27.辺境の領主夫妻と幸せなお伽噺
――三年と少し前。リリーシャが今はもう亡い国を立ったあの日のこと。
リガードは、何よりも大事なリリーシャとはもう二度と会えないのだと覚悟を決めていた。リガードにとって、レイデーアに妹を預けたのは大きな賭だった。でも、必要なことだと思った。
レイデーアが指摘したように、リガードならリリーシャを守ってやれただろう。でも、国を売った王太子である自分に、そんな幸せは見合わないと思った。ならばせめて、リリーシャだけは幸せにしてやりたかった。それがたとえ、ひどく傲慢な考えだとしても。
穏やかな気持ちで出立するリリーシャの見送りに向かったリガードは、最後の最後まで顔を背けてこちらを見ようとしないリリーシャの振る舞いにも、何とも思わなかった。その横顔を満足するまで眺められてよかったなと思っただけだった。そして、ようやくリガードを見つめたリリーシャが微笑んでいるのに安心した。
リガードの傍でみずみずしく生いた花は、儚げだった。でも、その青い瞳はいつだって光を失っていなかった。その日は一層のこと。
しかし。リガードが何より愛した青の瞳は、思いも寄らぬ表情を浮かべていた。
リリーシャは、リガードだけを見つめていた。そして、恋をしていることを隠してはいなかった。それは、リガードがはじめて見るリリーシャの姿だった。
リリーシャは、ずっといい子にしていた娘だった。
ガネージュの城で生きづらそうに息を潜めていたリリーシャは、けれどもリガードの傍にだけはいたがった。彼女はそのためだけに、色んなものを我慢していた。リガードはいつしか彼女を女性として愛するようになったが、彼女の想いは雛鳥が親に対して抱くものだととらえていた。
でも、それは誤りだった。リリーシャは、ずっとひた隠しにしていたのだった。もし知られてしまえば、一緒にいられなくなるから。
恋した娘から心を寄せられているのだとありありとわかる瞳で見つめられて、リガードははじめて。そう、人生ではじめて自分の行いを悔やんだ。リリーシャのためと理由をつけて、勝手に彼女を遠ざけると決めた自分の愚かしさを。
――いま、この瞳で見つめられながら名を呼ばれでもしたならば。きっと、何もかもをかなぐり捨ててしまうだろう。
その時リガードの胸に沸き起こった衝動は、けれども長年培った王太子としての体面に滲み出たりはしなかった。そして、いい子のリリーシャはもちろんリガードの名を呼ぶことはなかった。優美な仕種で礼をして、旅立ちの挨拶をしただけだった。
リガードの初恋は、気づけば育っていたものだった。
その恋に殉じようと決めたのは、あのまなざしに射貫かれた瞬間だった。
ディターニス領の人々は、ようやくのことで行われた婚儀がつつがなく終わって胸をなで下ろした。
しかし、新年と婚儀の祝いを兼ねた休暇の間、お節介にも心配していた。はたして、王の義娘の恋は無事に報われたのだろうか? と。それほどまでに、ディターニス領の人々にとって領主の後をいじましく追いかけ続ける王の義娘の姿はすっかり馴染みとなっていたから。
けれども、そうした心配は程なくして消え失せた。
ディターニス領では、しばしば連れ立って領内を歩く睦まじい領主夫妻の姿を見ることができた。相変わらず領主夫人は領主をお兄様と呼んでは、あっと声をあげて言い直していた。リガード、と。
そんな夫人を見る領主の目は、いつだって砂糖菓子もかくやと言わんばかりに甘かった。ふたりの身体はいつも寄り添い合っていて、領主夫人の白い手はいつだって領主の腕に添えられていた。時には、領主の手がほっそりとした夫人の腰に回されている姿も見ることができた。
そんな領主夫妻の様子を眺め、あるいは挨拶し。声をかけて陳情を申し出たり、何でも無い世間話をすることもある辺境の人々は、時折思い出したかのようにこう噂した。こそばゆそうに、けれども微笑ましそうに。
――波乱に満ちた道を辿ったが、戦の果てにディターニス辺境伯は王の義娘を妻に迎え入れた。
――偽りの姫だった娘は、本当の姫となって帰ってきた。そして、自らの手に恋を取り戻した。
なんてよく出来た話だろう。まるで、御伽噺のようだ。
ディターニス領の人々は、いつもそう言ってやさしい噂話をしめくくる。いつしかそれが、辺境ではお決まりのこととなっていた。




