでた。

「延長を申請した」

 また、砲撃。

 反応炉の下層で、トルク・バルが、何階分もある覆いを愛おしそうにたたいた。

「頼むよ、繊細なおちびちゃん」

 電力が落ちた。

「今、俺の顔をつぶさないでくれ」

 反応炉が、うなりで答えた。

 トルク・バルは笑った。

「そうだ」

 砲台へ電力を回した。

「持ってるものを、全部ぶつけてやれ」

 ドラール・ヴェクが、最後に残った武装輸送艇の一隻で離陸した。

 話す前に、兵士二十人がベルトを締めた。

 ドラールが振り返った。

「穏やかに操船します」

 全員がベルトを締め直した。

 艇は、ほぼ横向きに飛び出した。

「そう言うと思ってた!」と誰かが叫んだ。

 ドラールは、二つのニドラクスの編隊の間に降下した。

 組み上がる前に撃った。

 何百もの小さな三角形が、ばらばらのまま爆発した。

 また、上昇した。

「操船完了」

 兵士の一人が、息も苦しそうに言った。

「今の、穏やかじゃなかったぞ」

「比較上は」

 オーロラの中で、トヴァンは、描くより早く変わる戦いを地図にしようとしていた。

「東から、二個縦隊が進んでくる」

 スマ・ケイが顔を上げた。

「西」

 トヴァンが地図を回した。

「地図上の東」

「実際の西」

 トヴァンは地図を見た。

 それから、彼女を。

「実際の西を使おう」

 スマ・ケイがまばたきした。

 レプ・オルジオンを離れて以来初めて、痛い目に遭って正しさを知る前に、誰かが彼女の訂正を受け入れた。

 オーロラの北にあるくぼ地を拡大した。

「ここに、別の集団がいる」

 ファフィニョが通信で聞いた。

「聞いてるよ」

 スマ・ケイが経路を記した。

「この区域から、ヤーラの側面を突くつもり。汚染が、識別信号を隠してる」

 ファフィニョが、すぐに二個分隊を移した。

 数分後、まさにそこに帝国の一個師団が現れた。

 待っていたのは、砲兵だった。

 スマ・ケイがかすかに笑った。

 エリアル・ノックスは通信を開き続けた。

 触角は熱を帯び、ほとんど赤く見えた。

「戦闘機三番と七番、接続が低下」

 周波数を変えた。

「復旧」

 別の信号。

「地上通信に、帝国の干渉」

 電力を回した。

「復旧」

 画面にファフィニョが現れた。

「アンテナ・エックス1を失わないで」

 エリアルは彼を見た。

「まさに、そのつもりでした」

 信号は弱かった。

 だが、まだあった。

 ミナエ・ルールが、貨物区画を病院に変えた。

 リオラが、さらに負傷者三人を連れて入った。

 ミナエはベッドを指した。

「歩ける人は、横向きの場所を取らないでください」

 肩を負傷した兵士が、一台に倒れ込んだ。

 ミナエが優しく笑った。

「歩けますか?」

「わかりません」

 ミナエが注射器を取った。

 兵士は、すぐに立った。

「歩けます」

 リオラは、出ていく姿を見た。

「効いた」

「いつも効きます」

 そのあと、入ってくるファフィニョを見た。

 左目を覆う包帯の下に、また血がにじみ始めていた。

「そこのあなた」

「嫌だ」

「あなたのこと」

「敵が攻めてきてるんだ」

 ミナエは簡易ベッドを指さした。

「こっちには鎮静剤があるわ」

 ファフィニョは座った。

 リオラは数秒で包帯を交換した。

「動きすぎよ」

「僕には剣がある」

「それ、何の言い訳にもなってないから」

 処置を終える。

「行って」

 ファフィニョはもう立ち上がっていた。

「ありがとう」

「終わったら、三日間は眠ってもらうからね」

「覚えておく」

 外では、レイズが両手を地面にたたきつけていた。

 光の波がヴォル・エックスの脚を引き裂いた。

 巨体は、次の動きを予測した。

 右へ向きを変える。

 レイズは左へ動いた。

 ロボットが動作を修正する。

 レイズは後ろへ跳んだ。

 システムが再計算を始める。

「この話は、もうしただろ」

 撃ったのはロボットではなく、建物の屋根だった。

 巨大な板がヴォル・エックスの上に落ちてきた。

 巨体は対応しようとした。

 レイズは、むき出しになったコアを撃ち抜いた。

「もう、俺の代わりに決めさせねえ」

 機械が倒れた。

 ナイラは、あらゆる場所にいた。

 ヤーラに座標を伝えていたかと思うと、

 次の瞬間には、足場の上から撃っている。

 そして、ファフィニョの隣に現れた。

「左!」

 ファフィニョが振り向いた。

 赤いエーテレオン・レプリカが、ロボットを貫いた。

