23.王の養女は辺境の領主と婚儀を挙げる
――ディターニス領でいまもっとも注目を集めるのは、当然レイデーア王の義娘だ。
レイデーア王の義娘が亡きガネージュ王の愛妾の娘であることは、すぐに領内に知れ渡った。戦後の忙しなさにまぎれていなくなった偽りの姫がふたたび姿を現し、さらには王の義娘になっていたことは、かつてガネージュの城に出入りしていた人々をざわめかせた。
ちなみに、偽りの輿入れについては何の記録にも残されていなかった。
もともと王族の姫ではなかったということで、リリーシャは旧ガネージュ王家の系図にも含まれていない。リリーシャの偽りの輿入れを知っていたのは、リリーシャが戻った時にはどこかに消えていたガネージュの重臣たちと数人の女官だけだったらしい。
リリーシャは黙っていると大人しそうな娘だったが、レイデーア王の下で扱かれた有能な文官でもあった。戦後の慌ただしさに揉まれたことで、リリーシャは著しい成長を遂げて再び故郷の地を踏んだ。まだこの領地が小さな国であった頃の彼女の様子を知る人々は、大なり小なり驚いたものだった。あのまったき王族でも何でもない仮初めの姫だった娘が、三年でこうも鮮やかに咲いたのかと。
リリーシャがやって来てからというものの、ディターニス領は明るさが増した。
それは長年恋慕っていたという領主と一緒に領内を回っては輝くばかりの笑みを浮かべていた様子はもちろんのこと、レイデーア王とアーディレイ宰相仕込みの判断の鋭さで、山積みの課題を解決しようと励む有能さも影響している。また、以前はリリーシャに恋をしていたという男たちと、彼らを慕って追いかけてきた人々が加わって辺境を盛り立てようとしてくれていることも大きい。
ただ、ほんのりと頬を染めたリリーシャが「お兄様」とディターニス領主に話しかけ、はっと口を覆って「リガード様」と言い直しながらその後を懸命に追いかけている様は、周囲から微笑ましく見守られるとともに、少々心配されてもいた。
よくよく見なくとも、領主がかつて仮初めの妹であった王の義娘を見る瞳が甘いのは明らかだった。だが、どんなにリリーシャが人目を憚らず想いの程を告げても、領主は礼を言ってやるばかりでくちづけさえしてやらなかったのだ。
見かねた人々の陳情を受けて、領主は手を繋ぐことと手の甲へのくちづけを解禁した。それだけ? と人々はがっかりしたが、リリーシャが手を繋いだり甲に唇を受けたりする度に逐一飛び上がるほどに喜ぶものだから、却って気の毒に思った。
また、ディターニス領の人々は、もはや慣れて何とも思わなくなるほどにこういった会話を耳にした。
「お兄様、あ、いいえ、リガード様。いまの私のこと、どう思っていらっしゃいますか? その……あの、お嫌いでないといいのですけれど」
「いいや。変わらずリリーシャのことを愛らしいと思っているし、こうして領地の復興に尽力してくれることを頼もしいと感じている」
そこで、ちゃんとリリーシャが「ならばどうして触れてくれないのか」と突っ込んだことを言えたならよかったのだろう。だが、リリーシャはいつもはにかんで、幸せを噛みしめるのが精一杯だった。
そのくらい、三年はリリーシャにとって長かった。
何せ、リリーシャは辺境に派遣された文官たちの報告書を読んでは、「お兄様が領民に婿がねとして狙われているみたいなのです」だとか「どこそこの貴族の娘や商家の娘がなんとかしてお兄様の視界に入れないものかと通っているそうなのです」と言っておろおろしていたのである。
あまりに逐一リリーシャが憂いてやまないので、レイデーアの執務室の面々はリリーシャが「お兄様病」に罹っているときは相手をしなくなった。ちなみに、レイデーアだけはその都度リガードにちゃんと禁欲しているか? と文を飛ばしては訝られていた。
だから、すぐ傍にリガードがいて、声をかければ微笑んでくれるだけで……そして周りにリガードを狙う女性の姿が見えないとわかるだけで、リリーシャは胸がいっぱいになってしまうのだった。幸せすぎて。
そういうわけで、リリーシャが辺境にやって来て三月が経って新年を迎えたとき、ディターニス領の人々は大なり小なり胸をなで下ろしたものだった。ようやくご成婚だ、と。
王の義娘とディターニス領主の婚儀の日取りは、辺境にアーデンフロシアの風習を根づかせるためにこの時期が選ばれた。アーデンフロシアとしては、旧ガネージュの精霊信仰を今すぐ奪うとはいかないまでも、民の目を女神に向ける必要があったからだ。三年の間に領内でも女神の存在は緩やかに受け容れられつつあったのだが……ディターニス領の人々にとっては、領主と王の義娘の恋の行方のほうがよほど気になることだった。
婚儀に合わせて王都からやって来たのは、リリーシャの義母であるレイデーア王とアーディレイ宰相だけではなかった。
何せ、新しい年の始まりに際してこの二人の婚儀の日取りがようやく発表されたばかりとあって、国中が祝福に沸きたっていた。戦後の復興が目に見えて果たされてきたこともある。
それで、新年の祝いの乾杯を交わした後、貴族たちはこぞって馬車を連ねてレイデーア王とアーディレイ宰相を追いかけてきて辺境に足を踏み入れた。そのことは、まだ発展途上にあるディターニス領を大いに活気づけることとなった。
婚儀は、領内に新たに建てられた女神を奉じる神殿で行われた。
王の義娘のものにしてはこぢんまりとしたものだったが、婚儀に参列した貴族や騎士、それから文官たちのみならず、神殿の中に招かれはしなかったもののその周りに詰めかけた人々は満足した。
何しろ、レイデーアが贈ったヴェールを垂らし、アーディレイが仕立てさせた純白のドレスで装った王の義娘は美しかった。
旧ガネージュとアーデンフロシアを取り持つ結婚にふさわしく、そのドレスは両国の図案を取り入れたレースが彩り、光沢のある織りの生地でアーデンフロシアの流行に則った型で仕立てられていた。
リリーシャの銀の髪に合わせたヴェールはドレスと同じレースで彩られ、王族の姫が嫁ぐ時に贈られる小さな冠で留められていた。そこにあしらわれた女神の花の意匠は、この婚儀が女神にも認められていることを示している。花嫁が浮かべた幸せそうな笑みこそが、ほかの何にもまさる装飾品であったけれども。
その手を取るディターニス領主は、濃紺に銀の刺繍でリリーシャのドレスと揃いの図案が縫い取られた礼装を纏っていた。襟が高く裾の長い型はガネージュらしいものであったが、それ以外はアーデンフロシアの優美さが活きた仕立てだった。精悍な顔に浮かべられた笑みは静かだったが、花嫁への愛情に満ちていた。
参列したレイデーア王があまりに泣いて泣いて喜んだので、その様子は以降ディターニス領ではお決まりの語りぐさとなった。たった二つ違いの母娘が並ぶと、絵のように美しい光景だったこともある。
そして、この頃にはほとんどその名で呼ばれることはなくなっていたガネージュ人だった人々は、新年の飾りと婚儀を祝う飾りで彩られた道を行く婚儀の列を眺めて――いつかにリリーシャが提案したとおり、涙しながらも絶えず光を放っているレイデーアの姿を遠目に見て、また落ち着いてきた生活を思い、故国に対する思いに区切りをつけもした。




