24.王の義娘は辺境の領主の想いを聞く
……それで、かつて偽りの姫だったリリーシャの恋がいったいどうなったかというと。
婚儀を終えたリリーシャは、宴の後マノアによって寝支度を調えられてリガードの部屋に通された。
新年を迎える前に「それで、見定めはどうだった?」「もうとうに終わっています!」というやりとりは済ませていたが、リガードにそっと抱き上げられたとき、リリーシャは安堵に涙ぐんでしまった。婚儀でさんざんレイデーアと一緒に泣いたのに、ようやくリガードに触れてもらえると思うとまた泣けてきたのだ。
リガードの手が優しく寝台の上に下ろしてくれるのに、リリーシャの頬は期待に紅潮した。
だって、今日は誓いのくちづけだってしたのだ。あまりに望んでいたことであったので、正直なところリリーシャとしてはもっとたくさんしてほしいくらいだった。だって、夢のようだった。現実だとはなかなか信じられないでいたくらいに。
何度も何度も自分の手をつねって現実かどうか確認したから、幸せな夢を見ているわけではないはずだ。リリーシャは、きゅっと拳を握る。膝に置かれたその拳に、ふと影が差し込んだ。
「リリーシャ」
「はい、お兄様」
見上げた先で、リガードは何やら考え込んでいるようだった。
リリーシャがどきどきしていると、リガードの大きな手のひらが頬をすくった。
触れられたうれしさを噛みしめようとしたリリーシャは、ぱっと目を見開いた。唇が触れて、静かに離れる。あまりにもあっさりと与えられたくちづけに、リリーシャはまた夢を見ているのかと思ってしまった。
リガードは、頬を染めたり視線を彷徨わせたりと忙しくするリリーシャの様子に微笑ましそうにする。そうして、リリーシャにとってはさみしく思われるほど礼儀正しい距離を置いて腰を下ろす。
リリーシャが勇気を出してえいとほんの少し距離を詰めると、リガードは微かに眉を寄せるようにして苦笑した。その下にある瞳が何を見つめているのかをたどって、リリーシャは握り込んでいた拳を開いてみせる。アーデンフロシアにはない習慣だそうだが、ガネージュには婚姻の証として指輪を交わす。リリーシャの細い指には、リガードが支度してくれた指輪がはめられていた。
リガードが差し伸べた手のひらに、リリーシャは微笑んで手を預ける。
自分とは違う骨張った指が指輪をなぞるのを見ていると、何だかひどくこそばゆい。
「リリーシャの婚礼衣装を見るのは、兄として送りだしてやる時なのだと覚悟していた。まさかこうして、自分の花嫁として迎え入れられるとは思っていなかったから。感慨深いな」
驚きに瞬いたリリーシャに、リガードは笑った。
「三年前のドレスも綺麗だったけど、あれはお母上のドレスだ。
……ああいう形で、君の意思を無視して嫁がせて悪かったと思っている。後悔したが、今はああしてよかったとも思う。あのままここで君を守ってやることもできた。でもそうしたら、リリーシャは僕のことしか見ようとしなかっただろう? 身勝手な話だが、全部我慢してしまう君に広い世界を見せてやりたかった。それに、リリーシャなら自分で未来を切り開いていけると思った。……まさかこんなに陛下のことが大好きになっているとは思わなかったけれど」
「陛下のことは、みんな好きでしょう? お兄様だって、陛下のことを信頼しているからガネージュを託されたのですから」
うんと嘆息して、リガードは苦笑する。泣いて泣いて大変だったレイデーアの姿を思い出したのかも知れない。ちなみに、その隣にいたアーディレイもなかなかの泣きぶりだった。
「レイデーア王は凄まじい方だな。昔から僕はそこそこいい為政者になれるのではないかと思っていたが、あの方を前にしたらその自負はあっさりと打ち砕かれてしまった。もう王太子ではなく一領主の身だが、今の自分が気に入っているし、今が一番楽しい。
何より、陛下はもう二度と会えないと思っていた君を再びこの手に戻してくださった。これからは、ふたりで陛下をお支えしなければならないな」
リガードに頭を撫でられて、リリーシャは頷いた。
好きなひとに好きなひとを褒められるのは、とても嬉しいことだ。リリーシャも、レイデーアのことが大好きだった。もう御傍近くにはいないけれど、一臣下としても義娘としても支えたいと願っている。
「はい。一緒に頑張ります。……この三月ばかり、お兄様が楽しそうにしておいでなのを傍で見ることができて、私は嬉しかったです。だって、お兄様はガネージュで色々背負い込みすぎでしたもの」
そうかなとリガードが呟いたのに、リリーシャは何度もそうですと言った。
リリーシャはふと、先程リガードが後悔と口にしたのを思い出した。
「私を手放したこと、お兄様は後悔しておいでだったのですか?」
嬉しそうにそわそわしてみせるリリーシャに、リガードはとてもねと返してくれる。
だって。そう言いながら、リガードはリリーシャのまろい頬を撫でた。
「知らなかっただろうけど、ずっと君のことが好きだった。
最初は、自分と同じように色んなものを諦めてきた女の子だと思った。でも次第に、必死に妹だと思い込もうとするようになった。どうやら無事に嫁に出してやれなくなりそうだと思い始めたときには、いっそ自分のものにしてしまおうかとさえ思った。そんなことはしてはいけないし、人は誰かに所有される生きものではない。それに、リリーシャは僕を何かとても素敵なもののように思ってくれていたから、到底できなかった。僕にも、君に良く思われたいという気持ちがある」
ずっと好きだった。リガードは間違いなくそう言った。
うそ。リリーシャはそう思う。じゃあ、どうして。……どうして。
確かに、三月の見定めを言い渡されたときもリガードは愛する気持ちは変わらないと言っていた。でもそれは、義兄としての気持ちかと思っていた。だから、リリーシャは三月の間どうにかしてリガードに意識してもらえないものかとあの手この手で色んな誘惑を仕掛けてきたのだ。
仕事にかこつけて領内を案内してほしいとおねだりしたり、リガードの隣にぴったり張りついてあわよくば手をつなげないかと隙を窺ったり、時には勇気を出して後ろから抱きついてみたり……それはもう色々なことをした。でもリガードは笑うばかりで、優しく引き剥がされるまでリリーシャが幸せを噛みしめただけだった。リリーシャだけが一喜一憂していて、リガードは微笑ましそうにするばかりだった。
穏やかに気持ちを伝えられたいま、リリーシャはひどく動揺していた。
そして、何かどうしようもない衝動に駆られて、リリーシャは寝台の上で向かい合って座るリガードの胸を叩いた。ぺちんと鳴ったその幼気な打擲は、義母仕込みのごく可愛らしいものだった。
「お、お兄様は、ひどいです。私にたくさん素敵なものをくださったのに、私を国の最期に付き合わせてはくれなかった! 私だって、一緒に戦いたかったのに……」
ふるふると頭を振って、リリーシャはまた手を振りかぶった。リガードは避けなかった。ただでさえ弱々しく迫る手を、何度も何度も黙って受け止めていた。




