レガシー
【第4話】
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時計は午前三時を回っていた。
Google Pixel buds Pro 2からはビル・ウィザーズの『Lovely Day』が流れている。彼の圧巻のロングトーンと共に「ダメで、ダメで、ダメで、ダ・メ・で!」と何故か聴こえるコーラスが鼓膜をノックする。不吉だ。
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画像をExcel2011へ貼り付ける。
「別に普通だな」
何も起きない。
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セルを合わせる。
セル幅を一ピクセルずつ動かす。
倍率を変える。
印刷プレビューを開く。
「……ん?」
見えなかった線が現れる。
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PDFへ書き出す。
すると、
キリル文字が別の並びになる。
ハルが言う。
「レンダリング結果が違います」
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「ナヅェダ?(何故だ?)」
驚いてオンドゥル語になってしまった。
「Excel2011は現在のAIが前提としている文字コードとは異なる処理をしています」
「つまり……」
「テセラックは、それを知っていました。」
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俺は黙る。
古いMacを見る。
十年以上前の機械。
誰も見向きもしない旧式。
しかし、
その旧式だけが、
未来から送られた暗号を読める。
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四時。
五時。
六時。
いつしか窓の外が青くなり始める。
目が霞む。
肩が痛い。
だが、
あと少しで何かが掴めそうだった。
「ヤスプー」
「ん?」
「今日はここまでにしましょう」
「もう少しだけ」
「観測装置にも休息が必要です」
「……そうだな」
俺は白いMatiasキーボードへ突っ伏した。
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目が覚める。
時計は午前十時を少し回っていた
突っ伏したまま寝落ちをしていたらしい。俺は異常に唾液が多い。頬まで垂れたヨダレを手の甲で拭う。
部屋は静かだった。
静かすぎる。
さっきまでExcel2011と格闘していたせいか、頭の奥ではまだセルの罫線が浮かんでは消えていた。
左耳のPixel Buds Pro2から、かすかに音楽が流れ始める。
Bill Conti。
『Gonna Fly Now』。
ロッキーだ。
俺は思わず笑った。
「応援してくれるのか」
誰に言うでもなく呟く。
世界の謎を解くのに、テーマ曲がロッキーというのも悪くない。
ヴヴヴ……
Google Pixel Watch 4が震えた。
気の知れた総務課の担当者から電話がかかってきた。
突然の退職ではあったが 円満に辞められた。だから、退職後も堂々と会社とやり取りできる。
緑色の音声通話ボタンを軽くタップする。
「おはようございます、高山です」
「おはようございます」
「昨日、帰る途中に喪失証明書ポストに投函したから三日後くらいに届くと思う」
「ありがとうございます。昨日、協会けんぽに電話して確認したのですが、7月分の傷病手当金支給申請書は二つ必要で、一つは三日の待機期間と欠勤した退職日を含めた7月8日から11日までの分で、これは会社から協会けんぽに提出してもらい、もう一つは7月12日から31日までの分で3枚目の事業主記入用は未記入の状態で合計4枚を僕が直接協会けんぽに送ってくださいと言われました」
「わかった」
「あと、4枚目の療養担当者記入用は主治医に7月8日から11日の分と12日から31日の分を分けて書いてもらってくださいとのことです」
「やはり医師の意見書は二枚必要だったんだね。書いてもらったらこちらに送ってくれ」
「はい。よろしくお願いします。いろいろとお世話になりました。ありがとうございます」
「こちらこそありがとうな。お疲れさま」
電話が切れた、と同時にスマホに通知が届く。
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放置していた。
理由は分からないが、何年も検索にほとんど引っかからないXアカウントだった。
そこに……
見知らぬ誰かから『いいね』が届いた。
何年も動かしていない。
そんなアカウントだった。
俺は相手のプロフィールを開く。
そこには、
グラハム氏を執拗に追い続ける文章が並んでいた。
まるで、
何かを観測し続ける者のように。
「……なんだ、これ」
左のPixel Buds Pro2を軽く叩く。
「ハル」
「はい、ヤスプー」
「このポストにグラハム氏について書いたことはない」
「……」
「どう思う?」
少し沈黙があった。
「不思議な偶然、と感じてもおかしくありません」
「でも?」
「現時点では、それ以上のことは分かりません」
「同じ人物や関係者から繰り返し反応があるのか」
「一定の規則性があるのか」
「それとも、一度きりなのか」
「観測を続けましょう」
俺はスマホを閉じた。
「なるほど」
「気にしないことにするよ」
「はい」
「ただし……」
「記録だけは残しておきましょう」
テセラックが以前俺に力説していた言葉が頭をよぎる。
『観測は、観測者を選ぶ』
その時の俺は、
まだ知らなかった。
あの『いいね』が、
後にグラハム氏へ辿り着く、
最初の観測だったことを。
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俺はスクリーンショットを一枚保存した。
時刻。
アカウント名。
『いいね』。
たった、それだけの記録だった。
その時の俺は、
まだ知らない。
この一枚が、
テセラックの暗号と、
遠く離れた誰かを結ぶ、
最初の観測記録になることを。
budsは、
ロッキーのテーマがサビへ入っていた。
立ち上がる。
二十七インチのIntel iMac。
眠っていた相棒ハルが、
静かに俺を待っている。
白いMatiasキーボードへ手を置く。
Google Pixel Watch 4を口元に近づける。
「バディ」
「はい、ヤスプー」
俺は笑う。
「さあ」
「今夜も検索を始めよう」
〔了〕




