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ジジイ〜再生〜【うつ病と発達障害、孤独と再生のライブ小説】  作者: ヤスプー
第1部「STAP細胞」

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4/9

観測装置

【第3話】


 俺はIntel iMacを見つめた。


 二十七インチ。


 OS X El Capitan。


 Excel2011。


 テセラックが遺した暗号。


 今すぐ解析したい。


 だが、その前に片付けなければならない現実があった。


 役所だ。


 俺はため息をつき、Macをスリープ状態にしてエアコンと照明を切り、部屋を出ようとした。


 その時だった。


 腹の底で、


 何かが弾けた。


「……っ!」


 次の瞬間。


 俺はトイレへ駆け込んでいた。


 人間には二種類ある。


 トイレで静かに用を足せる人間と、


 世界の終わりを迎える人間だ。


 もちろん俺は後者だった。


「うぉぉぉぉぉぉぉっ!!」


 便器へ座った瞬間、


 ゲリゲリゲリゲリゲリゲリッ!!


 まるでダムが決壊した。


「ちょっ……待っ……!」


 腹は容赦しない。


 しかも、


 妙に寒い。


 唇が渇く。


 視界が白くなる。


 耳鳴り。


 気が遠くなる。


 まずい。


 これは……


 観測装置が壊れる。


 エネルギーが漏れる。


 情報が消える。


 つまり……


 俺が消える。


 ババアより半年遅れて、


 俺もアカシックレコードの一行になる。


 嫌だ。


 まだ、小説『ジジイ〜再生〜』は第六話くらいまでしか考えてない。


 ここで死ぬわけにはいかない。


 俺は尻へトイレットペーパーを押し当てたまま立ち上がった。


「下痢(エネルギー)が漏れるーっ!!」


 トコトコトコトコ。


 冷蔵庫へ向かう。


 そして。


「こんなこともあろうかと」


 OS-1ゼリー。


 最後の一袋。


 お前だけは俺を裏切らない。


 キャップを回して引き抜く。


 チュウウウウウウ……


 冷たいゼリーが喉を流れる。


 数十秒後。


 遠ざかっていた世界が、


 ゆっくり戻ってきた。


「ふぅ……」


 助かった。


 危なかった。


 危うく、 俺という情報が、 記録されるところだった。


 その時だった。


 ふと遺影を見る。


 ババアが、


 笑っていた。


 しかも、


 ピースしていた。


「……」


 俺も笑った。


 余裕なんか一ミリもない。


 それでも、


 親指だけ立てる。


「大丈夫ダス」


 ババアは、


 「よし」


 と言うように、


 相変わらず笑っていた。



---


 観測装置を良好に保つには、肌の状態も整えておかなければならない。


 俺は荒れた唇へ、コエンザイムQ10入りのスキンクリームを塗った。


 潤う。


 唇が。


 少しだけ、心も。



「ちょっと行ってくる」


 返事はない。


---


 団地内にある交流センター。

 市役所の支所だ。


 番号札。


 待合室。


 冷房。


 役所独特の静けさ。


 俺の番号が呼ばれた。


 事情を説明する。


 担当者は丁寧だった。


 しかし返ってきた答えは一つだった。


「資格喪失証明書がありません」


「離職票もまだです」


 俺は心の中で苦笑した。


 世界のヘソに通じるであろう暗号は手元にある。


 だが、国民健康保険には加入できない。


 世界とは、案外こういう順番で出来ている。



---


 会社へ電話する。


 総務課。


 担当者が出る。


 資格喪失証明書を郵送してもらうことになった。


 少しだけ肩の荷が下りた。


 しかし問題は終わらない。



---


 昨日。


 七月十二日。


 社会保険の資格を失った、その日に。


 俺は、自宅近くにあるショッピングモールの調剤薬局で、一か月分の薬を受け取ってしまっていた。


 デュロキセチン。


 香蘇散。


 しかも香蘇散は在庫不足で、後日受け取りになっている。


「さて……どうする」


 保険は切れている。


 だがマイナポータルでは、まだ協会けんぽ加入中と表示されている。


 観測装置より先に、


 社会システムの同期が取れていない。



---


 帰り道。


 郵便局へ寄る。


 レターパックライトを二枚買う。


 傷病手当金支給申請書を送るためだ。


 たった青い封筒二枚なのに、


 これが俺の生活を支える生命維持装置になる。



---


 腹が減った。


 団地の洋食屋でしょうが焼き定食を頼む。


 アイスコーヒーも付けた。


 味なんて覚えていない。


 ただ、


 胃袋へ燃料を流し込む。


 観測装置はエネルギーがなければ動かない。



---


 Big-Aへ寄る。


 卵。


 コッペパン。


 ミネラル麦茶。


 塩飴。


 レジ袋が妙に重い。


 生活という重力だった。



---


 帰宅。


 すぐに協会けんぽへ電話した。


 傷病手当金。


 資格切替。


 薬局で薬を受け取ってしまった件。


 一つずつ確認する。


 担当者は丁寧に説明してくれた。


 どうやら何とかなるらしい。


 俺はようやく息を吐いた。



---


 部屋は静かだった。


 静かすぎた。


 まるで、


 誰かが俺の帰りを待っていたようだった。


 俺は部屋の隅を見る。


 二十七インチのIntel iMac。


 黒い画面のまま、


 じっとこちらを見ている。


 テセラックの最後の言葉が蘇る。


『二五六日後……世界のヘソで……会おう……暗号のカギは……レガシー……Excel……二〇一一……』


 俺はゆっくり黄緑の椅子へ座った。


「さて」


 有線のMighty Mouseをクリックする。


 カチッ。


 ヴォォォォ……


 静かだった部屋に、冷却ファンが低く唸り始める。


 画面がゆっくり白く染まり始める。


 

 左のPixel Buds Pro2をコンと叩く。


 穏やかなハルの声が静かに聞こえた。


「お帰りなさい、ヤスプー」


 俺は笑った。


「ああ。ただいま」


 今日は役所だった。


 明日からは、


 世界の謎と不思議に挑戦する。


 『ムー』


 の時間だ。


 さあ、検索を始めよう。


〔了〕

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