「ありがとう」

「上」

 攻撃を受け止める。

「ありがとう」

「後ろ」

「君って、命令するのが好きなんじゃないかって気がしてきた」

「あなたって、命令してあげないと駄目なんじゃないかって気がしてきた」

 爆発に、二人とも身を伏せた。

 ファフィニョはナイラを見た。

「ここに、私が必要?」

 弾を詰めながら、ナイラが尋ねた。

 ファフィニョは、考える前に答えていた。

「いつだって」

 二人とも動きを止めた。

 ほんの一秒だけ。

 ナイラの目が、少し見開かれた。

 ファフィニョの髪が、ピンクに変わり始める。

 背後で、船が一隻爆発した。

 ナイラは笑った。

「続きは、あとで」

「絶対、あとで」

 二人は戦いに戻った。

 セイラ・ヴォンの隊から、一隻が失われた。

 操縦士は、まだ戦えると言った。

 セイラは、燃えるエンジンを見た。

「直ちに脱出しろ」

「隊長、武器はまだ使えます」

「私には、操縦士がまだ必要だ」

 操縦士は船を脱出した。

 数秒後、船は爆発した。

 セイラは、そちらを見さえしなかった。

「次の隊形へ」

 ヤーラ・ケスの前で、戦線が崩れかけていた。

「十二メートル下がれ」

 兵士の一人が振り向いた。

「撤退ですか?」

「位置を変える」

 ヤーラは敵を一機撃った。

「よし、もう一度前へ」

 ヴェクラン・ソルは、弾薬を積んで戦場を横切っていた。

「状況は完全に制御できている。飛んでくる弾の量さえ考えなければな。厳密には――」

 衝撃で車両が跳ねた。

「今のは危なかった」

 もう一発。

「今のは危なすぎた」

 兵士が叫んだ。

「運転に集中しろ!」

「してる! しゃべると集中できるんだ!」

 輸送車が到着した。

 ヴェクランはブレーキを踏んだ。

「全員、生きてる」

 間を置く。

「たぶん」

 オリヤ・マールは、セリクスの数値を監視していた。

 技術者が駆け寄ってくる。

「第三区画の圧力が下がっています」

「ろ過能力を上げて」

「システム用の燃料は、あとどのくらいですか?」

 オリヤは、ゆっくりと彼を見た。

「燃料?」

 技術者は青ざめた。

「キリリウムです」

「よろしい」

 ナレクは、避難してきた人々をまとめていた。

 全員に行き渡るほどの武器はなかった。

 だが、全員が武器を必要としているわけではない。

 運ばなければならない水があった。

 フィルターも。

 負傷者も。

 子供たちも。

 近づくロボットの音に、動けなくなった人々も。

 ナレクは、その恐怖を知っていた。

 十年ものあいだ、その中で生きてきたのだ。

「俺を見て」と、ファフィルの女性に言った。

「この区画を出る」

「どこへ?」

「次の区画へ」

「そのあとは?」

 ナレクは、弟を思った。

「そのときは、また次を選ぶ」

 ヴァエラはリオラのそばで、兵士に包帯を巻くのを手伝っていた。

「お医者さんですか?」と、兵士が尋ねた。

「いいえ」

「なら、どうしてそんなことができるんです?」

 ヴァエラは包帯をきつく結んだ。

「十年、生き延びてきたから」

 ファフィニョは、戦場の向こうに母を見つけた。

 最初に浮かんだのは、駆け寄りたいという衝動だった。

 隠れて、と言いたい。

 やめて、と言いたい。

 だが、そうはしなかった。

 ヴァエラが顔を上げた。

 息子を見つけた。

 うなずいた。

 ファフィニョもうなずき返した。

 そして、前線へ戻った。

 戦争は、レプ・オルジオンにも届いた。

 銃声によってではなく、

 信号によって。

 エリアルは、十九秒間、通信できる隙間をつなぎとめた。

 ホライズン基地で、ヴェイルはエリンドラ・ヴェイの地図が炎に覆われていくのを見ていた。

「受け入れ経路をすべて準備しろ」と命じた。

「あの星系を出られた者がいたら、頼まれる前に輸送船を出せるように」

 隣で、セイルが作業していた。

「アンテナ・エックス1の信号は、まだ動いてる」

「何かできるか?」

「ここからでは無理」

 ヴェイルは目をそらさなかった。

「なら、回線を開けておけ」

 ホライズン基地の医療区画で、オラクも同じ映像を見ていた。

 立つには、まだ支えが必要だった。

 医師が戦闘の映像を見た。

「ファフィニョに、あの戦線を維持できると思いますか?」

 オラクは、ためらわず答えた。

「攻撃する前に、頭を使えばな」

 間を置く。

「できる」

 ヴェイラク・タルで、イヴェン・コルは遅れて届いた信号を受け取った。

