26.王の義娘と辺境の領主は新しい約束をする
唇がそっと離されたのに、リリーシャは瞼を押し上げた。そうして、リガードがあまりにも感慨深そうに自分を見つめているのに驚いた。
「お兄様?」
「うん……この三月の間にも思っていたけれど、君はこういう艶っぽい表情もするんだなと思って。リリーシャにそんな表情をさせたのが自分なのだと思うと、かなり胸に来るものがある」
しみじみとそう言ったリガードを見つめながら、リリーシャはいったい自分はどんな顔をしているのだろうと思った。両手で頬を押さえたリリーシャは、どぎまぎとリガードを見上げる。
リガードこそ、鏡を見て欲しい。濡れた唇を舐めるリガードの仕種はひどく大人で、危うい魅力に満ちている。
リリーシャは、気づけばまた滲みはじめていた視界にリガードを見つけた。ぼやけたリガードは、静かに微笑んでいた。すこし、泣いているようにも見えた。
「こんなに幸せな思いをする日がくるなんて、思ってもみなかった」
リリーシャの瞳から溢れた涙を唇がたどって、そっと吸う。
そうすると、リガードの顔がよく見えた。リリーシャは、ああと思う。
(私だって、そう。だって、夢みたい。こんなにも、お兄様が私のことを好きなんだとわかる日が来るなんて……)
苦しげに目を細めた男のひとが、リリーシャを見つめていた。愛おしんでくれていることがありありとわかる表情だった。深く想ってくれていなければ、そんな表情はできなかっただろう。作ろうと思ってもできる顔ではなかった。
リリーシャは、こんなに幸せそうなリガードの表情を見たことがなかった。
こんなに満たされていて、でも飢えているようでもあるその表情が、自分がいることで生まれたものだなんて信じられない。昔のリリーシャに教えたら、きっと嘘だと言うだろう。でも、何度見てもほんとうだった。
「……リリーシャ?」
ぼんやりと自分を見つめているリリーシャに、リガードは気遣うように頬を撫でてくれる。
その優しい感触に、リリーシャの目はすぐに潤んだ。リリーシャがすすり泣きはじめたのに、リガードが心配そうに顔を覗き込んでくる。首を振りながら、リリーシャは俯いた。けれどもリガードの手が追いかけてきて、顔を上向けさせられる。
「ちがいます。嬉しくて……私も、嬉しい。だって、こんな……お兄様と結婚できて、愛してると言われるような幸せが訪れるとは思わなかった。こんなに幸せなこと、三年前の私は望むことすらできなかった、のに」
うそみたい。リリーシャは囁いて、それから涙を含んだ睫毛を揺らした。
リガードが、嘘じゃないと囁き返した。子供のようにリリーシャは訊ねた。お兄様、ほんと? うん、本当だ。
「これからは、望んでほしい。これまで出来なかった分、リリーシャをもっと甘やかしたい。君に、もっと色んなことをしてあげたかった。人目を気にせず可愛いと言って、抱きしめたかった。贈り物だってしたかった。……もっと、君の喜ぶ顔を見たい」
「お兄様が傍にいてくださったら、たくさん見せてさしあげます。……もう、私、泣いてばかりいますね」
はにかんだリリーシャに、リガードは可愛いよと言った。それがあまりにも自然な言葉だったものだったから、リリーシャは少しの間何も言えなくなってしまう。
リガードはリリーシャの髪を梳きながら、お願いがあると囁いた。
「お兄様の、お願い?」
ぱっと目を輝かせて何でも! と答えようとしたリリーシャは、自分を見つめる瞳の甘さにはっと唇を合わせた。今更ながらに、寝台に寝そべって覆い被さられている体勢が気になってくる。
「リリーシャ、どうか名前で呼んでほしい」
「リガード、さま……?」
ぎこちなく呟いたリリーシャがじっと見上げると、リガードはぐっとくぐもった声を盛らして何だかひどく苦しそうな顔をした。ややあって、ひどく真面目な顔つきでこう言った。
「様も、なしがいい」
「でも……」
リガードが笑った。あの、喉の奥を鳴らすような笑い方で。
その音は、リリーシャの肌をひそやかにざわめかせた。
ときめいて、胸がどきどきして。リリーシャは、もうかつて自分が偽りの姫であったことなんて、もうどうでもよくなってしまった。
「リガード……」
うっすらと涙に濡れた瞳で、これ以上はないというほどに自分を一心に見つめられて。そんなふうに甘くかすれた声で名を囁かれてしまったら。リガードはもう、とてもではないが平静ではいられなかった。
「これから君を抱くけれど、覚悟はできてるね?」
リガードの指が頬を撫で、それから唇のかたちをたどる。その艶めいた仕種に、細めた目に浮かんだ情欲の色に、リリーシャは真っ赤になった。それから、急いでこくんと頷いた。今を逃してはならないとばかりに、何度も。
「はい、はい……!」
リリーシャはリガードの首に手を回して引き寄せて、自分からえいと拙いキスをした。




