ごめんね
白井耀太は、いわゆるクラスの人気者だ。誰とでも壁を作らずに打ち解け、かといって軽薄すぎることもない。正真正銘の「いいヤツ」だった。そんな彼と、同じくクラスの中心にいる鳰が並んで歩く姿は、客観的に見ても実にお似合いだった。
自然と二人の半歩後ろを歩く形になってしまったかがみに、鳰はすぐさま気づく。わざとらしく歩幅を縮め、かがみの隣へと位置を戻してきた。すると白井もまた同じように歩調を緩め、結果として、二人がかがみを挟み込むような形で歩くことになる。
――そういうお気遣いが、一番肩身が狭い。
二人が振ってくれる話題に二度、三度となんとか言葉を返し、息が詰まってまた自然と足を緩める。鳰がそれに気づいて再び歩幅を縮め、白井も笑顔で合わせる。
その不毛で気まずい繰り返しのせいで、アスファルトの坂道を踏みしめ登山口へ辿り着くまでに、本来なら三十分もかからないはずの坂道に、三十分もの時間を費やしていた。
――そんなに気を遣うくらいなら、最初から声をかけなければよかったのに。
鳰は胸の奥で、苦々しい苛立ちを噛み殺していた。
そもそも白井をこの場に招き寄せてしまったのは、他ならぬかがみ自身なのだ。
登山口をくぐり、木々が日差しを遮り始めたところで、白井が振り返ってニヤリと笑った。
「十二里ちゃん、さっきからちょっと沈んでんね。俺、山に入ったら勝手に先先登っていくから、永原ちゃんが見てあげてな」
「はいはい。その『俺、全部わかってます』って顔、本当に嫌な奴」
「あはは、よく言われるわ」
「……私のこと、勝手にかがみに話したら絶交だからね」
鳰が低く釘を刺すと、白井はすべてお見通しだと言わんばかりの顔で「はいはい」と手を振り、女子の足ではとても追いつけない速度で坂道を駆け上がっていった。
瞬く間にその背中は木々の向こうへ消え、周囲には風の音と二人分の足音だけが残される。
「何が名ガイドだか……。かがみ、大丈夫?」
普段運動をまったくしないかがみのすぐ前を、鳰はペースを落としてゆっくりと歩く。
かがみは返事をする余裕すらなく、肩を上下させて荒い息を吐きながら、必死でその背中を追いかけていた。
「……どうして私を待つの? 白井君と一緒について行けたでしょ」
脚を止め、荒い息を整えながらかがみが吐き出したのは、自分でも聞きたくないほど歪んだ嫌味だった。
鳰は足を止め、ゆっくりと振り向く。
「私は、かがみと一緒にいたいの。……それって、そんなにおかしなことかな」
「だって鳰、恋がしたいって言ってたじゃん」
「白井くんと? ないって」
「そういうことじゃなくて……私がずっと隣にいたら、鳰が男子とそういう関係になるきっかけ、無くなっちゃうよ」
「……その言い方、嫌だな」
鳰は見たこともないほど寂しげな目を向け、短くそう答える。
射抜かれたような痛みに、かがみはすぐに「ごめん」と口の中で呟く。身体の疲労よりも、身勝手な自分への自己嫌悪で心が折れてしまいそうだった。
鳰は小さく息を吐くと、後ろを向いて遠くに視線を向けた。
「私は、かがみとこの景色が見たかったの」
つられて後ろを振り返ったかがみは、思わず息を呑んだ。
木々の隙間から見下ろす眼下には、自分たちの住む街並みがまるでミニチュアのように小さく広がっている。そしてその向こう――普段は意識することもない遠い存在だった琵琶湖が、秋の柔らかな太陽を浴びて、眩しいほどキラキラと一面に輝いていた。
「……ごめん。意地悪言って」
「いいよ。ほら、お茶飲んで落ち着こ?」
鳰はいつものやわらかい笑顔を作ると、自分の鞄からペットボトルを取り出し、かがみに差し出してきた。
登りきった山頂では、すでに白井がレジャーシートを広げ、コンビニで買ったお菓子を並べて待っていた。
声を掛けた時、「ほんの二、三分準備するから待って」と言われただけだったのに、なんとも気の利く男だ。
「おつかれー。二人とも、自然に癒された?」
「全然……死ぬかと思った」
「かがみはもっと運動しなきゃダメだね」
「鳰だって普段運動してないのに、なんでそんなに余裕そうなの」
「まぁまぁ。ほら、この絶景見ながらちゃんと観光案内したげるからさ」
白井は岩場の上に敷いたシートへ、二人を手招きした。
そこへ腰を下ろすと、先ほど途中で見上げた風景とは比べものにならないほどのパノラマが、秋の澄んだ空気の向こうに広がっていた。
「ここからやと、大津の方まで見渡せるんよ。こうやって観ると、滋賀ってほんま田んぼばっかりやろ」
「あ、見て。私たちの学校も見えてるよ」
鳰が指差した先を、かがみは目を細めて見つめる。
日常のすべてが詰まっているはずの校舎も、ここから見下ろせば指先ほどの大きさに過ぎない。
「……小さいね」
ぽつりと漏らしたかがみの言葉に、鳰は返事をせず、ただそっと隣で肩を寄せてきた。
白井の解説は、実によく出来たものだった。
この山は周りに遮るもののない平地にぽつんと佇み、その美しい容姿から「近江富士」と呼ばれていること。大昔には、山を何周も巻き付くほど巨大なムカデの怪物が現れ、英雄に退治されたという伝説があること。
わかりやすくユーモアを交えた解説に、かがみだけでなく、同じ地元民であるはずの鳰までもが「へえ」と素直に感心していた。
「俺さ、高校からの外進生やろ。やから、中学からずっと一緒の内進の二人とこうやって仲良くなれて、結構嬉しいねん」
お菓子の袋を器用に開けながら、白井が屈託のない笑顔を向けてくる。
「そんなの、気にすることないのに。私たちからしたら、白井くんみたいに新鮮な人と接する方が良い刺激になるよ。ねえ、鳰?」
「……あ、うん。そうだね」
振り向いた鳰の返事は一瞬遅れ、その声はどこか上ずっていた。
――まただ。
鳰は一体、白井くんの何がそんなに気に食わないのだろう。
笑顔を浮かべながらも、どこか心ここに在らずといった様子で遠くを見つめる親友の横顔に、かがみは胸の奥で小さな疑問符を浮かべていた。