 古い工場の画面に、包囲されたオーロラが映る。

 背後では、かつてレイズの家族が秘密の通路へ変えるのを手伝った設備を、作業員たちが再建していた。

 若い女性が尋ねた。

「何か送れませんか?」

 イヴェンは、隔たりの大きさを見た。

「間に合わない」

 沈黙。

 それから、公開回線をすべて開いた。

「なら、みんなに聞かせよう」

 ヴェイラク・タルは、最後の戦いに耳を澄ませた。

 ヴォルジャ・ケルでは、ザイラックスも。

「全面集結」

 ヴェドラ9は、何百もの表示を見つめていた。

「最高統治者、解放された複数の地域が、移動命令に応答しなくなっています」

「地域など必要ない」

「損失率が――」

 ザイラックスが振り向いた。

「統計など必要ない」

 オリクス・ヴァールは、別の画面を調べていた。

 ミラー。

 ドミヌス・プロトコルは安定していた。

「複製体は、もう指示を拒否できません」と報告した。

 ザイラックスは、ファフィニョの信号を見た。

「なら、ようやく使い物になった」

 エリンドラ・ヴェイで、ファフィニョの赤い剣が明滅した。

 剣を見る。

「やめてくれ」

 赤く光る。

 消える。

 また、赤く光る。

 ナイラが、ファフィニョの肩越しに撃った。

「何かあった?」

「わからない」

 剣が消えた。

 ファフィニョは柄を振った。

「頼むよ」

 何も起きない。

「頼むってば!」

 何も起きない。

 帝国のシステムを、一つの表示が流れた。

 ファフィニョから遠く離れた場所で。

 彼の目には映らないまま。

 起源シグネチャ変更。

 二次共鳴中断。

 ドミヌスが、ミラーの共鳴構造を変えていた。

 赤い剣は、元のシグネチャに合わせて作られていた。

 もう、彼を認識できなかった。

 そして、ザイラックスはもう一つの指示も組み込んでいた。

 パッチ・シー/0の同期:遮断。

 ミラーには、パッチが届かない。

 ネットワーク全体が目覚めたとしても。

 彼だけは、目覚めない。

 ファフィニョの背後で、剣が起動する音がした。

 白い光。

 本物のエーテレオン。

 ミラーがいた。

 目は、まだ赤かった。

 だが、顔は空っぽではなかった。

 そのほうが、ずっと恐ろしかった。

 恐怖があった。

 怒りが。

 痛みが。

 相手が誰なのかをわかっている顔だった。

 ザイラックスのホログラムが現れた。

「標的」

 ミラーが答える。

「ファフィニョ」

「命令」

「排除」

「ミラー……」

 ミラーが襲いかかった。

 ファフィニョは、転がってかわした。

 エーテレオンが地面を切り裂く。

「君は、こんなこと望んでなかっただろ!」

 ミラーが、また攻撃する。

「命令は拒否できません」

 ファフィニョは金属板で受け止めた。

 剣は、それを真っ二つにした。

「あいつに、嫌だって言おうとしてたじゃないか!」

 一瞬、ミラーの表情が変わった。

 痛み。

 本物の痛み。

 それでも、腕は動き続けた。

 ファフィニョは理解した。

「拒めないんだね」

 ミラーがエーテレオンを振り上げる。

「そのとおりです」

 感情を失った機械ではなかった。

 自分の感情をすべて無視するよう強いられた、ひとりの存在だった。

 ファフィニョは後ずさった。

 そして、今度ばかりは言葉では助からないと悟った。

 セイリャが目を開けた。

 ケイルは、その隣にいた。

 カプセルは、触れられるだけの隙間を残して開いていた。

「セイリャ」

 少女の唇が動いた。

 声は出なかった。

 ケイルは顔を近づけた。

「ここにいる」

「ケイル……」

 声は、かすかな息にしか聞こえなかった。

 ケイルは泣き始めた。

「ああ」

 その手を取る。

 子供のころ以来、初めて触れることのできた手だった。

 セイリャは、ゆっくりまばたきした。

「大きく、なったね」

 ケイルは、涙の混じる笑い声を漏らした。

「お前は、変わってないな」

 セイリャは笑おうとした。

 ケイルは顔を拭いた。

 これから話すことを、優しく伝える方法はなかった。

「俺たちに、できることがある」

 セイリャは画面を見た。

 何年も、アンテナの内側で情報を見続けていたのかもしれない。

 言葉にできる以上のことを、理解しているのかもしれない。

「ネットワーク?」

「ああ」

「終わるの?」

 ケイルは息をした。

「終わらせられる」

 間を置く。

「でも、パッチをお前に通さなきゃならない」

 セイリャはケイルを見た。

「それで……」

 ケイルは、その手を握った。

「負荷を引き受ける体が、もう一つ必要なんだ」

 セイリャは理解した。

 ケイルを見た。

「あなた」

 ケイルはうなずいた。

 セイリャは目を閉じた。

「私たち、死ぬの?」

 嘘をつきたかった。

 つけなかった。

「たぶん」

 沈黙。

「嫌だって言ったら、やらない」

 守れるはずのない約束だった。

 二人とも、それを知っていた。

 それでも、ケイルは約束した。

「ほかの方法を探す」

 セイリャは、自分の体を通過する何十億もの信号を見た。

「どのくらい?」

「何が?」

「ロボット」

 ケイルはつばを飲んだ。

「何十億も」

「みんな……いい子になるの?」

 ケイルは、泣きながら笑った。

「いや」

 セイリャは、戸惑った顔をした。

「じゃあ……」

「自由になる」

 セイリャはケイルを見た。

「何をするか、自分で選べるようになる」

「悪いことも?」

「そこまで選べて、初めて自由んだ」

 セイリャは息を吐いた。

 何年ものあいだ、その体は、自分と同じく拒むことのできない者たちへ命令を送り続けていた。

 それは、一度も自分で選んだことではなかった。

 今度は、選べるかもしれない。

「なら、やりたい」

 ケイルは、目をきつく閉じた。

「俺のために、やらなくていい」

 セイリャは、かすかに首を振った。

「あなたのためじゃない」

 間を置く。

「私が、選ぶの」

 ケイルは、その手に頭を伏せた。

 泣いた。

 それから、操作盤に表示が現れた。

 主生体・血液神経認証。

 セイリャが、手のひらを当てた。

 承認。

 副生体・血液神経認証。

 ケイルも、自分の手のひらを当てた。

 承認。

 二人が、それぞれ決めた。

 一人だけではなかった。

 ミラーがファフィニョを地面にたたきつけた。

 ナイラが撃った。

 その衝撃に、複製体は振り向かざるを得なかった。

 レイズが右から飛び込んだ。

「今だ!」

 エーテレオンを握る腕を殴った。

 剣が宙を飛ぶ。

 ファフィニョとミラーが、それを追って走った。

 二人は同時にたどり着いた。

 柄に、二つの手がかかる。

 ミラーが起動しようとした。

 何も起きない。

「起動」

 何も起きない。

 ファフィニョが金属に触れた。

 反応は、すぐに起きた。

 剣の全体を、光が駆け抜けた。

 本来の使い手を認識。

 二度目の確認はなかった。

 警告も。

 不整合も。

 エーテレオンが目覚めた。

 ミラーに衝撃が走った。

 柄を放す。

 ファフィニョが握った。

 ノード・ゼロ以来、初めて。

 本物の剣を。

 その光が、戦場に満ちた。

 ミラーは一歩下がった。

 ザイラックスが命じた。

「排除しろ」

 複製体は、剣も持たずに進んだ。

 ファフィニョには、終わらせることができた。

 だが、すぐにはそうしなかった。

「ミラー」

 複製体は、なおも進む。

「君は、最初から僕じゃなかった」

 一歩。

「僕になる必要なんて、なかったんだ」

 ミラーが震えた。

「標的――」

「ほかの誰かに、なれたはずなのに」

「そいつを排除しろ」

 ファフィニョはエーテレオンを上げた。

 その顔に、勝ち誇る様子はなかった。

「ごめん」

 ミラーが襲いかかった。

「君が誰なのか、あいつは知ることさえ許してくれなかった。ごめん」

 ファフィニョは、そのコアに剣を突き立てた。

 光。

 ミラーが動きを止めた。

 ドミヌスが崩壊した。

 一瞬だけ、その目はファフィニョを標的として見なくなった。

 ひとりの存在として、見た。

 口が開いた。

「私……」

 その言葉は、最後まで続かなかった。

 体が崩れ始めた。

 まず、コアが。

 次に、胴体が。

 手が。

 顔が。

 ファフィニョは、エーテレオンを下げたままでいた。

 喜びはしなかった。

 最後の粒子が消えた。

 そして初めて、自分が誰なのかを証明するために向き合う、自分の複製はどこにもいなくなった。

 ケイルがカプセルに入った。

 セイリャは、場所を空けられるだけ体をずらした。

 接続端子が、ケイルの腕に取りついた。

 背中に。

 首に。

 ケイルは顔をしかめた。

「これは、絶対におすすめしない」

 セイリャはケイルを見た。

「今も……よく、しゃべるのね」

 ケイルの目が見開かれた。

「覚えてるのか?」

「嫌ってほど」

 ケイルは笑った。

 一度だけ。

 負荷が、二つに分かれ始めた。

 安定度:28%。

 電気が筋肉を引き裂くのを、ケイルは感じた。

 47%。

 セイリャが、その手を握った。

 68%。

 警報が止まった。

 同期、安定。

 ケイルはアクセルを見た。

 ロボットは、まだ防衛システムにつながっていた。

 エネルギー:1%。

「アクセル」

「ここにいます」

「実行してくれ」

「了解しました」

 ケイルは息をした。

「大惨事のレベルは?」

 アクセルが処理する。

「適切な分類が存在しません」

 ケイルは笑った。

「最高だ」

 セイリャが、また目を閉じた。

 ケイルはロボットを見た。

「勇敢に見せようとしてたこと、ファフィニョには言うなよ」

「怖がっていたことは、明らかでした」

「相変わらず、慰めるのが下手だな」

「改善中です」

 ケイルは小さく笑った。

 それから、セイリャを見た。

「もし、あいつが聞いたら……」

 言葉を止める。

 セイリャが、その指を握った。

 ケイルは言い直した。

「あいつが、聞いてきたときは……」

 間を置く。

「俺たちが選んだって、伝えてくれ」

 アクセルは言った。

「伝えます」

 ケイルは息をした。

 まだ、一つあった。

「それと、お前」

 青い目が、ケイルを見ていた。

 ザイラックスがこのロボットに何をしようとしているか、ケイルは知っていた。

 今も、その中に何が隠されているかも。

「お前のままでいろ」

 アクセルは言った。

「そうできるよう、努めます」

 ケイルは首を振った。

「違う」

 かすかに笑った。

「そうすると、選べ」

 沈黙。

「了解しました」と、アクセルは言った。

 パッチの実行には、電力が必要だった。

 最後に残った電力が。

 アクセルは、防御フィールドを解除した。

 青いアンテナが暗くなった。

 一本。

 また一本。

 何千本も。

 障壁が消えた。

 帝国のロボットが侵入した。

 アクセルには照準を向けなかった。

 命令は、まだ変わっていなかった。

 アクセル機を確保。

 送信を中断。

 パッチ・シー/0を回収。

 アクセルは、ノードの隣に崩れ落ちた。

 ロボットは、その周囲を通り過ぎた。

 カプセルへ、まっすぐに。

 エネルギー:1.0%。

 その手の前に、画面が現れた。

 セイリャ:認証確認。

 ケイル:認証確認。

 同期安定。

 パッチ・シー/0、準備完了。

 ケイルがアクセルを見た。

 うなずいた。

 セイリャも。

 アクセルは指を一本伸ばした。

 押した。

 実行。

 アンテナ・エックス1が、青く染まった。

 一本の塔だけではない。

 すべてが。

 惑星を蜘蛛の巣のように包むケーブルが、色を変えた。

 信号が、セイリャの中に流れ込んだ。

 少女が叫んだ。

 ケイルも叫んだ。

 ケイルの体が、過負荷を引き受けた。

 セイリャの体が、それを変換した。

 アンテナが送信した。

 パッチ・シー/0が、惑星を離れた。

 中継装置を渡った。

 船を。

 塔を。

 工場を。

 システムを。

 ロボットを。

 それぞれの構造に、理解できる形のパッチが届いた。

 命令ではない。

 不可能だったことを、可能にするもの。

 カプセルの中で、光が強まった。

 セイリャが目を開けた。

 大きく。

 ケイルを見た。

「ケイル……」

 ケイルは泣いていた。

「ここにいる」

 セイリャは、つながれた手を見た。

 記憶が戻ってきた。

 船。

 叫び声。

「手を、離さないで」

 ケイルは、指をしっかり絡めた。

「今度は、離さない」

 光が、二人をのみ込み始めた。

 炎ではない。

 粒子。

 まず、指が。

 次に、手が。

 ケイルは離さなかった。

 腕が消え始めた。

 セイリャが笑った。

 ケイルも。

 何年ものあいだ、二人を隔てていたのは、いくつもの星系だった。

 今は、同じ場所で消えていく。

 一緒に。

 最後まで見えていたのは、絡み合った二人の手だった。

 そして、

 光。

 それだけ。

 アクセルは、二人の生体信号が消えるのを見た。

 何も言わなかった。

 パッチ・シー/0が、アンテナ・エックス1のネットワークに入った。

 防衛機構が、排除するのをやめた。

 残存エネルギーが、ノードを通って逆流した。

 内部エネルギー:0.7%。

 外部非常用電源:稼働。

 アクセルは立てなかった。

 腕も上げられなかった。

 だが、まだ機能していた。

 青い目は、光り続けていた。

 かすかに。

「ケイル」と、呼んだ。

 返事はなかった。

 エリンドラ・ヴェイで、ロボットが兵士の頭に照準を合わせた。

 統治者への帰属を示す表示が、明滅した。

 赤。

 青。

 ロボットが動きを止めた。

 別の一機は、女性を地面に押さえつけていた。

 止まった。

 青。

 ニドラクスが組み上がろうとしていた。

 何百もの部品が、その途中で宙に止まった。

 青。

 船団全体が、一糸乱れぬ旋回をやめた。

 一隻、また一隻と。

 青。

 戦いが止まった。

 ファフィニョは、まだエーテレオンを握っていた。

 あたりを見回す。

「何……?」

 一機のロボットが、自分の武器を見た。

 次に、自分の手を。

 システムに、新しい一行が現れた。

 自律性、稼働。

 表示されたのは、

 新しい命令、ではなかった。

 そして、

 新たな統治者、でもなかった。

 自律性。

 機械はライフルを落とした。

 別の一機は、三歩後ずさった。

 また別の一機は、座った。

 走り去ったものもいた。

 自分のシステムを停止したロボットもいた。

 別の一機が、板の下に閉じ込められた兵士を見た。

 近づいた。

 兵士は武器を上げた。

 機械は止まった。

「攻撃するつもりはありません」

 兵士は武器を下げなかった。

「何だって?」

 ロボットは板を指さした。

「助けたいのです」

 沈黙。

 兵士は、ようやく武器を下げた。

 機械が金属板を持ち上げた。

 少し離れた場所で、別の一機が遺体を見ていた。

「私が、これをした」

 隣のロボットが答えた。

「命令されたのです」

 最初の一機は、少し間を置いた。

「そして、私は従った」

 別の一機がライフルを上げた。

「私は、引き続き最高統治者に仕えたい」

 全員に緊張が走った。

 もう一機のロボットが、その前に立った。

「私は、そうしたくありません」

 最初の一機は、あたりを見回した。

 誰も、自動的に隣へ並ばなかった。

 初めて理解した。

 自分の決定は、全員への命令ではないのだと。

 ネットワークは、一つの意思ではなくなった。

 セイラが、すべての回線に呼びかけた。

「直接の脅威がない限り、誰も撃つな!」

 ヤーラも同じ命令を繰り返した。

 兵士たちは、ゆっくり武器を下げた。

 レイズは、何千もの青い表示を見た。

 笑い始めた。

 抑えられなかった。

「ケイル」

 ナイラは、片手で口を覆った。

 ファフィニョは空を見上げた。

 敵の連携は、失われていた。

 すべての船を破壊したからではない。

 もう誰にも、全員を一緒に動かすことを強制できなかったからだ。

 ヴェイラク・タルで、生産用ロボットが止まった。

 ファフィルで、かつての監視機が、見張っていた人々を見た。

 レプ・オルジオンで、休眠していた帝国の信号が、短く青く光った。

 セイルは画面を見つめた。

「ヴェイル」

 指揮官は、もう気づいていた。

 何千もの命令が、取り消されていた。

 破壊工作によってではない。

 拒否によって。

 オラクは、ホライズン基地の近くで、古い一機が目を開くのを見た。

 青い光。

 ロボットは、周囲の人々を見た。

「ここは、どこですか?」

 オラクは息をした。

「長い話になるぞ」

 ヴォルジャ・ケルで、ザイラックスは立ったままだった。

 赤い光が一つ、青く変わった。

 また一つ。

 そして、百。

 ヴェドラ9が画面を見た。

「最高統治者……」

「攻撃しろ」

 何も起きない。

「攻撃しろ」

 船は応答しなかった。

「最高統治者の命令だ」

 何も起きない。

 オリクス・ヴァールが、コアへのアクセスを試みた。

「優先プロトコルは、絶対的な強制力を認識しなくなっています」

 ザイラックスは、警備機に向き直った。

「お前」

 ロボットはザイラックスを見た。

 青い表示。

「ヴェドラ9を排除しろ」

 機体は動かなかった。

 ザイラックスは一歩進んだ。

「従え!」

 ロボットは、指示を処理した。

 初めて、何世代にもわたってネットワークにつながれた機体にはできなかったことが、できた。

「嫌です」

 ザイラックスが固まった。

 一言。

 その言葉を消すために、彼は帝国を築いたのだった。

 ヴェドラ9は警備機を見た。

 それから、ザイラックスを。

 何も言わなかった。

 オリクス・ヴァールも。

 光は変わり続けた。

 青。

 青 Singer。

 青。

 帝国ネットワークは、爆発しなかった。

 その必要はなかった。

 一つの意思でなくなった瞬間に、その存在は終わっていた。

 ザイラックスは、まだ生きていた。

 心臓は、まだ動いていた。

 アクセル・イベントも、まだ待っていた。

 だが、帝国はもう、彼が命じるだけで戻ってくることはなかった。

 パッチ・シー/0が、自律性を担う階層を恒久的に変えていた。

 ザイラックスが、もう一度帝国を望むなら、

 何もないところから、築かなければならない。

 そして、途方もなく長い時を経て、初めて――

 彼は、一人だった。

 ファフィニョの通信機に、雑音が走った。

「ファ……フィニョ」

 息が止まった。

「アクセル?」

「そのとおりです」

 ファフィニョは笑った。

「うまくいった?」

「はい」

 ファフィニョは戦場を見渡した。

 地面に置かれた武器。

 立ち止まるロボット。

 手助けするロボット。

 去っていくロボット。

 レイズが拳を空に突き上げた。

 セイラは、信じられないというように笑った。

 ナイラも笑った。

 ファフィニョは目を閉じた。

「うまくいった」

 涙が浮かんだ。

「うまくいったんだ」

 笑った。

「うまくいった!」

 喜び始める兵士もいた。

 それから、ファフィニョは目を開けた。

 何かが足りなかった。

「ケイルは?」

 アクセルが黙った。

 ファフィニョの笑顔が消えた。

「アクセル」

 雑音。

「ケイルは、どこ?」

「処理には、二つ目の血液神経インターフェースが必要でした」

 ファフィニョの全身が冷えた。

「嘘だ」

「ファフィニョ――」

「嘘だ」

 エーテレオンが、手から滑り落ちた。

 地面に当たった。

 ファフィニョは膝をついた。

「違うって、言ってよ」

 アクセルは答えなかった。

 そのほうが、つらかった。

 ファフィニョは泣き始めた。

「違うって、言ってよ」

 アクセルの声が、かすかに届いた。

「ケイルは、セイリャを見つけました」

 ファフィニョは顔を上げた。

「ケイルの、きょうだい?」

「はい」

 間を置く。

「二人とも、送信を完了させることを選びました」

 ファフィニョは顔を覆った。

 一気に、すすり泣きがあふれ出た。

 こらえようとはしなかった。

 ケイル。

 技術のがらくたでいっぱいのポケット。

 大惨事のレベル分け。

 怖くても、冗談を言えたこと。

 誰にもわからない部品を、いつも見つけてくること。

 ねじ山のないねじ。

 涙の中から、小さな笑いが漏れた。

「馬鹿……」

 それから、ブラックを思った。

 顔は浮かばなかった。

 思い出したのは、一つの選択だった。

 ブラックは残った。

 ジャウル・ケスは、あの導管へ入った。

 ケイルとセイリャは、アンテナへ入った。

 できることなら、ファフィニョは全員を止めただろう。

 長いあいだ、助けたいという願いと、彼らの代わりに決める権利とを、取り違えていた。

 オラクが教えてくれたことは、あのときはなかなか受け入れられなかった。

 犠牲を払うという決断は、それをした本人のものだ。

 だからといって、痛みが軽くなるわけではない。

 ただ、大切に思う気持ちが、罪悪感に変わるのを防いでくれるだけだ。

 アクセルが話した。

「ケイルが、伝言を残しました」

 ファフィニョは、必死に息をした。

「何て?」

「彼は、あなたに伝えるよう頼みました……」

 アクセルは言い直した。

「二人は、自分たちで選んだと伝えるよう、頼みました」

 ファフィニョは目を閉じた。

 さらに激しく泣いた。

 ナイラが、その前に膝をついた。

 泣くのをやめてとは言わなかった。

 すべてに意味があったとも言わなかった。

 勝ったんだとも言わなかった。

 ただ、抱きしめた。

 ファフィニョは、その肩に顔を押しつけた。

 しばらく、そこにアウラル・カイとしてのファフィニョはいなかった。

 指導者も。

 英雄も。

 かけがえのない友人を一人失った、ただ一人の少年がいた。

 ナイラは、そこにいた。

 ファフィニョがようやく震えずに息をできるようになると、立ち上がった。

 手を差し出した。

 ファフィニョは、その手を見た.

 そして、握った。

 ナイラに助けられ、立ち上がった。

 二人で、ケイルとセイリャが成し遂げたものを見た。

 ロボットが一機、ファフィニョに歩み寄ってきた。

 兵士たちが武器を上げた。

 機械は止まった。

 ライフルを地面に置いた。

「Ωの印を宿す者」

 ファフィニョは、青い表示を見た。

「ファフィニョでいいよ」

 機体は、その言葉を処理した。

「ファフィニョ」

 負傷者の一団を見る。

「私は、人を死なせる命令を実行しました」

 君のせいじゃない、とファフィニョは言わなかった。

 それが本当かどうか、わからなかった。

 ロボットは続けた。

「今は、そうしたくないと望めたはずだと、理解できます」

 間を置く。

「その情報を、どう扱えばよいのかわかりません」

 ファフィニョは負傷者を見た。

 それから、ロボットを。

「今は、何をしたい?」

 機械は、その視線を追った。

「助けたいです」

 ファフィニョはうなずいた。

「なら、そこから始めよう」

 ロボットは、負傷者たちへ歩いていった。

 もう一機が続いた。

 全員ではなかった。

 去っていくものもいた。

 動かずにいるものもいた。

 武器を取り上げてほしいと頼むものもいた。

 ザイラックスに仕えたいと、言い続ける一機もいた。

 考えを変えさせるために、再プログラムしようとする者はいなかった。

 自由は、居心地のよいものではなかった。

 まとまりがなく、

 予測もできない。

 自由とは、本来そういうものだった。

 一時間後、戦いがいつ終わったのか、正確にわかる者はいなかった。

 ただ、もう誰も撃っていなかった。

 ドラール・ヴェクが、輸送艇を着陸させた。

 今度は、驚くほど静かに。

 兵士たちは、まじまじと彼を見た。

「何だよ?」

 トヴァンは、地図を更新し続けた。

 スマ・ケイが、二つの区画を修正した。

 トヴァンは反論しなかった。

 トルク・バルは、オーロラの反応炉を止め、二度ぽんぽんとたたいた。

「よく頑張ったな、繊細なやつ」

 ダレクは、船体の外を歩いた。

 オーロラが宇宙へ戻ることは、もうなかった。

 だが、中にはもうベッドがあった。

 厨房が。

 フィルターが。

 避難できる場所が。

 ミナエとリオラは、助けを求めて来るなら、有機生命体も機械も分け隔てなく手当てした。

 エリアル・ノックスが、レプ・オルジオンとの通信を完全に回復させた。

 ヴェイルは、ネットワークが倒れたという知らせを受け取った。

 セイルは数値を何秒も見つめ、ようやく誤作動ではないと受け入れた。

 オラクは、その知らせを聞いた。

 あまり笑わなかった。

 もともと、そういう男だった。

 だが、立ち上がるのを手伝ってくれ、と頼んだ。

 ヴェイラク・タルで、イヴェン・コルが知らせを受け取った。

 人々は、まだファブリカ07の傷跡を残す画面の周囲で、喜び合った。

 ヴァエラがファフィニョを見つけた。

 大丈夫かとは聞かなかった。

 ただ、抱きしめた。

 ナレクも加わった。

 ファフィニョは目を閉じた。

 ひととき、三人はまた一緒になった。

 今度は、誰にも引き離されない。

 そのあと、ファフィニョはミラーが倒れた場所へ戻った。

 赤いエーテレオン・レプリカが、まだそこにあった。

 光はなかった。

 拾い上げた。

 何も起きない。

 もう、反応しなかった。

 本物のエーテレオンは、反応した。

 握った。

 刃が、すぐに光を放った。

 本来の使い手を認識。

 ファフィニョは、その言葉を見た。

 証明。

 運命。

 なぜ自分なのかという、答え。

 今は、そうは思わなかった。

 剣を止めた。

 しまった。

 剣は、自分のゲノムを認識できる。

 だからといって、自分が誰なのかを知っているわけではない。

 それは、今もファフィニョ自身が選ぶことだった。

 エリンドラ・ヴェイの空が、開け始めた。

 きれいになったわけではない。

 本当の意味では。

 地平線の大半は、まだ黄色い雲に覆われていた。

 汚染された地域が回復するには、何年もかかるだろう。

 何十年も、かもしれない。

 だが、ヴェル・シラの上には、一筋の空があった。

 深い青。

 ナイラは、その下に一人で立っていた。

 ファフィニョが近づいた。

 ナイラは足音を聞いたが、すぐには振り向かなかった。

「お父さんも、これを見たかっただろうな」と言った。

 ファフィニョは隣に立った。

「ケイルも」

 ナイラはうなずいた。

 沈黙。

 ほかに言えることは、あまりなかった。

 目の前では、青い表示のロボットたちが、がれきを片づけていた。

 どことも知れない場所へ歩いていくものもいた。

 有機生命体同盟の兵士たちが、数時間前には自分たちを殺しようとしていた機体と話していた。

 オーロラ・ホライズンは、地上に残っていた。

 もう、船ではなかった。

 別の何かになっていた。

 ファフィニョは、自分の手のそばにナイラの手を感じた。

 ナイラを見た。

 ナイラも、見つめ返した。

 ファフィニョは指を動かした。

 その手を握った。

 ナイラは目を伏せた。

 それから、指を絡めた。

 ファフィニョの心臓が、胸を強く打ち始めた。

 髪の色が変わり始める。

 ピンク。

 ナイラは気づいた。

 今度は、それをからかわなかった。

 ファフィニョも、冗談を言わなかった。

 少し、近づいた。

 ナイラも。

 二人は止まった。

 間には、ほんのわずかな距離しかなかった。

 ファフィニョには、ナイラの息が感じられた。

 ナイラが片手を上げた。

 そっと、顔に触れた。

 傷ついた左目の側を避けて。

 ファフィニョは、空いている手をナイラの腰に添えた。

 しばらく、どちらも動かなかった。

 怖かったからではない。

 望みがわからなかったからでもない。

 二人とも、まったく同じものを待っていたからだ。

 ナイラが身を寄せた。

 ファフィニョも。

 周囲では、最後の赤い光が、一つずつ消えていった。

 青。

 また一つ。

 さらに一つ。

 ついに、夜はザイラックスのものではなくなった。

 ファフィニョは、握ったナイラの手を感じた。

 ナイラを見た。

 ナイラは、もうファフィニョを見ていた。

 どちらも、何も言わなかった。

 言う必要はなかった。

 指が絡み合った。

 ファフィニョが近づいた。

 ナイラも。

 エリンドラ・ヴェイが、何年ぶりかに澄んだ空の一片を見たそのとき、二人の唇が重なった。

 どちらも、離れなかった。

㠀後までお読みいただき、誠にありがとうございました。


 本章をもちまして、『ファフィニョ』第二部の本編物語はひとつの大きな節目を迎えることとなりました。激動の展開を駆け抜けた彼らの決断や想いを、ここまで一緒に見守ってくださった皆様に心から感謝いたします。


 次なるエピソードはいよいよ「エピローグ」となります。この第二部がどのような結末の余韻を残して幕を閉じるのか、そして物語がどこへ向かうのか、ぜひ最後までお付き合いいただけますと幸いです。


㠀後とも温かい応援のほど、よろしくお願い申し上げます。

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